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4.モルモット

「うっ……気持ち悪い……」


 コツコツンと不規則に革靴の鳴る音だけが響く。

 美しい細工が辺りに散りばめられた真っ白な広い廊下を私は一人歩いていた。


 王立魔法学院の高等学部校舎。

 校舎の4階には新入生の学級が宛てがわれており私の担当する学級も例外なくそこに含まれている。


 この学院は王国の多大な援助を受け、児童教育から高等教育までの広い世代を育成する機関としての役割を担う一方、魔法の先端研究をも行なう正に王国内の魔法事情の中心とも言われる。

 王都で一番の敷地の広さを有するその一廓は学園地区とも呼ばれ、王都という土地柄も関係するためか生徒や学院の関係者は上流階級や名の知れた人物が多いため、幾つもある校舎の外装は全て芸術品並みに整えられている。


 そしてこの高等学部校舎も例外では無い。

 この無駄に広い廊下を一人で歩いていると、何処を歩けばいいのか今だに困惑してしまうことがある。当初のその迷っている様は、高貴な人々からはさぞ滑稽だったであろう。

 しかし、今はそれとは別に顔色を紫に変え、腹と口を手で抑えながらもふらふらと右へ左へと歩く私を見たら笑い声ではなく悲鳴が聞こえてきそうだ。

 ……授業直前で誰も廊下にいないのが幸いだったな。


 覚束(おぼつか)ない歩みでやっと廊下の突き当たりまで着くと、目的とした教室の扉が目前にある。


「ハァ…………」


 ーーゴーン、ゴーン……


 扉を前にしてこれから起こることへの溜息が漏れ出すが、それと同時に一時限の授業開始を知らせる鐘の噪音が鳴り響く。

 気分は最悪だがしょうがない、こんな醜態で顔を出す事など出来ない。

 外見だけでも良く見せるために背筋を伸ばし、羽織っている真っ白な白衣の襟首を整えひとつ小さく深呼吸をする。

 よし、気持ちを入れ替えたら気分も良くなったような気がする。多少は顔色もマシになったんじゃないか。


 扉の戸に手を掛け、わざと開けた音が聞こえるように扉を強めに押した。


「おはよう」


 静かな廊下と打って変わって教室の中は騒がしかった。

 教室に入り挨拶をするが、あちこちでうるさく聞こえた話し声に掻き消されてしまう。

 いくつか視線が此方に向き中には返事を返したと思しき者もいたが、およそ半数ほどは私のことをいないものとしてそのまま会話を続けていた。


 気にするでもなく教卓まで行き生徒の方へ向き直り少し待つが未だに半数はうるさいままだ。


「おはようございますだろ? セ・ン・セ・イ」


 そこに向いて右側の窓近くにいた、いかにも貴族風な金髪長髪の男が(あざけ)るように薄く笑いながら教室全体に聞こえるように言ってきた。その馬鹿にした口調につられて小さく嗤い声があちこちから漏れ出す。


 彼は確か王族関係の家系だったか? 生徒一人一人の名前は憶える必要が無いため分からないが、顔とその経歴くらいは最低限記憶してある。


 私はその態度を注意するわけでもなく無かったものとして扱う。

 あまり構うと後々の結末は今までの経験上で検討がついている。


 彼はその対応が気に食わなかったのだろうか、ワザとらしく馬鹿にしながら続ける。


「もしかして説明しないと解らないのか? 目上の者には敬語を使うというのがこの社会のルールなのだぞ。今の挨拶では不適合だというのが理解出来てるか?」


 それに次いで別の女性の声がまた響くように言った。


「アレクサンダー様、それは貴族社会と言うものを知っていなくては理解できませんわ。相手はただの教師ですのよ? そのことを知るはず無いし、教えても今後それが役に立つことはないでしょう?」


「ハッハッハ! それはそうだな。いや私が間違っていたメアリー嬢。しかしそんな無知な役立たずが我らに何を教えようと言うのだ。なあ、センセイ? ただ授業の邪魔するだけならここから出て行ってもいいんだぞセンセイ?」


 教室からはさっきよりもあからさまな嗤い声が聞こえてくる。

 それを私は感情を表情に出さず、無言でただ教室が静かになるのを待つ。

 しかし今の嗤い声で調子付いたのであろうか、その騒音は五月蝿くなる一方で静まる気配も無くなった。


 ーーシュッ


 するといきなり、どこからか鉄製の小さな棒が私の頭を狙い飛んで来た。それを直ぐに気付いた私は頭を傾げることで余裕をもって躱す。


「チッ、また避けたか……」


 物が飛んできた方向に顔を向けるとその犯人と視線が絡み、その体格の大きい短髪の男子生徒が挑発するように頬を吊り上げた。


 またか……確か、彼はどこかの近衛隊に所属している生徒だったか……? また危ないことをする奴だ。

 彼は入学当初から私へとちょっかいを出す事が頻繁にあった。何度も注意はしたが、まさか今度は物を投げてくるとはな……。

 普通なら下手をすれば大ケガになるかもしれんぞ、私だったから問題はないが。


 周りはそんな一大事が起きたかもしれない事を気にも止めずに思い思いに会話を続けている。


「セラ様、実は昨日美味しそうなケーキ屋を見つけたんですよ。隣の席になったのも御神の意図した事かもしれませんし、友好を深めるためにご一緒に行きませんか?」


「主人の……いえ、わたしは……」


「あ、大丈夫ですよ? 流石にいきなり二人っきりということはないので。他のクラスの女子達もご一緒しますので宜しければどうでしょうか?」


 あぁ、五月蠅い……


「あら、あなたもセンセイと同じでここから出て行ってもいいのよ? 男爵位なんて爵位は有って無いものなんですからご身分は一緒でしょ?」


「そんな……嫌です。私は……」


 ……五月蠅い、マジ五月蠅い……


「オイ、後で訓練所まで付き合ってくれないか? 実は昨日から新しい魔法の練習をしていてよ。ストレスを……いや、その魔法の威力を試して見たいんだ」


 ………………ウルセェェェェっ!!


 ガヤガヤとうるさい教室の中、私は無言で両手を胸の前へ持って行く。

 そして軽く、しかし教室内に響くよう手を打ち合わせ音を鳴らす。


 ーーパンッ


 すると、あれだけ騒がしかった教室が途端に静寂に包まれる。

 そして小さく体をゴソゴソと動かす音がいたるところから仕出す。


 横向きに座っていた生徒達は無言のまま膝を机の下の入れるように座り直し、他に何か作業をしていた者も手を膝の上に置き、背筋を伸ばし視線を真っ直ぐ前に固定する正しい姿勢になる。

 全員が背筋を伸ばし視線を真っ直ぐに向けている。


 まるで先程の光景が嘘だったかのような光景になった。


 ……なに、簡単な事だ。言ってダメなら実力行使で訴える、端的なやり方だろう?


 私が手を叩くと脳の仕組みが少しだけ入れ変わって模範的な生徒に変身する。

 事前にちょいちょいと魔法で洗脳を施して、後は手を叩くだけで静かになるという単純な仕組みになっている。

 もちろんバレないように後処理は完璧に行っているし、保険もかけてある。表沙汰になることはまず無い完璧な隠蔽だ。


 我ながら上手くいったものだ。

 先週、授業が始まる前に席に座るようにも設定したがこれも中々良い効果が出ているな。

 皆喋りながらも無意識に席に座っていたし、それに違和感を感じている様子もない。


「ハァ……」


 それにしてもなんとも時間を無駄にしてしまった。

 これから大切なことをするのに、一々コイツらを待っているからこうなるのだ。


 こんな事ならさっさと、手を叩けばよかった。

 だが、それも過ぎたことだ。後悔するより先のことを考えた方がいい。


 これから行うこと……それは伯母との契約のひとつとして得たものだ。


 研究の実験体の提供。


 つまり研究という名目においてそれらで検証し、自由に活用しても良いということだ。

 以前の私には研究においてその実験体が中々手に入らなかった。


 理論だけによる研究成果の証明は、学会では例外を除き信憑性が保たれないことが多い。

 私の名が広まらないのはそこが決定的に影響していると確信していたが、原因が分かっていながらも手元にそれが無ければどうこうしようもなかった。

 そこに幸運か不幸か、私の状況が追い詰められてからそれが手に入る機会が訪れたのだ。


 それが今現在、目の前にある。


 そう、この生徒達が私の実験体なのだ。


 世間体からしたらこれは異常だが、何を考えのか師匠は彼等を実験体として提供した。

 もちろん文句など無い。何はどうあれ学院の最高責任者から許可を得たのだから、私は好き勝手にするだけだ。


 まぁ、人体改造など後で終始が着かないことは行わないさ。一応私は彼等の講師なのだから。

 授業内ですぐ終わるし、暗示の効果もあって彼等の記憶は都合良く改善されるため何も問題ない。


 さっさと実験を始めたいが、まずは仕事をきちんと真っ当しなくてはならない。

 思い出してみればいつもの授業始めの挨拶がまだだったな。


「おはよう諸君。さて、早速だが授業(じっけん)を始めようか」


 もちろん返事などは返ってこない。

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