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空白の世界とモノクローム  作者: 藤 光一
三、急曲

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13/27

-過去人の間-


 この部屋は、少しだけ荒んでいた。レンガ模様に建てられた壁はところどころ朽ちている。朽ちた穴からは、つたのように長い草が壁に沿うように生い茂る。床も影を彩るように苔がびっしりと生えている。まるで植物に侵食された部屋だった。何百年という長い年月を掛けて、人が住まなくなった部屋。そんな部屋。中央には三本の柱が備え付けられていた。手前に一本、奥に二本。手前の柱には、紙が貼られており文字が記載されていた。でも今度の文字は、私の知らない文字。恐らく私がいた世界では使われていない文字。私が首を傾げているところ、モノリスが近付いてきた。その文字をなぞるように指で読み進める。


 解読を進めるモノリスの背中を見つめる。少しススで汚れたフードが風で靡いている。モノリスを見ていると、思う事がある。初めて、この世界で出会ったはずなのにどこか、懐かしい・・・。遠い記憶が蘇る。まだこの記憶は忘れていないらしい。それも少し複雑な思いでもあるが。私がまだ六歳の頃、まだ忘れないで欲しいあの日を。






「なぁ、セナ・・・。」

 

「なぁに?お父さん?」


 寒空の下、落ち葉が舞う。秋風に吹かれたイチョウ達が舞い踊り、黄金の絨毯が敷かれていた。街の中央に造られた大きな公園。疲れた身体を休める者も居れば、犬と散歩をする者。親子でキャッチボール、読書を嗜む者、家族でベンチに腰掛け寛ぐ姿が相まった情景だった。

 その風は時折ナイフのように鋭く冷たく、二人の身体を凍させていた。街行く人もこの親子も口からは白い吐息が漏れていた。公園を父と共に手を繋ぎながら歩き、藍色の長いマフラー越しから彼は言った。


「ママ、いなくて寂しいか?」


 父親の表情は、どこか申し訳なさそうな思い詰めた顔をしていた。母親が居ない寂しさを果たして、自分は娘に何かをしてあげてるのだろうかと。


「うーん、わかんない。わたし、ママの顔わからないもん。」


 幼い少女、セナは戸惑う。生まれて間も無く、母を失った少女。母の愛情を知る事もなく生まれ育ったセナには、父の存在しかわからない。通り過ぎ行く家族がセナの視界に入る。母と父が間を囲うように手を繋ぎ歩く姿を。幼いながらも、自分にも母が居たのだと感じていた。この頃、何故自分に母が居ないのかと子供ながら疑問を感じてはいた。

 それでもセナは、父にその理由を聞く事は無かった。父もまだ理由を話すには娘が幼過ぎた。セナは理由すらも聞かないので、母が欲しいなど口に出す事は無かった。


「お前のママは、キレイだったなぁ。そうだな、お前もきっと・・・。美人さんになるだろうな。」


 父親は、ぼそりと口に出してしまった。不味い事を言ってしまったかも知れない、そう思った。これで母が居ない事による喪失感を持たせてしまうのではないか、とさえ思っていた。


「ほんとに?やったー‼︎はやく大きくなって、お父さんのお嫁さんになるね♪」


 そんな父の心境とは裏腹に、セナはにっこりと笑って返した。気を遣っているのだろうか、その嬉しく微笑み幼心ならではの感謝を述べていた。


「参ったな。可愛らしいお嫁さんに、また招待されたな。」


 娘の意外な言葉と心情に、父は少し驚いていた。同時に少し照れくさそうに笑い、歩みを止めてしゃがみ込む。それは娘と同じ目線で話す為でもあった。


「セナ、ちょっと難しい話をしようか。人にはな、欲求というのがあるんだ。」


 一呼吸を置き、人差し指を立て父親は重い口を開いた。


「よっきゅうぅ?」


 初めて聞く言葉に、セナは首を傾げた。父親は、再び口を開く。


「あれがしたいな、これが欲しいな。って思ったことがあるだろう?」


 今度は、噛み砕いた言葉を選び娘に説明した。より具体的な事柄を提示して、娘に理解できるように伝えた。すると娘は理解したのか大きく手のひらを叩き、目を丸めて叫んだ。


「うん!セナ、くまさんのぬいぐるみがほしい!!」


 大きく頷き顔を上げた頃には、満面の笑みを浮かべていた。セナは、先日行ったショッピングモールにある玩具屋の事を思い浮かべる。そこのショーウィンドウに座り込む人間大サイズの大きなクマのぬいぐるみ。セナは頭に思い浮かべながら手のひらを握り、にんまりとそう言った。


「そうだ、それが欲求だ。」


「今のセナでは難しいから大きくなったら、その意味を勉強してごらん。」


 父親は、掌を大きく広げ数字の五を表現しながら、娘へと伝える。


「人には、五つの欲求があるんだ。新たな知識を得たいという“楽しみの欲求”、何かを食べたい時や寝たいという“生存の欲求”、誰かと一緒に居たいという“愛・所属の欲求”。認められたい、勝ちたいという“力の欲求”、自分のやりたいと思う“自由の欲求”。」


 もう片方の人差し指で広げた指を一つずつ差し、五つの欲求を伝えた。人の心情に生まれるという五大基本欲求であり、心理学の一つだ。続けて、父親はこう付け加える。


「なぁ、セナ。父さんはね、この中で一人で一番、難しいのは愛・所属の欲求だと思うんだ。」


「あいのよっきゅう?」


「そうだ、セナ。なぜだと思う?」


 そう父親に突然聞かれ、少し考え込む。幼いセナは、腕を組んだり、頬杖を突いたり。何故それが難しいのかを考えていた。悩みに悩んだ末、彼女が考え抜いた答えを口に出す。


「う————ん、・・・愛するから?」


 少し歯切れが悪かったが、子供ながらのシンプルな回答を少女は提示した。それを聞いた父親は、少し笑みを加えて頷く。


「そうだな、恋は一人で出来るが、愛は、一人じゃできないんだ。そこに誰かが居なくちゃいけない。セナ、いつかお前にも恋人ができたのなら。その人を目一杯大切にするんだよ。関係だけじゃない。一緒に過ごす時間も共に・・・だ。」


 セナが出した答えに笑みを加えたのは、その回答に間違いが無いからだ。父親は、それが嬉しかった。


「う————ん、セナ、ちょっとわかんないかも。」


 再び少女は、ぽかんとした表情で人差し指をこめかみに当てる。眉を歪ませ、少し不機嫌さも滲み出ていた。


「はっはっは、そうだな。セナには、ちょっと難しすぎたな。」


「あー、お父さん。セナのこと、ばかにしたー!」


 セナは、両腕を強く下に引き下げ、まだ軽い身体を使って地団駄を踏む。それを聞いた父親は、両手を手前に出し娘を宥めだす。


「そんなことはない。お父さんは、セナを愛しているからバカにしないぞ?」


「えー?ほんとーにぃ?」


 少女は両手を腰に当て、眉を釣り上げながら返す。頬を少しだけ膨らませ、父へと睨む。再び父が宥めようとした時だった。グレイに染まる寒空から、白く冷たい立花りっかが舞い落ちる。ふわりふわりと舞う雪たちは、徐々にその数を増やしていく。イチョウで造られた黄色の絨毯にハイライトを装飾するように染め上げていく。

 どうやら今年最初の初雪のようだ。二人はいつの間にか、空を見上げて降り注ぐ雪を眺める。


「雪、降ってきたな。冷える前に家に帰ろうか。」

 

 再びセナの顔に視点をずらし声を掛ける。雪が降るのも納得の冷たい風が街中を駆け巡っていた。少女は頬を赤らめ、白い吐息を一定間隔で吐き出す。毎年降る雪は、綿のようにゆっくりと積み重ねやがて一面を銀世界へと染め上げる。

 少女も好きだった。白く染めてくれるコントラストが一時だけ世界を変えてくれる雪を。自分の生まれた月が冬だからだろうか、直感的にセナは雪が好きだと口にしていた。


「セナ、寒くないか?」


 そう言うと、父親はおもむろに自分が巻いていたマフラーを解き始める。肌を晒せば冷たい風が入り込み、その寒さが身体の芯から体温を下げていく。


「・・・大丈夫!」


 それでもセナは、実は少し寒かった。脇を締め、やや震える身体を抑え込もうとしていた。



「我慢は良くない。思ったことは、ちゃんと言わないと伝わらないぞ。」


 父親は娘の抑止を優しく払い、解いたマフラーをセナの首元へとそっと巻いた。少女にとってまだ長過ぎるマフラー。まだ父の体温の温もりが残っており、仄かに温かい。マフラーの端は、膝下まで垂れていた。温もりを辿るようにマフラーへセナは手を添える。


「でも・・・!」

 

 それでも気温は低い。セナの言葉と共に白息しらいきが溢れる。少女は申し訳ないと思った。だから、返そうともした。娘の反応を察した父親は、静かに首を横に振る。マフラーをもう一周り巻き、娘の頭を撫でる。


「私は、大丈夫。セナがいれば、暖かいんだ。これが私なりの愛なんだ。」


 父親の白息と重なり合う。寒さのせいか少し目が乾く。少女は、マフラー越しに口を開く。


「お父さん・・・。」


 ありがとう・・・。声には出さなかった。自分の心にその感謝を留めていた。




 懐かしい・・・。父は、あの次の日だっただろうか。何故突然、脳裏に浮かんだのだろう。初雪が降ったあの日の出来事を。モノリスの背中を見ていると記憶のフィルムが回り出した。まだセピアでもモノクロでもない。まだ空白の世界は、残してくれていたようだ。

 コントラストを下げる事も無く、鮮明に私の記憶というステージはまだ残っていた。徐々に出演者もオーディエンスも減ってきているが、このシーンにはスポットライトが照らしている。


「ん?どうした、セナ?」


 感傷に浸る私に気付いたのか、モノリスは振り向いた。


「モノリス。あなた・・・もしかして。」


 もしかしたら・・・、と思った。違う。そんな訳が無い。彼は、父は、もうこの世には居ない。私の目の前で、交通事故で亡くなったのだ。あれ程目の前が真っ白になった日は無い。喉に声が突っ掛かり、呼吸が荒く大きくなる。膝を落とし、肩や腕には力が入らない。

 瞳から溢れる涙は何度も頬を伝い、冷めたコンクリートへと零れ落ちる。目の前には無惨な姿で大量の血を流し、倒れ込む父が映る。現実を受け止めるには余りにも重過ぎた。


「ううん、なんでもない。」


 だから、私は自分の言葉を取り消し首を横に振り、敢えて聞くのをやめた。一度、首を傾げたモノリスが何かを悟ったのか、ふぅーっと溜息を吹く。それは照らされたランプの灯火を吹き消すような柔らかい溜息だった。


「そうか。ところでセナ、知っているか?」


 彼は、右手を差し出し質問を投げ掛ける。淡白なその声色は、どこかいつもストンと胸に落ちる。彼の声は、いつも抉る事も穿つ事も無く秒速五センチメートルで舞い落ちる花弁のよう。


「人の欲求は、五つの欲求で成り立つという事を。」


「え・・・。」


 誘われた言葉は、思っても無い言葉だった。私は、目を大きく開き瞳孔が震えた。モノリスが口にしたのは、父と同じ事柄。人の基本五大欲求。これは偶然か、こんなことがあるのかと耳さえも疑ってしまった。静寂した水面みなもに仄かに温もりのある言葉という一雫が落ちる。一体となった水面は溶け込み、波紋を作り出す。何度も輪を作り、音が木霊する。

 私は、大きな生唾を飲み込んだ。無彩色のパレットが淡く徐々に色彩を取り戻していく様だった。


「えぇ、知っているわ。楽しみの欲求、生存の欲求、愛・所属の欲求、力の欲求、自由の欲求、この五つの基本欲求が人にあるのよね。」


 私は、父が残した言葉をなぞるように答えた。今思えば、心理学を学ぶようになったのも同じ心理学者であった父の影響なのだろう。


「ほぅ、よく知っているな。では、一人では一番困難と言われているのは?」


 モノリスは、私の回答に少し反応を示す。そしてそのまま、私の答えを重ねるように再び問いを提示した。


「愛・所属の欲求ね。」


 私は間髪入れずに答えた。答えを知っていただけじゃない。重ねて質問する内容が分かっていたからだ。彼ならきっと、この質問をするだろうと。だから隙間を与える事無く、会話に針を通す事が出来た。


「その通りだ。恋は一人で出来るが愛は、一人では成し得ない。」


 モノリスは、ふと顎元に指を添えて天井を見上げる。同時に、彼は流れ落ちる砂時計を止めたような感覚に陥っていた。


「ん・・・。誰かにも言っていたな。こんな事を。」


 それは一種のデジャヴのような感覚。過去に経験や体験をした事の無い。初体験の事柄であるはずにも関わらず、かつての自分が同じような事を体験した事がある。そんな感覚に彼は包まれていた。

 正に、前に一度同じ事を、同じ光景を行ったのでは無いか、と。失った記憶が永遠とも呼べる眠りにつく彼を呼び覚まそうとしているのか。モノリスの脳裏には何が浮かび上がっているのだろう。


「きっと可愛らしい妖精さんにそう告げたんじゃないかしら。」


 だから、私は少しはぐらかした。初雪が降り積もろうとする情景が脳裏を包み込む。それが鮮明になるにつれ、何かが込み上げてくる。


「ふふ、いいジョークだ。では、次会う日を願いたいところだな。」


 モノリスは、笑って返してくれた。今はまだ、思い出さなくても良いの。今はわからないままで良い。空白の世界は、本当に残酷。一度指から擦り抜け落ちて行く砂は、もう掬う事すらままならない。

 朽ちて、落ちて、風にさらされて、この景色に呑まれ、一体となる。まるで人の血を啜った桜の木のようだ。美しさのルーツを辿った先は、何かの糧がある。それはいつだって反比例したものだ。


「そうね、きっと喜ぶわ。嬉し涙を頬に浮かべながらね。」


 込み上げた感情が視界を、頭を、身体中を濁流のように雪崩れ込んでいた。瞳が震え、頬を揺らしていた。いつの間にか私は歯を食いしばっていた。


「セナ・・・。なぜ、涙を流しているのだ?」


「さぁ?・・・なぜかしら。きっと・・・。」


 彼に言われるまで、頬を伝う涙に気付く事が出来なかった。余した人差し指で右目、そして左目へとその雫をほろい落とし、モノリスの顔を見つめる。


「きっと、嬉しいから。・・・だと、思うの。」


「・・・そうか。」


 それでも溜め込んだ瞳のプールは、今にも溢れそうだった。モノリス。もしそうであれば、どれだけ嬉しい事か。今はあなたにわからなくても、今度はもう、後悔は残したくないと思っている。もし、あなたがそうであるならば・・・。



 柱に書かれた文字の解読を進めていたモノリスは、どうやら理解したようで一呼吸頷いた。


「そこに答えはない。あるのは、影のみの世界。希望があるのは、いつも振り向いた先。そう、紙には書かれている。」


「そう・・・、教えてくれてありがとう。」


 中央の柱には、如何にも謎解きと言わんばかりの書かれた紙のみ。その奥に伸びる二本の柱には、それぞれレバーが設置されていた。いずれもレバーは上がっており、赤いランプが点灯している。おそらく、いずれかのレバーを下げて謎を解けとでも云うのだろうか。どちらかが正解。

 私は右側のレバーへと近付き、無機質な金具に触れる。冷たくそして、金具はがっちりと重い。それでもレバーを引く力は、ほんのちょっとの力で下げれそうだ。しかし、二択にして答えは一つ。どちらかが罠。“あるのは影のみの世界”から、どちらかがハズレでシャドウでも出てくるのだろう。


 いや、果たしてそうだろうか。私は咄嗟に掴んでいたレバーから手を離す。私は書かれていた文章を、モノリスが解読した文章を思い返す。“そこに答えはない”とは、目の前の事を暗示しているのではないだろうか。その証拠に何も、()()()()()()()()()()()()()()とは一言も云ってはいない。つまり目の前の二つのレバーはダウト。どちらも罠である可能性が極めて高い。

 “希望があるのは、いつも振り向いた先”。ならば!


 私は、先ほどの紙が書かれていた柱まで戻る。そして、入口にまで視界を向けると、やはり答えはそこにあった。


「何か、光っている・・・。」


 目の前の紙と奥に聳える二本の柱にばかり気を取られてしまい、全く気付かなかった。この部屋の入口あたりに紫色に輝く魔法陣が禍々しく光っていた。魔法陣の中心には、優しく光る半透明に輝く黄色い光。つまりこれが希望であり、答え。時にこの空白の世界は、人の心理的考慮を利用したトリックを使ってくる。本当にいやらしく不気味だ。まるで誰かに見られ嘲笑われているようだ。私は、魔法陣の中心に輝く光に指をそっと添える。

 するとカチリ、と後ろから歯車が回ったような機械音が聞こえてきた。音の中心は恐らく、紙が書かれた柱のところ。もう一度振り返り、柱へと向かう。紙が貼られた面には、特に異常は無い。聞き間違いで無ければ、この柱の筈。柱を囲うように、一辺ずつ見回しながら回り込む。それは、紙が貼られた反対側にあった。先程までは無かった手が入る程の穴。その穴から覗かせていたのは、おそらく今回のキー。別の部屋でも見つけた円盤のかけらだった。私はかけらを手に取った。

 きっと、またどこかで使うのかも知れない。本当に謎解きゲームね。一時に流行った脱出ゲームをしてるようだ。もし、そうなら持っておいて損はない筈。私はそう思い、この部屋から出ることにした。

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