5.実験
予め実験専用の術式を構築し、それを転写した特別使用のスクロールを教卓に広げる。
これを媒体とし魔力を込めるとその魔力量に伴った時間分、スクロールが継続的に魔術を発動していてくれるという代物だ。
これを自動で発動し、私は観察しながら緊急時の対応が出来るように待機しておく。
「それでは、早速始めるか」
効果範囲はこの教室内だけに限定して、スクロール触れ魔力を少し流す。
始めて数秒は特に変化は観られなかったが、1分も経たない内に徐々に効果が現れてきたようだ。
数名の生徒が片腕をゆっくりと口元へと持ち上げ、手を親指を立て他の指を握り込む。
そしてゆっくりと親指をその小さく開けた口へと含んだ。
「「チュッチュ……チュパチュパ……」」
無言の教室にチュパチュパと指を吸い上げる音が数多く響く。
うむ、とりあえずは魔術の発動を確認できたな。
この魔術は精神の一部を退行させ、指を吸っていた頃を思い出させるという精神誘導系の魔法の亜種だ。
本来この類の魔法は人の精神状態に影響を与え、誰かを眠らせたり洗脳や思考を混乱させたりするものだが、方向性をかなり限定し尚且つ強いストレスを与えればこんな事も可能なのだ。
あまり魔力を注ぎ過ぎると強く影響を受け過ぎ、後遺症が残る恐れがあるため弱めに魔術を行使する。
少し時間も経つと、大半の生徒は指をしゃぶり出したが、またチラホラと両腕が持ち上がっていない者がいるな……。
うーむ、生徒個人によって魔法の効く時間が違うのは、恐らく個人の魔法に対する抵抗力の差であろう。
一応成人魔術師を想定として数十秒必要という計算だったから、曲がりなりにも英才学級の彼等はかなり優れているだという事だ。
だが、それも時間が解決してくれる。
私が仕込んだこの術式にはある種の融和作用が付与されている。毒に慣れさせそれに順応させるという事を人は古くから行われているが、それと似て非なる原理だ。
最初は抵抗していたものが、身体が学習しそれに対する免疫を創り出す……その様に身体を騙しながらその抵抗力を減らし、ゆっくりとその魔法が蝕んでいく。
やがて彼等全員が魔法にかかるのももう間もない。
ーーチュッチュ……チュッチュ……
ーーチュパ、チュパ……
ーーッブー……チュッチュ……
……しかし、何というか……この光景は、場違いな感じが強いと言うか……すごい背徳的な行為をさせているかのようだ……。
彼等も、もう少しで身体は大人になるであろう年頃だ。そんな年頃の子達がみんな揃ってこの無音の教室で指を吸う音を響かせる……。
何とも心がスカッとする絵面だろうか。
思い出してみろあの授業が始まる前のあの態度に私への侮辱を、そしてこの恥辱の光景を。
ブッ……ほくそ笑みが浮かんでくる……フフッ……いや、いけない。これは実験なのだ、断じて意趣晴らしなどではないからな。
さてさて、あの金髪の王族はどんな様だろうか。
「ンー、ンーっ! チュッチュ……」
……吸っているな、吸ってはいるが手の指じゃない…………それは足の親指じゃないか?
わざわざ靴と靴下を脱ぎ捨て、椅子の上で片足を器用に口元まで持っていっている。
確かに、どの指を吸えと的確に指示した訳でもないし、構わないのだが……。
しかし周りは皆ちゃんと手のを吸っているんだぞ? やはりコイツがおかしいのは間違いない。
もしかして幼い頃に何かあったのだろうか……。予想外の一面を晒されて酷く動揺してしまう。
……まさか他の生徒もこんなのがいるのではないか?
全体を見渡すがそんな分かりやすい格好をした生徒は見当たらない。
いや、多少おかしいのはチラチラ見受けられるのだが……。
例えば後ろの方の女子……あれは確か公爵令嬢だった記憶がある。
彼女はちゃんと手の指を吸っている。吸っているのだがその方法が独特だ。
まず口元にあるのが片手だけではなく両手だ。右手を口に含み、左手はそれを隠すように口周りを覆っている。
まるで食事の作法の様だ。
それに左手の下に隠し切れていないスカーフが見えている。どうやら右手をスカーフで覆いそれごと口に入れている様だ。
上品なのはいいのだが行為が行為なためそれは意味を成してはいないのでは? 確かに布を口に入れる子供はいるが……。
その他にも……ん?
あの物を投げてきた問題の生徒、近衛隊の短髪も指を吸っていない。それに体が正面を向いてもいない。
最初の洗脳が効いていないのか……いや、さっきは確かに皆と同じ姿勢をしていたはずだ。という事は精神誘導魔法を受け、それによって体制を変えたと考えられる。
ならば何故と体と視線の先を見ると、そこには公爵令嬢がいた。
いや違うな。公爵嬢を見ているがその顔を見ている訳では無いようだ……。
そのもっと下……つまり両腕に挟まれただでさえ大きかったのが更に強調されたその胸に、ギラギラと光らせた視線を注いでいた。
……何故だか嫌な予感がする。
ーーガタッ!
そこで短髪はいきなり席を跳ねる様に立ち上がった。視線は公爵嬢に固定したままで、もちろんその足取りが向かう先は決まっている。
マズイ!? 何を仕出かすかは容易に想像が付くがそれはやってはいけない……!
二人の席は数歩というほどに近く、私が走っても間に合わない……ならばと、もしもの緊急時を想定したある物を自宅からヤツの口元へと魔法で転移し、それを代用に使う。
新鮮なミルク入りの哺乳瓶……念の為にとアリスに用意をさせておいたものだ。
「っぶ!? …………ッチュッチュ」
いきなり口に物が入ってきた事に驚いていたがミルクの味がしたのだろうか、そのまま哺乳瓶を吸い出すと満足したように席へ戻り大人しく飲み始める。
ふぅ……何とかなったか……。
先日、もしかしたらと魔法が効き過ぎてそれ以上に精神が退行してしまう可能性を思いついたが、もしもの時の対処法を考えておいてよかった……。
昨日アリスに哺乳瓶とミルクを頼むと暫く怪しむような目付きを向けられたのは酷く後悔したが。
…………
……おい短髪、それを飲んで落ち着いたろう? 食事を貰って満足しただろう?
頼むから、その公爵嬢の胸をガン見しながらミルクを飲むのはやめてくれ。
§
「「チュッチュ……チュパチュパ……」」
念のために5分程間を取ってみたが、特に問題も起こる事無く皆指を吸っている。
基本的に実験には不確定要素は付き物で、それのために事前に対処法は考えておくものだ。
今回の実験は前例が無いため未知の領域を予想しながら探り探り行っているが、大体そのような実験は魔法の歴史上最初は失敗に終わっている。
魔力を制御できずに爆発したり、また想定とは違い何も起こらなかったり。たまに噓から出た誠みたいな事もあるが。
それと比べれば今のところ問題とは言うほどでも無いだろう。
実験は順調に進んでおり、生徒達は全員指をしゃぶり吸っている。
ここで第一段階は終わったといっても良いのだが、まだ不確定要素が残っている。
いや、全員といったが言い足すとこの二人を除いてという意味だ。
教室の後ろの方に隣り合ったその男女……勇者と聖女だったか。流石にこの二人の肩書きだとそう易々と魔法にかかってはくれないか。
二人は何かに耐えるように頭を下げて肩を震わせていた。
まさか間接的といえ私の魔法にここまで耐えるとは……今までに数えられる程しか記憶がない。
確か、以前に行った実験の時は私が直接魔術を使ったため、その抵抗力を気にする必要は無かったが……これは次からは少し工夫をしないと。
もしかしたらこれ以後、魔法が効かないという事態が起こるかもしれない。
だが、今回の心配は無用だ。
この魔術の融和作用は少しずつ、能力関係無く効いてくる。
実はこの融和作用はこの実験とは別の時に考え付いたもので、この部分を完成させるのに掛かった時間はこの精神誘導魔法の比ではない。効果には確信を持っている。
ん? 勇者が動いたな……どうやら両腕を前へと伸ばしたようだ。どうやらやっと効果が出たらしい。
彼はその両方の手のひらを広げ合わせると小指から一本一本ゆっくりと組み合わせていく。
そして親指を二本残す形にするとその状態で瞑想するかのように瞼を閉じ、じっと何かを待つ。
……おい待て。そのパターンは考え付かなかった。一体何をしようと言うんだ?
ッ!? 待て、対策が出来てない! 今起こせる行動は指をしゃぶるということだけだ。それがもしも別の行動を起こそうとしているならば、今の精神状態ではその力で何をするか分かったものでは無い!
まさかこんな所で予想外な行動をするとは思わなかった……何故、二本立てたのだ!? 何をするつもりだ!? 予想が……出来ない!
ーークワッ!!
勇者が突然目を見開く。
そして……その親指を……その2本を口に勢いよく突っ込んだ。
…………
彼はニヒルに口角を吊り上げながら指を吸い始める。
「チュパ、チュパ、ッチュパ……」
その様子は、俺にかなう奴はいるまいという自意識過剰さを垣間見れた。
幼い頃から純粋な心などは無かったという事だろうか。その様は既に自身は他の者よりも上にいると確信しているかの様だ。
何故、親指が2本だと優れていると思えるのかは知らないが。
「ハァ……」
思わず気の抜けた溜息が出てしまう。
いきなりの事でかなり慌ててしまったな。魔法が起こす素振りでもしたものなら、もしかしたら緊急処理を施していたかもしれない。そうなると後々面倒になる……。
この様な事態にこそ平常心というのが大切なのについ単純な思考をしてしまったな。未遂で済んだとはいえこれからは気を付けなければ。
気持ちを落ち着けるため再度勇者の様子を確認するが、此方の心情など関係無いとばかりに勇者はそのイラつく表情で他の生徒と変わらずに大人しく指を吸っている。
そしてその自尊心故に他人へ見せつけたくなったのだろう、勇者は見せつける様に隣の席へ顔を向けると……何故かそこで指を吸うのを忘れた様に固まってしまった。
まるでありえないものを見てしまったと、何かに絶望したかのように瞳を濁らせて。
何かあったのかと私もその視線の先に目を向けると…………
聖女が両手、両足の親指をその小さな口に咥えこんでいた。
…………4本、だと……!?




