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8.師弟

 この学院はこの王都一廓を占領した敷地にいくつもの施設を建物ことに備えている。

 最先端の研究が行われている研究練、王国随一の図書館に数多の学生寮、在籍者全員を収める事の出来る広大な闘技場に教会、歌劇場まで何でもござれだ。

最早、この地区だけで一種の都市と呼ぶことが出来てしまう。

 その中でもこの敷地内ならどこからでも見えるほど高い時計塔がある。その建物は総合教務練と呼ばれ、この学院の象徴的建築物として、また中枢機構として機能している。

 私達はその総合教務練の最上階にある、理事長室へと向かっていた。


 朝と同じ様な廊下をティナの早足に私が合わせる形で二人並んで歩いている。

 晩春にしては肌寒い空気が廊下を満たしているが、恐らく彼女から感じる冷たい雰囲気も関係している事だろう。

 人気がない其処には二人分の床を叩く音以外の音は鳴らず、教室を出てから私達の間には一度も会話が無かった。

 普段は他人のことなどあまり気にしない私だが、それは近しい人になると話は別になる。一応妹分なので彼女の気に触れない当たり障りの無い話題を振る。


「……御家族は元気か?」


「……ええ、先日連絡を取りました。両親は相変わらずで、お父様は尻に敷かれている様です」


 その話題は正解だったのであろう。彼女は若干表情を和らげ話に乗っかってきた。


「そうか、本当に昔から変わらずだな。エディナは今どうしている?」


 彼女の家系構成はその両親と一人の姉がいる。両親はどちらも優秀な魔術師で王都に実家をかまえており、その姉エディナは何番目かの王女の専属側近をしていたはずだ。


「お姉様からも連絡がありました。どうやら王女様の御用が済んだらしいので、近いうちに王都に帰ることが出来るそうです。元気そうでしたよ?」


 身内の事を話せるのが嬉しいのか、ティナはその小柄な顔に柔らかい笑顔を浮かべる。

 最近では私に怒りを滲ませた表情を向ける事が多いため、その笑顔は久しぶりに見たかもしれない。

 彼女の歩みはゆっくりとなり雰囲気も先ほどより柔らかくなったことから、大分感情も収まったのだろうか。そうなると幾分か二人の話題の幅が広がる。


「それは何よりだ」


「にい、先生こそ……今はいいですね。兄様の方こそご実家の方とは連絡を取っているのですか?」


 彼女は一瞬言い淀むと以前からの私の呼び方に直して聞いて来た。

 どうやら学院関係者の前では同僚として『先生』と呼ぶことにしたのだそうだ。

 だが、それも二人の時は別らしい。


 以前はそう呼ばれるのが普通だったが、今になると若干の違和感を覚えてしまう様になった。兄弟子だから兄様……子供の時ならまだいいんだが、彼女ももう20歳で立派な大人である。もうその呼び方はやめた方がいいんじゃないか……?

 その事を言うと不機嫌になるので今は言わないが。


「……直接は取っていない。伯母の方から私自身の話は伝わっている様だが」


「もう、すでに何年目ぐらいになるんですか? なんかお母様の方にもご実家から何度か連絡が来ているそうですよ。絶対心配されています兄様」


 なんでもない会話をしながら角を曲がると、直ぐに荘厳な大きな二枚扉が見える。どうやらもうすぐ到着らしい。


「本当か? 何故其方に連絡が行くんだ? ブリジェンド家には関係無いじゃないか。一応、実家には生きているという知らせは届いているだろうに。そんなに心配することかね」


「またそんな捻くれたこと言って……それと、話自体は別の内容だったそうですよ。そのついでに聞いてきたそうです。あとーー」


 目的地まで数歩のところで、いきなりその二枚扉の片方が開く。

 あまりに個人的な話をしていた私達はその話を急遽切上げ、部屋から出てくるだろう人物を確認する。


 ……全く面識が無いな。

 と言っても同僚の顔すら殆ど覚えていない様な私だから何処かで会っていても判らないだろう。


 背の高い若い男性だ。歳は私より少し下くらいか。体躯はスラッとしていてその紳士的な服装を着こなしている。整えたその黒髪とその下にある甘いマスクは服装も相待ってさぞ女性受けするだろう。

 私の襟の折れたワイシャツに白衣を羽織っただけの格好とは正に天と地の差だ。


 彼は扉の奥の方に軽く頭を下げると静かに扉を閉めた。そして振り向いたところで私達にやっと気づいたらしい。


 無表情のまま瞼を大きく開き驚いた様子を一瞬見せたが、直ぐに彼はその顔に微笑を貼り付けると。此方へと近づき、ティナに向かって優しい声で挨拶をする。彼女は明らかな作り笑みで答えた。


「これはティナ様、ご無沙汰しております」


「……メルワス先生も、お元気そうでよかったです。ところで理事長に一体どのようなご用で?」


 ティナは口調と表情を少し硬くして問うが、それを彼は声変わらずに答える。


「少し理事長にお話があってですねーー」


「そのような場合は一度私を通して下さいと、以前も申し上げたはずですが……?」


「えぇ、そう思い出し探したのですが不在だった様で、私も急を要していたので仕方なく直接理事長の方にお伺いいたしました。申し訳ありません」


「……すみません、私も言葉が不足しておりました。次回からそのような場合は補佐のシネイドの方にお願いします」


「分かりました、その様にしましょう。それでは其方もご予定があるようなので私は失礼します」


 彼は悪びれた顔をしながら首を下げる。

 そのまま私と視線すら合わせずに去って行くのかと思いながらも、彼はティナの隣を通って行く。

 だがそのすれ違う一瞬、その反対側に居た私に鋭い目つきを向ける。私はそれに気づくと彼は直ぐに視線を切り、そのまま何も言わずに歩き去って行った。


 ?? あの視線は私が何かやらかしたからか? もしかして何処かで会った事があるかもしれんが……思い出せないな。

 となれば素性を聞けば何か解るかもしれない。ティナはどうやら面識を持っているようだが、あまり良い雰囲気では無かったな。


「彼は?」


 一言で大雑把に彼女に問いかける。長い付き合いだしそれで理解するだろう。

 彼女はその硬い表情を崩し、何かに対する溜息を小さく吐きだと私情を挟んで答えをくれた。


「メルワス・メリガント、23歳。中等部の3年C組の担任でメリガント侯爵家の長男。この学院の既卒者でかなり優秀だったみたいです。それに確か王国主催の魔法大会で準々決勝まで勝ち進んだから実力も相当のようですよ?」


「それは凄いな。あの容姿で頭も魔法も家柄まで良いとなると女子に人気だろう?」


「えぇ、中等部の女の子達からは人気があるようです。ですが、私はあの色目を使った態度が苦手で……他の既卒者に聞いたところ、どうやら学生の時はあまり良い噂がなかったそうですよ? それを今では全く耳にしないところが怪しいです」


 ティナはメルワスが去って行った方向を女の敵を睨むようにして眺めていた。


 侯爵ね……やはり、記憶にないな。そもそも侯爵ともなればその肩書きで私なら覚えている。

 少なくともそのメリガント家には関わったことなどないし、一度も聞いたこともない。

 となると彼方の一方的なものか?


「それで? 彼とは以前に理事長とのことでもめたことがあるのか?」


 実は彼女のこの学院での肩書きは副担任ではなく、理事長の秘書と言った方が正しい。

 正直なところこの学院においては彼女の方が立場は上なため、彼女の言う事は従わなければならないのだが、そこは師弟の差というところだろう。

 立場上この様な内容は彼女の方が詳しいし、どうやらこの件では当事者の一人の様だ。本人に聞くのが良いだろう。


「揉めるという程のものではないです。……ただ、勧誘が」


 彼女は私の顔を窺うと、その理解していない様子を見て「やっぱり……」と無知なことを予想していたと言わんばかりに漏らし、その経緯を最初から説明してくれる。


「……メリガント家は王宮の派閥の中では第二王子寄りの派閥に属しています。その中でも現当主の発言力は強くて、それを継ぐ子息の彼では役不足と言われているらしいです」


 またちらりと此方を窺うとそのそのまま続ける。


「メルワスはその現状を解決する方法を探しています。今は戦争状態ではないので武勇を上げることが出来ない。年若いため他国との繋がりも無い。現在の職業で名を売ることも難しい」


「つまり、強い影響力を持つ人物と関係を持とうと考えた訳か」


「えぇ、おそらくそういうことです」


 そんな事は貴族として常識ですと、彼女は一言も付け加えた。


 流石にそこまで言われたら行政に疎い私でも理解できる。

 彼はこの国での魔法の第一人者とも言える理事長と繋がりを持ち、家の属する派閥へ紹介したいのだろう。

 そうすると派閥への功績として名を上げることが出来る。


 しかし、その考えにはひとつ大きな問題とひとつの間違いがある。


 ひとつの間違いはその影響力を持つ人物の、その影響力が国を傾けるほど強すぎることだ。

 その彼女はこの国随一の教育機関であり、また世界中で著名の魔術師の出身校でもあり、そのまた現代魔法の総本山でもある王立魔法学院の理事長であること。

 その彼女は20年程前の内戦と6年前の帝国との戦争では英雄と呼ばれ、魔術師としては世界で5本指に入るほどの実力者だと言うこと。

 つまりこの社会全体のカリスマであり、尚且つ一人で国を滅ぼす程の力を持った人物がひとつの派閥に入ったら、国の均衡は崩れ落ち王族全体は没落してしまうだろう。それを見越せ無い貴族達ではないと思う。


そして問題とは、彼女は絶対にそれを聞き入れる事はないと言うこと。


 ティナと私は共通の答えを得たことにより会話を終了させ、目の前にある本来の目的を遂行する。

 私達はこの扉の重さがどれ程のものか理解しているつもりだ。しかし、彼女の弟子であればそれは他人に比べると日常であり痛い程染み込んでいる。


 私が二枚扉に付いている金具でノックをすると、中から声を返ってくるでもなく勝手に両方の扉が開いた。


 その部屋は理事室と呼ぶには広々としていたが、それより先に目を引くのはそこにある物が壁と床以外、全て赤色かピンク色に染められていることだ。

 本棚、接待用の椅子や机も事務机もどれもこれもその色に染まり、中には子供っぽい花柄が入っているものもある。


 そしてその中央に置かれたピンク色の高級書斎机にひとりの女性が座っていた。

 血のように赤黒い髪にルビーの様な瞳、その容姿は美しいが幼くその丸いあどけない瞳と小柄な体躯は、私の学級の生徒達と同世代の様に見える。またその身に纏っているのが高等部の純白な制服だというのがそれを強く連想させた。


 エリン・グリフィズ。


 この学院の理事長であり、私達の魔法の師匠。

 そして今年で45歳となる私の伯母がそこに座っていた。


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