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シューゼルが横っ飛びに、ティグルが軽やかに回転しながら避けると、すぐさま攻撃体勢へと入る。
「そぉれっ…!? かったぁ!」
ナイフを斧へと持ち替え、魔獣の背後へと振り下ろすが、硬い皮膚には僅かに入ったかというほどの傷しか入らなかった。
「硬化まで持ってるようだな…《強化》、《豪傑》、《倍加》!」
「もっかい! そぉれぇっ!!」
「ギィイッ!?」
強化された斧と、増加した力、そしてさらにそれらが倍の威力となった攻撃によって、一度目は入らなかった傷が綺麗に入り、魔獣が堪らず声を上げた。
「やった! どんどんいきますよぉっ!」
「グオアォオァオォッ!」
無数に飛んでくる触手を軽やかに避けながら、斧でどんどん捌いていくティグルに魔獣が憤りを見せ始める。
触手が短くなれば次は体へと攻撃を入れる。
「グォ…グ……グアアァアアオゥッ!!」
「っ!?」
怒りを爆発させた魔獣がぐるんと体を捻ると、それに合わせて硬い尾がティグルの側面へと叩き付けられた。
手足を縮めて尾を受け止めたが、勢いは押さえきれずにミシミシと骨の軋む音を立てて弾き飛ばされてしまう。
「やれやれ。うちのバカ弟子は初日のアドバイスを覚えていないのか? だが、時間は稼げた」
僅かに口角を上げたシューゼルの足下に複雑な二重三重の陣が浮かぶ。
「―――凍てつく大地よ、美しき白姫よ、彼の者に永遠の時を。《凍結氷河》」
「グオオォオォオォッ!!」
魔獣の腹下に大きな陣が浮かぶと、光に包まれた魔獣が一気に氷付けにされていく。叫ぶ声は氷の中へと閉じ込められた。
内にも外にも刺々しい氷の結晶と化した魔獣は声も出せず身動きも取れない。硬い皮膚に氷が槍のように深く突き刺さっている。流れ出た紫色の血でさえ瞬時に固まり滲む色が凄惨でもあり美しくも見える。
「ティグル、止めを」
「はい!」
吹き飛ばされた方向から飛び出てきたティグルは泥だらけに枝葉だらけだった。
そんな様子で、あれだけ激しい強打を食らい、激しく打ち付けられたはずだが、変わらず動きに問題はない。
「壊れろぉっ! 《烈震》!」
振り上げた斧がバリバリと嫌な音を立てたかと思うと、振り下ろされたと同時に大きな震動が氷結晶を中心に響いた。体の奥まで凍った魔獣は氷と共に砕けた。
飛び散る氷の破片が夕日に照らされキラキラと幻想をイメージさせる。
「うわぁ、綺麗ですねぇ!」
「………ティグル。お前、魔獣を粉々に砕いておきながらそれを綺麗だなんてえげつないな」
「はっ!? ななっなんですかそれは!? 僕は氷がキラキラで綺麗って言っただけでっ…ちょっと、師匠! なんですかその指は!? そのクロスした指はなんの意味が!? は、離れていかないでくださいよぅっ!」
「俺のアドバイスをまた忘れた罰だ。結界3メートルだ」
「さんって、ちょっ、遠すぎじゃ!? 師匠が言うと本当に結界張りそうじゃないですかっ、て本当に結界が!? し、ししょぉ~」
どこまでもからかわれるティグルであった。
*
「ティグル、お前怪我はないのか?」
無事に魔獣を倒したといえど、割りと派手に吹き飛ばされたティグルに心配の声を掛けるシューゼル。
「はい。ちょっと擦り傷くらいはありましたけど、もうそれも治りました!」
「体力オバケめ」
「治癒力が高いと言ってくださいよぅ」
「傷と一緒にその汚れも消してくれればいいものを」
「魔術じゃないんだから仕方がないです。あ、ありがとうございます」
浄化の術で汚れを落としてやれば、ティグルは嬉しそうな顔を向ける。
ティグルに治癒術や浄化術などの複雑な魔術は難しく使えない。それなのに治ったというのは、ティグル本人の元々の能力、とでも言えばいいだろうか。
「しかし、結構荒らしてしまったな…」
「そうですね。でもまだあっちの方はたくさん咲いてますよ!」
花畑の中で魔獣と戦ったのだ。周囲の花は踏み荒らされ、もう素材としては成り立たない。
しかし、ティグルが向こうの方は無事だと指を指せば、シューゼルはその数を一見して少しだけ表情を緩めた。
「ふむ。まあ、あれだけあれば足りるか…」
「良かったですね! それで、師匠。“薄明のしずく”っていうのは、何を採取すればいいんですか? この花ごと取ったらいいですか?」
「いやそうではないが、まだだ」
「そうですか。じゃあ、今のうちにこれ料理しちゃいましょうか」
まだ採取のタイミングではないようだと把握したティグルが、最初に切ってしまった触手の肉片を手にしてにこやかに言った。冷気の見えるその笑顔からすると、食べられそうになった腹いせかもしれない。
温めればゼラチン質になるそれは、細かく切って、採ってきた山菜や薬味と合わせてサッパリとした味付けで美味しくいただいた。
「師匠、空も暗くなってしまいましたけど、これからどうすればいいんでしょうか?」
「寝る」
「ああ、寝るんですね。僕も今日はちょっとだけ疲れましたから助かります………って、えぇえっ!? 寝るだけですか!?」
採取するのは夜かなと当たりを付けていたティグルは肩透かしを食らった気分になる。
「明日は早いからな。索敵に加えて隠遁の術も掛けてあるから安心しろ。夜更かしして寝坊するんじゃないぞ」
「ありがとうございます。…じゃなくって、師匠~、説明を! 説明を求めますぅ~! ちょ、もうテントに入るんですか!? てことは今から寝るんですか!? あぁっ師匠、目を閉じないでください! 相変わらずなんて寝付きのいい! 何時、何時に起きればいいのですかぁっ!? しぃしょおぉぉっ」
深夜、シューゼルは何気なしにふと目が覚めた。
うっすらと目を開けると、背中に温もりを感じた。
振り返れば背中合わせに丸まって眠るティグルがいた。
結局起きる時間について話さずに寝てしまったせいで、ティグルはシューゼルに引っ付いて寝ておけば、起きる動きで自分も目が覚めると考えたのだろう。
こうして一緒に寝るのはいつぶりか。
ある程度大きくなってきてからは、別のベッドに眠るようになった。
ティグルも自分の世話を焼き始めて自立心が芽生えたようだったから、別段何も思わなかったし言わなかった。
時々一緒に寝たそうにすることもあるが、結局自分のベッドで眠るのを面白く見てはいたが。
寝返りをうってティグルの方を向く。
こうして改めて見ると成長してきたことが分かる。
「転がり込んで来た時は大分小さかったのにな。子どもの成長はこんなにも早いものか。…………ん?」
頭を手で支えながら懐にいるティグルを眺めていると、腕が腫れていることに気付いた。
魔獣の尾を受け止めた時の傷だろう。まだ治っていないところを見ると折れていたということだろう。大分治ってきているようだけれど、まだ腫れが残っている。
「まったく、尋ねた時に言えばいいものを……気付かなかった俺も俺か…《治癒》」
あの後も食事を作り、テントを張っていたのだから、気付くタイミングは何度もあったはずなのに。気付かなかった自分に苦汁を飲まされる思いだ。
癒しの光が腕の傷を治した。腫れも引いて元通りになった腕を見て、小さく息を吐いた。
「怪我をさせたいわけではないのだがな」
呟いた声は虫や鳥の声に埋もれて消えていった。
*