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White White Sacrifice

 

 悲鳴に続いて聞こえたのは怒号だった。

 それにドタンバタンと何かが転び、倒れる音。

 がしゃんという金属質な音はロッカーだろうか。


 音は上階を移動し、男の怒声がそれを追う。


 世界が蝋に滅ぼされた後、俺は何度となく人間の悲鳴を聞いた。

 絹を引き裂く少女の叫び。金切り声に近い老婆の絶叫。男の悲鳴はヤギの鳴き声にそっくりだった。

 あらゆる恐怖表現に触れる中で分かったのは、「人間の耳は悲鳴にだけは慣れないように出来ている」ということ。


「!」


 悲鳴を耳にした瞬間、疲労で曇りかけていた視界がぱっと開け、脳みそにぎゅんぎゅんと血が巡る。

 喧嘩か。

 ゴキブリか。

 それともまさか、白魔人か。

 何であれ、行かなければ。


 優姫を見る。

 首肯。

 最短の挙動で意思疎通を果たした俺たちは部屋を飛び出し、冷たい廊下を駆ける。


 ごつごつと二人分の靴音が響くと、フロアのあちこちで蝋燭の炎が揺れた。

 なけなしの毛布や端切れを被った人々が身を縮め、声を潜める。


 廊下に面した窓には吹雪く蝋がべったりと貼りついていた。

 その向こうに広がる世界は青灰色の闇に包まれようとしている。


 外壁に接した非常階段は蝋に埋もれているので、フロア隅に設けられた階段へ向かう。

 既に悲鳴はやみ、怒号も聞こえない。

 誰かが先に駆け付けたのだろうか。


 ビル内は夜の病院かと思うほどの不穏な静けさに包まれていた。


「っはっ……はっ……」


「ふっ、ふっ……!」


 自分たちの荒い息だけが耳に入る。

 俺は腹の肉を揺らし、優姫は胸の肉を揺らしながら階段を駆け上がる。

 包帯に包まれた俺の指と優姫の全身に血が滲んでいた。


 た、とっ、たっ、と数段飛ばし。

 くるりと反転し、もう一度同じことを繰り返す。

 小豆色の金属扉を押し開け、悲鳴の聞こえた廊下へ。


 走りながらポーチのジャム瓶に指を入れ、口に含む。

 もう残りは少ない。後でナップザックから補充しなければならない。


「陽甲」


 並走する優姫が耳に口を寄せる。


「もし白魔人だったら、私が盾になる」


「……」


 向けられた笑みは爽やかだった。


「助けるのはよろしくね、ハンサム」


「――」


 何かを言おうとしたところで廊下の突き当りに至る。

 T字路。

 首を振る。

 俺が右に、優姫が左に。


「陽甲! あれ!」


「!」


 俺たちが見たのは、数人の男が一人の男を押さえつけている光景だった。

 そのすぐ近くには、俺と同年代の女――いや、小柄な少女がいた。


 強い力で上着をちぎられた彼女は我が身を抱き、震えていた。






 事態を知った曹長の顔は更に十歳ほど老けた。

 元が三十か四十ぐらいなので、あと三度ほどのハプニングで定年を迎えることになる。


「そろそろ白髪が生えるんじゃないですか」


 群青が問うと、椅子に座る曹長は両手で顔を覆った。


「……その前にハゲそうだ」


 曹長は汗みずくの額をタオルで拭き、疲労のあまり血走った眼を部下に向ける。


「で、被害者は?」


「多少擦過傷を負ったようですが、無事と言って良さそうです」


 部下の隊員は怒りを通り越して呆れているようだった。

 つまり、俺や群青、紫苑、優姫と同じ反応だ。


「メンタル面のケアが必要だと思われましたので、いったん女性陣に任せました」


「どんな感じでした?」


 いの一番に被害者のケアに名乗りを上げた優姫が尋ねる。

 気の毒なことに彼女はケア部隊からつまみ出されていた。

 そりゃそうだろう。全身包帯だらけで血の匂いのする女に付き添われては気も休まらない。


「僕が話を聞きに行った時はだいぶ怒ってた」


「ですか。……わっと泣いちゃうよりそっちの方がいいかもですね」


 どうだろう、と俺は群青と視線を交わした。

 泣くというのは本質的にクローズな行為だ。

 逆に怒りはほぼ例外なく外、つまり他人に向けられる。

 この状況で危険なのは前者ではないと思う。


「で、やったバカは?」


「拘束して倉庫に放り込んでいます。一応、見張りも立てました」


「こんなことのためにローテーションを組み替えなきゃならんのか……」


 溜息をついた曹長の顔が更に十歳老けた。

 昼間の行軍、津波からの救助活動、そしてビルへの籠城と物資の移送。

 そろそろ曹長たちも限界だろう。


 そこへ来てこの騒ぎ。

 せっかく組んだ見張りのローテーションを組みなおさなければならない。

 しかもその下衆の見張りに一人つけなければならないので、曹長たちの仮眠時間はごっそり減ることになる。


 俺は櫛を開き、髪に入れた。

 ちらと群青に目配せする。


「曹長。そいつの見張りは俺と群青でやりますよ」


「ああ……そうしてくれると助かる」


「曹長」


 紫苑が普段以上にむっつりした顔で声を投げる。


「『こんなこと』じゃないですよ。女の子が一人ピンチになったんだから」


「あー……まあ、な」


 むうっと紫苑が怒りを滲ませた。


「そういうこと、あっちの人たちには聞こえないようにしてくださいね。嘘でもちゃんと『女の子が無事で良かった』って言うんですよ?」


「そりゃ分かってるが……」


 蝋の吹雪に白魔人。

 唇月と妃。

 これらの打破に全力を尽くすべき状況だというのに、内憂にまで注意を割り振ることはできない。

 曹長の心労は俺の臓腑まで重くするようだった。


 隊員は更に手帳を読み上げた。


「嫁尾曹長。加害者に対して何らかの法的措置を求める声が避難者の間から上がっています」


「何らかの法的措置って何だ」


「さあ。裁判でもすればいいんでしょうかね」


「勘弁してくれ。俺たちは警察でも弁護士でもないんだぞ……」


「あと、女性避難者の身の安全を保証する対策を一時間以内に講じてくれという声も上がりました」


「……」


 曹長は天を仰いだ。


「時間を稼ぎますので、できれば三時間以内にうまい言い訳を考えていただければと」


 若い隊員は申し訳なさそうに退室した。

 曹長は相変わらず無言で宙を見つめていたが、やがて瞼を揉み始めた。


 気まずそうな笑みを浮かべた優姫が俺を見る。

 確かに今の曹長は気の毒だ。できればそっとしておいてやりたい。

 が、対唇月の話がまだ決着していない。

 裁判も手厚い保護も結構だが、無策のまま朝を迎えれば今度こそ俺たちは蝋の津波に殺される。


 俺は思い切って前へ出た。


「そ「曹長」」


 割って入ったのは群青だった。

 奴は少しだけ俺に遠慮するような素振りを見せたが、言葉は止まらなかった。





「その女の子を襲ったヤツ、白魔人にしましょう」





 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 視線を下ろした曹長が群青を見る。


「さっきの話の続きです。唇月を騙して討ち取る話の」


 群青は床の一点を見つめたまま目を細めた。


「唇月は陽甲に綿毛を渡して自衛隊の全滅を依頼した。と同時に、俺たちを裏切って自分たちの仲間になるように誘っている。繰り返しになりますが、あの津波の能力を真正面から受けきるのは不可能だ。奇襲しようにも視界が開け過ぎているし、射程は向こうの方が広い。となると、騙し討ち以外に対抗策が無い」


 その場合、と群青は淀みなく続ける。


「手っ取り早いのが自衛隊が服を着替えることです。一般人に偽装すれば曹長たちが唇月を仕留める可能性はぐっと上がる。……ただ、手渡された綿毛の問題がある。陽甲が自力で自衛隊を斃せるわけがないから唇月は綿毛を寄越した。つまり、騙し討ちには白魔人が必要だ。自衛隊はこの中にいますってことを示すための白魔人が」


 俺たちは無言で続きを促した。


「そのレイプ野郎を白魔人に変えれば――①騙し討ちの条件が整う、②本人への罰になる、③男への見せしめになるから身の安全を求めている女性陣へのエクスキュースに使える。……一石三鳥だ」


「ちょ、ちょっと待って群青。そんなことしたら白魔人が暴れだして大変なことになるじゃん」


「それは別途検証する。綿毛は種の集合体だ。まず一つ吸わせてあいつがどんな白魔人になるか確認する。大きいのか、小さいのか。飛ぶのか、歩くのか、泳ぐのか。蝋の檻を抜けるのか、抜けないのか。……それが分かったら一度助ける。奴を朝まで封じ込める方法が見つかったらもう一度綿毛を吸わせる。夜明けのタイミングで外に放って、適当に暴れさせる」


「……!」


「モルモットみたいで気の毒だが、レイプ野郎にはうってつけの「ダメだ、群青」」


 俺の言葉が全員の視線を吸った。

 俺は櫛を開き、髪に入れる。


「そんなやり方には賛成できない」


「……そうだな。お前の哲学に照らせばムカつく行為かも知れないな、陽甲」


「……」


「だが全員の命に関わる問題だ、これは。個人の好き嫌いは脇に置くしかない」


 俺と群青の意見が明確に対立するのは初めてだった。

 ――それがよりによって今日この時だとは。運が悪い。


「群青」


「陽甲。俺は冒険してるつもりはない。お前の言う『堅実な』方法を提案してるつもりだ。……何が気に入らない?」


 気に入らないも何もない。


「人間を生贄にするって言ってるんだぞ、お前……!」


 口にはできなかったが、それは外道の所業だ。

 絶対に――やるべきじゃない。


「それ以上に有力な方法があるなら聞く」


 一番嫌な返しだった。

 一番嫌だが、一番正しい。

 代案が無ければ黙るしかない。

 だが――――


「私もダメだと思うよ、群青さん」


 優姫が横から口を挟んだ。

 背筋を伸ばした彼女は群青に迫る背丈の持ち主であり、威圧感がある。


「そんなやり方したら、歯止めが利かなくなる。生きるためなら何やってもいいって考えが広がっちゃう」


「気持ちは分かりますが、こっちにも時間が無い。明日の朝、唇月の津波で死ぬよりはマシです」


 室内はすっかり暗くなっていた。

 ガラスに映る電気ランタンの光が目に痛いほど眩しい。


「気持ちのいいやり方でないことは理解しています。が、こっちは一撃で三十人も殺されてるんです。人倫にもとるとか、道義的にどうとか、そんな甘い話をしながら立ち向かえる相手じゃない」


 俺と優姫は救いを求めるように曹長を見やった。

 が、曹長はゆるく頭を振る。


「悪いが、俺も群青の方に賛成だ」


「……!」


「気の毒だとは思うが、他にうまい処罰の方法が思いつかない。銃殺するわけにもいかないし、放逐したり置き去りにするのもやり過ぎだろう?」


 曹長は既にガラス管を取り出していた。

 中には純白の綿毛が詰まっている。


「一時的に白魔人に変えて囮をやってもらう、というのは悪くない案だと思う」


「でも……!」


「すまんな。だが俺たちもこれ以上疲弊したら土壇場で判断を間違える可能性がある。……あの四人も限界だ。一石三鳥の方法があるなら、そっちに乗る」


 曹長を咎めることはできなかった。

 この人たちは誰よりも憔悴し、ボロボロになっている。

 心身の負担が軽い方へ向かうのは自然な流れだ。


 窮した俺は思わず紫苑の方を見ていた。

 彼女なら俺に賛成してくれるのでは、という虫の好い考えがそうさせた。


「私も群青のアイデアに賛成」


 紫苑の目は冷ややかだった。

 普段よりもずっと。


「紫苑」


「陽甲。ごーかんに情状酌量ってあると思う? 私はないと思うけど」


「!」


「罰は必要だと思うよ」


 違う。

 そういうことじゃない。

 罰を与えることに問題があると言ってるんじゃない。

 その人を『利用』してしまっていることが危険なんだ。

 利用とは目的ありきの行為であり、利用されたモノはその瞬間から手段に成り下がる。

 人間を手段に貶めてしまったら、いつか必ずマズいことになる。


 その怖気の走るような危険性を俺は雄弁に伝えることができなかった。

 開いた口から出てくるのは咳か「えずき」にも似た音だけ。


「……」


 群青、曹長、紫苑の六つの目が俺を見つめていた。

 俺は思わずたじろぐ。


 違うのか。

 俺が間違っているのか。

 これは俺の美学の問題で、俺はただわがままを言い散らかしているだけなのか。

 人間は人間を手段にしていいのか。


 紫苑はまだしも、群青と曹長に反対されると自信が持てない。


「こんな状況だが民主主義は重要だ。一応、見張りについてる皆さんにも話は聞いて来る。今のところ俺、曹長、紫苑が賛成で、陽甲と優姫さんが反対、と」


 一瞬、避難している人たちの意見も聞くべきだ、という言葉が喉まで飛び出しかけた。

 だがそんなことをしても俺は不利になるだけだ。

 大多数は紫苑と同じ考え方だろう。

 罪人への罰は必要だ。そしてその罰が俺たちを救いうるのなら、それは積極的に執行されるべし。そう考えることは悪じゃない。


「もし良い代替案を思いついたら教えてくれ、陽甲。俺たちだって鬼畜じゃない。誰も傷つかずに、損をせずに、不快な気分にならずに、かつ安全に唇月と妃を迎え撃つ方法があるのならそっちの方がいいと思う」


「期限を決めよう。……今、17時だ。20時までに代替案が出なければそいつを白魔人に変える方向で話を進める」


「! それは早すぎじゃ……」


「騙し討ちというものは騙すことが目的なんじゃない。討ち取ることが目的だ。方針が決まらないと我々も当日の合図の出し方や動き方を決められない」


 食って掛かった優姫が後ずさり、俺の横に来た。


「すまん。悪く思うな」


 曹長と群青は既に多数決での勝利を確信しているようだった。

 俺は苦い思いを覚えながら部屋を出る。


「曹長。ちょっといいですか。……私たちの――」


 紫苑が曹長を呼ぶ声が聞こえた。






 宛がわれた部屋で、俺と優姫は頭を抱えていた。

 床にはA4コピー紙が山積みになっている。


 誰にも犠牲やリスクを強いず、唇月と妃を討ち取る方法が思い浮かばない。


 正面突破。

 挟撃。陽動。

 土地偽装。陣地構築。電撃戦。

 どう動くにしても、「遠方から津波と雷を伴って近づいて来る唇月と妃」に大して有利に立ち回ることができない。

 自衛隊の火器の射程は数百メートルに及ぶらしいが、あの二人もそれは織り込み済みだろう。

 向こうの目が節穴でない限り、必ず彼女たちが先んじる。


 と言うか、この手の考えをいくら俺たちがこねくり回したところであまり意味が無い。

 本職――と言っていいのか分からないが、ここには曹長たちがいる。

 自衛隊よりも優れた戦術を提示しろと言われても、それは土台無理な話なのだ。


「あーーーーーもう!」


 優姫が紙をくしゃくしゃにし、その場にひっくり返った。


「おーもーいーつーかーなーいー!」


「……」


 タイムリミットは刻一刻と差し迫っている。

 このままでは「囮作戦」が始動してしまう。


(……)


 本当のところを言うと、俺は決して乗り気でないわけではなかった。

 群青の一石三鳥の話を聞いた時、心のどこかでホッとする自分がいたことも事実だ。

 ただ、やはりそれは色男ハンサムの道ではない気がする。

 その方法で生き残ったとして、この心臓の持ち主は俺に微笑んではくれない気がする。


 だが、代案が思い浮かばない。


 どくん、とくんと心臓が鳴る。

 お前の命は、お前の体は授かりものだ、と言っているように感じた。


 そうだ。俺は死ぬわけには行かない。絶対に、死ねない。

 だから堅実な策を採ることをためらう理由は本来なら、ない。

 だが――だが俺は清くもなければならない。


 生に執着する。

 しかし清くもある。

 これは両立できないのか。


(……)


 清く死ぬこと。

 邪さを抱えて生きること。

 そのどちらにこの心臓の持ち主は微笑んでくれるのか。


 分からない。

 俺には、分からない。


 こんなことになるなんて思ってもみなかった。

 俺が貫く色男ハンサムの道は、貯蓄とか、大学とか、進路とか、そういった確かな将来を前提としたものだった。

 俺の考える「堅実」は生き死にを賭けた状況まで想定してはいなかった。


 俺はどうすればいいのか。

 俺は何を捨て、何を尊重すればいいのか。

 誰か教えて欲しかった。

 ――――誰か。


「陽甲?」


 はっと顔を上げる。

 慌てて笑みを繕う。

 色男ハンサムは暗い顔をしてはいけない。


「……無理に笑わなくていいよ、陽甲」


「陰気な色男ハンサムなんていません」


 優姫は慈しむような笑みと共に首を振る。


「ポジティブなのはいいけど、「ポジティブじゃなきゃいけない」って考えはネガティブだよ」


「……」


 俺は櫛をしまう。

 そして慌てて我に返る。

 今はそんな話をしている場合じゃない。


 曹長たちを裏切る行為も論外だが、誰かを生贄にする行為もまた――


(……?)


 何か引っかかる。

 裏切り。生贄。


 唇月が俺に唆したのは、『裏切り』。


「!!」


 今、気づいた。


「どしたの陽甲? 何か他にも気になる?」


 前かがみになった優姫がにじにじと近づく。

 紫苑曰く「IQを吸ってでかくなった」乳が迷彩色の布の中で揺れていた。


「唇月は俺が素直に従うとは思ってないはずです」


「え?」


「……」


 ぱちんと櫛を開き、髪を梳く。


 妖墨唇月は色男ハンサムの何たるかを知らない。そうなるつもりもないだろう。

 だが俺の心の奥にある芯とでも呼ぶべきものに触れ、理解を示した。

 共感はしなかっただろうが、尊重すべきものだと判断した。


 その彼女が、俺が本気で仲間を裏切ると考えるだろうか。

 ――否だ。

 むしろ俺が平然と裏切りをやってのければ、その時こそ唇月は俺を「気持ち悪い」と断じて襲い掛かって来るだろう。


 唇月は俺が仲間を売らないことを確信している。

 確信しているのに、綿毛を寄越した。


「それって変じゃない?」


「はい」


 そうだ。

 裏切りを唆すなら俺たちではなく、避難民の方がいいに決まっている。

 俺には微力ながら対抗手段があるのだから、彼女たちに従わないという選択肢を採る可能性がある。

 そうならない避難民ではなく、なぜ俺に裏切りを唆したのか。

 彼女の美学に沿うものは、彼女のために裏切りなどしない。


 変だ。

 何かおかしい。  


 何よりもおかしいのは奴がその不自然さを隠さないこと。

 俺が仲間を裏切らないのなら、当然彼女たちに立ち向かう。

 自衛隊も、群青たちも含めた総力戦で、だ。

 当然彼女たちにも不利が生じるはず。

 なのに明日の朝来ると告げた。


「俺はあいつにつくつもりはないし、向こうもそれを承知している。その状態で明日の朝、会うってことになる」


「何か将棋とかチェスとか、そういうのみたいだね」


「……」


 的を射ている、と思った。

 敵意を包み隠したまま、叛意を胸に抱いたまま、俺たちは仲間になる相談をする。


 そこで起きるのはおそらく穏便な会話ではない。

 戦闘になる。

 殺し合いになる。

 それをどちらも承知している。

 承知した上で、向かい合わなければならない。


 将棋。

 言い得て妙だ。

 少なくとも彼女は彼女自身にルールを課している。

「気持ち悪い」と思うことはやらないはず。


 唇月は既に一手を指した。

 明日の朝、俺たちは知恵を結集した一手を指す。


 指し間違えた方が、死ぬ。 


「陽甲」


 群青だった。


「時間だ。何か妙案は?」


 俺は群青に『違和感』について述べた。

 彼は黙って俺の話を聞いていたが、やがて首を振った。


「その話はこっちでもしたところだ」


「……」


 こっち。

 そっち。

 仲間同士を二分する線がある。

 そのことの方が俺にはよっぽど堪えた。


「悪いが、押し通すことにした」


「そうか」


 今や主導権は群青たちにある。

 口を挟むべきではない。


「悪いな」


「いや、仕方ない」


 俺は色男ハンサムだが、全知全能ではない。 

 そして群青も悪意があって俺と意見を異にしているわけではない。


「やるからには結果を出す」


 群青の目は真剣だった。


「あの二人は明日、確実に殺す」


「……」


「一時間後、ミーティングだ。最後の作戦会議にしよう」


「分かった」


 眠気が襲って来る。

 肉体の疲労はさほどでもなかったが、精神の疲労が重たい。


 俺はポーチから耳栓とアイマスクを取り出し、闇に浸る。








 滅びた世界にも太陽は昇る。


 白い世界の白い夜明け。




 地平線に妖墨唇月と妃が姿を見せた。



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