2021・7月 その2
どっちが正ヒロインになるんでしょうか?
2021・7月 その2
海上ポートと陸を往復する船から桟橋に降り立つと、阿部の手荒い歓迎を受ける。
「凄い記録出したじゃないか! 後の参加者の結果を待つまでもなく、これは優勝だろう?!」
俺の首にヘッドロックをかましながら、髪の毛をわやくちゃにする。3人の後輩達も興奮気味だ。後ろからついてきた高橋はあれ以来しゃべりかけて来ない。
「ん? その後ろの人は?」
後輩達の後ろに俺を見つめる怪しい?男を発見する。このくそ暑い中できちっとネクタイをしめ、黒っぽいスーツにサングラス。映画とかで見るSPのようだ。
「あ、この人は・・・」
説明しようとする阿部を左手で軽く制して、そのSPみたいなのが答える。
「初めまして。栗田新さん・・・ね? 私はこういう者よ。」
すっと名刺を差し出される。少し違和感を覚えながらも、反射的にその名刺を受け取り、目を通す。
【次世代海洋撮影株式会社(NGOS) 社長 山本磯実】
名刺とにらめっこする俺を放置し、その男は続ける。
「表彰式を待つまでの間、少しでいいから時間を頂けないかしら?」
自慢じゃないが目つきの悪さには定評がある俺が、思いっきり不審者を見る目線を送るが、全く動じずにおねえ口調でさらに続ける。
「え~っと、そこの喫茶店でいいかしら? あ、他の子も良かったら御一緒してね。」
阿部に助けを求めるべく視線を移す。阿部も少し躊躇する素振りを見せるが、真っ直ぐに俺を見ながら軽く頷く。
「はぁ・・、少しでいいのでしたら・・・。」
と、俺が答え終わる間もなく
「じゃ、いいわね。ついてきて。」
おねえSPは軽く右手を上げて、桟橋を渡り切ったところにある喫茶店を目指して歩きだす。俺達は仕方なくという態度を隠さずに、荷物を抱えてぞろぞろとついて行く。
おねえSPの後ろを、数歩距離を取りながら歩く俺は、隣にいる阿部に小声で聞く
「あいつ、何者? ちょっときもいんだけど。」
阿部も小声で
「陸で待っている人に片っ端から声をかけている人が居るなと思ったら、俺達にも声をかけてきたんだ。『さっきの56mの記録出した子、知ってる?』って。」
「で?」
「はい、うちの部員ですって答えたら、紹介してくれってしつこくて。」
「なるほど。」
さっぱりわからん。
喫茶店に入ると、おねえSPは店内を見渡し、「いらっしゃいませ~。お好きなテーブルにどうぞ。」と、愛想よく微笑む店員さんに軽く手を上げ、
「じゃ、私とアラタ君と部長さんはこっちのテーブル。あとの子はそっちのテーブルで好きな物頼んでね。」
こいつ、遠慮なく仕切るな。
俺と阿部が並んで窓際のテーブルに座ると、おねえSPは奥に座った俺の対面の席に腰掛け、サングラスを外す。割と美形だ。年齢はアラフォーくらいだろうか? 社長って肩書の割には若い?
ウェートレスが水を持ってくると、「私はアイスレモンティー、あなた達も同じでいい?」と、俺達の選択肢を問答無用に無くす。
「「はぁ・・」」
「じゃ、アイスレモンティー3つお願いね。」
顔を見合わす俺達を前に、おねえSPは切り出す。
「改めて自己紹介するわね。初めまして、よろしくね。私はヤマモトイソミ、水中撮影の会社を経営しているの。年は秘密。テレビでも私達の撮った映像、結構使われているのよ。あ、私の事は遠慮なくヤマちゃんって呼んでね。」
俺達は警戒心剥き出しで答える。
「栗田新です。」
「阿部利夫です。」
「早速だけど、アラタ君、あなた今高3ね、進路はまだ決まってないのよね?」
ふむ、俺が来る前にある程度の情報は阿部達から聞き出しているようだ。阿部は俺から視線を外して、後輩達のテーブルを見ている。
「はぁ・・、親は好きにしろって言ってるんで、入れそうな大学があればってとこです。」
「丁度良かった! 卒業したらうちの会社に来ない? 何なら今からでもいいけど。」
流石にいきなりすぎるだろ。だが、この提案はかなり魅力的だ。俺は暇さえあればプールか海の底に居たので、勉強はあまりしていない。落第は無いと思うが、いつも赤点ぎりぎりだ。できれば水産関連の大学にとはぼんやり考えてはいたが、ニート路線が濃厚だ。腕を組み、考えを巡らしていると、追い打ちをかけられた。
「給料はそんなに出せないけど、それでも大卒の平均的な初任給以上は約束するわ。各種保険も当然完備よ。」
世の中捨てる神あれば拾う神ある、とはこのことだろう。これは将来負け組を突き進むであろう俺に垂らされた蜘蛛の糸ではなかろうか? 食いつこうとすると、阿部が耳打ちしてくる。
「話が旨すぎないか? 取り敢えずここはもう少し聞いて、よく考えてから返事させてもらえ。」
冷静に考えれば確かにそうだ。俺みたいに潜ることしか取り柄のない奴にこの好条件、疑ってかかるべきだろう。丁度そこにアイスティーが運ばれてきた。
アイスティーをストローですすりながら間を取る。おねえSPは黙ったまま俺から視線を逸らさない。
「あの、少し聞いていいですか? どういう仕事で、そして、何で俺なんですか?」
「ええ、疑うのも無理ないわね。確かに一応、簡単な入社試験みたいなのはして貰うけど、仕事自体は簡単よ。単純に海に潜ってカメラを回すだけ。ただ、この仕事、こう言ってはなんだけど、結構危険なのよ。何かあった時、自力で生き残れる人じゃなきゃ務まらないの。あの大会の成績を見れば一目瞭然、アラタ君は海の恐さを知っていて、且つ、非常時にも対応できる、と踏んだからよ。」
「分かりました。でも直ぐに返事はできません。考える時間を下さい。」
「ええ、当然ね。親御さんにも話さないといけないでしょうし、決心がついたらさっきの名刺、私宛に電話してね。まさか断らないとは思うけど、その場合でも連絡してくれると嬉しいわ。」
こいつ、何処まで見透かしてやがるんだか。確かに今の俺にはこの就職を断る理由は何一つ無い。大好きな海に潜れて、しかも金が貰えるんだ。今のやり取りで良かったのかと阿部を見ると、腕を組みならうんうんと頷いている。そして俺に、
「もし良かったら、会社の仕事を見学させて貰え。返事はそれからでもいいだろう。」
確かにそれはいい提案だ。俺も異存は無いので頼もうとすると、
「あら、それはいいわね。こっちも一度仕事を見て欲しかったところだし。何も知らずにいきなりだと困るでしょうし。」
間髪入れずにおねえSPが微笑みながら答える。
いや、何も知らずにいきなりはあんたのほうだろ、と突っ込みたくなるのを我慢しながら
「じゃ、都合のいい日を教えて下さい。行きますから。」
「そうね・・8月3日の火曜日はどう? 夏休みに入っているでしょ?」
「はい。じゃ、8月3日で、この名刺の住所でいいんですか? 時間は?」
「あ、場所はそこじゃなくて富津港で、って大変よね。ん~、じゃあ12時に内房線の君津駅に迎えに行くからそれでいい? 改札出たとこで待っていて。」
俺はスマフォを取り出し、日付をチェックする。
「はい、分かりました。よろしくお願いします。」
俺は素直に頭を下げてから、残っているアイスティーを飲み干した。
その後、社長に俺の携帯番号を聞かれ、社長と交換した後、店を出て別れた。
後輩達は横で聞き耳を立てていたらしく、おおよその内容を知っていたようだ。社長が見えなくなってから開口一番、高橋が食いつてきた。どうやら機嫌は直っているようだ。
「先輩凄いですね! あれってスカウトでしょ? 受けるんですか? いや、受けますよね! でないとニート街道一直線ですもんね!」
全くこいつは・・・褒めるのか、質問するのか、けなすのか、はっきりして欲しい・・・。
やっぱまだ機嫌悪いのか?
「いや、来月仕事を見させて貰ってから返事しようかと思う。」
「え~、見学なんかしてボロが出る・・違った、向こうの気が変わらないうちにさっさと決めたほうが・・・。」
こいつの中での俺の評価って一体どうなっているのだろう?
「まあ、とりあえずは表彰式だ。お、そろそろ始まるぞ。」
阿部がうまく収めてくれた。
「CNF男子、優勝、栗田新さん! 記録56m! おめでとうございます!」
俺達は帰りのバスと電車の中、終始ご機嫌だった。
フリーダイビングと言えば、ジャックマイヨールが有名ですが、日本人では篠宮 龍三の115m(CWT)が凄いです。ルールによって記録も大きく左右されるので一概には比較できません。潜るだけなら、214mって記録もあります。このレベルになると、本当にいつ死んでもおかしくないですね。
ちなみにアラタの種目(CNF)の日本記録は72m、木下 紗由里さんです(女子では世界記録)。なにぶんマイナーな競技なので、データが古かったらすみません。




