帝都に向けて
その日から十一日後、私たちは帝国に向かって出発した。向かうのは私と異母姉、弟と第三皇子で、皇弟殿下は引き続きアシェルに残ってこの地を治めると言う。次に戻って来る時は皇妃としてで、なれなかった方はそのまま帝国で暮らすとも。異母姉は父王や王妃との面会を願ったが、それは叶わなかった。
帝国へは船と馬車での移動になった。まずアシェル王都の港から帝国の港町まで船で渡り、そこから帝都までの半分を馬車で、残りを船で下るという。馬車なら二十日はかかるけれど、船を使えば十四、五日で着くらしい。
私は異母姉と弟、女性騎士と侍女の五人で大型馬車に乗った。馬車の良し悪しはわからないけれど、内装は王宮の部屋並みに立派だった。あの二人と同乗など気まずい限りで、そうとわかった時は軽く絶望した。異母姉は言うまでもなく、弟だって今まで遠目に見かけたことがあるくらい、初めて同じ空間に立ったのは先日の謁見の時なのだ。
(なんて、話しかけたらいいのかしら……)
実弟なのに異母姉以上に会ったことのない存在を前に、どう話しかけるべきかと悩んだけど、その心配は無駄になった。
「全く、何なのよ、この馬車。乗り心地が悪いったら!」
「寒いわねぇ。もっと厚手の服にすればよかったわ。気が利かないんだから」
「どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ」
馬車に乗った途端、異母姉の口から文句が水のように流れ出た。十分に乗り心地がいいと思うのだけど不満らしい。帝国人の前で不満を言えるなんて心臓が鉄で出来ているのかもしれない。
(何やっているのよ、この人は……)
今の発言を侍女たちが皇子に報告したらどうなることか。もっとも、異母姉にとって使用人は自分に従うべき道具で、自分の不利になることはしないと思い込んでいる節がある。傅かれるのが当然だから、監視されているなんて微塵も考えないのだろう。
(それなら好きに喚かせておけばいいわ。不利になるのは向こうだし)
王妃の侍女をしていた間に、怒鳴り声も聞き流せるようになったのは幸いだった。今の私にはそんなものよりも、生まれて初めて見る王宮の外の方がずっと大事だった。
王宮から眺めるしか出来なかった外は、どれもこれも興味深かった。空は鉛色の空が広がっているのに、たくさんの人が行き交う町並みは輝いて見えた。遠くから見るのと近くから見るでは全く違う。二度と戻らないかもしれない景色を目に焼き付けるように、私は街の風景を楽しんだ。
車窓から外を眺めていたら、いつの間にか馬車内が静かになっていた。何かと思ったら騒音の主が顔色を悪くしていた。弟もだ。馬車酔いだった。その後二人はもう少し乗り心地のいい馬車に乗り換え、私は一人残された。
「失礼するぞ」
「え? あ、はい……?」
二人がいなくなって気が楽になったと喜んでいたら、第三皇子がこっちの馬車に乗り込んできた。
「あ、あの……どうしてこちらに?」
「あの二人を私の馬車に乗せたからな。私がいれば落ち着かないだろう?」
「それはそうですが……私たちは敗戦国の者です。そこまでして頂かなくても……」
多分、荷馬車でも文句は言えないだろう。
「初めての長旅だし、急に環境が変わったからな。帝都に着けば忙しくなる。今くらいゆっくりしてもいいだろう」
初めての長旅で酔ったから温情をかけて下さったのだろうか。それに帝国に着いた後とは? 忙しくなるというのは妃教育だろうか。
「アンジェリカ嬢は大丈夫なのか?」
「え? あ、はい。私は平気みたいです」
「そうか。気分が悪くなったら早めに言ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
触れたら切れそうな顔立ちだけど、彼から出てくる言葉は意外にも温かいものが多い気がした。落差が余計にそう思わせるのだろうか。
「悪いが暫く休む。用があったらティアに言ってくれ。ティア、何かあったら起こしてくれ」
「畏まりました」
ティアが応えるより早く皇子は目を閉じてしまった。寝てしまったのなら仕方がない。気になることはあるけれど、聞くのは次の機会にしよう。
腕を組んで仮眠を取り始めた皇子をじっと見た。こんな時でもなければじっくり見ることなど不可能だから。紅色の瞳が隠れると鋭さが随分和らいで見えた。やっぱり視線がきついから余計に険しい印象になるのだろう。
(それにしても、綺麗な顔をしているわね……)
皇弟殿下も美形だけど、目の前の皇子も負けていなかった。顔の一つ一つの素材が実に整っていて、それがまたバランスよく配置されている。我が国では珍しい赤い髪が一層存在感を増している様に思う。顔がいいのはそれだけで得だなと思う。人間顔じゃないと言うけれど、顔がいいのに越したことはないのだ
皇子のことはよく知らない。第三皇子というからには上に二人兄がいるのだろう。姉や弟妹はいるのだろうか。第一皇子が立太子したと聞く。帝国は一夫一婦だから異母兄弟はいないはずだ。
(そういえば、お茶会の時も皇子は話さなかったわよね。まぁ、異母姉が一人で話してて、話す隙もなかったんだけど……)
自分大好きな異母姉は交流を目的とした茶会でも、皇子のことを聞きもしなかった。皇子の方が格上なのだから少しは控えればいいのにと思うほど、いつも通り自分のことばかりだった。あの場で知ったのは異母姉の承認欲求の強さだった。十分な愛情も称賛も得ているのに、まだ足りないらしい。
その後も皇子がこちらの馬車に時々やってきた。時々騎乗しているのを見かけたけど、この馬車に乗ると直ぐに仮眠をとるので休憩所扱いなのだろう。聞きたいことは増える一方だったけれど、日に日に皇子の疲労の色が濃くなるように見えて話しかけるのも憚られた。
馬車で十日ほど走ると、大きな川に出た。ネレム川というそうだ。ここからまた船に乗って川を下り帝都に向かうのだと言う。船は海で乗ったものよりも小さいもので、前よりも揺れが強いが、馬車に比べるとかかる時間が半分で済むという。乗る前に控室で異母姉と弟と一緒になったけれど、まだ顔は青白く生気がなかった。王都と違ってこちらは道が整備されておらず、余計に揺れたからだろう。
その後も異母姉と弟とは離れたまま帝都に着いた。皇子は時々こちらの様子を見に来たが、特に話すことはなかった。船では個室を与えられているらしく、仮眠を取りに来ることもなかったからだ。