7「凶行」
宿屋『猫の足音』の一階部分は、色んな人が利用できる食堂になっている。
ただ、今はトウタ以外の客はおらず、明かりも半分落とされていた。
「見ない方ですね~?」
「あ……はい。旅をしてまして……もう閉店ですか?」
トウタが1人でスープを飲んでいると、同じ年くらいの女の子に声を掛けられた。
女の子は厨房から出てきたので、宿屋の関係者なのだろう。
「注文はお終いですけど、食堂はずっと開いてますよ~。ラウンジと兼用なので」
彼女は栗色の髪をツインテールにしていて、穏やかな笑みを湛えていた。
接客に馴れているのだろう。
「今の時期の旅人さんと言う事は、『神の使徒』の関連ですか~?」
女の子はトウタに近寄って、隣のテーブルの席に座った。
話半分なのか、何かしらの情報収集なのか。判断が付かなかったトウタは、曖昧に頷いた。
「殆ど……観光目的です……」
「そうなんですか?『神の使徒』関連は実入りが良いって聞いてますよ~」
「『神の使徒』って……何ですか?」
「またまた~。神様に召喚された、強い戦士さん達のことですよ。なんでも魔王を倒すとかいう」
女の子は身を乗り出して、目を輝かせる。
どうやら興味本位で話し相手が欲しい様子。トウタは話を合わせることにした。
「『神の使徒』は……王都に付く前に襲われたって、聞きましたよ?」
「なんだ~、やっぱり知ってるんじゃないですか~」
女の子は隣の席を離れ、トウタと同じテーブルに座り直した。
「襲われて、一部が魔王軍に捕まったらしいですよ。それで、神の使徒を助ける部隊が組まれるんだとか~」
「捕まった……」
トウタは心臓を握り潰される気がした。
しかし捕まったのなら、無事な人もいる筈だ。
「捕まった人数とか……詳しい状況とか分かりますか?」
「それは聞いてないですね~。でも、お客さんが、『神の代行者』も捕まっちゃったって言ってましたね」
神の代行者……レイカ先生の事だろうか?
「変なこと聞いて、すいません……『神の使徒』を助ける部隊は、誰でも参加できるんですか?」
「腕に覚えがあれば、誰でも参加できるそうですよ~。あ!勿論、冒険者協会に登録している必要がありますけど。多分明日にでも、協会で募集が掛かるんじゃないですか?」
「そうですよね……」
よく分からないが、参加は難しいのだろうか?
部隊に参加できなくても、どうにか手伝う事は出来ないかと、トウタは考え込んだ。
しかし、女の子は意外な事を口にするのだった。
「アナタが参加してくれるなら、皆きっと喜びますよ~」
「え?」
「噴水広場で凄いスキルを使ったって、皆が噂していましたよ~!」
女の子はトウタに顔を寄せ、期待の眼差しを向けた。
キラキラと輝く信頼に見詰められ――
「う……!!」
――トウタは強烈な不快感に襲われた。
「そ……それは人違いだから……」
「そうなんですか~?」
トウタは立ち上がり、席を離れる。
慌てて食器を返却口に返すと、女の子の声を背に受けながら、覚束ない足取りで部屋に戻る。
『美人の彼女さんによろしく~』なんてとんでもないことが聞こえた気がしたが。
顔が熱く、体の芯が氷の様。
張り裂ける心臓を、胸の上から拳で押さえつけた。
逆流する胃の内壁を、息を殺して押し留める事で精一杯だった。
明かりの絞られた階段を静かに登る。
動悸を必死に抑えて平常を取り繕うが、手の震えが止まらなかった。
トウタは自室の前で立ち止まり、一人呟いた。
「期待の目を見るだけでこれだ……それなのにヒーローに生まれ変わりたいなんて、思ってるんだから……救いが無いよ……」
見知らぬ女の子に、ちょっと期待を向けられた位でこの様だ。
もう既に自分は壊れてしまっているのだろう。
こんなガラクタみたいな自分に、寛容な社会などありはしない。
「この世界なら……生まれ変わらなくてもヒーローになれるんじゃ……なんて……」
そんな事を考えて、深い自己嫌悪に陥った。
ユリアに何を問われて、自分は何と返したのか。
彼女の評価が怖くて顔をそむけたのに、その考えを肯定しかねない衝動に身の毛がよだつ。
「結局……ユリアちゃんの僕の見立ての方が正しいって事に……あれ?鍵が開いてる」
鍵を開けようとしたが、既に鍵は開いていた。トウタは出る時、確かに鍵を閉めた筈だ。
ユリアが開けて外に出たのか?
一瞬そう考えたが、部屋の中に複数の気配を感じた。
(誰かが……侵入してる!)
最悪の想像に背筋が凍る。トウタは慌てて扉を開け、部屋の中に駆け込んだ。
部屋は暗く、全容が掴めない。
しかし目の前の誰かが、右拳を突き出してくるのを感じた。
「これくらい……なら!」
トウタは拳を避けると、そのまま手首を掴む。
相手の背中に腕を回して、思い切り捻り上げた。
「いたたたた!」
どこかで聞いた声が聞こえたが、その瞬間、後ろから何かで殴られた。
「ぐ……『ディレイ』!!」
トウタは痛みで、思わずスキルと唱えてしまう。
途端に周りの動きが高速になる。
「がは!!」
「ぎゃああ!腕が!!」
ディレイが解けると、トウタは1人の腕を捕まえたまま床に倒れた。右腕を掴まれていた男は、『腕が折れた』だのと騒いで、床をのたうち回っている。
トウタはと言うと、背中を何発も殴られた痛みに襲われ、息が出来なくなっていた。
(これって……ディレイ中のダメージが一気に来たの?……やっぱり使えない能力だ……)
「おら!」
床に倒れたトウタに、別の男の踏み付けが肉薄する。
すんでの所で足を避けたトウタは、起き上がり、中腰の体勢になる。
「『ディレイ』!!」
飛んできた男の右足を、スキルを発動させて止めようとする。
しかし、暗闇で目測を誤ったのか、手甲を付けていなかったからか。
相手にはディレイが掛からず、自分だけが遅くなってしまう。
(しまった……!)
相手は足を掴もうとしたトウタの腕を蹴り払い、即座に二発目の蹴りを放つ。
あの足を避けて反撃しないと!!
トウタはすぐにスキルを停止して、男に殴り掛かる。
「え?」
男はトウタを見失ったのか、蹴りが空を切る。
「はあ……!」
「うわあ!」
蹴りを外した男がたたらを踏んでいる隙に、トウタが男の横っ面を殴り付ける。
男は壁に激突し、地面に倒れた。
「おーおー、中々強いな。坊主『ファイア』」
「うわ!」
ベッドの上に3人目の男がいたらしい。
突然目の前に炎が広がり、トウタは怯んでしまう。
「こいつ!」
「しま……うぐ!」
先程殴り倒した男が立ち上がり、トウタを組み伏せた。
床に押さえ付けられたトウタは暴れるが、ベッドに居た男の厭らしい声で止められる。
「動くなよ、この子がどうなっても良いのか?」
男はトウタにナイフを見せ付け、ユリアの上に跨った。
彼は昼間に広場で絡んできた金髪で長身の男、タカだった。腕が折れたと騒いでいる男がトンビで、トウタを押さえ付けているのはワシだ。
「まあ、この子はどうにかするんだけどな、あっはっはっはっはっ」
タカは眠っているユリアにナイフを突きつける。
そして、ナイフでユリアの服のボタンを千切っていった。
「ユリアちゃん……!」
「うるせーなー小僧。騒いだって外に音は聞こえないし、ユリアちゃん?は起きねーよ」
「そんな……!」
「部屋にはサイレントのスキルを使ったし、ユリアちゃんには、これ使ってるからな」
タカは何かのカードを見せ、勝ち誇ったように笑う。
「1周り楽しんで、この子が抵抗する体力無くなったら、今度は起こして楽しむけどな。こんな可愛い女、小僧にはもったいないねー。俺達が貰っとくぜ」
タカは興奮した声で言い、トウタにカードを投げ付けた。
「『スリープ』。夢に落ちとけ。目が覚めたら全部終わって、俺達もユリアちゃんもいなくなっているからよ」
「う……く……そ……」
スキルが発動し、トウタは強烈な眠気に襲われる。
血管中を鉛が這い回り、脳が重い睡魔に溶かされるよう。
抗えぬ悪夢が躯を侵食していく。
抵抗出来ぬ深く、夢の中。トウタは何処までも沈んで行った。