SS.他称『銀の妖精』が過ごす早朝の教室 上
朝の暖かい日差しが窓から入り込み、教室内の備品が影を落とす。
そこに人影は一つもなく、いつもの騒騒しい雑談が遠くに感じるほど今の此処は鳴りを潜めて物音一つも立たない。
まだ早朝とも言える時間の教室には馴染みの無い光景が広がっていた。
それもそのはず。何故ならばこんな早くから登校している生徒などいる訳が無いから。
いくら真面目な講師達でも必要がなければこんな早くから出勤する人はいないだろうし、サークルやクラブの朝の活動だってもう半刻は先だった筈だ。
もちろん私も例に漏れずこのような時間に教室へ顔を出した事など一度も無いし、ましてやそんな滅多な機会は訪れないものだと考えていた。
ところが、まだ入学して半年も経っていないうちに人生を左右する私自身の事に学生生活が大きく揺さ振られ、このようなことになるとは入学前には想像すらできなかっただろう。
後ろ手に戸を閉めて、馴染みの無い光景の教室を歩いて行く。
何だか妙に新鮮な気分を味わいながら自身の席へと腰を下ろした。
「……ふわぁっ……ッ!?」
するとつい大きな欠伸が漏れ出し、咄嗟に開いた口を手で隠すのも忘れてそれはもう明け透けに披露してしまった。
ハッとそのはしたない様を晒してしまったとそれはもう慌てて周囲を窺うが、いつもと違い教室には人一人いない事を今更のように思い出す。
「そう、だった。私しかいないんだ……」
ほっと一息吐くと、やがて少しずつ顔の熱が上がっていくのを自覚した。
一人で勝手に恥ずかしがって、安心して……私何やってるんだろう……。
最近ではそれはもう物事が悪い方へと自分ではどうしよう無いほどに向かってしまうので、一人っきりの時には自己憐憫に浸る機会が多くなったように思える。
家族との関係、婚約者との付き合い、クラスメイトとの距離感。どれも私が抱える人間関係の問題で私の生活はそれに縛られている。
でも、それよりも最近更に悩ませられているのが、関わる相手から感じ取れる、何というか……不気味な雰囲気だった。
最近の私に向けられる感情は悪意と好意のどちらか極端に寄り、その心に浮かんだものは大半は私への視線から明け透けに読み取ることが出来た。
舐め回す様に欲を孕んだねっとりとしたものや、蔑みを含んだ胸を抉る鋭い視線。怨みや不満を表に出した激しい感情や、爵位と名前を見据え己が利益のためにすり寄って来るもの。それはおおよそ私にとって恐れるに足るものばかりだった。
私自身の生まれが関係してその様な眼を向けられることは決して少なくなかったけれど、アレは今までと違う。
まるで理性を忘れ去った狂人のように、アレらの心は悩み無くその感情一色に染まっていた。
以前までなら邪とも呼べる相手の心積もりは体裁の内に隠れ、あからさまに垣間みる事はなかったのだけど……ここ最近はその一端を覗かされる機会が非常に多い。
恐かった。それはもう本当に……。
人と眼を合わせる度にその瞳の中に怪物が潜んでいる様に感じて背筋が震える。
何故そんな眼を向けるの? その怪物の瞳孔で私の何処を見ているの?
瞳、身体、心、名前、血、価値、それともあの婚約者?
お願い……もうどれでも良い。どれも好きなのを抉り取って差し出すから私を見ないで、近寄らないで、触れないで、そして放っておいて!!
でも、それでもなお一番恐かったのは……お父様の心の一片も見えない眼だった。最初に会った頃はその瞳にも確かな愛情が窺えたけど、いつしか私には感情の読めない剥製のように変わっていたあの眼。
あの眼に失望の色が浮かぶのを何よりもーー死ぬ事よりも恐怖を覚えていた。
だからこそ、その恐怖に縛られていたから私は正気でいられたのかもしれないけど……。
……だめ。ついナーバスになっちゃう。頭がまだ引き摺られている。
折角、心を入れ替えられたのにどこかで罪悪感が纏わり付いている。
それが邪魔をして気持ちがはっきりと整理出来ていないし、多分寝不足のおかげで思考に感情が先走っていると思う。
そう、昨晩は一睡も出来なかった。
まさか全てが私の所為だと知ってしまっては、寧ろ眠ろうなんて気が起こる筈ない。
お父様も、この瞳の事も全ては私の所為。私が『ホンモノ』を求め過ぎたが為の罪なのだ。
今なら分かる。何故私の根源魔法がこうなってしまったのか。
私にとってのホンモノは母一人だけだった。
小さい頃の私を見つめ全てを受け入れ、寄り添い、愛し、守ってくれた母。
でも母は、私を置いて消えてしまう。
残ったのは想いと記憶だけ。それ以外は全部……ホントに全部無くなってしまった。
思い出の場所だけは残すために努力はしたけれど、それも所詮は子供のやる事。結局はあの人達に騙すように盗られた。
……信じていたのに。
みんな最初は親切でいつでも助けてくれた。母が居なくて悲しかったけど、寂しさに開いた穴を埋めてくれていた。
でもそれはうわべを取り繕っただけのニセモノだった。段々とあの人達の裏の顔が見え隠れし始め、同時に母を求める気持ちが溢れ出して行く。
最後には味方も居なくなり頼る先も無くなった。それも疑いようの無い裏切りという形で。
多分あの時から心に芽生えたのだろう。母が残していった想いに焦がれる気持ちと、新しいホンモノを求める気持ちが。
迎えに来た父にそれを求めたがまた裏切られ、アリスお姉さまならと期待したがあの時の一件で行方をくらませる。
新しい家族やお茶会の友達、屋敷の使用人にもホンモノを求めて仲良くしたけど、どれもこれもニセモノでしかない。
それを知ってやっとその時に気付いた。
あぁ、私はもう求めてはいけなかったんだ、あの想いは新しく手に入らない運命なんだ。只々、私がワガママをしていただけなんだと……。
でも……でもその時だけ、ふと母とお父様の一瞬見せた優しい瞳に全く一緒の色が宿っていたことを思い出す。
……もう一度だけ。運命に逆らうのは悪い事だと知っているけど、本当の最後に一度だけ、ワガママを許してください。
一秒だけでも良いから、あと一度だけお父様のあの瞳を向けて欲しいんです。本当に一度だけ、一度だけだから……。
だけどそのワガママは許されず、残酷にもホンモノを求める気持ちはさらに高まり、それはやがて魔法として形を持ち始めた。
全ては私の罪。私が望んだがばかりに周囲の人を狂わせ親友を傷つけた。
どうにかしようとしても言葉は通じず、お願いしても結局は駄目。私の所為なのに自分ではもうどうにも出来ない、償う手段が見つからない。
私の根源魔法は人を狂わせるばかりで解決法の一つも見つからなかった。
ならせめて被害を拡げない為に原因となっている私自身が学院に行かなければーー人に会わないようにするしかない、とそう決め込んでいた。
でも私はまだ此処にいる。自分に押し潰されることもなく、罪を抱えながらもそれを償う機会を得て。誰かに私の道を譲らず押し付けないで、自身の足で進んでいる。
あの時、真実を知り危うかった私を繋ぎ止めてくれたのは、どこか身に覚えのある安心感を抱く暖かさだった。
そう、これは母に残した想いーーホンモノとは似て似つかない感覚。
それに触れたとき強い不安も湧き出したけれど、何か新しいものを見つけたようなそんな気がして……手を伸ばさずにはいられなかった。
懐の内ポケット辺りへ手を置く。そこには確かな物をあることが布越しの感触から伝わってきた。
その無機質な物を意識するだけで胸が暖かくなる。それと共に頭に憑いていたものが崩れて行く。
そうだ、これからの事を考えないと。
まず方法を考えないといけない。どうやったら嫌われることが出来るか、好かれることが出来るか。
人の心を操っている様で後ろめたいけれど、それが償いとあらばどんなに難しくてもやるしかない。
「…………ふぁ……」
またついつい欠伸が出てしまった。
そういえば私寝ていなかったんだっけ……?
妙に肩の荷が軽くなったのか、今更になって酷い眠気が襲って来る。
これからやる事も考えなきゃいけない事もたくさんあるんだけど、頭がウツラウツラと舟を漕いでそれどころでは無くなって来た。
いけない。このまま睡魔に拐かされたらきっと授業の時間まで起きないと思う。そしたらみんな集まっているという事だから、きっと考えなしでは私は償いを果たせない。
でも、私じゃない私がそれをどうしてもと求めて意識を引きづり込んで行く……。
眠い……これからみんな来るのに……イヴァナちゃんになんて言おう。嘘はもう言いたくないなぁ………………ねむい、です…………せんせ、い………………。




