地底防衛都市スクド(54)
眼下には荒涼とした土色の大地が遥か遠くまで続いている。
乾いた風が頬を打ち、舞う砂埃が時折り顔にまとわりつく。
「皇帝陛下はこの東の辺境に防衛都市を築くそうだ」
そう言うと、すぐ傍で男の声がした。
「そうなのか。東方のエステラ王国では内乱が勃発したそうだ。ここへは大勢の難民が押し寄せて来るだろう」
「その難民を取り込んで兵士にすれば、帝国が版図を広げる原動力になるな」
横を向くと、頑強な体躯の男がいる。
背丈が2メートルはある大男だ。
半裸なので筋骨隆々なのがよくわかる。
背丈ほどの巨剣を背負っており、太い腕には盾を装着している。
戦士なのだろう。
フサフサとした黒髪の下、黒い瞳が貫くようにこっちを見ている。
その男が口を開いた。
「簡単に言うが、他国の難民を取り込むのは困難だぞ。言葉も文字も通じないからな」
「そのとおりだ。すぐには無理だろう。だが、私に考えがある」
「ほう? それはどんな考えだ?」
「頭で考えて、口に出したことを自動的に翻訳する重魔術式だ」
「おい! そんなことが本当に可能なのか?」
「ああ、竜使いは竜と意思を通じることができる。それは竜の魔力を竜使いが制御できるからだ」
「遊牧エルフの竜使いか。それを重魔術式に応用するのか?」
「ははは、お前は飲み込みが早いな。戦士にしておくのは惜しいほどだ」
「馬鹿を言うな。俺から剣を取りあげれば、何も取り柄が残らん。それで、お前は今後どうするのだ?」
「意思疎通のための重魔術式の構築には、竜の魔石が必要だ。それも膨大な数が必要なのだ」
「まさか、それを俺に調達しろと?」
「ははは、洞察力も大したものだ! 説明が楽でいい! 現皇帝陛下より賢いんじゃないか!」
「おだてても何も出ないぞ! で、竜の魔石はどのくらい必要なんだ?」
「帝都全域に重魔術式の効果を及ぼすには、ざっと見積もって3000。要所には巨竜の魔石も必要だ」
「3000!!! 帝国どころか世界中の竜が絶滅しそうな数だな!」
「できるか?」
「もちろん! やってみせよう。言葉の壁がない世界。夢のような世界だ」
「こんな無茶な仕事はお前にしか任せられない。お前が持つ魔力が無ければ不可能だ」
「俺だけでも無理だがな。時空を超える『錯乱の扉』を使ってこそ為せる技だ」
「では、早速取り掛かってもらえるか? 私はエルフの里に戻って、匠となる重魔術師たちを集める」
「よし、わかった! マジアよ! しばしの別れだな!」
「必ず実現させようぞ! 我が帝国がこの世界の覇者となるのだ!」
「この魔剣エノルメに誓って、実現させてみせようぞ!」
男は巨剣を楽々と抜き、天に向かって振り上げた。
その刃は限りない熱波を送り込む陽の光を宿し、燦々と輝いた。
◇◆◇
モザイク模様の石畳の上、純白の円柱が遥か先まで並んでいる。
宮廷の回廊だろうか……?
そこに立っている丸ハゲの大男が口を開いた。
「竜の魔石はまだ必要か?」
「お前のお陰で大方数は揃った。帝都の主要な地域で、魔石の配備は順調に進行中だ。お前には長い間、大変な苦労をさせたな」
「わはは、苦労したのは巨竜くらいだ。天竜は逃してしまったがな……」
「お前もすっかり年を取ったし、しばらくはじっくり帝都で休養してくれ」
「いや、そうはいかんな。俺にもある計画ができたのだ。だから、北の辺境に赴くつもりだ」
「北の辺境とは? まさか、お前……、死竜を討伐するつもりか!?」
「さすが、宮廷重魔術師だな。死竜の魔石を使えば……、わかるよな?」
「……むむむ、死者と会話が可能かもしれないが、そこは不可触の領域だ。下手をすると冥界に取り込まれるぞ!」
「死竜が数世紀ぶりに北の森に現れると聞いたのだ。魔石を使うかどうかは別として、死竜を是非とも討伐してみたい。そして、我が武勇を歴史に刻むのだ。お前はエルフで長寿なのだから、しっかり俺の名を後世に伝えてくれよな」
「承知した。ただ、死竜は冥界の使いだから、他の竜とは勝手が違う。くれぐれも無理をするなよ!」
「わかっておるわ! では、頼んだぞ! マジア!」
大男と拳を突き合わせた。
大男が甲高い口笛を吹くと、空から翼竜が舞い降りてきた。
彼はそれに飛び乗り、真っ青な大空へと飛び去っていった。
◇◆◇
青い光に照らされた洞窟を歩いている。
地面も岩肌も、どこを向いても青一色の世界だ。
奥へと進んでいくと、物哀しい泣き声が聞こえてきた。
女の泣き声だ。
「なんなの、ここは……。どうしたら帰れるの……」
少し進み、首を振ると、小さな横穴に人影があった。
スカートを履いた女が地面にペタリと座り込んでいる。
「おい、君はどこから来たんだ?」と男が声を発した。
女は驚いた顔で、こっちを見た。
「あ……、あなたは誰!? ここはどこなの?」
「私はマジアという者だ。ここはスクドのダンジョンだが、君は『錯乱の扉』を通って来たのだろう?」
「スクド!? ダンジョン!? 何のことですか!? 『錯乱の扉』って奥にあった青く光ってるやつですか?」
「君はその青い扉を抜けて、ここへ出たんだ。『錯乱の扉』を抜けられるとは運がいい。スクドはここの地名だ。君はどの国から来たんだ?」
「私……? 私は日本にいたはずなんですが、ここは外国なんですか? けど……、言葉は通じてるから、日本なのかな……? 一体どうなってるんですか?」
「ニホン……? 知らない国だな……。とにかく、ここから離れよう。ここには魔物が来る」
「魔物!? 時々、聞こえてくる不気味な声はそうなんですか?」
「ああ、この辺にはガーゴイルがいるからな。さあ、冒険者がいる場所まで案内するから、立って」
「ガーゴイル!?」
女性は慌てて立ち上がり、抱きついてきた。
「君の名前は?」
「キリコです」
「キリコ君か。怪我はないか?」
「はい。ここがダンジョンって本当なんですか?」
「ああ、このダンジョンは危ないから、なるべく早く出よう」
見下ろすと、腕に抱きついた女は力なくうなずいた。
青く照らされた顔には、まだ怯えた表情が浮かんでいる。