帝国での生活
あれから三か月が経った。
帝国での教育は「過酷」の一言に尽きた。異母姉との学力は随分差があるだろうと思っていたけれど、テストをしてみたら大きな差はなかった、らしい。聡明で優秀だと言われていた異母姉と変わりがないと言われた時は驚きしかなかったけれど、真相は不明だ。異母姉がソフィを装うためにテストで手を抜いたのか、それとも学んでいた内容の中身が薄かったのか。これだとアンジェリカが大したことないと思われるのか、ソフィが凄いと思われるのか、何とも微妙だ。私がソフィなら凄いと言われていただろうと思うと、入れ替わりへの怒りが再燃した。
お陰で私は今、異母姉と共に授業を受けている。顔を合わせるのは気が滅入るが、異母姉と授業の進み具合が同じなのは有難かった。
「アンジェリカ様! 起きて下さい! 朝ですよ!!」
「……も、もう、ちょっと……」
「その台詞、もう六回目ですから。いい加減に起きないと予習の時間が無くなっちゃいますよ」
「……!!!」
ヘレンの元気な声、しかも予習と聞いて目が覚めた。飛び起きるとヘレンがタオルを渡してくれたので顔を拭いた。温かいタオルが気持ちいい。目が覚めるしさっぱりする。アシェルより暖かい帝都も朝晩はそれなりに冷え込んだ。雪が降らないだけマシだろうか。アシェルの王都は今頃は銀世界だろう。
服を着替えてテーブルに着くと、直ぐに朝食が運ばれてきた。パンにハムやレタスなどを挟んで片手で食べられるものだ。それに紅茶とスープが私の朝食の定番だった。これを食べながら今日の授業の部分に目を通すのが日課になっていた。夜は課題と復習で手いっぱいで予習をしている余裕などない。授業のペースは速く、内容は決して薄くはない。一分一秒すらも無駄に出来ない日々が続いていた。睡眠時間? 多分三時間はとれている筈……
「今日は……ネルダール史とネルダール語、算術と商業ギルドの経済学に……政治学、だっけ……」
授業はその日によって色々だ。半日で一教科の日もあれば、細かく分かれることもある。そんな場合も大体関連がある場合が多い。その合間のお茶の時間、何なら昼食時もマナーや話術のテストみたいなものだ。他にも、孤児院の訪問や識者との懇談会で一日が終わることもある。とにかくこなさなければいけないことが多過ぎて休む間もない。それに異母姉との差が全くわからない。褒められたかと思えば、その翌日には向こうが褒められる。負けたくないとの一心でやっているから、こうなると手を抜くなど出来なかった。
「アンジェリカ様、根を詰め過ぎですわ。食事くらいゆっくりなさっては……」
「ありがとうヘレン。でも、これくらいしないとついていけないもの」
「ですが、身体を壊しては元も子もありませんわ」
「大丈夫よ。私、こう見えて頑丈に出来ているから」
アシェルで侍女をしていた時だって睡眠不足はいつものこと。ここでは十分すぎるほど温かい食事が出るし、寒さに凍えて一夜を明かすこともない。水仕事で手が切れたり王妃から殴られたりもないのだ。快適と言えよう。やりたくても出来なかった勉強も、今は無料で教えて貰える。有難くて皇帝陛下に足を向けて眠れそうになかった。
「これも皆のお陰よ。皆が私を気遣ってくれるから勉強に専念出来るのだもの」
「アンジェリカ様ぁ!」
笑顔でお礼を言えば、ヘレンが抱きついてきた。ここの侍女は母国と違って人を馬鹿にしたり嫌がらせをしたりなんかしないから、それだけでも随分気が楽だった。多分監視も兼ねているのだろうけど、公平に見てくれるから嬉しい。
「本当にアンジェリカ様は天使みたいな方です」
「そうですよ。ソフィ様は癇癪もちで大変だとあちらの侍女が言っておりましたわ」
「気に入らないとお茶をかけたりお菓子を投げつけたりするそうですし……」
「そ、そう……妹がごめんなさいね」
帝国に来てから異母姉が噂通りの癇癪もちになっていた。寝不足で苛々しているのだろう。しかも私との差があまり感じられない焦りもあるかもしれない。それにアシェルでは侍女が異母姉の気持ちを察して先回りして世話をしてくれたけれど、ここではそれがない。そこも不満なのだろう。
「まぁ、アンジェリカ様が謝ることはありませんわ」
「そうですよ。もう子どもじゃないのですから」
王妃のせいで謝り癖がついたけど、それで私の株が上がっていた。虐げられた結果の悪癖だったけれど、ここでは良いように作用している。人生何が役に立つかわからないものだ。侍女からの評価も王妃を決める基準になっているといいのだけど。帝国では知り合いもいないから、侍女たちだけでも味方に付けたかった。本当は何でも相談出来る相手が出来るといいのだけど、人との接触を禁じられているからそれも難しかった。
「さぁ、そろそろお時間ですわ」
予習をしていると朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。私は残ったお茶を一気に飲むと、教科書やノートを手に部屋を出た。今日の戦いが始まった。
私と異母姉の部屋の向かい側が授業を行うための教室になっていた。この棟の東側は私と異母姉だけが使い、他の王女を見かけることはなかった。基本的に私たちは部屋から出るにも許可が必要で、庭に出るのも時折ある皇子とのお茶会くらいだ。勉強漬けで気付きにくいけれど、事実上の軟禁生活だった。
(逃げるのも簡単じゃないものね)
教室になっている部屋に入ると、まだ誰もいなかった。日差しに誘われて窓辺に寄る。最初に違和感を持った四方の棟は、この宮を閉じ込めるための塀だった。周囲の棟の一、二階には人が通れないサイズの採光窓しかなく、出入り口はここに入った時に使われた一か所だけ。また四方の棟の三階は廊下になっていて、常に騎士が見張っている。
何人いるのかわからないけれど、ここには亡国の王女が集められていると聞いた。きっとあの壁は私たちが逃げ出せないよう、奪われないようにこうなっていたのだ。見た目の華やかさで隠されていたけれど、ここは監獄だった。




