9.判決
師匠と会うのはおよそ一ヶ月ぶりで、場所はその時もこの部屋だった。
昔から師匠の色の趣味は理解していたものの、初めてこの部屋に足を踏み入れた時は流石に色彩感覚が狂って気持ち悪くなった記憶がある。
ティナも秘書をやっているだけあって慣れているだろうと思うが、彼女も最初はやはり気分が悪くなったと言っていた。
師匠は私達が入って来たにも関わらず、その目の前の書類に羽ペンで書き込んでいた。
その様子は生徒が机に向かって勉強している様に見え、場違い感を憶えてしまったがそれを口に出すと後々何を言われるか分かったものではないので口を閉じておく。
チラッと横目でティナを見るが、この場に慣れている彼女が何か話す素ぶりも無いので私もそれに習うとしよう。
やがて書類作業に一息ついた師匠が、顔を上げ私の方を見るとその美しい顔でニコリと微笑んだ。
「25日と21時間ぶりだねグウィン。ボクの可愛い愛弟子が二人揃って何か楽しい事が起こるのかな?」
幼さを残した声で、悪戯っ子の様に訊ねてくる。
肩書きに似合わぬその貫禄の無さは、英雄という先入観念を持っている人からすると戸惑うだろう。
しかし私は昔から聴き慣れた声に何処か安心感を感じながら通例の返事を返す。
「お久しぶりです師匠。その愛らしい御顔と御髪をまた見れて嬉しく思います」
その答えに彼女は満足げに頷くと、私に接待用の席へ座るように促し師匠はトテトテと対面の席へと移動する。
ティナはというと部屋の隅の方にある食器棚の方へ向かうと、火と水の魔法で湯を作り紅茶を作り始めていた。
「最近はどうだい? 研究の方は順調に進んでる?」
師匠はその腰まで垂らした長髪と髪飾りを揺らして顔を近づける。
師匠は唯一の私の研究の理解者であり、相談相手でもある。そしてその名の通り私の知識の先生であるため、彼女とはよく実験の話をする。
「順調に進んでいる……と言いたいところですが、ついさっき想定外が起きてしまいまして」
「おや、珍しい。今はどんな内容なんだっけ?」
「精神構造の改変です。現状の生徒達に異色の固定概念を植え付けて、それがどの様な形で人格に影響を及ぼすのか。その研究をーー」
「そんなことしてたんですかあれ!? そんな常識外のことやって、全くの別人になったらどうするつもりなんですかッ!!」
丁度、ティーセットを乗せたトレーを接待机に置いたところだったティナが、飛び出さんばかりの勢いで詰め寄って来た。
いきなり話に入り込んできた彼女に驚いていると、私のその表情に瞬間理性を取り戻したのだろう。
彼女が尊敬する師匠の手前であることを思い出したようで、ひとつ咳き込みをすると早速師匠に本題を切り出す。
「……今日はその件で、お師匠様の御助言を貰いに来ました。今回のそれはかなり度が過ぎています」
そう始めながら手はティータイムの準備作業を続ける。
ティナは口を動かしながらも、私の前へと砂糖無しの赤い紅茶の入ったティーカップを置く。どうやら私が甘いものを苦手としている事を覚えているようだ。
とりあえず彼女の話は後回しにして目の前のティーカップに手を付ける。うむ、流石最高級の茶葉は香りが違う。
念のために師匠の方を窺うと同じ様に紅茶を楽しんでいた。目を瞑りながらもティナの話に適当に相槌を打っている。
これは勝ち確実だな……。
ティナは全員分の用意が終わると別の席へと座り、自身もカップに手を付けそのあらましを話し続けた。
「ーーという訳なんです。そこでお師匠様、兄様にいくつか言ってやってください!」
付け合わせの焼き菓子と一緒にその一杯を飲み終わる頃にやっとティナの主張が終わったようだ。
勝利を確証していた私はその話を一切耳に入れていなかったが、ティナの口が閉じた事で物事がやっと決まることを悟った。
師匠の方へと顔を向けると、その若い容貌に似合わずに目を閉じながら腕組みしていた。
私達二人はその様子をじっと眺め、その結論を言葉にするのを今か今かと待つ。
「……グウィン。ボクが出した『先生』という職の条件を覚えてる?」
その赤い瞳を開くと師匠は唐突に私に確認してくる。
それは確か私が教師の仕事をするにあたって、最低限遂行しなければいけない仕事の範囲のことだ。実験ばかりしていない様にノルマを課せられた。
「……覚えています。授業を行い、事務作業をして、周囲と関係を築き、そして静かに生徒達を見守れというのが最低条件でした。」
つまりはカリキュラムにのっとった簡単な授業とつまらん書類作業を行い、周囲とはーーまあ、私に人間関係を求めるのは筋違いというものだ。露ほどの努力ぐらいはするが、師匠もそのくらい理解しているだろう。
勿論、私側の条件である実験を行う場合は、その授業よりも優先度が高くなる。
だが最後の『静かに見守れ』というのがハッキリしていない。形だけなら直ぐに行動できるが、その様な事ではないのだろう。
師匠に意味を聞いても自身で解釈しろとしか返ってこないので、今のところは生徒達が問題を起こさないように監視しなさいと理解している。
もしかしてそれが間違いだったとかか?
「よし。その条件は教師としてもの最低条件でもあるから忘れないでね? うーん。それぐらいかなー」
どうやら特に言われるでもなく、あっけらかんとその話しは終わった。それはそうだろう、問題など何も無いのだから最初から決まっていた事だ。
しかし、それでは納得しない人物がここに居た。
「なッ!? どうしてですか! 兄様の実験は最悪の場合、生徒に大きな障害を残すかもしれないんですよ!?」
ティナはさすがに私の時のように怒鳴ることは無かったが、それでも納得出来ないと大きく声を上げた。
もう答えは出たのに何度もしつこいな……。
彼女の正義感は親の教育も関係しているのか昔から強かった記憶がある。それが現状に影響でもしているんだろう。
師匠は自身に向かったその声に怒るでも煩く思うことなく、ティナへゆっくり振り向くと感情を感じない平坦な声色で諭す。
「確かにティナの言っている事は世間体では正しいよ? でもこの交換契約ではボクとグウィンの二人だけの主観で決め、そしてこの学院の決定権を持つボクが認めたんだ。それを今更こっちの主張だけ通して、後から相手側のを変えてくれなんて狡いとは思わないかい? それは君の中で正しい事なのかい?」
「それは…………」
師匠の言葉に言葉を無くしたティナはまるで叱られた子供のようにシュンと肩を縮こませた。
その妹弟子の姿に少しだけ哀れに思っていると、さっきまでの声色と入れ違うようにパアッと明るい声で師匠が彼女を慰める。
「でも、やっぱりティナも正しいからね! グウィンがちょっと常識外れなのは、ちっちゃい頃からずっとだから。今更注意しても変われないんだよ!」
師匠はティナに近づくと、自身よりも高い彼女の肩に手を置いた。
そして一瞬此方に向かい怪しい笑みを浮かべと、彼女を労わるように肩をさすりながら皆に聞こえるように独り言を漏らした。
「うーん、でもそう考えるとグウィンも間違ってるよね……?」
いきなりその矛先が私に向いたことに顔を引きつらせ、おずおずと師匠の顔を覗き見る。
この展開は予想だにしていなかった……まさにあの瞬間に浮かべた師匠の笑みが、悪どく歪られていたことに後から気付くとは……!
今浮かべた表情を見ると、さっきの師匠の表情はやはり見間違いではなかった。
「君は確か『教師」の条件として見守ると言っていたね。そりゃ実験中はその契約に従って、生徒達を実験体として観ることを認めたけど……」
彼女は笑みを深めながら有罪判決を言い渡す。
「ティナの話だと、どうやらその実験以外にも生徒達に魔法を使っているようだね?」
「ッ!?」
それに直ぐ思い当たる、というよりも今朝もそれを実行したところだった。
あの魔法ーーというよりも手を打ち叩いただけだが、生徒達を黙らせたあれの仕込みには勿論魔法を用いている。
あれは汎用性が高く、特にあの常に五月蠅い学級には効果覿面なため、授業始めではよく使う頻度が多い。と言うか常に使っている。
しかし、ティナはその現場を今日を含めて一度も見ていないはずだ。……いや、私が解らなかっただけでもしかして気付かれていた……?
あり得る。そもそも実験以外の時には生徒以外に隠蔽工作を施していない。ティナが覗き見る手段はいくらでもあるし、それか師匠自ら、という可能性もある……。
嫌な汗を背中に感じながらもその表情を歪ませないように何とか取り繕う。
しかし師匠は私のその表情を確認するまでも無いと言う風に、呆然と自身の顔を見つめるティナから離れ、また元の席に座った。
そして紅茶の残ったティーカップとソーサーを両手に取ると、一息入れてからやっと続ける。
「実はね、その『見守る』というのは生徒に傷を付けないという意味もあったんだけど、判らなかったかな? 勿論、君自身からもという意味だよ。と言う訳でそれは条件に違反していると判断するから。今後はその魔法は使っちゃダメだからね」
やられたっ……! この条件を曖昧にしていたのはある種の抜け穴を作るためだったか!
「待って下さいっ! それはーー」
「これはもう決定した事だから、もう取り下げる事は無い。分かった?」
私が抗議を口走ろうとするが、それを有無を言わせず終わらせると最後に形だけの笑顔を浮かべた。
経験上はこれ以上何かを言っても師匠は聞き入れないため、言葉をなんとか飲み込み感情を誤魔化す様にこれからの事へ考えを向かわせる。
これまではあの催眠があったからこそ授業として成り立っていたが、それが出来ないとなるとかなり大きな問題になってくる……!
今度は気付かれない様に新しい魔術を施すか? いや、師匠とティナ相手だとそれは時間が掛かりすぎる。今回の潜在的な部分に魔法を仕込んだのがバレたのだ。生半可な魔法を使うのはまずいな……。
そうなると彼等を脅すしか無いか? いや、魔法が使えない今それは生徒経由で表沙汰になってしまう。やはり魔法は欠かせないか。となると……
「ふふふっ……グウィン、分かったかい?」
師匠が表情を変わらずに再度確認してくる。だが心なしかその笑みが深くなっている様な気がする……。
その表情をした師匠に、嫌という程痛めつけられた記憶を思い出した私は、考える事をやめ忠犬の様に従わざる終えなかった。
「…………はい、承知いたしました」
「よろしい」
「ところでお師匠様、今さっきメルワス先生がここから出て行くのをお見かけしましたが……」
「ああ、いつものだよ。ボクにあの加齢臭だらけの所に……」
その後、いつの間にか立ち直っていたティナと師匠が何やら話していたが、この後の授業への対策を考えていた私には耳に入らなかった。




