軽音部ライブの日
ゴブリンが怖いのか、夜中には俺の家には来なくなったものの、ロリエルフは相変わらず、俺が行く先々で現れた。
俺に何をして欲しいのかわからないが、ストーカー並のしつこさだ。
今日、俺はサークル棟に向かっている。
来週、吉祥寺で軽音部がライブをやるので、新入部員に持ち出す機材を説明するためだ。
さっきから、後ろを振り向いたりして確かめているが、今のところ、ロリエルフの気配はしない。
『自由区』の殴り書きを見上げてから、地下へ続く薄暗い階段を下りていく。
蛍光灯がちらつく中、湿っぽい通路を進んでいくと、乾いたギターの音が徐々に大きくなってきた。廊下奥の重いドアを開いた途端、逃げ場を見つけた音が俺の耳を打った。
あー、うるせえ! なんて下手クソなギターなんだ!
俺の心の叫びに同期して、最悪なそのギターは鳴り止んだ。
「ちーす!」
複数のむさ苦しい声に部室を見回すと、麻雀が二組できるくらいの数の人間がいた。改めてその顔を一人一人確認する。
今年は女はいないのかよ!
やる気が一瞬で半減した。
「もしかして先輩ですか? 僕は……、」
いちばん身なりが小綺麗な男が立ち上がり、自己紹介を始めようとしたので、それを手で制した。
「俺は二年の射魔だ。自己紹介はライブ後のコンパで聞くからいいよ。それより、お前、それフロアタムのケースなんだから、その上に座るなよ」
「あ……、ああ、ど、どうも、すっ、すみません」
露骨に動揺する新人君は座る場所を探した。
ああ、初対面だし、もうちょっと優しい先輩を演じなきゃな……。
「君、気にしなくていいよ。ここは椅子が少ないからね。ところで、これで全員かな?」
「ええ、もう集合時間を二十分も過ぎてるんで、これで全員だと思いますけど」
座る場所が見つけられず立ったままの、さっきの彼が答えた。
「君たち、わざわざこんな所まで来てもらってすまないね。スマホが使えれば、遅れても連絡もらえるんだけどね」
「ほんと噂どおり、この大学、スマホ使えないんすね。すげー不便でしょーがないっす」
不満げな声は、青いエレキギターを抱えた下手なギターの茶髪男だった。
「んー、そうだね。そういった話もコンパでしようか。じゃあ、運び出す機材とか説明するよ」
「それより先輩、横にいるのは先輩の彼女っすか?」
茶髪男がニヤけた顔でそう訊くので、横を向くと──。
「また、お前か……! 学校とかないのかよ、お前?」
「ווען קען איך גיין מיט מיר」
ロリエルフが俺の服を握って、俺を見上げている。
「外人のロリっ娘が彼女って、先輩半端ねーっす」
後輩たちから笑い声が聞こえてくる。
「こら! お前、俺の服を掴むな! 誤解されただろ!」
ロリエルフの手を引き離そうとしたら、逆に俺に抱きついてきた。
「おおぉ!」
後輩たちがそれを見て、一斉に声を上げた。
「ロリコン先輩だ……」と一人が言った。
「ロリコン先輩……」
「ロリコン先輩」とあちこちから声がし始めた。
おい、お前のせいで後輩たちからヤバいあだ名を付けられそうだぞ……。
心でそう思い、ロリエルフを見下ろす。
ロリエルフは俺に何かを訴えるように、青い瞳で見つめ返してくる。
その後もロリエルフは俺にまとわりつき、その度に後輩から好奇な目で見られ、説明がやりにくくて仕方なかった。
◇◆◇
吉祥寺のライブハウスで催した春恒例の軽音部ライブは盛況だった。
俺と新人たちは機材の片付けで、遅れてライブハウスを出た。
上手く演奏できた高揚感とともに、俺たちは打ち上げの居酒屋に向かった。
軽音部御用達の飲み屋『浜鯛』の暖簾が見えてきた。
はっ……! ロリエルフの気配!
雑踏で振り返って、赤いパーカーの子を探すが、見当たらない。
こうするのが、どこかに行く時のクセになってしまった。
「ロリコン先輩、あの子、今日は来るんすか?」
黒いギターケースを背負った鼻ピアスの茶髪男が話しかけてくる。
「知るか! お前、その呼び方はコンパでは絶対にするなよ!」
このあだ名は、すっかり新人たちの間で馴染んでしまった。
まったく、不名誉なあだ名だ……。
先輩たちにも広がると厄介だよな……。
浜鯛の暖簾をくぐり、鯛が泳ぐ大きな水槽の横、テーブル席を通り過ぎた時、大きな声が座敷から聞こえた。
このバカでかい声はうちのバンドのベーシスト、佐久間先輩だ。
「いやあ! エイジ! 片付けご苦労だった! こっちこっち!」
声もでかいが体もでかい佐久間先輩がパチパチと大きな手を打ち鳴らす。
「新人君はあっちね」と俺は上座のテーブルを指さした。
のろのろと新人たちが散らばるのを確認してから、自分の席を探すと、森園先輩の前の席が空いていた。そこはラッキーなことに、遼子先輩の真横の席だった。
「エイジ、ご苦労様」と遼子先輩が俺をねぎらい微笑みかける。
今日の彼女はプリーツの多いグレーのスカートに薄桃色のハイネックカットソーだ。
触り心地が良さそうな胸に見とれていたら、森園先輩に気づかれた。
「今のエイジみたいに、今年の新人も騙されたんだろうな」
「え、誰が? 誰がエイジみたいに新人君を騙したの?」
遼子先輩がテーブルに身を乗り出す。
「遼子、お前は自分の破壊力をちゃんと認識すべきだ。そうでなきゃ周りの男を不幸にするぜ」と佐久間先輩も話に加わった。
「えっ! それって私? やだー、私、誰も騙してなんかないわよ」
「その遼子でさえ、今年は八名ぽっちか。さすがに寄る年波には勝てないか」
そう言いながら、森園先輩がカジュアルスーツのポケットから煙草を取り出す。
その横から、彼らの話を聞いていた俺と同期の難波が割り込んできた。
「でも、今年は遼子先輩が新人勧誘に出たのは半日だけっすよ。俺もいたけど、今日の八人全員、その時誘われたヤツばっかみたいっす」
「半日で八人。かーっ! 遼子様、恐るべしだな。ああ、俺も出てれば女子の五人や十人は余裕のよっちゃんだったのによ」
「いや、マジそれはないっす」
難波は真顔で手をヒラヒラと振り、速攻で否定した。
佐久間先輩は体育会系の体型に漫才師っぽいひょうきんな顔をしている。渋くてお洒落な森園先輩なら、女子の二、三人は期待できたかもしれないが、佐久間先輩には無理ゲーだと俺は難波に心の中で同意した。
「私が誰を騙したって言うの! ふん! 勝手に言ってなさい。どうせ私は悪女ですよ」
すねた遼子先輩がコップを手に取り、ビールを注ごうとしたが、乾杯がまだなのに気づき、そのままテーブルに戻した。
その後、四年の部長が乾杯の音頭を取り、打ち上げコンパがいよいよ始まった。
浜鯛の奥座敷を陣取る軽音部の総数は四十名前後。
宴もたけなわ、席順も乾杯の時と随分入れ替わった頃、俺は酒が回ってきた勢いで常日頃から思っていることを先輩にぶつけてみた。
「遼子先輩、先輩は恋人を作らないんですか?」
さほど大きな声を出したつもりはなかったが、この質問に近くにいる男どもが一斉に注目した。その注目が注目を呼び、奥座敷はにわかに静まりかえった。
そんな周囲の変化に気づくこともなく、遼子先輩は直球で答えてきた。
「恋人〜? そんなのいないわよ〜。あんた、文句ある?」
まるで、ふくろうの森に入ったかのように、そこかしこから男どもの安堵の吐息が漏れ出る。あまりの注目に、俺は少しばかり居心地が悪くなってきたが、そのまま会話を続けた。
「いや、別に文句なんかないです。でも、遼子先輩ほどの美人が恋人いないって、にわかに信じられないですよ」
すると、遼子先輩は少し恥ずかしそうに身をよじりながら、小声で言った。
「好きな人はいるんだけどね……」
野獣の森にでも踏み込んだような、男どもの呪わしい雄叫びが広がっていく。
その口汚いののしりや自虐の声が収まった頃、遼子先輩が俺に訊き返してきた。
「エイジさ、あなた、あの探し屋さんを恋人にしたら? 結構可愛かったじゃん」
「はあ? 何を冗談言ってるんですか! 俺が好きなのはね──」
名前を言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
危ねぇ、口が滑りかけた……。
こんな場所で言ったら、他の部員にボコボコにされるところだった……。
胸を撫で下ろしていたら、ジョッキ片手に茶髪男が寄ってきた。
「ロリコン先輩には可愛い彼女がいるじゃないっすか!」
「こら! お前、その呼び方はやめろって……」
「ロリコン先輩!? ああぁ〜、確かに!」
遼子先輩が俺を含みのある目で見てニヤけた。
「言っときますけどね。俺は絶対ロリコンじゃありませんから!」
「いやいや、ロリコン先輩。あのロリっ娘の懐き様は半端なかったすよ。あははは」
茶髪男が下卑た笑い声を上げる。
「あは! 君ぃ、ロリっ娘って金髪の女の子のこと?」
つまんだ焼き鳥の串を振りながら、遼子先輩が茶髪男に訊いた。
「そうっす。もう俺達の前でイチャイチャして、目のやり場に困ったっす」
「へえ〜、エイジ、いつの間にあの子とそんな仲になってたの? エイジも隅に置けないなあ」
「何? エイジ、彼女ができたのか? 俺に許可なく!」
佐久間先輩がテーブルにかぶさるように、身を乗り出してきた。
「ちょっと、佐久間、あんた邪魔。鍋が来たから、ほら席に戻って」
店員が各自の前に鍋料理を配膳し始めた。
俺にも配膳され、燃料にチャッカマンで火が点けられた。
「あっ、すみません……。って、またお前か!」
ロリエルフがチャッカマンを持って、俺の横に座っていた。
「מיר גיין הייַנט בייַ נאַכט, אַ מענטש מיט אַ גרויס פּילקע」
赤いパーカーを着たロリエルフが何か言った。今日はいつものミニスカでなくショートパンツだ。横には黄色いリュックが置いてある。
「ロリコン先輩、しっかり彼女呼んでたっすね。じゃあ、ごゆっくり〜」
茶髪男が馴れ馴れしく俺の肩を叩いてから、戻って行った。
「その子がエイジの彼女なのか?」
「森園先輩、違いますって! こいつが前に話した探し屋です」
「探し屋だって? それにしちゃ、エイジに妙に懐いてるじゃないか?」
「エイジ、お前、探し屋が彼女なら、俺の動画に出るように頼んでくれよ」
「佐久間先輩まで! だーからー、成り行きでこうなっちゃってるだけですよ!」
「え──っ! 成り行き婚なの? エイジ、その子に手を出しちゃったの!? それって犯罪じゃない?」
「ちが──う!!! 手を出すか──っ!!!」
クソっ……! みんな人をおもちゃにしやがって……!
だが、ムキになると、余計にからかわれるだけだ……。
ここは一旦、トイレで顔でも洗って、クールダウンして来よう……。
トイレに行こうとしたら、ロリエルフもついて来ようとした。
「お前はここで座ってろ!」
「はーい!」
ロリエルフが返事をして、手を挙げた。
日本語も少しはわかってきたのかな……?
けど、幼女が居酒屋にいちゃマズいじゃん……。
そう思いながら、千鳥足で俺はトイレへ向かった。
トイレから戻った俺は飲み残しのビールをぐっと飲んでから、みんなに言った。
「じゃあ、俺はこの子を帰して来ますから、お先に失礼します!」
「ああ、そうだな。小さい子が居酒屋というのもな……」
森園先輩は俺の意図するところを、きちんとくんでくれた。
「エイジ、じゃあ、動画の件よろしくな!」
佐久間先輩は自分の利益が優先だ。
「エイジ、これからラブホとか行くんじゃないでしょうね!?」
「行くか──っ!!!」
遼子先輩は冗談が洒落にならない。
「じゃあ、エイジ、頑張れよー!」
「ロリコン先輩、頑張ってー!」
嬉しくない応援を背に受け、容姿で目立ちすぎるロリエルフを立たせ、逃げるようにして座敷を後にした。
飲み屋街を早足でロリエルフと駅へ向かっていたら、ひどく足がもつれてきた。
いかん……、飲み過ぎたかな……?
なんか、目眩もしてきたぞ……。
ヤバっ……、こんなの初めてだ……。
ついに歩けなくなり、ビールケースが積まれた路端に座り込んだ。
「おい……、お前……、リコだっけ。俺の家を知ってるよな? タクシー停めて、俺を連れて帰ってくれよ……、ってわかんねーか……」
「וועלן צו גיין מיט מיר」
「何言ってるか……、わかんねーが……、頼む……」
ああ……、意識が今にも飛びそうだ……。
どうしたんだ……、これ……?
ロリエルフが手を振って、タクシーを停めた。
おおぉ……、ロリエルフがついに俺の言ったことを理解してくれたぞ……。
ふっと力が抜け、俺は安心して、目を閉じた。
読んでいただきありがとうございます!
第3章日本編:Rico meets Eiji はこれで完結です。
次からは不定期で第4章帝都西部編を連載していきます。




