18.慈悲と救済
今メルワスのその鋭い目付きは面影もなく、幻を見ているかの様にパッチリと見開かれたその瞳には驚きだけが満ちていた。
私の瞳を覗き込むこと数秒、ようやく思考を取り戻した彼はその表情を恐怖に染め、固まった舌を必死に動かしながら確認してくる。
「も、もしかして。アレ……アレを俺に放つとか、言わねぇよな?」
「もしかしても、端からそのつもりで準備をしていたんだが。どちらかが死を迎えるまで続ける、それが死闘の儀だろう? 」
その私の言葉を聴き一瞬身体を硬直させると、それはもう必死に逃げ口を探し、頭に浮かび上がった言葉を片っ端から吐き出し始める。
まさか決闘を告げた当初は、自分より劣っていると思い込んでいた相手に負けるなどとは考えも付かなかったのだろう。いきなりの絶命の危機に慌てている様だ。
「ッ!? お、おま、お前バカかッ!? あんなもん直撃したら、ここら全てが吹き飛ぶぞ!! 人、この周りにも人が住んでんだ! その赤の他人を巻き添えにするつもりか!?」
「ああ、それなら安心しろ。私は魔法の制御が得意中の得意でね。少なくともこの闘技場だけが木っ端微塵になるぐらいで済ますさ」
「こ、木っ端……王都、そうだ王都だ! 王都でそんな事件を起こしてみろ、直ぐに大問題となる! 犯人がお前だと気付かれたら死刑だぞ、死刑!!」
「確かにそうなるが、別に見つかれなければいいんだろう? それにもしもの時は理事長が如何にかしてくれる」
私には大きな後ろ盾がいる。ある適度の問題ならどうにかなるだろう。
ことごとく自分の理屈が通らない事にメルワスは早口になり焦り出す。
最後の慈悲としてその後も少しだけ彼の言い分に付き合うが、正直あの魔術を留めておく時間にも無理がある。
王都上空に浮かんだ光は槍状へと形を整えて、いつでも射出できるとばかりに激しい稲妻を溢れさせている。
稲妻が溢れ出ているのは制御が崩れてきている証拠だ。そろそろ放つか取り止めるかを決めた方がいいだろう。
私が終わりを告げようとしたところで、メルワスが何かに気付いた様にハッとする。
「そ、そうか……そうだよ。何で最初から気付かったんだ俺は」
彼は小声で自分へと言い聞かせる様に呟く。
すると恐怖で強張った顔を無理矢理動かし、余裕を装おうと引き攣った笑顔を浮かべる。
そして若干震えながらも声を張り上げた。
「お、お前に俺は殺す事は出来ない! 何故なら俺は、メリガント侯爵家現当主の実子にして長男、つまりは次期当主となる人間だからなッ! 俺を殺せば侯爵家が騒ぎを起こす! 例え理事長といえども派閥の一翼を担う貴族が相手なら誤魔化し切れないだろ!?」
「…………」
……確かにそうだったな。彼の下劣さで忘れていたが、彼は侯爵家にとって重要な人物だ。いくら決闘だと言っても、騒動が沸き起きるだろうな……。
その私が思案している様子を確認すると安心したのだろうか、メルワスは体の力が抜き溜息混じりの小さな笑い声を上げ「た、たすかった……」と呟く。
しかし、それでは収まりがつかないな。エラの件といいメルワスの事とそして私自身も含め、私か彼のどちらかが居なくなる事により終息を図っていたのに、私が彼に負ける事は無いしまた彼を殺す事が出来ない。
つまりもう既に死闘の儀として成り立っていないという事になる。
そうなると代案を考えなくてはならないか。
最初の案だった説得でもするか? いや、彼は私を消そうとしているのだから、どこかでしこりが残る事は間違いない。そうなると後々が面倒になる。
となると洗脳を施すか口封じをするとかの方が手っ取り早いが、効果は永久的ではないからな。
他に何かいい方法はないか…………。
……ッ!!
そうだ……ちょうど良いところに、本当に良いタイミングで一つだけ試したい事がある。
もしかしたら彼を殺さずに、尚且つエラの件も解決できるかもしれない。何よりもそれによって私自身が一番得をする、そんな方法があった。
私は右腕を下ろして夜空に浮かんでいた魔法陣を霧散させる。
すると光の槍は雷が落ちた時の様な轟音を空で響かせながら光は薄れていき、やがて元の月光が支配するいつもの夜空へと戻った。
私はそれを見届けると後ろへと振り向き、先程私が投げた鞄の元へと向かう。
鞄の中を漁っていると、背後から走り去る足音が聞こえた。
それに対して一つ無詠唱で魔法を編んでいると、やっと目当ての物が手に触れた。
それを片手に私はメルワスが走って行った舞台の出入り口へと向かう。
「クソッ! クソッ!! 出られねぇ、何で壊れないんだよこの壁!! ただの無詠唱なのに硬すぎんだろ!?」
出入り口ではそれを塞ぐ様に私が張った障壁に対して、メルワスが銀杖を振り回し魔法で攻撃をしていた。
彼は何度も雷を放つがそれが意味を成す事なく、直ぐに疲れた様に荒い息を吐いて手を下ろす。
と、そこで自身の元へと近付いてくる足跡に気付いたのか、勢いよく恐怖に引き攣った顔を振り返る。
「て、テメェは俺を殺せないんだろ!? とっとと此処から出しやがれ!!」
メルワスは出入り口を背にしてチラリと私の手にしている物を盗み見る。
「それにそのスクロールは何だ!? な、何かしようってのか!? 俺が誰か分かってんだろ!?」
「もちろんだとも、ご子息閣下」
私はある適度までメルワスに近づき足を止める。彼にも被験者として今からのことを説明をしてやるか。
「実はな私は兼任で研究者という肩書きを持っているんだが、そっちの方の実験で少し失敗してしまってな……。で、その実験用に組み立てた魔術が不要となってしまったんだが、捨てるのも惜しいと思って活用法を再考案していたところなんだ」
「な、何の話をしている……?」
「これから行う事への話だ。……だが、そこで私はある可能性に思い至った。もしかして失敗の原因は過程を見誤っていたのではなく出力不足だったのではないか、安全マージンを取り過ぎて必要最低限の効果を発揮していなかったのではないかと。それぐらいの計算はしていた筈なんだが、結局は机上の空論だからな。実験以外の用途を考えていなかったから、魔力の出力をあげた時の影響は実際の結果を見ない事には、と想像もしていなかったーー」
「おいっ! い、一体何の話をしているんだ!?」
「ーーそれにティナの反応から一流の魔術師には効かないと思い込んでしまったがそれはあり得ない。何故ならあの融和作用は私の自信作であり、その効果は証明済みだからだ。となると出力不足がその融和作用の方にも影響を与えた可能性がある。これは完全に私の術式を構築する際の計算ミスだがーー」
「俺の話を聞け!!!」
彼の大声に私はハッと意識を戻される。どうやら少し自分の世界に入り浸ってしまったようだ。
私は誤魔化すために軽く咳き込む。
そういえば、帰ったらエラのための応急策を作らないとならないな……そうとなれば時間もあまり無い。
直ぐにでも実験を始めたいのでメルワスには要約して説明をしよう。
「つまりは君を消すことが出来ないから、代わりに実験の被験者となって貰う。まあ、安心しろ。死にはしないように努力はするから、最低でも人格の崩壊ぐらいで済む……と思う。ああ、拒否権は無いから存分にモルモット気分を楽しんでくれ。では、早速だが実験を始めようか」
「テメェ!! 何ふざけ、たこ……と…………ッチュッチュ……」
スクロールに大量の魔力を流すと、直ぐにメルワスへと効果が現れた。
それ見たことかっ! 彼も一流と呼ばれる魔術師の一端だ。その彼がその即効で魔術にかかったという事は私の推論は間違っていない!
やはり魔力不足だったのは疑いようの無い事実だった様だなっ!
よしよし、明日までにやる事が詰まっている。時間もあまり無いことだし急いだ方が良いな。
§
「起きて、起きて下さい旦那様! もう、早く起こしてくれと申し付けたのは旦那様なんですよ!」
「ん……あ、あぁ、今起きる……」
春の風が過ぎ去っていく頃の早朝。
小鳥達のけたたましい鳴き声は、日が顔を出し始めた頃にはもう煩くなっている事にげんなりとした。
ベットに潜り込んでからおそらく一時間くらいだろうか、あまりにも短い睡眠時間に疲れを残しながらも頭は中途半端に冴えており、昨日の朝は動かなかった身体は今は重たい程度に済んでいる。
ゆっくりと上半身を起こすと、走馬灯の様に昨朝の出来事が思い出された。
今日も何か文句を言われるのだろうかと、いつの間にかベットに上がっていた我が家のメイドにぎこちなく頭を向ける。
案の定、見慣れた灰色の瞳は薄められ、頬を動かさずに唇の端だけ上げるという不気味な笑顔を浮かべていた。
すぐさま私はそれから顔を逸らし、何とか誤魔化せる方法を考えようとするが、変に冴えている脳みそでも良い案が見つからない。
嫌だぞ3日連続でニンジンスープは……。
とりあえず無難な話題を振らなくては、それと笑顔も浮かべておけばどうにかなるか……?
「……お、おはようアリス。今日の朝食は何かな?」
そう口にする私へと責める様なジトッとした視線を感じたがそれは直ぐに途絶え、小さな溜息を漏らすのが聞こえた。
「……おはよう御座います、ご主人様。本日のメニューは目玉焼きとソーセージ、クロワッサンに……それとチキンスープです」
「……チキン?」
「はい、それと何度も言いますが、徹夜をするのはお身体に響きますので程々にして下さいね? それではご用事に間に合う様に既に食事のご用意は済んでありますので、お早くお願いします」
「はい……?」
そう言うと彼女は亜麻色の髪を前に垂らし一礼をした後、微かに微笑みながら寝室から静かに出て行った。
?? とりあえずは今日はニンジンは無いらしいが、一体昨日と何が違うというんだ?
昨日との差異に混乱を憶えながらも、部屋に立て掛けてある時計へと目を向けると、かなりギリギリな時間となっていることに気づく。うかうかと考え込んでいる暇は無さそうだ。急いだ方がいいな。
ストレッチと朝刊を読むのは諦めるとして、早めに朝食を済ませるならばシャワーを浴びる時間くらいは確保できるか。
身体はやはり重たいが、妙にスッキリとした頭でこの後の事を考えながら準備を始めた。
§
さすが上流階級が多く通っているだけあるのか、この高等学部校舎の裏庭も例に洩れずに多大なる資金がつぎ込まれている。
しかし正直に言うと私はこの『裏庭』と言う呼び方に違和感を覚えている。
躍動感のある形をした妖精が彫られた芸術的な噴水に、色とりどりの花々が咲いた花壇。低木を動物や幾何学模様に象ったトピアリーに骨董品の銅像や花瓶が幾重にも配置されている。
噴水や張り巡らされた水路を流れる規則的な水のリズム。風が吹くと草や木々が揺れる音を静かに響かせ、今の早い時間もあってか此処では更に煩く小鳥の歌声が鳴り渡る。まるで自然のオーケストラの様だ。
緑を中心に彩られたこの場所を庭園や表庭と呼ばずして何故裏庭と名称つけたのか、是非一度師匠に尋ねてみたい。
私は早朝にそんなどうでも良い事を考えながら、庭園の白い石床を詰めた通路を歩いている。
この裏庭で待ち合わせをするとしたら、まず中央の泉に囲まれ橋渡された小島だろう。
そこには柱と屋根付きの広いガゼボが所狭しと建てられている。
寝不足で重たい足を動かし、垣根を過ぎるとその美しく光を反射した泉がのぞく。
その中央のガゼボの影の中には一つの人影だけが遠目にもくっきりと浮かんで見えた。
この時間帯から裏庭には天女を模した銅像以外に人影があるはずもなく、僅かに揺れていたそれに私は彼女だと確信を持つ。
どうやら彼女の方が早く到着していたらしいな。
小島へ繋ぐ橋を渡っているとその音に気付いたのだろう。泉を眺めていたエラが私へと振り返った。
美しく輝いていた泉の光を更に写し返した彼女の銀髪はその色つや故だろうか、透き通るように輝いた絹の如く揺れた。
エラは私だと認識すると、その美しい面貌に艶笑を浮かべる。
その広々としたガゼボに一人際立つ彼女だけを納めた美しい情景は、何故か私には酷く儚いものを感じさせた。
「……おはよう御座います。グウィン先生」
私もその屋根の下に収まると、何処か疲れた様な声でエラは挨拶をした。
「おはよう……大丈夫かエラ? 何処か調子が悪いのか?」
「いえ、少し……ほんの少しだけ寝不足なだけです」
彼女は困った様に淡い笑みでそう口にした。
朝早くから呼び出したせいであまり眠る時間が無かったのか、それとも自分の責任を知ったために怖くて眠れなかったのか。
彼女がその心情を言葉にしなかったために私は想像する事しか出来ない。
だが、そのやつれた様子を見ていると、早く安心された方が良いだろうと心が急かす。
私は現れて間もないのにも関わらず早速本題へと入った。
「……これを渡す。これなら君の根源魔法の効果も一時的に抑え込める筈だ」
白衣の裏のポケットから一本の小瓶を出した。その中には透明な液体がなみなみに入れられている。
エラは息を呑み込み瞼を見開いて、じっと私の手中の小瓶を見入った。
それを差し出すが彼女はなかなか受け取らず、やがて確認する様に私の顔を窺ってくる。
そこに焦りは無く、ただ純粋な始めて見るものへの好奇心と困惑があった。
私は彼女へと見つめ返し、小さく頷く。
エラの小さな両手がおずおずと小瓶へと伸ばされる。
私はその遅さに焦ったく思い、先走った様にその手の平に小瓶をポンと置く。
いきなりの事に驚いた様子だったが、すぐさま彼女は両手で小瓶を大切そうに包み込んだ。
それをゆっくりと慎重に両手を引き寄せてその胸へと抱く。
彼女はその小瓶の中身を確認する事なく、肌身離さず抱えながらその大きな瞳を私に向けて、その私の顔を目に焼け付けるようにじっと見つめていた。
しかしそれも長く続かず、その金色の瞳にだんだんと薄い水膜が張っていく。
エラはそれが頬を流れたことによりやっと気付くと、恥ずかしげに顔を赤らめながら頭を俯かせてその面貌を隠した。
彼女は両手のものを握りしめ、小さく肩を振るわせ始める。
やがて誰もいないこの裏庭で、一人静かな泣き声を響き渡らせた。
その時ばかりは風の音も小鳥達の歌声も聞こえず、水の流れる音も鳴りを潜める。
「…………あり、がとう、ございます……!」
嗚咽を混じらせ、途切れ途切れながらも必死に感謝の言葉をエラは口に出した。




