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chapter 1

初夏の夜、生ぬるい温度に風がちょっと心地よい夜。

仕事あけのー飲み会あけのー。

気怠いけれど、ちょっとだけ身が軽いような。

帰りたいような、帰りたくないような。

そんな、意識はしっかりあるけれど、アルコールで若干出来上がっている。そういう夜のことだった。


飲み会帰りに同僚の友達と、だらだらと帰宅の途に着く。

ありふれすぎた一晩の光景だ。

ま、そんな晩から恋が始まったりすることもあるわけで、人生のイベントが始まる景色としても、ありといえばありな景色なのだろう。

が。

…にしても、なんせ斜め45度上から、景色が変わってしまった晩なので。

やっぱり、

ありふれた日常、から「非日常」に切り替わっちゃったよ、っていう、驚きというか落差は、

日頃「感動がうすい。」と言われる僕にだって、表現せねばなるまいって義務感を感じる。

そのくらい、この晩をきっかけに僕に訪れた転機って、甚大なのである。解ってほしい、この心。この驚き。、、


…僕は久遠寺朔也。

とある大学病院の研修医1年目をしている。

喜びや憤りや驚きが顔に出ないことで定評のある26歳である。

なにを考えているかよくわからない、と批判めいて言われることがあるが、なにも考えていないB型である。

自由人の自覚と誇りをこっそり持っている、見た目は普通の成人男子である。


そんな僕にとって、同僚や上の先生との飲み会は、日常によくあることで。

今日は今ローテーションで回っている、腎臓内科の先生たちと一緒にローテートしている同期の桐谷那子、5人で飲んでいた。

今は7月。

僕がこの仕事を始めたのは、4月。

毎月従事する診療科が変わって、腎内は3つめの職場。

仕事が慣れない。透析はよくわからん。

…から始まり、他科の悪口に、同期の評判に、彼女はどうだの(いません、すいません)、彼氏はどうだの(桐谷にもいません、いじり甲斐のないローテーター達だ…)、

飲みつつ食べつつわいわいと。

飲み会の楽しい雰囲気っていいよな~ってほろ酔いで楽しんでいたところでお開きのときがきて。


帰り道、夜道。

飲み会の、夏の夜道。

僕と桐谷は、お互いの住まいである研修医寮に向かう途中であった。




「腎内どうよ」

桐谷は、長い髪と姿勢がとても美しく、第一印象から品の良さがにじみ出ている女子だ。

長身でスラリとしたスタイルが綺麗な女子だが、テンションも声も低く、抑揚のない喋り方をする。

そして、こんな唐突な語りかけも多い。

容姿のレベルが半端なく高い分、なにかもったいない気もする。

ただ、あまり女性が得意でない僕にとっては。

…美人なのに喋りやすい彼女、「なのに」の成分の方が、僕にとってはありがたい。

かわいい女の子は好きですけれど。女性特有のノリは、好きか好きじゃないかじゃなくて、あまり得意じゃない。

桐谷は、見た目は女性成分のみでできているような(それもレベルが高い成分が集結しているような)人だが、中身はそうでもないので(どうなんだろうな)、僕にはありがたい人なのである。

「悪くないけど、なんか違うなあ」

僕の返事を待たずに、桐谷は言葉を続ける。

ふう、と桐谷が鼻で息をするのを感じた。

「あたしは内科なら循環器かな」

「そうなの?内科志望?」

「一応ねー。外科は体力続かなそーだし。せっかく勉強して医者になったし、マイナーってのも勿体ない気がする」

研修医同士が集まると、研修医終了以降の進路を、こんな風に語りあうことが多い。

僕も、桐谷とは学生時代はそんなに話す仲ではなかったので、こんな他愛もない話から、彼女という人を知ることはたびたびある。

ちなみに僕は、進路なんて全然考えてない(母校であるこの大学病院で働くのか、それすらよく解っていない)。

B型男とは行き当たりばったりの自由人なのである(ここはドヤ顔で言いたい。好きなんです、B型が)。

僕のことはともかく、桐谷は日本酒・焼酎と結構重い酒を上司と酌み交わしていたが、ハイヒールを履いたその長い脚は、少しのゆらぎも危なげもなく、力強くアスファルトを踏みしめていた。

僕は、あーアイス食いたいとかまあ、しょうもないことを考えているので、歩みが遅い。

長身とは言え女子である桐谷の後ろをのろのろとついて歩いた。



居酒屋から寮の帰り道は、原っぱのにおいがした。

夏であり、都内であるが、田舎のこの道、夜道。

細い電燈がポツポツついているが、暗い。

夜の視界は暗く、五感のうち視覚が相対的に働きを弱くなってしまうのか、夏の夜道はいつも足元の雑草の香りが気になるなあと僕は思う。

近くに、ブランコと砂場と緑だけの、小さな公園があるのだ。

仕事に向かう朝はその存在を気に留めたりしないのに、夜道のときだけ、妙に存在感を放っている。

その公園の入り口の脇に差し掛かった時、桐谷が急に足を止めた。

「なんだろ」

桐谷が公園の方に視線を向けている。

つられて僕が見ると、砂場の脇に、黒い影を認めた。

認めると同時に、桐谷はもうそちらの方に足早に向かっていた。なんという素早さ。などとつっこんでしまったので、僕は半歩、歩みが遅れた。

黒い影は、震えるように小さく蠢き、明らかに弱った動きを見せているのだった。

シルエットから判断するに、そう、夜目遠目から見ても解る―ーー人がもがき苦しんでいる姿だったのである。

「…う、う」

か細い声が聞こえた。

女性の声だった。

酔っ払いやホームレスの類とは明らかに違う様相。

「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

駆け寄り、軽く叩く桐谷。

なんらかの理由で意識障害で倒れた人だと判断したのだろう、彼女はまず意識の確認をしているのだ。

半歩遅れた僕は膝まづいて、顔から倒れこんだ女性をとっさで仰向けにし、背中に手を回し体をささえたた。

半目でひどく苦しそうに唸っているが、自発呼吸は確認できる。

桐谷が女性の手首を指で押さえながら、自分の時計を確認している。

「脈はある。不整脈もない」

桐谷がうなづいた。

となると…意識障害のみなのか。

僕は、自分の腕の中でうなる女性を、改めて見た。

金髪に近い明るい髪。ゆるくパーマがかかっているようである。

細身で小柄で、華奢な体系だった。

よく見ると、白いシャツに紺のスカート…ブレザーの、制服姿の女の子だった。

女子高生?未成年か…こんな夜中にひとり、公園で。

どこか犯罪の香りを感じたが、着衣の乱れや外傷は特に確認できない。

アルコール臭や吐しゃ物等も確認できない。

「大丈夫ですか?」

体を支えつつ、肩をたたいてみた。

「ん…う」

女の子は、唸り続ける。

ただ、うまく返答できないだけで、問いかけに対しての反応は、唸り声というかたちだがあるように感じた。

「大丈夫?わかる??」

僕はさらに問いかけ続ける。

「…救急車呼ぼうか」

桐谷が携帯電話を取り出した。

「いや、やめよう。救急車より自分たちで連れて行く方が絶対早い」

僕は彼女を抱えて自分の職場に戻る覚悟をした。

僕らの職場である大学病院は、ここから徒歩5分…救急車を呼んで、事情を説明して、救急車に連れて行ってもらって、は、5分どころではすまないと思ったのだ。

幸い意識以外の状態は安定している。体を触った感じ、発熱もなさそうである。

普通に連れて行って、普通に順番待ちすればいい。つまり、焦らなくていい。そう判断した。

「わかる???病院にいくよ」

僕は彼女を支えて立ち上がりながら、声掛けを続けた。

立ち上がり様に桐谷が手を貸してくれる。

いわゆる「お姫様抱っこ」で僕は歩き出した。

桐谷は、再び携帯電話を取り出した。

「救急外来に連絡するね。こんな子を連れてきますって、一応」

「おう、頼む」

桐谷は僕たちの様子を目でちらちら確認しつつ電話をかけつつ歩き出した。

なかなか器用だ、といつも通りつっこみたいところだが、小柄とはいえ女性一人をささえながら歩いている僕には、そんな余裕はあまりなかった(ちょっとは、あった)。

慣れた道とはいえ、夜道…。

なかなか骨が折れると思いながらも、この子の意識障害の理由はなんだろう、と考えた、

状況から察するに、急性薬物中毒か脳梗塞か…アナフィラキシーショックや精神疾患の可能性もある。

いずれにしろ、早く医療機器があるところに行きたいと思った。

僕も桐谷も医者として若葉マークで自分たちの能力が頼りないのはもちろんだが、ここでは疾患の想像はできても診断が出来ないし、治療なんか全く出来ないからである。

早く安心したかった。

患者さんではなく、僕が安心したかったのだ。いち早く責務を果たしたいというか楽になりたかった。

「…う…あ、の」

少し歩を進めたところで、僕の腕の中の女子から、唸り声以外のレスポンスを得た。

「あ、」

僕は歩を止め、桐谷にアイコンタクトする。

聡い桐谷も、すぐに足を止めてくれる。

女子高生は、苦しそうな表情ながら、眼を開けていた。

「大丈夫?名前は??」

「…エリィ…」

白色灯の頼りない明りの下で、白く褪せた顔色の少女は、力ない声で確かにそう名乗った。

「エリィ…ちゃん?」

えり、ではなさそうで、なんとも口馴染みがない響きだったが、条件反射で「ちゃん」をつけて呼んでいた。

呼びかけ返すと、眩しそうに眼を細めていたエリィは、大きな丸い眼を、ゆっくりと開いた。

そして、僕の眼から一切眼を逸らさずに、

「…あなた、これからひどい目に合うわ」

とんでもないことを口にした。

なんだそれは。

どういうことなんだい。意味不明、理解不能。

…助けた女子高生におかしなことを言われ、僕の脳内の口調まで、若干おかしくなってしまった。

「なにそれ」

「死ぬかも。でも、死ななそう。いずれにしろ…ひどい目にあうわ」

その発言自体がひどくないか。

僕は弱っている女子高生を放り出したい衝動に駆られた。

と同時に、僕の横からガタンと物音が聞こえた。

…桐谷が、携帯を落としていた。

桐谷の切れ長の目が、珍しく天地方向に大きく見開かれている。

携帯から話し相手と思われる男の声が小さく聞こえたが、桐谷は、そんなことに構っていられる余裕もなさそうに固まっていた。

姿勢を固めて、僕の方を凝視している。

「久遠寺君…その子、」

桐谷の声が震えている。

桐谷の言うがまま、僕はエリィに改めて目線を落とす…と。

「ぬぁ!」

僕は奇声をあげ、エリィを支えたままのけぞってしまった。

エリィの体が…足元からすぅっとすけている。

足先は目視不能。胴体の下から僕の腕が透けて見える。

頭や上半身は見えているが…境界不明瞭で、どこからか透けてみえる。

なんだこれ。

思考が停止する。

「さよなら…また、どこかで」

エリィは僕の腕のなかで、少しだけ微笑んでいた。

僕はただ、言葉も発せず、桐谷同様固まっていると…エリィはどんどん透明になり、ついには消えてしまった。



「き、桐谷」

…僕は、エリィを支えたままの形で空を抱いていた。

不思議体験から桐谷の名前を発するまでに、1分も掛っていないと思うが、なんとも長い時間が過ぎたように思えた。

「おおお、おれ」

「く、久遠寺君。びびりすぎ」

そういう桐谷の声は完全に裏返っていた。

「なんだ、あれは?」

僕はようやく桐谷の方に目線を向けられた。

桐谷は、電話を落としたまま小さく震えている。

「…な、なんだろ」

色々整理がつかず、取り乱しているが、会話で少しずつ日常を取り戻す感覚を得た。

「桐谷、電話」

なにから反応していいかいまいちつかめず、とりあえず足元でわーわー言ってる電話を、僕は指摘した。

「あ、ああ。電話。あそっか、あはは」

桐谷が電話を拾う。その姿がまた、いつものキレのある動さではなく、なんともぎこちない動きであった。

「先生、すいません、あの…」

焦った表情のまま電話をする桐谷を見ながら、僕は今起こったことはなんだろう、と回転しない頭で考えていた。

なんなんだあれは。

幽霊?この手に重さは確かに感じたけれど。

そうでもそうじゃないとしても…

…背中に脇に、どろりとした生ぬるい汗を感じた。

あれは、人間じゃない。

…気が遠くなる感覚を覚え。

…僕と桐谷は、電話してしまった職場に一応向かって。

僕は、その後どうしたか、よく覚えていない(職場の先生たちに怒られたり心配されたりした気はする)。

ただ、僕の平凡だった日常が、この日を境にどうにもおかしな方向に傾いてしまったという意味で、この日はメモリアルだった。

こんなことから、僕のおかしな日常が始まったのだった。




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