6.実験結果
と、とりあえず全員が魔術に掛かったことは確認出来た。
聖女は親指を吸うのに忙しそうなため、あまり邪魔をしないようにしておこう。
私が求めているのは一般的な被験体で、例外を含めて行うのは実験を長期化させる必要がある。勇者とあれは例外と言わざる負えないだろう。
彼女のあれはどう見たっておかしい。いや、そんな生易しい言葉では足りない。そう、狂っている……。
正直今の彼女にはあまり近づきたくない……。あれは無視しておこう。
予定通り、生徒達の精神状態は赤ん坊の頃まで逆行ささせ、指を……親指を咥えさせるところまでいった。
ここまでが前準備だとしたら、次こそが実験のメインな課題となる部分だろう。
即ち、成長と共に学んだ経験がスッポリと抜けた空っぽな頭の中に、私が教える新たな経験を植え付ける。
似たところで言うならば動物でいう刷り込みと同じような現象であろうか。
例えるならば、『1』という数字があるとしよう。
物を数えるにはまず最初にその1という数字の意味を知り、順番に2、3と段々と大きな数字を学んでいく。
2つあるリンゴの個数を答えろと言われれば、まず1と数え始めて2と続きリンゴの個数を理解することが出来るだろう。
すると1はその物事の最初の基準となり、計算を行うための基盤になるということになる。
だがもし私がその『1』という数字の意味を変えて、無という意味の0だと教えればどうであろうか。
そうなると2つのリンゴを数え始める時にまず『1』から始まらなくなる。
それだけに留まらず1が『1』に変わったことにより基盤が崩れ去り大きな穴が開くため、その穴を埋めるのに複雑に頭は処理しようとするであろう。
この実験の趣旨はそこに強く存在し、先入観を根本から変化させることにより後々の処理がどの様な結果を生み出すか、それを調べる為にある。
今回の実験では、いまの例え話のような根本的な概念を変えてしまっては私にもその結果は予想がつかないため、もっと悪影響が少ないところを突くとしよう。
仮にも親から預かった可愛い可愛い教え子達なんだから、そんな廃人になったりどこか欠如した状態で返す事は……多分ない。
水っぽい音が至る所から響き渡る教室を見渡し、例外を除く条件の良い生徒を探す。
まぁ、誰でもいいんだが……そうだ、私にちょっかい出してきた王族の金髪にするか。
確か彼は魔術を発動して最初の方には効果が表れていたはずだから魔法への抵抗力は並程度であろう。ということはこれだけ時間が経っていれば完全に魔術の影響下に入っている。
一応、魔法の抵抗力については想定の範囲内だが、念には念をだ。あの勇者達はかなりのレアケースだから気にする必要は無いな。
まずは彼の意識をこちらに向かせるため、その席まで近づくと机を挟んだ対面にしゃがみ込み彼の双眼を覗き込む。
「……」
「チュッチュ……ッチュ……あぶぅ?」
そのまん丸なその双眼が真っ直ぐ見つめ返してくが、興味をなくした様にすぐ視線を切ると足の親指をしゃぶる作業に戻り、また耳障りな音をたて始める。
さて、ここからがこの実験の一番難しいところだ。新しい事を憶えさせるその刷り込みを行わなくてはならないのだが……。
難しいというのは、これには魔法を使ってはいけないという制限を掛けたためだ。
スクロールによる魔術が今も発動しているため、またその融和作用も同じく効果が表れている。
つまりそれ系統の魔法に抵抗力がないままその魔法で物事を植え付けると、空っぽの頭にはその影響が強く表れてしまう恐れがある。
そうなると最悪、元の人格が崩壊したり全くの別人となってしまう可能性があるのだ。
そこで魔法による力技が駄目になると、かなり方法が限られてくる。
それにここで補足しておくと彼等の精神状態は一種の幼児退行の様なものに近い。つまり赤ん坊を相手にすると想定しなければならない。
そう考えると私が考え付いた方法は4つ。
ひとつ目は語り掛ける。
人によっては拍子抜けするほど簡単かも知れないが、これが私にとっては難しい……。
つまりは相手は幼児退行の様な状態ならば、赤ちゃん言葉で話し方で語り掛けるのが望ましいのだ。
ーー〜〜でちゅねー、チーチー、パンパ……
……言えるか!!
一体何のプレイなんだ……私にはそんな特殊な性壁は持ち合わせていないし、赤ん坊など周囲には今までいたことはないから、そんな言葉一回も口に出したことないんだぞっ!
私自身プライドが高いことを重々自覚しているんだ。こんな言葉は死んでも言いたくない。
その代わりの手段として魔法で録音するという手段もあったにはあった。
が、そんな事を人に頼めるだろうか? アリスにやって見てくないかとお願いをした時の反応なんてそれは酷かった。
顔を引きつらせ「私には無理ですごめんなさい、大人を赤児のようには見ることは出来ません」と、私を見ながら本当に申し訳なさそうにしていた。
まさか何か勘違いをしていると弁解しようとしたのだが、彼女はそのまま逃げるように去りその後はもうその話には一度も触れていない。
そんな事もあってこの手段は使えないのは確実だ。
2つ目は手を上げる。
つまりは体罰を与えるということ。これは簡単だが効果があまり無いと考えられる。
それに結果として恐怖だけしか残らないというのが私の最終的な見解だ。
罰を与えそのトラウマを植え付けるという方法だが、赤ん坊ではその原因と意味にすら至らずに終わってしまうだろうと思われる。
3つ目は歌って聴かせる。
これも私には出来ない。子守歌を知らないし、作ることも出来ない。ましては印象に残せるほどの歌唱力など持ち合わせていない。
という事でこれもアリスにお願いしたら「……それなら」と申し訳なさそうに以前の事を後に引いてる様子で了承してはくれたが、逆に断った。
4つ目はおもちゃで教え込む。
これも難しい方法だ。まず、おもちゃでは憶える内容に多様性を持たせられないため、目に見える結果が得られるか不明だ。
そもそも本人達も赤ん坊の頃はおもちゃで遊んでいたであろう。今一度その時と同じ事をやらせ、結果として何か得られるかと考えると正直望み薄だと思われる。
ということは結局ひとつ目の語り掛けるという方法を行わなくてはならない。
しかしな…………いやもういい、普通に話しかければいいじゃないか。
それで望ましい結果が出なかったら次回に持ち越そう。
そうすると刷り込む内容はなるべく結果が分かり易いものがいいだろう。
適当に豚の鳴き真似でもやらせるか?
……うーむ、それだと面白くないな。インパクトが無いと言うか。もっとこう、後への影響が弱いが精神的ダメージが大きいものにしたいな……。
例えばそう……厨二病を発症させると言うのはどうだろう。
俺の左目が疼くとか、ラグナロクが起きるとかそんな事を言わせるのだ。それはもうイタい生徒になるだろう。
教室で一人無意識にイタイ発言を繰り返す生徒、その様子を奇妙な様子で見るクラスメイト達。
そして原因を知る私はその無様な様子をこの教卓からゆっくりと眺めるのだ。ハハハッ、なかなか良いアイデアだな! どの様な設定を刷り込むか考えるだけで段々と楽しくなってきたぞッ!
「いいか? よく聞け。お前はこれから闇の力に目覚める。この世界はやがて闇の世界に呑まれる運命で、そうだな……お前の前世は闇の帝王と呼ばれるものだったのだ!」
「……ッチュッチュ」
「お前は前世の記憶を思い出し、再び闇を支配するべく現支配者の暗黒帝を倒すことを誓う。それで、えー…………何だかんだで力を隠しつつもこの学院で日々を過ごすことになったのであるー!」
「ンマンマ……あぶぅ?」
「ハッハッハッ! なかなかいい設定ではないか。これは後が見ものだな! なあ、そう思わないか?」
「ンー??? …………チュパチュパ」
首を傾げた彼は私の話に瞼をパチパチと何度も震わせて返すと、さっきの事など素知らぬ様にふたたび指をしゃぶりだした。
……ん? まさか聞こえてなかったのか? いや、こんな近くで話しているためにそれはあり得ない……
目ぼしい反応が返ってこなかったが、もしかしてこれで一応刷り込みは終わったと見ていいのだろうか?
しかし、初めての事を知ったには無反応過ぎる。意図的に無視しているか、それか話の内容を理解していないかの……ッ!?
……もしかして、言葉を理解していないのか?
可能性はあるな……。今の状態は理性を一時的に退化させ、ある種の特定の行動ーーつまり指しゃぶりを連想させている。その理性と共に一部の知性も退化したという事があってもおかしくない。
確認する手立ては本人に確かめるしかないが……。
「……私の、言っている言葉が、分かるか?」
「ッチュッチュ、ッチュ? チュパッ…………マンマ?」
彼はしゃぶるのを止めると、赤ちゃん言葉で意味するところの食事のこと示唆した言葉で返してきた。
……マジ、でか……。
これは大きな計算ミスだ……。
まさか言葉を理解できなかったとは考えも付かなかった。
思い出すと今まで行ってきた洗脳紛いの行為には言語という媒介があった。
術者の言葉によりその意味を理解して対象は自身の内に取り込み、それを行動として実行する。それは会話という言語を理解する人間ならではの過程であるし、またそれを利用した催眠の基本だ。
まさかそんな事を忘れていたか……全く、私はなんとも情けない研究者に成り果ててしまったんだ……。
ーーカチャ、バンッ!
水っぽい音だけが鳴っていた教室に、いきなり扉を乱暴に開けた音が響いた。
私は心のショックでそんな事を気にする暇が無いが、一応確認の為だけに呆然と教室の入り口へ振り返ると、そこには身綺麗な赤みがかった金髪の若い女性が立っていた。
彼女は誰かを探す様にキョロキョロと頭を動かしていたが、立ち上がった私の視線に気付くと睨み付けて返しズカズカと教室の中に踏み入ってくる。
そこで初めてその異様な教室の空気に気付いたのだろう。
「……何これ……」
一瞬呆然とその教室の光景を見渡し、そう漏らすとハッと何かの答えに行き着いたかの様に肩を震わせる。
そしてゆっくりと今度は驚いた顔で私へ振り返ると、途端にその視線と勢いを鋭くして私に詰め寄ってきた。
「やっぱりっ! ちょっとグウィン先生! 貴方またやったんですか!?」




