きごさん
消毒液の匂いがする。
いや、これはちょっと違う匂いだ。少し鼻を突くような。
桃子は匂いの元を確認する為にゆっくりと瞼をあげた。
視線の先には、なんだか薄気味の悪いカエルやらイモリやらのホルマリン漬けがずらりと棚にならんでいる。
「わっ!!」桃子は急に起き上ったものだから、今まで横になっていただろう長椅子から ドスン と落ちた。
「アイタタタ」
したたか腰を打ちつけてしまった。
(なにここ。ホラーハウス?ていうか、なんで私こんなところに・・・)
「どうしたんですか?」
隣の部屋、--科学室だろうか--からひょろりとした先ほどの先生が顔を出した。
「あ。大丈夫、です」
腰をさすりながら長椅子に座りなおす。
桃子は周りを見回してその気味悪いホルマリン漬けをちらりと確認した。
(一体どれくらいあるの。このホルマリン漬けは・・・)
桃子の考えてる事を察したのか、その先生は誇らしげに
「すごいでしょ?これ。小さいのも含めてもうすぐ100体になるんですよ」
「確かにすごいですね、それより私なんでここに」
「さっき倒れたんですよ。保健室がもう閉まってたのでここに。大丈夫ですか?本当に」
---そうだ。気絶したんだった。確か・・・
思い出して桃子は自分の右腕を見て「ぎゃああああああああああ」と今更ながらに叫んだ。
もうすでにその生き物は自分の右腕にいなかったのだが。
水道の蛇口を見つけると、目に見えない速さで移動し手を洗った。
ぶるぶると震えがきた。
「せっ先生・・。さっきごき・・が」
「ああ!きごさんですね」
「え?」
「すみません。きごさんが脱走してあなたの所にいっちゃったんですね」
困ったような笑顔をみせると、彼のズボンのポケットからあの黒い奴がかさかさとでてきた。
「きゃあっ。ちょっとまって」
桃子は10メートルくらい後ろに下がった。(実際は2〜3メートルだが本人はそれくらいの心境なのだ)
「あの・・・先生それは」
「これですか?ごきぶりに似てるでしょう?」
先生は穏やかな笑顔をみせてソレをつまみあげた。
「ちょっと!近ずけないでくださいっ」
「・・すみません。」
しゅんと肩を落としてソレを手のひらに包み込んだ。
(子供みたいな先生だな。ていうか、その手・・)
桃子はあることに気が付き愕然とした。
「まさか。先生その手で私を運んだんですか?」
「そんな、全然重くなかったですよ。気にしないで下さい」
引きつり慌てた様子で両手を左右に動かす。
「・・・重かったんですね。ってそうじゃなくって。ということは、」
ぶつぶつと独り言のように呟き、(その変な虫をべたべた触った手で運んだんですね・・)
桃子は潔癖症という訳ではなかったのだが、極度の虫嫌いなのだ。特に小さくて足がたくさん付いてるのが苦手であった。
(帰ったら速効制服クリーニング出そう)
本当なら今すぐ脱いでしまいたいがそういうわけにもいかない。
なんだか どっ と疲れがでてきた。
「じゃあ、あたしそろそろ帰ります。」
「そうですね。もう暗くなってますし。」
窓の外を見たらずいぶん暗くなっていた。
時計の針は7時を少し過ぎた所だ。
「もうこんな時間たってたんですか!」
学校に残っている生徒は殆どいないであろう。
校舎の中も外も静まり返っている。
いつもとは違う学校の様子に不思議な優越感がわいた。
(夜の学校なんてめったに遭遇できないよね。なんか得した気分)
もっとこの気分を楽しみたいが、そうもいってられない。
「じゃあ、私そろそろ帰ります。先生ご迷惑をかけました」
「ちょっと待って下さい、送りますよ」
「一人で帰れます」
「だめです。夜道は危ないんですから。」
真剣な顔で言われたたものだから 「はい」と思わず返事してしまった。
(そういえば、この先生なんて名前だったっけ?)
などとぼんやりと考えながら、支度をしているその先生の後ろ姿を眺めて
「あの、手は洗って下さいね」
と声をかけたのであった。




