<第三十七話>
「力なき者の兵法は、昔から奇襲と乱戦、そう決まっている」
この世界にもチェスやオセロのようなゲームは存在していた。多分元からあったものではなく、現代から持ち込まれてしまったものなのだろう。おかげさまで、リア・ユートピアは異世界でありながら、中途半端に現世の文化が盛り込まれた奇妙な様相を呈している。だからこそ感性が現代日本人であるリオウも、比較的快適に過ごすことができているわけだが。
チェスはいい。今も、自分の部屋で己が下した女神であるラフテルを相手に興じているところだ。何がいいって、チェスやカードゲームの類いにはリオウの能力が効かないというところである。自分の能力は、あくまで“戦闘”に限定されたもの。頭脳戦や遊びの類いでは適応されない。だからこそ、頭の良さに自信があるリオウでも“絶対ではない”勝負が楽しめるのだ。暇になることを見越してあえてそうしたのが、今は完全に功を奏している。戦えば必ず勝つのは爽快だが――時に非常に退屈であるのは間違いないことだからだ。
「魔王アーリアが、そしてその参謀がどのような手を打ってくるのか。俺は楽しみで仕方ない。そうは思わないか、ラフテル」
「だから、わざわざ一週間なんて長い猶予を設けたのか」
「その通り。問答無用で仕掛けたのではただの虐殺にしかならん。それではいつもと変わらない。正直、そろそろ飽きが来ていたところでな」
魔王が、一週間以内にアクションを起こしてくるのは想定済みだった。降伏するにしても、期限を引き伸ばす交渉をするにしても。彼は恐らく西と東の人々を見捨てないだろうと踏んでいたからである。
理由は単純明快、アーリアが最終的に目論んでいるのが“世界征服”だからだ。彼はどうやら北の人々から相当の人望を得ているらしい。わざわざ人助けや慈善事業を繰り返し、自らの善人アピールに余念がないのだという。
その狙いは間違いなく、すべての勇者を倒した後で己の支配を磐石とするためだろう。彼にアヤナのような能力があれば話は別だったが、彼はあくまで戦闘能力が人よりも高いだけの普通の人間である。洗脳なんて方法は持ち合わせていないはず。なら、洗脳しなくても人々がついて来てくれる状況を作っておいた方が、後々楽に済むのは明白なことだ。
それが正しいことは、彼がどうやら未だに捉えた勇者二人を殺していないらしいということからも明らかである。いくら散々暴れてくれたとはいえ、勇者を呼び出したのは女神であり、その女神はそれぞれの地域で絶対的な存在として崇められているのは事実。いわば、勇者という存在も神の代弁者として信仰するものも少なくはないのだ。
勇者を殺めることは、神を殺すことと同義。過激派の者ならばそのようにも考える。
なら、勇者を殺してしまうことは基本的にはできない。いくら全ての土地を手にいれても、過激派連中に紛争やテロを起こされたらたまったもんではないからだ。
――何より。下心も打算もなく、赤の他人を救うことなどできるはずもない。こいつは勇気ある英雄として己が祭り上げられることを狙って、善行を演出しているだけにすぎん。
自分が言うのもなんだが、勇者は三人ともが揃ってとんだ大暴走を起こした。女神の言葉もスルーして、他の地域を侵攻し世界統一をすることよりも前世からたまりにたまった鬱憤を晴らすことの方に終始していたと言っていい。アヤナと自分はといえば一応は勇者としての仕事をしていたと言えなくもないが、最終的な終着点が“一人の女神が統一する世界”ではなく“自分が世界の絶対的な王”として君臨する世界となっているのだから、その時点で大きな齟齬が生じているのは否定しようがない。
要は――名目上は“勇者に仇なす魔王”であっても。“好き勝手やっている悪者を退治するヒーロー”となるのは、そうそう難しいことではなかったということである。人間は長い目でものを見るよりも、比較でマシな方に飛び付くことを選びがちなイキモノだ。頭がからっぽそうなリア・ユートピアの人々を“信頼で騙す”のは、きっと容易いことであったことだろう。ましてや、彼が本拠地を置いている北の地には女神がおらず信仰も薄かったはずだから尚更である。
「貴様は本当にチェスが上手くならんな。クイーンを取らせて誘いでもかけたつもりか?もはやキングに逃げ場はないというのに」
リオウが自らのナイトで、ラフテルのクイーンを小突いた。あっさりと、儚い駒はくてんと転がって台座を落ちる。それを拾ってカップに入れれば、本来は負けず嫌いであろうラフテルが苦い顔をした。
「……も、申し訳ない。……リオウ、一体ここからどのように動くつもりなんだ」
「ん、戦局のことか?」
「ああ。リオウはその、楽しむためにあまり最善手を取っていない様子だったからな……」
この女神も、力で捩じ伏せたものの心まで自分に屈服したわけではないと知っている。だからこそ面白いし、調教しがいがあると思っている。本人が気づいているかどうかは知らないが。
隙あらば寝首を掻く気でいるなら、それ相応に扱ってやるだけのこと。女神には多少の感謝はあるし、見目も麗しいので側に置く分には目の保養になるが――実際はそれだけなのである。別に、壊れようが傷つこうがどうでもいい存在だ。元より自分は性的な方面の興味は薄い質だし(どうせ虐げるならばセックスよりもリンチの方が楽しいと思うタイプだ)、女神相手にそのような行為が成立するかも怪しい。なんといっても、不老不死の絶対に死なない存在である。
果たして永遠に若いまま生きるとは、どのような感覚なのであろうか。リオウにはあまり想像できないことだった。
いつまでも若いまま、全盛期でいたい気持ちは理解する。しかし永遠に生きたいとは思わない。――生きることは質が伴ってこそ意味があるものだ。ただだらだらと長く生きたところで価値などあろうはずがない。人生を最も苛む毒は、退屈をおいて他にないのだから。
「最善手を取らない、隙を作って誘い込み踊る相手を高みから見物する。これほど面白いことはないだろう?」
詰みも同然の盤面で、それでも長考する女神を嘲りながらリオウは言う。
「真正面から戦えば、戦争にさえならない。多勢に無勢であることもそうだし、俺個人を倒すことができなければ結局は元の木阿弥だからな。それは向こうもよくわかっているはず。普通ならば、降伏か和平協定のための交渉以外には有り得ない。……だが、アーリアは普通の魔王などではない」
そう、彼がただの人間で野心家なだけなら、このような盤上にはなっていないだろう。彼個人よりよほど優れたチート能力を持つ勇者二人が、策略によって落とされ囚われの身となっているのだから。
「警戒するべきは……アーリアの下についたという参謀の女。奴がどのように盤面をひっくり返してくるか、だ。実際、こうして一週間の期限が来る前に俺に会いたいと言い出して来たわけだからな」
「日高紫苑は、他に数名の仲間を選んで何かの訓練をしていた様子だったようだが。その内容までは調査できなかった」
「寝る間も惜しんで何を仕込んでいたのだろうな?……一週間が来る前に俺と会ってどんな交渉……揺さぶりをかけてくるつもりなのか、見物ではある。アヤナと同じ手が俺に通用しないことは、あちらもわかりきっているはずだしな」
期限前に紫苑が自ら交渉を行い、動揺を引き出して罠に嵌める。あれは、相手がアヤナだからこそ有効な手だった。
まず、アヤナは自らが洗脳できる相手を“男性”に絞っている。女性は本人の趣味趣向から、恋奴隷にできる対象ではなかった。同時に本人の戦闘能力は、リオウとは違って普通の少女の域を出ないレベルである。周囲の取り巻きたちを排除することさえできれば、アヤナ自身の制圧はさほど難しいものではなかったはずだ。
もっと言えば、彼女に関しては事前に女神のメリッサが、多少なりのプロフィールをぶっちゃけていた様子である。現世に飛んでパーソナルデータを調べることも十分可能だったことだろう。しかし。
――わかっているはずだな、日高紫苑?……俺は部下たちと引き離されても、一人ですべてを駆逐できる能力者だぞ?
リオウは、一人になっても十分に戦える。部下たちと引き離す策があっても意味がない。そして、サシの勝負になった時点で、相手が誰であっても勝利できるのがリオウだ。自分の戦闘能力は、必ず相手を上回る仕様なのだから。
さらに、女神ラフテルはメリッサと違い、ずっとリオウの監視下にあったわけで。いくら本人がリオウの支配から逃れたがっていても、アーリア側に情報を流す隙などまったくといっていいほどなかったはずである。わかるのは精々、リオウがこの世界の人々に名乗ったこともある前世の名前くらいのものだ。
名前だけでわかることなど、たかが知れているはず。その程度の情報では、いくら紫苑といえどリオウの動揺を引き出すことは困難を極めるはずだ。
――しかも今回は、護衛を連れてくることさえも禁じてある。女子中学生が一人きりで、この最強無敵のリオウをどのように制するつもりでいるのだろうな?
「そろそろ、時間か。……ああラフテル、もういいぞ。どうせこの盤面では、いくら唸ったところで貴様に勝ちの目はない。次の俺の一手でチェックだ」
「……っ」
ラフテルが、悔しげに目をそらす。なんともいい気分だ。次はハンデでもつけてやろうかと思う。なんなら別のゲームで遊んでもいい。
絶対的な強者の戯れほど、人生を楽しめるご馳走はないのだ。
――さて、日高紫苑。見せてくれよ……貴様と魔王の悪あがきを。
椅子を引いて立ち上がり、リオウは部屋を後にした。
自分に会いに来ると言う、愚かな小娘を迎え撃つために。




