10.男爵令嬢
「もちろん、魔法にも自然法則は適用される場合がある。事実、魔術はそれを文脈化したのであり、それとは別にーー」
実験の失敗に魔法の禁止、そしてこの五月蠅い教室。
もう今年はこれ以上に最悪な日は来ないと言い切れるほど、今日は悪い事が続いている。
結局理事室から戻り、次の授業まで良さそうな代用案も見つからずに、そのまま今日最後の授業まで続いてしまった。
授業中にも関わらずに生徒達の一部が、立ち歩き、騒ぎ、世間話をしている中で、私はそれに構う事なくただ黙々と自然の法則を唱えている。
あの催眠の魔法が使えなくなってから、以前がどれほど静かに進んでいたか。今になってそれが身に染みている。
確かに入学当初からコイツらは五月蝿かったが、今では更にそれに輪を掛けている。
もうここまで来たら無我の境地でしかこの教卓には立っておられず、コイツ等からのちょっかいや罵声などはもう耳に入れていない。
そうなるとコイツ等もあまりに私が無反応なために絡んで来なくなったが、逆に私の話も聞かなくなった様だ。
私の授業を聞いていると思しき者はごく半数にも満たない程であり、それ以外は思い思いに過ごす時間と化している。
「ーーそうして因果関係に魔法が関わってくるが、それに後か先などという考え方はしないものだ。何故ならーー」
黒板に書き込んでは古い部分から消し、また新しい内容を書き込む。
この時限に入ってからずっと黒板に向かって書き込んでいるだけで、一度も後ろの方へと振り向いていないが、そんな事は必要無い。
振り返ったとしてもイラつくだけだし、話し掛けてもそれを聞き入れなければ結局は無意味なのだ。後ろを向くという行為は時間の無駄でしか無い。
だが、そこにいきなり大きな怒声が響けば別だろう。
何よりもその声は怒りを滲ませたものだったが、艶やかさとき煌びやかさを感じさせる女性の声ならば男性は振り向かざる負えない。
「いい加減にして下さいッ!! 今は勉強する時間なんですよ!?」
振り向くと机の周りを男子生徒に囲まれた一人の女生徒が立ち上がり、目付きを鋭くしていた。
あれは確かどこかの男爵の令嬢だったはずだ。
普段は生徒の事などあまり興味を持っていなかったが、彼女はその容姿から強く印象に残っていた。
側頭部近くで一つに纏められた銀色に輝く絹の様な長髪、小柄とは言えずとも高くは無いその身体は女性らしさに富んでいながら美しく細い。そしてその整った小顔には金色の瞳が二つ輝いている。
まさしく絶世の美女とは彼女のことを指しているだろう。いや、歳の頃は少ないため正しくは美少女といったところか。
男爵令嬢という肩書きでは無く、侯や伯と頭に付いていたら王族へと嫁入りできる程の容姿だ。
その彼女が握り拳を震わせながら立ち上がり、体ごとある一点を睨みつけている。
周りの男子生徒はポカンと唖然としており、彼女が突発的に感情を表にした事が窺える。確かに大人しそうな彼女がいきなり大声を出したらびっくりもする。
経緯を探ろうと視線の先を追うとそこにも人の集まりがあったが、男爵嬢に対してそこには女子生徒しかいない。
その彼女達もいきなりの事に呆然とした様子だった。
すると少しの間の後で、中心の席に座っていた公爵嬢がその彼女に返す様に目付きを細くし、余裕を装った態度で立ち上がった。
「あら、いきなり大きな声を上げるなんて野蛮な人ね。貴方の家では突然、犬の様に吠えろとでも教わるのかしら?」
嘲笑を含めながら彼女も声を張り上げ、男爵嬢へと遅れて返す。
その声に公爵嬢の周囲もやっと現状を理解できたのだろう。それに賛同する意を次々と声に出す。
だが、それは男爵嬢の耳に入りすらしなかった様だ。そのキャッキャッと喚く音を上書きする様に公爵嬢へと問い詰めた。
「貴方の方が常識知らずじゃありませんか! 授業中に平気で話し始めるなんて……それも人の悪口を! ……私の事はいいです。でも親友のイヴァナちゃんの事が聞こえたのは許せません!!」
男爵嬢はあまり言い争いに慣れていないのか、言葉を途切れ途切れにしながらそれでも精一杯声を張り上げた。
しかし、それを聞いた公爵嬢は顔を真っ赤にすると今までの余裕を忘れ、それを上回る迫力で言い返す。
「貴方がそれを言いますの!? 寄ってたかって周りに男をはべらかせてッ!! その中には婚約者がいる人も何人かいますのよ、貴方その意味を分かってますか!?」
「それは……違います!」
その言い争いに教室内は更に騒然となり、その男爵嬢の周りにいた男子生徒達も男爵側に加わり、また傍観していた貴族の令嬢達も公爵側に味方に着くという凄惨な光景となってしまう。
その一方でその争いに入らない者達は完全に他人事で、一時顔を向けていたもののまた自身の時間へとのめり込んで行った。
「…………」
その光景を私はじっと眺めていたが、既に収集が付かないと理解した。
授業の続きをするにもこの罵倒が飛び散る中では、授業を聞いていたであろう少数にも伝わるはずが無い。いや、もともとそんな事も気にはしていなかったが。
つまり授業自体の意味を無くし、現状では続行不可能になった。
そこで、これはあくまで私の意思でこうなった訳では無いという事で、師匠への言い訳にできないかと考える。
うーむ……よし、ギリギリで通るだろう。
それでは私もこの状況に対処する方法を考えなくては……もちろん考え付いたとしても、明日からになるが。
§
結局対処法は思い浮かばず、授業の終了を知らせる鐘が鳴るとともに教室を出た私は、帰り支度を終わらせ校舎を出た。
空はまだ明るくも紅く染まり始め、まだ周囲からは学生達の弾んだ様な喚き声や笑い声やらが、彼方此方から響いている。
明日の事へと頭を巡らせながら、手提げ鞄を片手に石畳をコツコツと光沢を失った革靴で鳴らす。
そんないつもの帰路を進んでから少し経ったぐらいだった。
後ろから最近何処かで聞いた声が聞こえてくる。
ーー……せんせい……待って、せんせいー
一瞬気の所為かと思い立ち止まるが、先生と呼ばれる者ならここらの敷地には幾らでも居るだろうと考えつくと、また足を動かし始める。
「先生ッ! 待ってください、グウィン先生!」
だが、その声は段々と大きくなりながら、やがて私の名前を言葉にした。
自分で理解しているがそんなに交友が広く無い私だ。そんな者がいきなり名を呼ばれれば不審に思っても仕方がない。
私を呼ぶ声を無視してそのまま帰ろうかという考えが思いつくが、その声をどこで聞いたのかを思い出す。
振り向くと息を切らしながら此方に向かってくる女子生徒がいた。
彼女はやがて私の元へと辿り着くと息も絶え絶えに、必死に言葉を手繰り寄せた。
「先生、ハァッハァッ……んッ……相談したい事が……あるんですが、お時間、貰えませんかっ?」
そう口にしてやっと、男爵嬢は息を整え始めた。




