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贄の庭園と彷徨う鳥

 ひとまず、四人改め五人はその場で休息を取ることにした。

 何だかんだで疲れているし、何よりシェリーがすぐに移動できる状態でもない。

 周囲に魔物がいないことを確認し、広間の隅に荷物を広げ腰を下ろす。それぞれが携帯する簡単な携帯食をかじりつつ、つかの間の休息を味わう。ニノンはアポフィラに頼んで出してもらった小さい炎で、ポットの中の水を温めている。なお、その水も魔術で出してもらった。

 適度に沸騰し始めたら、ポットの中に茶葉が入った袋を入れる。しばらくしたらシンプルなカップに注いで、全員に渡した。薬草を煎じる、という可能性を考えて、彼女は常にティーセットをかばんに入れて持ち運んでいる。今のところ、食後のお茶にしか使われていないが。


「はい。あったまるわよ」

「あ、ありがとうございます……」


 カップを受け取り、シェリーは笑う。

 今は少し落ち着いてきたらしい。

 彼女からの説明で、何となく状況も把握できてきた。

 ここに一緒に来たという連れは魔術師で、魔石を改良するためにその材料を探そうとしていたらしい。ところが少し進んだところで例の歌姫に遭遇し、連れはふらふらといずこかへ。

 一人残されてどうしようと思っていたところに、アポフィラが先ほどぶっぱなした魔術の音を聞き、ほとんど無意識に近い状態で走ってきたのだという。

「大変だったのねぇ……」

 ずず、とお茶を啜りつつニノンが呟く。

 こうしていると、ここが危険なダンジョンであることを忘れそうだ。どこかの森の中でのんびりとお茶を啜っているような、そんな穏やかさがある。しかし遠くからかすかに咆哮のようなものが聞こえるたびにヒイラギが刀に手を伸ばし、何事もないと知れば離し。その時に小さく響く金属音が、ここが危険な場所であることをしっかりと教えてきた。

 しかし休める時には休まないといけないし、おそらく冒険者になって日が浅いのだろうシェリーの疲労は無視できない。一旦帰るにしろ探索を続行するにせよ、できる限り疲労は取り除いておく方が便利だ。それゆえのお茶で、休息。効果はゆっくりと現れている。

 一方アポフィラはというと、シェリーが抱きかかえていた杖を眺めていた。魔術師にしかわからない傷などを調べるですよ、とそれらしいことを言いつつ、実際はもっと別の目的で。

 確証がないのでまだ言っていないが、実はアポフィラにはこの杖に見覚えがあった。かすかに魔石に残された所有者の魔力、その気配は頬がひくりとする程度には知っている。しかしそれを認めることは、少しだけ躊躇いがあった。認めてはいけないような、気がしていた。

 まさか、そんなことはないです、と誰に言うでもなく呟く。

 少しぬるくなったお茶を飲み、嫌な想像を忘れようとした――のだが。

「じゃあシェリーとそのお連れさん、緊急依頼の話知らないでここにきたの?」

「はい……だ、だってルークさんが行くっていうから」

「――ルーク?」

 ぴぴく、とアポフィラの耳が震える。

 ここが街中だったら、彼女の表情が青ざめていることに気づいただろう。

 月明かりに満ちたこの青白い光の中では、表情の色合いなど気づけるわけもなかった。

「ルークというのが、その、件の行方不明になっているお前の大事な、仲間、ですか。この杖もそのルークとやらの持ち物なのですか。それは間違いなく正しいことなのですか」

「はい。命の恩人で……すごく、大切なヒトなんです」

「こ……恋人? 恋人なの?」

「そうなったらいいなぁって、思うだけですけど……えへへ」

「いいなぁ……あ、そのペンダントはもしかして?」

「はい。ルークさんに貰ったんです」

 嬉しそうに目を細める姿はまさに恋する乙女であり、実に可憐だ。彼女は赤い鉱石の原石をそのまま使った素朴なペンダントを首から提げ、先ほどから大事そうに握り締めている。

 よほど相手の、ルークという人物が好きなのだろうと思われるのだが。


「魔術師のルーク、外套すっぽり、それにこの杖にあのペンダント……やっぱり」


 アポフィラは、青い目をいつになく細め、杖を睨みつけている。呟かれた声には憎悪や嫌悪といった負の感情が蠢き、きゃあきゃあと盛り上がるほか二人の女子と違う雰囲気を纏った。

 しかし傍目にそれは『真剣に魔石を見ている』ようにしか見えず、もちろんその内側に渦巻く感情も悟られることはない。いや、ヒイラギ辺りなら何かしら感じたかもしれないが、彼は周囲の方へ気を配っているために、アポフィラの異変は誰にも気づかれることはなかった。

 ふぅ、と息を吐いたアポフィラは、ちらりとシェリーを見る。

 彼女はニノンに言われるまま、惚気としかいえない話をしているところだった。

「ところでシェリー、お前は何歳なのですか。ボクやニノンと同じくらいに見えるですが」

「あ、わたし十五歳です」

「あら……あたしやアコより下なの」

 あたしは十八でアコは十六なの、とニノンが笑いながら言う。ちなみに男二人のうちヒイラギは二十歳で、セツナが一つ下の十九歳だ。意外と年齢に開きのあるチームである。

 しかし、十五歳。

 自分よりもたった一つとはいえ、年下。

 アポフィラの耳が、ぴぴく、と細かく震える。

「……後で灰にしよう」

 ぼそり、と呟かれた殺意は誰にも届かない。しかし、後でアポフィラは直接その手で、相手の男に届けることを決めた。許されるなら握り締めたこの杖を、へし折ってやりたいと思う。

 そんなことをしたら、すぐそこにいる少女が泣くのでやらないのだが。

 向ける方向に向けられない感情は、八つ当たりという答えを得る。

 腐っても魔学校であれこ学んできた魔術師だ。特別に特化した分野はないが、それゆえに幅広い知識を有する。そして師事した相手が物好きな魔術師で、そんなものをどのタイミングで使うのか、といいたくなるような魔術をいろいろと考案する変人として有名な人物だった。

 不要だと思いつつも教わった知識に、今回のことに使えそうなものがある。

 そのままでは役に立たないが、応用系の術式として改良を施せば。演算処理の速度が心配ではあるのだが、幸いにもここには自分の魔石より純度の良いものがある。どうせこの場の誰も使えないものなのだ、持ち主を救うという大義名分を持ってして使わせてもらおう。

「少し、ここで長く休息してもいいですか。ちょっと試したいことがあるですが」

「アコ?」

「絶対にあの歌姫を『オンチ』にしてやるですよ、えぇ、絶対」

 二本の杖を手に、白い魔術師はにやりと笑っていた。



   ■  □  ■



 ダンジョンの奥に、広間はなかった。

 そこには東方諸国の伝統に基づいた美しい庭園が広がり、空には大きな満月が昇る。世界は青白い光に照らされて浮かび上がり、その月明かりの中に美しい歌姫は一人佇んでいた。

《――》

 静かに歌う彼女の周囲には、十字に組み合わされた木材が地面に突き立てられ、そこには貼り付けにされた躯がある。それは白骨化したものから、乾いて半分朽ちたものまで、様々な時期にそうされた多種多様だった。種族も入り乱れ、無作為で無差別といった状況である。

 地面には何十人もの人が倒れていて、弱いものの呼吸する動きがあった。

 だがその一方で、数人の屈強な男数人が、ある作業に従事している。

 そこら辺に転がっている木材を使い十字架をこしらえ、それにぐったりしている人々を貼り付けにする作業だ。黙々と続けられる作業により、一人また一人と十字架が増えていく。

 朽ち果てた十字架、散らばった白骨。

 それらに見向きもせず、青い少女――《歌姫ラクヒ》は歌い続ける。

 その腕に、かつて愛した騎士の頭蓋を抱きながら。


「まるで生贄ですな」


 ぼそり、と呟く人影。

 白い髪の少女――アポフィラだ。

 そう、まるで供物。

「捧げられているのはどれも男……ふむ」

 彼女は散らばった躯や骨、そして貼り付けられたものを見て唸る。意識してか、それとも無意識なのか、年の上下を問わず女はみんなそこら辺に打ち捨てられて、貼り付けにされているのは若い男ばかり。年齢は大体二十代半ば、ヒイラギやセツナより少し上ぐらいだろうか。

 そしてそれより年を食っている男は、十字架を作るなどの雑用係。

 おそらく死ぬまで働かされるのだろう。もしあの歌姫に死霊魔術の心得があれば、それこそここは躯がうろうろする魔の庭だったに違いない。そんな中でも、この歌姫はひたすら歌い続けるのだろう。ふわりと宙に浮かんで、頭蓋を抱き締め、恋の歌を奏で続けるのだろう。

 さしずめ十字架に貼り付けにされた男達は、その歌を聴く観客か。

 あるいは――生贄。

 件の騎士は歌姫より五つほど年上で、歌姫は十代後半。ちょうど貼り付けにされている男達と同じ年代だ。その年代のものばかりを集めているということは、やはりそこら辺に何か理由があるのかもしれない。本人が自覚しているか、そもそもそういう行為を自覚するに足る精神をまだ有しているのかはわからないが。何にせよアポフィラからすると、これは生贄だ。

 愛しいものを取り戻すため、その変わりを捧げる儀式。

「無意味だと、わからないのですな」

 失われたものは、彼女の腕の中に残滓を残すのみ。

 どれだけ祈ろうとも、歌姫の願いが叶うことなどきっとなかった。あるとすれば、それは彼女がヒトとしての一生を終えて、あの世などと呼ばれる死後の世界に旅立ってからだろう。

 死んでしまえば身分や立場などという、くだらないしがらみはない。

 二人が幸せになれるのは、きっと、その世界だけだった。

 今の彼女を殺したところで、ヒトと同じ場所に旅立てるかはわからないが。

「そんなに逢いたければ、送ってやるですよ」

 告げて、アポフィラは二本の杖を構える。

 使い慣れた方に魔術を溜め込んで、使い慣れていない他人の杖で演算を走らせる。絶えず魔術を使い続けなければならず、身体への負担はかなりのものだ。

 だがそれしか道がないのだから、やるしかない。

 こんなところで、死にたくもないのだ。

「できるだけ早くしとめるですよ。そう長くは続けられないですからな」

「わかった」

 背後から答えるのはヒイラギだ。そしてセツナ、ニノン、シェリーと続く。

 作戦としては、実に単純なものだ。いつものようにヒイラギとセツナが前線に立ち、その後ろにニノンが控えるという形。そしてシェリーは、ここにいるだろう彼女の連れを探し出すのが役目だ。万が一、アポフィラが魔術を構築できなくなっても、彼女の連れがこちら側にいてくれれば最悪の事態は回避できる。そう、今からアポフィラがすることと同じことができなかったとしても、前にアポフィラが騒音を出して歌声に対抗したようなことができるはずだ。

 自分の杖を歌姫に向け、アポフィラが目を閉じる。

 それが合図だった。

 真っ先に動いたのはヒイラギだ。

 それに反応するように、作業に従事していた男が動く。その手には鉈のようなものが握られていて、ゆっくりと立ち上がったその身体が大きな影を地面に落とした。

「ヒトでは――ない?」

 うずくまっていてよく見えなかったその身体は、立ち上がるとヒイラギを遥かに上回るほどの長身だった。平均よりは高いといわれるヒイラギより、頭が三つか四つ分以上大きい。さらに鍛え抜かれたといった隆々とした身体つき、とても普通のヒトでは不可能だろう。

 だとすると、と考える間もなく、男は鉈を振るう。

 大振りだか遅くない一撃は、食らうと間違いなく腕や足を一本持っていかれる。ここにいるのが立った二人、という数の少なさが幸いだった。もしこれでまだ数体いたならば、こちらに勝ち目はなかっただろう。とてもではないが、ニノンやシェリーでは相手など無理だ。ましてやアポフィラを守りながらの戦いになる。パーティで一番の火力を放つ彼女が完全に補助の方へ回ってしまっている現状、できる限り早く敵を静めなければならなかった。

 だが、相手がヒトではないとすると、少し厄介なことになる。

 中年男性であれば、足の筋を切って動けなくすることで無力化しようと思ったが、あの筋肉が盛り上がった身体を突き破り筋へ刃先を到達させる、というのはきわめて難しい行為だ。

「……だけど、人間じゃないなら楽じゃないかな」

「そうだな」

 背中合わせにそれぞれの相手を向かいあい、セツナとヒイラギが笑う。

 そう、何も状況は悪いことばかりではなかった。相手がヒトではない――むしろ魔物であることが明らかとなったなら、相手を殺さないようにするなどと考える必要性はすべて消し飛んだわけだ。動きを止められないならば、動けなくすればいい。そう、永遠に。

 言葉を交わさず、二人は同時にあいて向かっていく。

 金属がぶつかり合う音が、ひたすら夜空に響き渡った。


 一方、アポフィラはひたすら魔術の構築にのみ、意識を向けていた。

 彼女が行っているのは妨害用の魔術、それも歌声にだけ作用するものだ。元は魔術を妨害するのに使われる術式の一つだが、演算が難しくそれなりの純度がある魔石でなければ暴走して爆発しかねない、どちらかというと高位魔術に属する魔術である。

 現在魔物と戦っている二人や、必死に人々の中から連れを探すシェリーは気づいていないだろうが、杖を手にアポフィラの傍に控えたニノンは気づいていた。先ほどから、絶えず聞こえている《歌姫ラクヒ》の歌声だが、それが本当の意味でのただの歌になっていることに。

 あの時、始めて歌姫に遭遇したニノンは、なぜか頭がぼんやりとした。

 だから反応が送れ、アポフィラに怒られたのだが。

 今はそれが、微塵もない。

 それはつまりアポフィラの作戦が、うまくいっている証拠だ。後はあの魔物を倒し、歌姫を黙らせるだけでいい。幸いにも今回の被害者はまだ死んでいないようだから、治療をすれば何人かは自力で移動できるだろう。あとは彼らと一緒に、ここを脱出するだけだ。

 そのためにも、何が何でもアポフィラを守らなければならない。

 彼女がいなければ歌姫の声は、ここにいるすべてを侵しつくしてしまうのだから。

 ――さて、どこまでやれるか勝負ですよ、歌姫。

 心の中で宣戦布告し、アポフィラは薄く笑みを浮かべて見せた。



   ■  □  ■



「ルークさん、ルークさんっ」

 そんな彼らを横目に、シェリーはようやく連れの青年ルークにたどり着いていた。人々に埋もれるように倒れていた彼を、必死に引っ張り出して抱き起こす。ぺしぺし、と頬を軽く何度かたたいていると、うっすらとまぶたが開き、赤い目がシェリーを見た。

「……」

 しかしそこに生気はなく、見てはいるが何の反応もしない。シェリーは魔術などよくわからないが、それでも彼がまだ歌姫が奏でる歌の影響下にあることはわかった。何とかして元の彼を取り戻さなければならないが、どうやったらいいのかわからない。

「ルークさん、お願いだから正気に戻ってください……お願い、ですからっ」

 どうして良いのかわからなくなったシェリーは、そのまま彼に抱きついた。

 自分に力はないと、彼女は知っている。ヒイラギやセツナのように武具の扱いに長けているわけでも、武道の心得があるわけでもない。ニノンのように特別な技術も持たない、アポフィラやルークのように、類稀な才能に恵まれているということもない。

 ほんの少し、髪の色にそれが出る程度に、セイレスの民の血を引いているだけだ。

 翼もなく、歌に力も宿らず。

 腕は細く華奢で、ナイフもまともに扱えない。

 クロスボウなんてほとんどお荷物だ。命中率だけはそこそこだが、たとえば今回のように集団で戦ったりする場合は、仲間への誤射をやりそうで結局物陰においてきている。

 何もできないシェリーは、ひたすらルークの名を呼んだ。

 頬に触れて、軽く揺さぶって、うつろな目を少しでもはっきりさせようと。

「ルークさん、戻って、戻ってきてください……」

 お願いします、とシェリーが呟く。けれどルークは戻ってこない。歌姫に魅了された心が抜け落ちたようになったまま、シェリーでもない誰かを、どこかをふらふら見ている。


 ――こんなの、ルークさんじゃないよ。


 視界が潤み歪んでいく。頬をぽろぽろと涙がこぼれていく。

「ルークさん……っ」

 非力な腕に力を流し、ひたすら抱きつく。

 せめて、ここから動けなくしなければいけない。向こうでは歌姫の手下らしい魔物と、二人の青年が戦っている、殺し合いをしている。魔物は操られているらしく、もしもルークまであんなふうになってしまったら、きっとケガだけではすまない。最悪の事態しか見えない。

 動かないで、でも元に戻って。

 祈りながら腕に力を込めていった。

 する、と自分の背中に腕が回るのにシェリーは気づく。それがルークの腕であることに気づいたのは、すっぽりとその腕の中に納まってから。今まで、せいぜいペットか何かを褒めるように頭を撫でるばかりで、こんな触れ合いはなかった。一瞬で心が跳ね上がる。

 じわじわと伝わる体温。首筋を掠める息。

 一瞬で頬が赤く色づき熱くなるのを、シェリーはじっくりと感じた。


「シェリー」


 耳元で名前を呼ぶのは、絶対に反則だと彼女は思う。

 ゆっくりと腕の拘束が緩んで、シェリーとルークの間に距離が生まれた。

 シェリーは、誘われるように腕を伸ばす。

 頬を撫でるように、頭の後ろへと。

 するり、とフードが外れた。ルークがいつも隠している、それが晒される。硬く、でこぼことした節がある、羊のように渦を巻いた黒い角。白い髪に映える、とても綺麗な赤い瞳。

 角があるのは『闇の民』と呼ばれる、古い種族の証だ。

 それだけで魔術師にとって優良な血筋であり、女性であれば誘拐などの危険があって、男性でもそういう類の道具として扱われることも少なくない、といわれている。なにせ田舎などを巡って闇の民の血が発現した子を連れ攫い、魔術師家系に売りつける人身売買組織までいる。

 特に女と違って男は、妊娠という手間がない分、高値で取引されるとか。

 ルークは特に何もいわなかったが、隠しているのはつまりそういうことがあったか、考えられるからなのだろう。彼は過去を語らないし、シェリーは賢くないがそれくらいわかる。

 だけど――シェリーは、時々目にする彼の本当の姿が好きだ。

 赤い目も、ぐるりと曲線を描く角も。

 指先で触れると、かすかにルークに反応があった。確か、闇の民はこの角が弱点というか敏感な部位らしく、あまり触れられたくないのだという。というか、はじめてみた時にぺたぺたと触りまくった時に懇々と説教された時に、角に触れてはいけない理由として説明された。

 人間で言うところのわき腹など、とにかく敏感な箇所と同じだと。

 大事なところだから触れるな、といわれた。

 だけど始めて彼が、少しではあるが反応を示してくれた。

 シェリーは指先でくすぐるように角を撫でて、ルークさん、と何度も名前を呼ぶ。

「……っ」

 びくり、と彼の身体が震えた。今までで一番大きな反応だ。これなら取り戻せる、とさらに触ろうとしたところを、誰かが手首を掴んで阻止する。うつろな赤が、怒気と焦りと、他いろんな色を宿したものに変化している。……これはやりすぎたかも、と少し後悔の念が浮かぶ。

 だけど、彼を取り戻せたから、少しぐらい怒られても問題はない。

 叩かれることを覚悟し、俯いて目を閉じるが。

「お前は……本当に、俺を何だと思って」

 ぶつぶつ、とぼやかれる声が降り注ぐだけで、特に何もない。

 顔を上げようとするが、その前に抱き締められてしまって動けなくなる。

「あ、ああああ、あの、ルークさんっ」

「とりあえずじっとしてろ。……と、これで充分か」

 シェリーを片腕だけで抱き締めたまま、ルークは外套の内側を探る。取り出したものはシェリーの目にも見えて、それは未加工のごつごつした、青い魔石の塊だった。ちょうど握り締めるのにちょうど良い程度の大きさの、魔石としてはわりと大振りなものだったはずだ。

「そこの二人、適当によけてくれよ……!」

 魔物を一体切り伏せて、残りに二人で挑むヒイラギとセツナに声が飛ぶ。

 同時に、ルークは魔術を構築し、解き放った。通常、加工することで安定さを得る魔石を未加工で扱うことは、制御が面倒で難しいために誰もが避けることである。とはいえ、絶対に出来ないということはないので、腕がよく高望みをしなければ扱えないこともないものだ。

 一応は、闇の民であるルークなら、きっとたやすいことなのだろう。

 しかし制御は行き届かないため、事前に警告したのだ。

 ルークの魔術は魔物を凍らせ、そのまま巨大な氷柱を作り出す。もう少しでヒイラギやセツナも巻き込まれかけた辺り、やはり制御がちゃんとできていないらしい。

 腕にシェリーを抱いたまま立ち上がり、ルークはアポフィラの元に向かう。

 すでに腕をだらんとさせていたアポフィラは、軽く肩で息をしている。明らかに疲れきっている表情だったが、何かをやり遂げ勝ち誇るように満足そうな笑みを浮かべていた。

「……勝手に使うな、返せ」

「美人にふらふら向かったロクデナシが何様ですか。よくもまぁ、ボクより年下のかわいい女の子を毒牙にかけられたものですな。このヘンタイめ恥を知れですよ」

「そこまで言われることをした覚えはない!」

「どうだか」

 ぽいっと杖を投げるように手放し、アポフィラははき捨てる。

 その視線は、まっすぐに歌姫の方へ向けられていた。

《――》

 歌姫は歌を止め、静かに月を見上げている。

 でなければいくら持ち主に返せといわれても手放すわけがないし、明らかに両方を使用して魔術を使っているアポフィラに、さすがのルークも杖を返せなどとは決して言わない。

 全員が見つめる先、月明かりの下、佇む《歌姫ラクヒ》は何かを呟いていた。


《■■■■■■■■■■■■■■■■》


 歌うわけではないその声は、どこかかわいらしい響きがある。

 俯き、《歌姫ラクヒ》は静かに腕に抱くそれを見つめた。

 くるくる、と回し、その顔面だった部分が自分の方を向くようにする。

 彼女は小さく、かすれるような声で何かを呟いた。

 何度も何度も呟いて、そのたびに声は小さくなっていく。もう歌は聞こえない。聞こえるのは泣いているような声だけだった。俯いた歌姫が、泣くように呟く声だけだ。

「――あなた、の」

 そこに、シェリーの声が響く。


「あなたの声を、もう一度聞きたいの……?」


 彼女の声に反応したかのように歌姫は、ゆっくりと移動を開始する。もうアポフィラ達には見向きもしない。歌も歌わず、ゆらりゆらりと水面が揺れるように遠くなる。

 どうやら、ここは彼女の居場所というわけではなかったらしい。

 それを見送りながら、シェリーが口を開く。

「あの人、かわいそうな人、です。ずっと歌ってるんです。あの人に会いたいって、あの人に抱き締めてほしいって、あの人の声が聞きたいって、あなたはどこにいるのって……ずっと」

「シェリー、歌姫の言葉わかるの?」

 ニノンの驚いた声に、はい、とシェリーは答えた。

「お母さんがセイレスの民で、だから歌も教えてくれたんです」

 だから、とシェリーは遠くに消えてく青を見つめる。

 なるほど、とアポフィラがうなづく。セイレスの民は歌う一族であるが、伝統的な歌は古い言語を使用していることが多い。そしてそれらは、歌詞やその意味も含めてすべてが口伝で伝えられていくのだという。おそらく文字では読めないのだろうが、音は聞こえるのだろう。

 つまり、あれは古代語の発音だった、ということか。

 わからないのも仕方がない。今ではしゃべるものもおらず、せいぜい古い書物に文字だけが残っている言語だ。しかし使われなくなったのは遥か昔で、かの歌姫が存命だった頃は今の言葉が使われていたはずだが、どうして古代語で歌い呟くのか。その理由はわからない。

 何かを判断するに足る材料はなく、その材料になりそうな歌姫は去っていく。

 彼女は歌い続けるのだろうか、歌を道連れに彷徨い続けるのだろうか。

 得られない過去を捜し求めるように、永遠に。



   ■  □  ■



 オーリアの、とある喫茶店。

 少し色合いが異なる白い髪の男女が、カウンター席でコーヒーを飲んでいた。男はブラックだったが、女――いや、少女はミルクと砂糖をたっぷりと入れた甘いもの。

「体調は大丈夫そうですな」

「おかげさまでな。あの薬師は腕が良い」

「ふふ、ニノンだから当然なのですよ。ボクが認めた薬師なのですから」

 くるりくるり、とスプーンを使ってカップの中をかき混ぜる。 

 カウンターの中には誰もおらず、客も二人だけ。ぴぴく、と獣の耳を動かし、少女――アポフィラは隣にいる男、彼女の実兄でもあるルークを見て意味深ににやりと笑って見せた。

「詳しく検査しないとわからないですし、そもそもそんな方法など今のところ皆目聞いたことがないのですがね、おそらくあの塔は、ちょっとした『門』なのだろうと思うですよ」

「門?」

「こちらとあちらを繋ぐ門。ただし、繋ぐ先はランダム。そういう門です。うまくやれば特定の箇所と繋げられるのかもしれませんが、あまり手をつける魅力は感じられないですな。向こうのことなんて何もわからないし、そもそもどういう理論なのかも不明なわけで」

 それに、とアポフィラは続け。

「おそらくこれは、あの場所だからこそ成ったことだと思うですよ」

「あの場所ゆえのこと、か」

「あれから文献を引っ掻き回してやったのですが、どうやら《歌姫ラクヒ》が幽閉されていた場所が、ちょうどあの辺りなのだそうです。塔――という記述があったので、おそらくは」

「あの塔が、それか」

「証拠は何もないですがな」

 しかし、かの《歌姫ラクヒ》の歌声は神の如き力を持ったとされていた。ならば、それに似合う力があったと見て間違いはない。その類稀で、強力な力が、この現象を起こしたと考えるのは早計ではないだろう。もちろん証拠はないのだが、他に有力な仮説も仮定も存在しない。

 だが塔から彼女は姿を消したとされ、以後、その塔に関する記述はなく。もし彼女の歌声が何かの現象を呼び、その時に向こう側――魔物が本来住まっている領域へと旅立ったなら。

 そして彼女が当てもなく彷徨っている、その辺りが偶然繋がったならば。

「……となると、いずれもしかすると」

「もう一度、あの歌姫は姿を見せるかも知れないですな。まぁ、あのダンジョンは同じ場所に繋がったという記録はないようですし、彼女が向こう側を彷徨っていたとしても運良くまた捕まるとも限らんですが。あくまでも可能性の問題、それも気にするのも無駄なほどの」

 だが、仮にこれから再び遭遇することがあったとしても、彼女の存在は強力な上位魔物としてギルドのデータベースに登録された。まぁ、おかげで直接相対したアポフィラ達は根掘り葉掘りといろいろ聞かされ、特に対抗策として使用した魔術についてもあれこれ解説する苦労があったのだが、まぁそれはともかく。次に彼女とであっても、今回ほどの被害は出ない。

 おそらくはあの場所に類似したところに繋がった時点で、それ相応の警戒などが行われるだろうからだ。ギルドには特定の強力な魔物の情報が集められて、それに対抗できる魔術などの情報も載せられている。それらしい魔物が見つかれば、誰でもその情報を使用できる。

 つまり次に誰かが《歌姫ラクヒ》に遭遇したら、アポフィラが作った魔術を使えばいい。

 これぞ、ギルドがギルドである最大の利点の一つである。

 とはいえ長時間拘束され、大事な魔術のレシピも教えさせられたアポフィラは、あまり気分が良いものではないが。必要なことだとわかっているし、それなりに謝礼も出てはいる。

 だが魔術は基本的に個人所有の財産で、せいぜい弟子などに伝えるだけだ。

 あんな形で急ごしらえの魔術が、というのが彼女の気持ちである。


「――さて」


 くいっと、残りのコーヒーを一気に飲む。

 かちゃりと受け皿にカップを戻し、ルークを見た。

「では、ボクはもういくですよ。ボクはここに住んでいるので、伝言があれば適当にギルドにでも投げてくれればよいかと。ここのギルドは良い人ばかりですからな、オススメするです」

 少し高い椅子から、すとん、と飛び降りる。

 杖を握って、ドアに向かって――途中で、くるりと振り返った。

「最後に一つ――もし婚前交渉なんぞしたら、跡形もなく燃やすですからな。シェリーと子供はもちろんボクが大切に保護し、今度の面倒をみるです。だから安心して死にやがるように」

「するか! そして相手を決め付けるな!」

「……まさか、シェリー以外に相手が」

「いない!」

「ならそれでよいのです。ボクはあの子が気に入ったです。あの子を悲しませたり、あの子を捨てるような行為をすればいかなる手段もとりましょう。具体的には父上と母上に密告を」

「やめろ、本当に殺されるから……」

「まぁ、シェリーに『魂の石』を渡してますので、そこは信じてるですよ」

 にやにやと笑うと、ルークが気まずそうに視線をそらす。

 魂の石、というのは特殊な性質を持つ鉱石の俗称だ。

 魔の民は昔からそれをペンダントに加工し、意中の相手に渡す。婚姻関係になった時、原石を加工して指輪を飾る石にして、指輪を交換し合うのが彼らの伝統ある婚礼の儀式だ。指輪の部分だけがあちこちに広まっているが、その場合に使われる石は金剛石が多い。最初の見た目が一番似ているのが、金剛石だったからだ。硬さも同じくらいで、共通点は割りと多い。


 基本的に、魂の石を渡すことは、あなたと結婚したいという意味になる。

 もっとも他種族はあまり知らないことで、もちろんシェリーも知らないだろうが。


「そっちの気が向けば、あれの意味を教えてやってもいいですが、どうするですか? ボクの予想では、きっと知れば喜ぶと思うですけども。まぁ、まさかすでにプロポーズされているなど想像もしないでしょうし、まさかあのペンダントの石が持ち主の愛によってゆっくりと色づいていって、それを使って指輪作ったりするなんて思いもしないでしょうし、そもそもあの石を意中の相手に渡すという行為が、闇の民にとっての『お前は俺の嫁』宣言とは想像も」

「お前それをもしあいつに言ってみろその耳引っこ抜くぞ」

「……冗談が通じない奴ですな。シェリーも、これのどこが良かったのやら」

■登場人物メモ


 シェリー(15)

  セイレスの民を母に持つ少女、翼を持たないが多少なら力も扱える。

  ドジっ子、ダメっこ、だけどがんばる子。ルーク大好き。

  ルークに『俺の嫁宣言』をされているのだが、当然気づいていない。


 ルーク・ラージェント(21)

  アポフィラの実兄で闇の民。父親が獣人で、母親が闇の民。

  ちなみに両名とも存命。魔学校有する学園都市ラーズワース在住。

  シェリーにべた惚れなのを妹に知られ、頭を抱える日々。


 アポフィラ・ラージェント(16)

  けもみみ魔術師。愛称はアコだが、呼ばれるのが好きくない。

  父の血が強いが中身は母似。魔学校を学年二位の成績で卒業した天才。

  シェリーのことで兄をからかうのが、たまらなく楽しいご様子。

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