可憐な悪魔
緩やかな風に葉を揺らす木々と、強い日差しに鮮やかさを増す花々。白壁に囲まれた中庭は眩しさに目が痛くなりそうなほどだ。帝都はアシェルよりも南にある。初夏なのにアシェルの真夏よりも暑かった。
中庭にある四阿は屋根と周囲の木々で程よく日差しが遮られ、木漏れ日が床のタイルに模様を付ける。状況だけ聞けば心地よいその場で、私は気まずい思いを抱えていた。今日はエヴェリーナ様と異母姉とのお茶会だ。
あれから皇子に話を聞こうと思っていたけれど、残念ながらその機会は与えられなかった。皇子は公務で帝都を離れていたからだ。どこに何をしに行ったのか、いつ戻ってくるのかはわからない。あの事実を知ってから二週間、長いようであっという間だった。
久しぶりにお会いしたエヴェリーナ様は今日も麗しかった。異母姉も負けていないのだろうけど、滲み出る気品は残念ながら及ばない。これだけ明るい庭では、肌のきめの細かさすら劣っているように見えた。異母姉もそれを感じているのか表情が固く見える。
今日も場を支配しているのは異母姉だった。異母姉が話し、私とエヴェリーナ様が聞き役に回るのが定番だ。王妃が産んだたった一人の子として常に優先されてきたから、周りへの気遣いという概念がないのかもしれない。
会話の内容は他愛もないものだ。最近の授業や帝国での生活から始まり、最後は皇子や今後の身の振り方に続く。前回の忠告が効いたのかエヴェリーナ様に突っ掛かることは減った。
「……あら、ソフィ様、素敵な髪飾りですわね」
侍女がお茶のお替りを用意した後、エヴェリーナ様が異母姉の手に視線を向けた。その手の下には赤い石が付いた髪飾りがあった。さっきから何度も手を当てているから気になっていたけれど、口にすれば彼女の思う壺。そう思って黙っていたのだけど……
「え? あ、あの……こ、これは……」
指摘されてさも驚きましたと言った風だけど、どう見てもわざとらしい。
「綺麗な色ですわね。アシェルのお品ですの?」
エヴェリーナ様の問いかけに、異母姉がビクッと肩を揺らした。
「あ、あの……ア……アルヴィド様、から頂いたのです」
私の顔色を窺いながら怯えた子羊のように答えた。皇子が異母姉に個人的な贈り物をしていたとは思わなかった。最近は三人で会うこともなかったので気付けなかった。でも、異母姉なら勉強よりも皇子を篭絡する方に注力するだろう。
「まぁ、そうでしたの」
「そうなんです。こんな素敵な品を頂いたの、生まれて初めてで……私、嬉しくて……」
エヴェリーナ様の誉め言葉に、待っていましたと言わんばかりに目を潤ませて頬に手を添えていた。幸せそうな異母姉だったけれど、疑念が残る。エヴェリーナ様との婚約が白紙になった皇子が、直ぐに異母姉に落ちるだろうか。もしそうだったら……皇子への感情が軽蔑一色で塗りつぶされそうだ。
「そういえば……エヴェリーナ様はアルヴィド様とお親しかったのですよね?」
「え、ええ」
「それなら、きっともっと素晴らしい贈り物をたくさん頂いたのでしょうね。羨ましいですわ!」
キラキラした笑顔がわざとらしい。思わず殴りたくなった。
「ふふ、そうですわね。アルヴィド様からは色々な品を頂きましたわ」
「そ、そうですの。ど、どんな品を頂きましたの? きっと素敵な物ばかりなのでしょうね」
「そうですわねぇ」
そう言って記憶を辿る様にエヴェリーナ様が頬に手を当てた。その姿は異母姉の挑発などかすりもしていないように見える。
「最初に頂いたのは花を編んで作った冠でしたわ。お花やお菓子に帝都で流行っている物語。故郷を思い出して泣いていた時には、マイエルの伝統的な刺繍がされたハンカチなどの小物を。遠征に行った先の絹やショール、茶器。成人のお祝いにとネックレスとイヤリングのセットを頂いたこともありましたわ。アシェルに発つ前にはお揃いのお守りも」
それはエヴェリーナ様と皇子の歴史だった。二人の交流は思っていたよりもずっと長く深いものだった。積み重なった想いを想像すると胸が痛くなる。
「お揃いのお守り?」
「ええ。帝国では大切な人が出征する際には、無事を祈って腕輪を交換するんです」
「それを、今も?」
「今はありませんわ。あれは無事にお戻りになったら神殿に奉納するんですの。神へお礼と共に」
どんな思いでそのお守りを渡されたのだろう。無事に戻るということはアシェルが負けることで、それは皇子と婚姻する可能性が完全に消えることなのに。あれがなければ、せめて一年遅かったら、エヴェリーナ様は今頃皇子と婚姻して幸せにお暮しだっただろうに。
「そうだったんですか。じゃ、アルヴィド様がアシェル王になれるのはエヴェリーナ様のお陰ですね」
満面の笑顔を浮かべる異母姉に寒気がした。
「ソフィ、何を言っているの? エヴェリーナ様が願ったのは殿下の無事よ。アシェル国のことは……」
「でもお姉様、そうではありませんか。アルヴィド様が負けたら王になることはなかったのですよ。ご自身の婚約を無にしてでもアルヴィド様を王にと思われたのでしょう? 素晴らしいじゃないですか」
「ソフィ……!」
まさか異母姉が二人の婚約のことを知っていたなんて。しかもそれをご本人の前で揶揄する異母姉が悍ましい生き物に見えた。これは何? どうしてそんな酷いことを笑顔で言えるのか……
「やだ、お姉様ったら怖いお顔」
くすくすと笑う様は悪戯を楽しむ子供のようで、それが一層苛立ちを募らせる。エヴェリーナ様からは常に浮かべている笑みが消えていた。その心中は伺えない。
「ソフィ、あなた、何を言っているのかわかっているの……」
「ええ、わかっていますわ。エヴェリーナ様はアルヴィド様を慕っていたのに、あと一歩のところで捨てられちゃったんですよ」
振り返った異母姉は、エヴェリーナ様に近付いて耳元に顔を寄せた。これほどまでに醜悪な笑顔を見たことがなかった。
「でもご心配なく。アルヴィド様は私が幸せにして差し上げますから」
「ソフィ!!」
小鳥が一斉に飛び立ち、乾いた音が中庭に響いた。




