落日の少女
『これは全ギルドへの緊急依頼です』
その日、いつものように仕事を探しに来た冒険者に、各地にあるギルドの受付嬢は、一つの依頼を差し出した。ごく稀にある緊急依頼――それもギルド全体に渡る、重要なものである。
一部の人命に関わるような依頼でもない限り、極力これを優先してほしい。
そういう類の依頼にのみ、緊急、という呼称がつけられていた。
月黄泉夢幻、そう呼ばれる不思議なダンジョンがある。
そこで数日前から発生している『行方不明事件』の解決が、その内容である。
通常のダンジョンと異なり消えることはなく、定期的に中身が変わるだけのそこで、百人近い冒険者がいきなり行方不明になった。無事に戻ってきたのはほんの数人で、彼らはいきなり仲間や他の冒険者が、ふらふらとどこかに向かっていってしまったという主旨の証言をした。
魔物の中にはヒトに勝るとも劣らぬ知性を持つ、といわれる部類がいる。近年は確認されていないが、強い魔物が生息するダンジョンの奥地に言葉を持つ魔物がいたという記録が残っていた。今回もその類が冒険者を惑わすか何かしたのではないか、という推察が出ている。
問題は犯人よりも、行方不明者の安否である。
実は以前からたびたび、そのような行方不明の話があった。しかし死体を確認されていないだけというケースもあるので、それほど大事にはならずにいた。だが今回のことで、彼らもまた同じように行方不明になった可能性が高いのでは、と囁かれている。
ともかく、このダンジョンを『安全』にしなければならない。
ゆえにギルド所属の冒険者へ緊急依頼が発令され、多くの冒険者がやってきていた。
「しかし、このような話は初耳だ」
ダンジョン傍にある集落の、とある宿の人でごった返したロビー。
そのすみっこの方にアポフィラ達はいた。ヒイラギは念入りに刀の手入れをし、出発の準備を整えている。傍らにはセツナが座り込んでいて、同じく武具を点検中。向かい側にはかばんの中を引っ掻き回すニノンがいて、そしてアポフィラはソファーに横たわっていた。
寝ているわけではない、魔術のストックを用意しているところなのだ。
身体の感覚が鈍ってしまい、倒れることがあるので横たわっているだけなのである。そんな彼女の傍らで、残り三人はそれぞれに出発に備えた準備をしていた。
「さすがに全員魔物に倒された、というのはなかろう。百人は多すぎる」
「でも、ここのダンジョンって中身が変わるんですよね?」
「だけど利用され始めてもう何百年も経つのに、こんな話はない。あれば、とっくの昔に立ち入り禁止になっているだろうからな。……となると、人為的な何かがあったと見るべきだ」
「人為的、か……やな言葉だな。あんまり考えたくない」
「……だけど、その可能性が高いんですよね。セイレスの民とか、歌声でヒトを惑わしたりできますから。魔術にもそういう術式があるらしいし。魔物にそんなことできるのかなって、あたしは思っちゃうんですけど。だけど、そっちの方がいいかな、なんて思ったりとか」
「そうだな。……同業者は、やはり疑いたくはない」
ちゃき、と澄んだ音を立てて、ヒイラギの刀が鞘に納まる。
同じような音が、周囲からいくつも聞こえた。
ギルドからの緊急依頼は、受けて現地に赴くだけでそこそこの儲けになる。なので多くの冒険者が請け負って、この地に集まっていた。古い知人とでも出会ったらしい冒険者が、これから危険な場所に行くというのに笑顔で談笑する姿も見える。そこだけ見ると穏やかなものだ。
「……ん」
ぴぴく、とアポフィラの耳が動く。目を閉じたままよろりと身体を起こした彼女は、それからゆっくりとまぶたを上げた。青い目が、いつもより少しだけ鋭い。
だが、数回瞬きをするうちに、意識も視線もはっきりした。
ニノンに渡された杖、そこに取り付けられた魔石をじっとみつつ、口を開く。
「ボクは準備はおっけーです。いつでもどうぞ」
「私も準備は整った。二人はどうだ?」
ヒイラギに問われたセツナは小さくうなづき。
「あたしも大丈夫です」
ニノンはかばんの口をしっかりと閉じ、杖を手に笑った。
冒険者はそれぞれパーティなり個人なりでダンジョンに入って、行方不明者の捜索をすることになっている。犯人については二の次で、とにかく被害者の救出が最優先だった。なのでニノンのように治療術が扱える冒険者は、いつもより薬を詰めてかばんを膨らませている。
万が一、行方不明者がケガなどを負っていても、対処できるようにだ。
「では……そろそろ、行くですかな」
杖を手に立ち上がったアポフィラに続き、四人は宿を出発した。
■ □ ■
苔むした、じめりという空気に満ちたダンジョンの中。ほか数組のパーティと共に、アポフィラ達は中の探索を開始した。我先に、と逸るものは一人もいない。行方不明になった者の中には、それなりに名の知られたパーティなども含まれていた。それを考えると、たとえ不本意であろうとも他者と協力することが、必要不可欠であることは誰もが痛感している。
逸り、そして新たな被害者に名を連ねること。
それだけは全員共通の、もっとも避けたい事態だろう。
どの冒険者もあまり深追いはせず、ある程度探索――いや捜索したら、一度外に戻ってきているらしい。外で情報を集めて、即席の地図と探索された領域を書き込むボードがあった。
「で、あのボードによるとあっちの方はまだあんまり探せてないみたい」
ざっくりとボードの絵図を書き写したらしいニノンが、その紙切れを見つつ指を刺す。彼女の指示に従い、アポフィラ達は入ってすぐの通路をしばらく直進し、大きな広間にでたら今度は右の方へ移動する。地図を見るのに不便のない明るさが、逆に今は不気味でもあった。
「……っていうか、このダンジョンって変な感じですよね」
「変、というと?」
「だってしっかりと塔が見えますもん。他のダンジョンって、入り口付近がもわもわーって感じに見えてるだけだし。ここだけ、まるで塔の中にダンジョンができてる感じで」
「そういう説は、あるにはあるですが……なにぶん調べようがないですからな」
「説としてはあるのねぇ……ふぅん」
「何とも不思議。夢幻の名は伊達ではない、か」
ヒイラギは通路の途中にある、窓のような隙間の向こうを見ている。
アポフィラ達も足を止めて覗き込んだが、その先にあるのは不思議な光景だった。白い砂利とやけにぐにゃりと曲がった樹木。そして池と、大きい岩。それらがおそらく美的センスのようなものにあわせて配置された庭が、空に上る満月に照らされて浮かび上がっていた。樹木の葉はまるで針のように細長く、触れたら痛そうですな、とアポフィラは思った。
「あれは東方諸国の庭園だな」
どこか懐かしそうに、ヒイラギが呟いた。
独特な文化とセンスを有する東方諸国の庭は、あのような感じなのか。アポフィラはここがダンジョンであることが、少しだけ腹立たしいと思った。こちらではまったく見ないタイプの庭で、興味もあるのでじっくりと見ておきたいところなのだが、さすがにそれは叶わない。
まぁ、それ以前に外に出る方法もないのだが。
壁を破壊すればでられるかもしれない――しかし、どうなるか予測できず、判断できるような事例もなく。そのあたりの残念を詰め込んだ魔術を、いくつかそっとストックにした。
感情に任せて作り上げた魔術は不安定だが、感情を動かした要素が高が知れているので問題ではない。己の内面すら操って見せてこそ、一流の魔術師の第一歩なのである。
「どう考えても、あの塔の外じゃないし……ほんとここ、変」
ニノンの呟きは、おそらくこの場にいる全員の総意だろう。もはやここに、外の常識を求めることは間違っているのかもしれない。ただ精神的に疲れるだけの、無駄な行為だろう。
誰が合図したわけでもなく、四人は自然と奥へと歩き出した。
現在のダンジョンは戦うのに便利そうだが隠れる場所などはない大部屋を、渡り廊下のような感じの外が見える通路が繋いでいるような構造だった。通路は複雑に交差していて、気を抜くと迷子になってしまうだろう。アポフィラが魔術で道しるべを残しているから、ひとまず帰り道がわからないということはないが、過信はできない。
適度なところで引き返すことも、作戦として考えなければならないだろう。
そしていくつ目かの、大部屋へと足を踏み入れた時。
《――》
アポフィラは、青い少女を目にした。
青い髪を長く伸ばした、華奢な身体つきらしい少女を。
無意識に思ったのは美しい、という感情。こちらに背を向け、少し離れたところに佇んでいる彼女には、瑠璃色の翼があった。紺碧ではなく瑠璃、としたのは、その翼を飾る装飾品が黄金色をしていたからだ。金というより、トパーズなど宝石類が中心になっている。足元はやわらかそうな羽毛で覆われていて、彼女が翼人ではなくセイレスの民であることを伝えてきた。
そんな少女に声をかけようとは、誰もしない。
息を呑み、彼女の様子を伺うだけだ。
――おかしい。
美しさを認めつつもとっさに感じた何かが、少女を受け入れることを拒否していた。違和感というべき何かが、アポフィラの中に根を張って、自己主張をする。
あれは、何かが違うと。
《――》
少女が、ゆっくりと振り返る。どこを見ているともわからないうつろな視線が、四人に向けられた、ような感じがした。実際はきっと誰も見ていないのだろうが、そんなことが気にならないほどの衝撃が走る。ヒイラギが普段身に着ける東方の民族衣装に似た衣服をまとう、その青い少女が腕に抱く『それ』が、あまりにも、あまりにも異質で緊張感を叫んだ。
それは、ヒトの頭蓋。
作り物のように真っ白いそれは、紛れもなく頭だった。
場所的には珍しくもないだろうそれを、見目麗しい少女が腕に抱く。まるで花束でも抱きかかえるように、大事そうに。放っておけば頬すりでもしたかもしれない、とすら思えた。
《■■■■■■■■■■》
少女が、唇を開く。
言葉であることはわかったが、意味がわからない言語だ。
「あれは、古い……古代の言葉」
アポフィラはすぐに気づくが、あいにく通訳などはできなかった。魔術書のおかげで読むことだけはかろうじてできる。しかし辞書なしには誤訳をするし、音の方は喋ることができるものがもはや存在しないせいなのか、今のところどう発音するかも不明な単語が多い。
だが、それが帰って彼女の声の神聖さを際立たせた。
青い少女の声は、とても美しい。
澄んだ清水のような、あるいは雨に汚れをぬぐわれた空のような。ヒトが持ってよいのかと思ってしまうほど、驚くほど美しく。ましてや綴られるのが知らぬ言語、ということで神秘性は際限なく高まった。気を抜くと緊張感を奪われ、少女に魅入られてしまいそうなほど。
《■■■■■■■■■■■■》
ゆらり、と少女が近寄る。
歩くというよりは、わずかに浮き上がって漂っている感じだ。揺れる服すら、なぜか息ができないほどの衝撃がある。アポフィラは、何かがおかしい気がした。ニノンら他三人ならともかくとして、自分がこんな風に思うなんてありえないことです、とふと思ったのだ。
結局――彼女は誰なのか。
いや、誰であろうとも問題はない。とても冒険者であるようには見えず、そもそも頭蓋骨を抱き締めている少女、なんてどう考えたって普通の存在に入れてはいけないものだ。
アポフィラは迷いなく、それでも少し威力を抑えた魔術を構築。
そして放った。
ターゲットは彼女とこちらの間。
天井まで伸びる火柱に、少女はわずかに動きを止める。
「何をぼーっとしてやがるですか! さっさと攻撃するですよ!」
「え、あ、でもあれ、ヒトじゃない……」
「頭蓋骨抱き締めてこんなところにいるやつが、まともだと本気で思うですか。どっちにしろぶった押してとっ捕まえて、外に引っ張り出すしかないです。ただ、魔術では相手を殺すしかできないので、つまりお前らがんばりやがれという話なのです、わかったですか!」
その怒鳴り声に、次第に三人に緊張感が戻る。すっかり、あの青い少女が放つ雰囲気に飲み込まれてしまっていた。もしかすると、彼女が行方不明事件の『犯人』なのかもしれない。
あの雰囲気の見込まれて、どこかに誘われて……。
「だとすれば、チャーム系の魔術……にしては、そんな気配がないですが」
どういうことですか、と誰に尋ねるでもない言葉を漏らすのと、ヒイラギが動くのはほぼ同時だった。青い少女はゆらり、と漂いながら、四人に接近し続けている。
ヒイラギは刀を抜かず、一気に近寄った。何か打撃を見舞うつもりなのだろう。彼らしい戦い方だ。その補佐に入るのはセツナで、彼は少し後方にぴったりと張り付いている。
ニノンはアポフィラの前に立ち、杖を構えて少女を睨んだ。警戒なのか、役に立たない自分に腹が立っているのかは、その表情からはわからない。機嫌が良くないのは確かだ。
そうこうするうちに、ヒイラギの間合いに少女が入り込む。
一気に地面を踏み込んで、彼は少女の胴体を狙った。
だが。
《■■■■■》
何かを呟いた少女が、すっと、後方へと滑るように移動する。いや、流れるように、と言った方が正しいかもしれない。水が上から下へ向かうように、その動きは早く、滑らかだ。
彼女の長い青の髪が、波のように蠢き。
《■■■■■■■■■■■》
叫ぶように、少女が歌った。
まずい、ととっさにアポフィラは耳をふさぐ。杖は己の身体に立てかけるようにして、床に落とさないようにした。落としたら、さすがにいろいろと面倒なことになる。その間も青い少女は歌い続けた。厳かであり、不気味であり、そしてどこか物悲しい声で歌を奏でた。
最初に様子がおかしくなったのは、セツナだった。
動きが急に緩慢になり、そのまま膝を突く。次に変化がおきたのは残り二人。どちらも動きが緩やかになって、膝を突いたまま動けなくなってしまった。動こうともがく行為すら、次第に薄れて消えていってしまう。耳をふさぐアポフィラも、次第にその力が緩んできていた。
まずい、これはまずいです――心が警鐘を叩き潰さんばかりに鳴らす。
今にも陥落しそうな意思を震わせ、彼女は一つの魔術を構築した。いつもより時間がかかってしまっているのは、自分にそれだけ余裕がないからだろう。歯を食いしばり、それでは足りぬとばかりに頬の内側を軽く噛んで意識を保つ。痛みだけがすべてを繋ぐ、命綱だった。
魔石の中をめぐっていた演算が終わると同時に、アポフィラは魔術を発動させる。
ストックしていたすべての魔術を、解き放つ。
あちこちで火柱が上がり、鋭利な先端を持つ氷の塊が少女に向かっていく。
そして。
「……っ」
ガラスを爪で引っかくような、ぞわりとする不快な音が大音量で響いた。ダンジョンそのものを震わさんばかりのそれは、すべての音を掻き消していく。爆音も、氷が砕ける音も。
そしてなおも奏でられていた、青い少女の歌声すら塗りつぶす。
《■■■■■■■■■》
青い少女は、何かを呟くように漏らして。
そして炎の合間を縫うように、どこかへ漂っていった。
逃げた、とはアポフィラは思わない。そもそも彼女がこちらを、ちゃんと認識していたのかすら怪しいからだ。歌を邪魔されたから別のところに向かった、とする方がしっくりくる。
「うぅ……」
と、魔術により発生した音のせいか、耳を押さえていたニノンが呻く。
「な、なに今の……耳いったぁ、てか気持ち悪い」
「あれくらいやらないと勝てないですからな、あの歌に」
アポフィラが行ったのは、ちょっと特殊な魔術の構築だ。衝撃はない。炎も生み出さないし風も起こさない、水を溢れさせることもない。しかし一つだけ、音を生み出す魔術だ。
基本は風の属性を持つ魔術で、そこにいくつかの手を加えた公式でできる。
それを発動させると、風と風が、空気と空気がぶつかってものすごい音を生み出すことができるのだ。騒音だけなら炎系の魔術により爆発尾起こすのも良いが、あちらは予想外の被害が出る可能性がある。崩れるということはないだろうが、余計な事態は避けるべきだろう。
他のストックと一緒に使ったのは、単に使い分けるという割と繊細な作業をする暇がなかっただけであるのだが、今の疲労度を考えればストックを抱える余力はないのでむしろ最善か。
「で、何でいきなり音なのよ」
「そりゃ、面倒な歌が聞こえてきましたからな」
「……歌とな? 確かに何か聞こえてはいたが、あれはやはり魔術の一種か」
その通り、とアポフィラは答え。
「あれは《セイレスの呪歌》というヤツです。名の通り、セイレスの民のみが扱える、特殊魔術の一つですが、そのなかでもあれば……おそらく、聞いた誰かを支配する系統、ですな」
でも、と彼女は言葉を濁した。それは、どんなことでもすっぱりと言い切ることが多いアポフィラにしては、少しだけ珍しい姿だった。結論を出したい、いや出ているのだが、それを結論とみなしてもいいのかどうか。口にするべき考えか、迷っているような雰囲気があった。
「ありえない、と断じたいところではあるですが、しかし……深い青の翼に黄金色をあしらっているセイレスの民。見目麗しく、高貴な衣服と立ち姿。そして頭蓋を抱く、となると」
しばらくブツブツ呟いていたアポフィラは、はぁ、とため息をこぼし。
「あれは――《歌姫ラクヒ》ですな」
聞き慣れない、おそらくは少女と思われる名を告げた。
それも『歌姫』という単語を添えて。
「あれは、おそらくまだ旧王家が存在していたずっとずっと、遠すぎるほど遠い昔、大公家フェルディーネにいた、とされている《歌姫ラクヒ》ではないかと、ボクは思うですよ。彼女は瑠璃色にも似た美しい翼を持ち、それに黄金色の宝飾品をつけていたと聞きますし」
「フェルディーネってことは、歌姫の?」
「そう、五大公の一つ。我らがオーリアを司るあのフェルディーネ家なのです」
「旧王家が存命だったころとなると……数百は昔、ということか」
「まぁ、そういうことになるですな」
にわかには信じがたいな、と呟くヒイラギだが、疑っている様子は薄い。
ここは普通ではないダンジョンだ。普通ではないことが起きても違和感は少なく、アポフィラ・ラージェントというこの魔術師が、突飛なことをあてずっぽうに言うわけがないという信頼感がある。彼女があれが古にいた歌姫であるというなら、そうなのだろうと三人は思った。
実際、そう思わせるに足る雰囲気が、あのセイレスの少女にはある。
高貴な生まれなのだろうことは、そこだけは一目瞭然。
ただそれゆえに、彼女が抱いた頭蓋の不気味さが、より際立って思い出されるのだが。
「彼女の名はラクヒ・ラ・フェルディーネ。ラ、とは本家の血筋を引く、直系の子という意味合いがあるです。時の当主の愛娘であったラクヒは自らを守る騎士の青年と恋に落ちて、王との婚姻を拒否したのです。もちろん一族がそれを許すわけもなく、無垢な歌姫を惑わしたとして騎士は斬首。一説では姫に罰を与えないことを代償に、騎士が自らそれを選んだともいわれるですな。ともかく騎士は死に、それでも彼を待ち続け歌わないラクヒに、父親はついに我慢できなくなってあるものを投げつけたです。それは斬首された騎士の頭部――頭蓋骨」
「……っ」
「さっさと『邪魔な存在』を、忘れて欲しかったのですよ。ラクヒは直系でも最高の力を持つ歌姫で、その声は神の如き力を持っていたそうですから。何もかも忘れ、元の歌姫にしなければという思い故だったのですな。浅ましい。そして姫はそれが、肉も何もないのに愛した男の骨であることを知り、壊れた。ラクヒは確かに《歌姫ラクヒ》へと戻ったですが、歌声からは力が失われ、以後の彼女は頭蓋を抱き締めたまま、いずこかへと幽閉され続けたとか」
「なに、それ……ひどい!」
「今も昔も、貴族というのはそういうものですよ」
おぞましい、と彼女は言い捨てる。
彼らは意図して心を捨てられた。愛を裏切り、欲のままに生きる。血こそがすべてに勝る判断基準であり、それは今も変わらない。今も昔も貴族は、特に大公家――今で言う五大公にとってはそれがすべてだ。それだけがすべてであると、アポフィラは知っている。
結局彼らは血を重視して、さらにそこから選り好みをする。
アポフィラは、知っていた。知らなくてもいいことなのに知っていた。腕の良い魔術師だったがために囚われて愛人にされて、望んでもいない場所に立たせておきながら周囲からの冷たい風を防ごうともせず。失意の中で生まれた命があったこと。その命が必死に『愛』を求めて努力を重ねて、誰からも褒め称えられるだけの力を身に着けながら、結局捨てられたこと。
だから貴族は嫌いだ。アポフィラは、そういう類が大嫌いだ。
「……まぁ、話を戻すですよ」
アポフィラはこみ上げる黒い感情に蓋をして、話を続ける。
「問題は、確実に死んでいるだろう《歌姫ラクヒ》が、そこにいたこと。彼女はある日、幽閉していた場所から忽然と姿を消した、とされているです。そんな彼女がどうしてこの場所にいるのか、冒険者を呪歌で惑わしているのか。謎が多いですが……まぁ、それはそれとして」
アポフィラはそこで一旦言葉を切り、息を吸う。
「セイレスの歌は、セイレスの歌で押さえ込む必要があるです。あの歌が行方不明事件の犯人であるのならば……ちょっと厄介ですな。ボクらを含むどの冒険者にも打つ手がない」
「……そうか、アレだけ集まった冒険者に、セイレスの民はいなかったな」
「じゃ、じゃあ」
震えるニノンの声に、アポフィラは残酷なほどはっきりとした。
なのに、どこかこの現状を楽しんでいるかのように明るい声で言った。
「惑わされないことを祈るしかない、ということですよ」
沈黙が、漂っていく。
そんなバカな、という主旨の考えが漂う場で、しかしアポフィラは動じない。うろたえようとも嘆こうともそれが現実であり、現状だ。セイレスの民でもいなければ《歌姫ラクヒ》に対抗する手段はないに等しく、またいたとしても対抗できるかどうかはわからない。
何せ相手は《歌姫ラクヒ》。
その存在は有名でも個人の名を残すことが少ない歌姫の中でも、数少ない個人名で語られる歌姫だ。その多くが、彼女の悲劇的な一生にまつわるものではあるが、実父にそこまでさせた力というものは侮ってはいけない。現に大勢の冒険者が、今も行方知れずなのだから。
通常、こういうこちらに異常をもたらす魔物などを相手にする場合、何かしらの対抗策を用意してから挑むのが普通だ。毒を撒き散らすならば毒消し、といった具合に。それを無しにこのまま突っ込むことは得策か否か、否であれば戻るべきなのか。しかし戻ったところでどうにもならないならば、このまま追いかけるのも選択肢としてはありかもしれない。
幸いにも、乱暴ではあるが対抗策がないわけでもない。
だが心もとないのも、事実であって。
「……さて、どうしたものか」
アポフィラは近くの瓦礫の上に腰掛けて、ふむり、と唸った。すでに《歌姫ラクヒ》は目に見えないところにいる。歌っているなら、その声で追いかけられると思うが、それを利用することは少し恐ろしいと思えた。どういう理屈で『魅了』されるかわからない以上、うかつに近寄ったり声に耳を傾けるような行為はできない。しかし、それしか方法もない現実がある。
思えばここは、魔物があまりいない。
彼女の歌声の影響なのか、彼女という存在に怯えるなりしていなくなったのか。どっちにしろ笑う要素がどこにもない推察で、どう転んでも嫌な方向にしか向かえそうになかった。
「アコ、一度……外に出るか?」
壁に寄りかかったヒイラギが、少しだけ悔しそうに言う。
「このまま闇雲に追いかけても意味がない。ここは、より様々な意見を拾うべきだ。この情報は我々の手に余る。正直、どうして良いのか私にはわからない。そもそもアレは何だ?」
「亡霊か、魔に落ちた存在か……何にせよ、もうヒトではないんだろうな」
「それを調べるには、魔学校の研究施設に組織の一部でも持ち込まないと、おそらくわからないんじゃないかとボクは思うです。ぶっちゃけ、正直なところわかりたくないですが」
彼女の生存が最後に確認されていた時期からの経過年数もそうだが、あの様子はとても普通の状態とは思えない、思いたくもない。緊急依頼でもなければ、見なかったことにしてそそくさと退散してしまいところだ。しかし依頼を受けたからには、最善を尽くさなければ。
「……とりあえず、外に出るです」
仕方がない。
現状ではうかつに動けないのだから。
歌姫がゆるりと去っていった方角を睨み、アポフィラは息を吐く。今から追いかけても姿を見つけられるとは限らない、そんな言葉を惜しむ自分の一部に語りかけながら。
アコ、と呼ばれて歩き出した時。
「あ……あのっ」
別の通路から、四人がまさに立ち去ろうとした広間に飛び込む影があった。一瞬魔物か何かかと身構えそうになるが、同時に聞こえた声に気づき動きを止める。
現れたのは、青い髪の少女だった。とてもダンジョンに似つかわしくない、どこの町にでもいそうな一般市民、としかいえない少女が、息を切らし四人の前まで走ってくる。よく見れば彼女は冒険者――のつもりなのか、ナイフなどを所持しているようだ。とてもそれらを持って戦えるようには見えないが。むしろ抱きかかえている杖の方が、似合うかもしれない。
「み、皆さんも冒険者ですか?」
「いかにもそうだが……貴殿は?」
「わたし、シェリーっていいます。あの、あの……っ」
背丈に合わない大降りの杖をぎゅっと握り、シェリーと名乗った少女は。
「お願いします、お願いします! わたしの大事な人を、助けてください!」
大粒の涙を床に落としながら、叫び、頭を下げた。




