6
普段工房に籠ってばかりのはずのシューゼルの足取りは軽い。
旅慣れたその様子に、街の者が見れば驚きの目を向けることだろう。
しかし、昨夜準備した大荷物の様子は二人の背には見て取れない。
シューゼルはワンショルダーのボディバッグと小さめの革製のショルダーバッグを交差させていたし、ティグルはその背に合うくらいのリュックしか背負っていなかった。
旅、というにはまるでちょっと近くの隣街まで遊びに行くかのような軽装だった。
ーーーテントは、調理器具は、今日のお弁当は一体どうしたというのだろう。
何事もなく、一つ目の峠へと向かうため山に入って少しした頃、ちょうど太陽が真上に来た。
確かな話ではないので、道中も探索がてら進むためそんなに距離を稼げない。
早朝に出て来て歩き続けているせいで、ティグルのお腹もちょうど鳴き声を上げた。
「ああ、もうこんな時間か。ティグル、お昼にしようか」
「はい!」
索敵をしてから、安全な場所に休憩がてら弁当を広げる。
重箱に詰められたそれは、崩れることなく綺麗に詰められた状態で鎮座する。
おにぎりが詰められたもの、唐揚げや玉子焼き、サラダなどのおかずが詰められたものが2段、デザートが詰められたものもある。二人で食べるには多い量の弁当はやはりティグルの背負っていたリュックの中から取り出された。
「師匠、アラクネさんの素材って確か二つ言ってましたけど、“ハクメイノシズク”? のことしか分かりませんよね? もう一つの“ナガナガノケッショー”はどうするんですか?」
一際大きな唐揚げを頬張りながら訪ねるティグルに、口にしていたおにぎりを飲み込んでからシューゼルが答えた。
「“薄明のしずく”と“長夜の結晶”だ。うちで働くなら間違えて覚えないようにするんだぞ」
「はい! えっと…“薄明のしずく”に…ナガ、ナガ…」
「“長夜の結晶”」
「“ナガヨノケッショー”!」
メモを取り出し書き留めるティグルに、続けて先ほどの質問に答える。
「おそらく、これらはお互いにそう遠くない場所にあるはずなんだ。どちらも人の手の入らない澄んだ自然の中でしかできないものだからな。だから、どちらか一つでも手がかりがあれば良かったんだよ」
「………あ! だからどちらかでもって聞いたんですね!」
「ああ。まあ、噂だからアラクネの言っていた花がそうとは限らないんだが、不可思議なものについての魔族の噂というものは人間のそれよりも真実味が高いものだからな。おそらくそれがそうだろうと読んでいる」
「そして、それを起点に周辺を捜索して“長夜の結晶”も見つけるんですね!」
「ああ、そうなるように願ってはいる」
「大丈夫ですよ! 師匠ですもん!」
根拠の全くない物言いに呆れて笑うシューゼルだったが、瞬間、ピクッと眉を動かした。
同時にティグルも一点へと顔を向けた。
「師匠」
「索敵網にナニかが入ったな。速い。…ティグル」
「はい!」
「弁当を」
「片付けます!」
そのナニかにせっかくの弁当を荒らされては困るとシューゼルが危惧すれば、ティグルが素早く広げた弁当を収納量の合わないリュックへと入れた。ティグルの弁当は大事である。
と、次の瞬間、バキバキと枝を折る音がすぐ近くで鳴り響いた。
「グオォオオォオオッ!」
木々をなぎ倒す音と共に咆哮を上げて飛び出して来たのは四つ足の体の大きな“魔獣”と呼ばれるものだった。
“魔族”と“魔獣”。どちらも人間から忌避される存在ではあるが、知性を持つ“魔族”は場合によっては討伐の対象となるものの、普段はその姿形から忌避されるだけの存在だ。対して、知性もなく動物や人間、街や田畑を無差別に荒らし襲う“魔獣”は忌避されるべき存在であり、問答無用の討伐対象だった。
突進してきた魔獣は、今の今まで弁当を広げた場所へとその歪んだ巨大な牙を振るい、地面を抉った。
二人は攻撃を受ける前に散開し、飛び散った土や石を避け、叩き落とした。
「食事の邪魔をするなんて、いけないんですよっ!」
木の幹を足場にして蹴ったティグルがマナーを魔獣に説きながら手にした剣を振るう。
その脳天目掛けて振り下ろした剣はキインッと高い音を立てて牙に弾かれた。
「ふっ!」
くるんと一回転して着地したティグルが再度アタックする。時々牙に防がれつつも、その体にいくつもの筋を入れていった。
一度目よりも二度目、二度目よりも三度目とその威力が増していく。
「彼の者、疾風となり、強靭となり、敵を穿て。《英雄王》」
シューゼルの唱える術により、ティグルのスピードと威力が強化され増していく。
傷は無数に増え、耳は削がれ、片目は潰され、満身創痍になった魔獣はそれでも倒れなかった。しかし自らの最期を悟ったのか、耐えきれず足掻きにと目に入った者へと標的を変えた。
「あ」
思わず漏れた声は、焦りからか、哀れみからか。
狂乱した魔獣は、武器など何も持っていないシューゼルへと駆け出す。
せめて一人だけでも道連れに。知性のない魔獣にそんな思いがあったかは分からない。
ただ、その相手としてはシューゼルは不適切であった。
「顕現せよ、《両断の剣》」
何もないそこに両の手を合わせ、まるで鞘から剣を引き抜く動作を見せたかと思えば、その手には一振の剣が握られていた。
弾むように体勢を低くしたシューゼルが魔獣へと向かう。
お互いにぶつかり合い、体格差からシューゼルが吹き飛ばされる。
かと思えたが、ぶつかることなく、シューゼルは魔獣の背後へとまっすぐに駆けた。
すくっと立ち上がったシューゼルは手にした剣を払った。その動きに合わせて赤黒い何かが辺りへ飛び散る。
役目を終えたとばかりに、手にした剣は光となって消えていった。
すると、背後に立っていた魔獣がグラリと左右に分かれて倒れた。辺りに赤黒い血溜まりが広がる。
その鉄臭いような、腐っているような臭いに顔をしかめながら魔獣の体へと手を伸ばし、何かを掴み上げた。
魔獣や魔族の体は魔力を蓄える量が多いため、こうして凝縮し結晶となる。これが魔石と呼ばれるものである。
血で汚れた場所と自分の体に浄化の術を掛ける。するとシューゼルの背中に衝撃が走った。
「師匠! やりましたね!」
「…………ティグル、20点」
飛び乗ってきたティグルに、少し前のめりになるも倒れなかったシューゼルが何かの点数を告げた。
「ええっ! にじゅうっ!? 低くないですか!?」
「これでも高くしたんだ。お前が一発で仕留めきれなかったから、強化の術を掛けたのに、仕留めるのにどれだけ時間が掛かっているんだ。無駄な場所にばかり傷を付けて、ただ怒らせただけだ。相手の弱点を見極めろといつも言っているだろう? さらに怒らせた相手の目を潰してしまえば、ああいった狂乱状態に陥らせるだけだ。片目だっただけ相手を見定める理性は残っていたようだが、両目であればこの辺り一体を無差別に破壊しまくることになっていた。もうそろそろ終わると判断したお前が気を緩めたのをあいつは隙と見て標的を変えたわけだが…。最期まで気を緩めるんじゃない。しかも、あいつはお前よりも俺が倒しやすいと判断したのが一番いただけない! 俺が弱いと判断したってことだ! 結果、真っ二つになってざまあない!」
ティグルの戦闘評価から、魔獣の評価へと代わったことに、あえて口出しはしない。口を出せばきっと今以上にダメ出しを食らうに違いない。
すでにティグルのメンタルはベコベコだった。
「まあ、一切攻撃を受けなかったことは評価してやる」
その言葉と頭に置かれた手のひらに、あっという間に浮上したメンタルはティグルの強みだと言える。
「次はもっと頑張ります!」
「頑張りどころを間違えるなよ?」
クスクスと笑うシューゼル。こうしてズバズバとキツイ言葉を浴びせるのに、折れない弟子は珍しいだろう。他の弟子を知らないから分からないけれど、弟子は可愛いとはこういうことかと毎度思う。