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―――人間の女性がいた。
「へ? ………………ア、アラクネさん、ですか?」
ティグルは茫然と自分の下半身を見つめたまま固まっている女性へと半信半疑で声を掛ける。
ツイ、と顔を上げた女性と目が合うと、確かにその顔はアラクネだった。上半身に変化は見られない。
ただその下半身が、違うのだ。
人間の、二本の細い足が紺色の裾から生えている。
この表現が合っているのか分からないが、とにかく生えていると思った。
消えた大きな蜘蛛の体と8本の葦が、つるりとした質感の2本の足に変わっている。アラクネがどこからどう見ても人間の女性に変わっていた。
「ふむ。調整は必要なさそうですね。アラクネさん、とてもお似合いです」
「え、あ、はい!? あ、ありがとう!?」
そんな困惑した状況をものともせず、シューゼルがアラクネのワンピースを確認し満足そうに一つ頷いた。
いつものように調整の必要がない出来に仕上がっていたようだ。
シューゼルの普段通りに動く姿に、ティグルが遅れて反応し、声を上げる。
「いやいやいやいやっ! 師匠! これは一体どういうことですか!?」
「どういうことかも何も、こういうことだろう?」
だからそれはどういうことなのだと口をとがらせるティグル。
そこへ突然、すすり泣く声が聞こえてきた。
二人してその先を見れば、アラクネがポロポロと涙を流しているではないか。
「しっ、師匠のせいです!」
「ティグル…お前な………」
「あっ、すいません。つい!」
涙する姿を見て、シューゼルは二人に向けて説明し出した。
「今回の素材として“薄明のしずく”と“長夜の結晶”を使用したのは、彼女を人間の姿にするためだ」
「え? なんでそんなことを?」
「彼女が望んでいたからの他に理由はない。ティグル、さっきの話だがな、実際彼女は半人半妖の蜘蛛の姿に驚く相手を気にしていなかったんだろう」
「? あ、さっき僕が謝った時の話ですか? …って、師匠! 盗み聞きしてましたね!?」
「偶々聞こえてきただけだ。両手が塞がっていたから耳栓もできなかったんだよ」
「ウソです! 師匠なら両手使わなくても耳栓くらいできますぅ!」
「そう。確かに以前は驚かれようと「あ! 話逸らすんですか!?」逃げられようと構わなかった。ただ、今はそうではない。そうですね、アラクネさん?」
アラクネはぶすくれたティグルをチラチラと気にしながら、答えに言い淀む。やがて、涙しつつ小さく首肯した。
「怖がられたくない、人間が、いる。あいつは、私に笑いかけて………花を、くれたの。でも、きっと、この姿を見たら、他の人間と、同じ。それが、私、怖い」
その人間との出会いは、ある日突然だったのだと言う。
どんなに怖がられても、人間の暮らしを見るのが好きなアラクネは、いつものように草かげからヒョコリと頭を出して、眺めようとお気に入りの場所へと森の中を歩いていた。
仕立て屋の裏にある大きな森とは比べるべくもない程度の別の森だ。
すると、いつもの場所に見知らぬ人間が倒れていた。
気を失っているようだったので、介抱すれば、具合が悪くなり横になっていたのだと言うその人間にとても感謝された。
それからその人間は、ちょくちょくアラクネの前に現れてちょっとした会話を楽しんでから帰るようになった。
一向に全身を出そうとしないアラクネを不審がることなく接してくれることに安堵しながらも、やはりどこか心苦しいアラクネは、その人間の前にちゃんと姿を現せるようになりたいと思うようになっていた。
そんな時、友人のラミアが見たことのない服を着ていた。聞いてみれば、仕立て屋に依頼したものだという。
それは、寒い冬になると思うように動けなくなるラミアにとって喉から手が出るほど欲しかった温熱効果のある、彼女だけの“特別”なものなのだとか。
これを聞いて、アラクネは自分も自分だけの特別な服が欲しいとラミアに訴えた。どうやって作ってもらったのかを聞き出し、仕立て屋の場所も教えてもらった。
でも特別でなくても良かった。ただ今よりもこの姿を少しでも隠せたら、もう少しだけ、前に出ることができる。また、見た目を少しでも変えて着飾れば、恐ろしさが緩和するのではないか。
そう思って切願したのだ。
だから、こんな人間の姿になれるなんてことは全く考えていなかったのだ。
衣服を変えたところで、蜘蛛の体は変わらないのだから、やはりあいつも姿を見た途端、怯え、逃げ、二度と会えなくなるのかもしれない、なんて思えば足は震えた。
でもこの姿であれば、あいつの前まで出ていける。きちんと顔を見て、目を合わせて、笑顔で話すことができる。
そんな夢のようなことが現実に起こり、アラクネは喜びとも嬉しさともつかない感情が溢れ、涙となった。
「自然が起こす力は時として不思議な奇跡を起こすものです。太陽と月の力を集めた二つを材料にしたことで姿を変えることができるものを作ることができました。
私もこういった現象を起こすことができるかもしれないと予想しただけで確証を持っていたわけではないのですが、やはり自然の力とは素晴らしいものですね。
当店にお越しいただいたあの日、貴女はほんの少しだけ悲しげな顔をしていたので、あの時この服を作ろうと考えて本当に良かったです」
「……いつもながらですが、師匠って本当は服飾師でなく占い師とかカウンセラーとかそんなではないですか?」
何故一度会っただけで悩みや望みが分かるのかと、ティグルは訝しがる。その言葉から今回だけではないことが分かる。
シューゼル本人は裏表のある人達を観察して培った洞察力だと言うが、それだけにしては逸脱しているだろう。
アラクネは大層喜んで、何度も頭を下げ、できた服を大事そうに抱えながら帰っていった。
―――その後、アラクネがどうなったかというと。
しばらく経ったある日、ティグルは人間の姿のアラクネと共に歩く一人の男性の姿を街の中で見かけた。
二人は露店の前で楽しそうに笑っていた。
男性がアラクネの正体に気付いているのか、結局彼女が話すことができたのかどうかは分からないが、その男性がアラクネの見ていないところで露店にある小さな蜘蛛の置物を手に取って柔らかく微笑んでいたのをティグルは目にしたとだけ伝えておこう。
「いずれ、本当に人間になりたいと願うのなら、どこかに隠れ住んでいる魔女を探し出して願いを叶えてもらうくらいするだろうさ。俺? 俺には手助けはできても他人の人生を変える力なんてないさ。……だから、ティグル。お前もお前の人生を自分で選んで生きて行くんだぞ」
アラクネが帰っていく姿を見ながらシューゼルがティグルにそう言った。
シューゼルはティグルがいずれ自分の元から離れていくべきだと考えている。
本来の姿が聖獣であるティグルと、人間であるシューゼルがいつまでも一緒にいるべきではないと。
シューゼルにとっての今という時間は、ティグルが成獣になるまでの間に一人で生きていく力をつけるための訓練を手助けしているだけ。
決して家族として養っているわけでも、ただ日々を過ごしているわけでもない。だから“お父さん”なんて呼ばせないし、一人で生きていけるように色々教えるし、旅に出る度にティグルが暮らせる場所があるかを探している。
シューゼルがそんな風に思っていることも、旅に出る度に自分の住む場所を探していることも知っているティグルは“お父さん”と呼ぶことを我慢しているし、毎日を楽しく過ごし、学べることは学び、シューゼルの旅にだってついていく。
ティグル自身に今はそのつもりは毛頭になくとも、シューゼルと共に過ごせる時間が無くなる可能性がある限りなるべく傍にいて、自らの力を付ける努力を止めない。
それがなんにせよ、シューゼルの助けになる力となるのだから。拾ってくれた、育ててくれた親とも言えるシューゼルの。
「はい…」
小さく頷いたティグルにシューゼルは困ったように笑い、頭を撫でた。
「さて、いい加減本当に腹が減ってきたな。俺も手伝うから飯にするか」
「そうですね! とりあえず今日は質より量で作りましょう!」
沈む気持ちは引き摺らない。
気持ちを切り替え、報酬として貰った透明な繭玉を大事に布に包んで、食事をするため二人はようやく自宅へと戻った。
*
次話がラストになります。
本日お昼に上げさせていただきます。
よろしくお願いいたします。




