6「部活ヒエラルキー」
「話を整理しましょうか、と思うんだけどね」
「どこから考えればいいのか……分からないね……」
宿屋の部屋にて、ユリアとトウタはお互いに深い溜息を吐く。2人の間のテーブルには、1階の食堂からテイクアウトしてきた食べ物が並べられている。
食堂のラインナップは、シチューや焼いた野菜、安いパンやオートミール……に似た何かだった。幸いなことに、どれも2人の口に合う味付けだった。
「ジャガイモ?美味しい。でも本当なら、今頃北海道の海の幸やジャガバターを食べられた筈なのよね」
「空港に向かうバスが崖から落ちたから……飛行機にも乗ってないし……修学旅行っぽいこと、何も出来てないね」
「そうだっけ?」
ユリアは肉を避けて、野菜ばかりを食べている。
「僕達……死んだのかな?」
「かも知れないわね」
トウタはと言うと、さっきから食が全く進んでいなかった。
「私達は、『死んだけど、この世界に召喚された』、『死ぬ直前にこの世界に召喚された』のどっちかは分からない。分からないから、問題なのは『戻れるか』よ」
トウタは少し考え、ユリアが戻りたいからそう言っているのではない事を察した。
元の世界の自分達は生きているのか?と言いたいのだろう。
そして――
「皆がどうなっているのかは、分からないけど……『僕達が戻れれば、連鎖的に皆も戻れるのか?』『この世界で死んだとしても、戻れば生きているのか?』……ってことかな?」
「ええ」
口にした野菜が苦かったのか、ユリアは眉根を寄せた。
「そうね。あの化け物達に襲われて、全員無事っていうのは考え難いわ」
「少なくともケイジは……」
ケイジはトウタの見ている間に、頭を潰された。
あれで生きているとは、到底思えない。
「そ、そうだ……!生き返らせるスキルとか……ないかな!」
「武器屋のおじさんに聞いた感じでは、無さそうだったわ。隠していたか、あのおじさんでも知らない位に、希少なのかは分からないけど。在ったとしても、超高額でしょうね」
「そうか……そうだよね」
「そもそもトウタくん、皆を生き返らせたいと思ってる?」
「え?」
――聞かれてはいけない事を聞かれた気がする。
「それに元の世界に帰りたいと、本当に思ってる?イジメられてたでしょう」
「そ、そんなことないし……イジメられてたからって、あの世界に帰りたくないっていうのは……イケない事だよ……」
「そ」
ユリアは興味無さそうに、トウタのパンを奪ってかぶりついた。
「あ……」
「頭を使ってものを考える気が無いなら、炭水化物は要らないでしょ」
「か、考えてるよ……そりゃ、僕は頭が良くないかもだけど……」
「この世界がどんな世界かも分からないのに、なんで『戻らないといけない』って結論になるのよ?」
「ユリアちゃんも……『戻れるか』が大事って」
「戻れるかは大事ね。戻るかは、その後考えるわ。ま、戻らないと死んだ人達が生き返らないなら、戻るだろうけど」
混乱するトウタを尻目に、ユリアはパンをぺろりと平らげる。
「もし、この世界が楽園であったなら、私は元の世界に戻りたくないわ。
だって、帰ったら受験勉強が始まるのよ。その後大学に行って、就職。楽しい学生生活はすぐ終わって、苦しい大人になっちゃうの。
私は頭も良くないし、早起きも苦手だし、この先の人生なんてたかが知れてるのに」
ユリアはレモン水で、口に残ったパンのカスを喉に流し込んだ。
一息吐いてから、零すように言った。
「『戻りたい』って言うなら分かるけど、『戻らなくちゃいけない』っていうのは分からないわ」
「僕は……」
トウタは反射的にユリアを否定しようとしたが、少しだけ口を噤む。
そして、ゆっくりと首を振った。
「僕は……逃げちゃいけない時に逃げた……もう逃げちゃいけないんだ」
先程までと、さして変わらない言葉。
けれども、ユリアは鼻で笑う事はしなかった。
「そう」
ユリアは自分のパンの真ん中を割ると、残していた肉を挟んで食べ始める。
質の悪い硬いパンだったが、スープがしみ込んだことで、幾らか食べやすくなった。
「……僕のパンは…」
「下の食堂で買ってきなさいよ」
ユリアの声は氷の様に静謐。
机に置かれたマネーカードが、勢い余って床に転がった。
「……行ってきます」
トウタはマネーカードを拾い、扉へと向かう。
ユリアは言葉も発さず、部屋から出ていくトウタを眺めていた。
いつか見た背中よりも幾分も頼りない、猫背気味の彼。
思い出すのは他愛もない、戯言に過ぎた日々。
中学の体育館系部活には、抗いがたいヒエラルキーが存在する。
基本的には女バレや女バスの位置付けが高く、ユリアの所属していたバドミントン部は最下層だ。
バドミントンは、シャトルが風に流されたり、直射日光で光ったりすると練習もままならない。
その為バド部の練習中は、体育館の窓を閉め、クーラーも消す必要がある。更に直射日光を避けるために、黒いカーテンで閉め切る事になっている。
バドミントンの競技性故仕方ない事だが、他の部活にとっては『迷惑』極まりない蛮行に写るだろう。
『バド部がいると暑い』
『クーラー入れさせないとか我儘』
『他の部活のことも考えて欲しい』
なんて散々文句を言われて、頭がおかしいように扱われるのだ。自分達も練習が苦しいことを押し殺して、いつも他の部活に謝っていた気がする。
ユリアは小2からバドミントンを続けていた。それなりに好きな競技であったが、中学に上がってからは、嫌味を言われ続ける状況に辟易していた。
自身の才能の限界を感じていたこともあり、早く辞めてしまおうと考え始めていた。
退部届を出すつもりだった中2の夏合宿。
無責任な彼のおかげで流れが変わった。
いつも男子は第一体育館、女子は第二体育館で練習しており、部活中に一緒になることはなかった。だが、2軍の練習試合で第一体育館を使うとかの理由で、たまたま男子バレー部の1軍が第二体育館に来ていた。
ユリア達はその時も女バレから嫌味を食らっていたが、そこに口を挟む男子がいたのだ。
「僕はクーラー無しの方が、サーブが影響受けなくて好きだよ。熱い中での練習するのも、『修行!』って感じで楽しいし」
なんとも教養の足りていない、出鱈目な話だった。
けれど、彼はバレー部の英雄みたいな選手で、その日からバド部への嫌味はなくなった。いや、綺麗さっぱり根絶とはいかなかったが、堂々と口にする者はいなくなった。
それだけで随分と練習し易くなったものだった。
尤もユリア自身の才能はとっくに枯渇しており、低い身長や身体能力を誤魔化せない所まできていた。
高校まで続ける気は全くなく、2年の夏に行うつもりだった引退が、3年の夏に伸びた程度のことではあったが。
もう少し背が高ければ、もう少し手足が長ければ、もう少し節制していれば。
願っても叶わない泣き言を、思わなかった日は無かった。
バドミントンは小柄な選手でも活躍できるスポーツだ。
でも同じ技術力であれば、背が高い方が雑に強い。
「……っ!」
引退試合。届くと思ったスマッシュの上を、シャトルが悠々と過ぎていった。空ぶったラケットの悲しい音を、今でも鮮明に思い出す。
落ち着いて下がって処理をするべきだった。もう少し体力を残して戦うべきだった。宙を支配する彼の背中に、憧れを抱かなければよかった。
後悔は幾つも思い浮かぶ。
苦しいばかりのバドミントン生活。
やって良かったとは到底思えない。
「でも、2年の夏で止めていたら、『私はバドミントンをやっていた』って、口にすることもなくなっていたでしょうね」
後から知ったことだが、バレー部の彼は、1年の時点で身長が伸び悩んでいたらしい。
バレーに小柄な選手の居場所なんてない。
どんなに下手でも、監督は背の高い選手を育てようとするだろう。
それでも男子の平均身長しかない彼は、大柄な選手達の中心で活躍し、中3の時にチームを全国ベスト8まで導いたのだ。
「……寝よう」
ユリアは考えても仕方のない思考を放棄し、ベッドに倒れ込む。
疲れ切っていた体は、1秒も微睡むことなく深い眠りに落ちていった。