惰性からの脱却
やっと終わる。
大学から数えて8年になる彼氏との付き合い。
初めてで唯一人の彼氏は女性に対する手癖が悪かった。
彼氏がだらしない男だと知ったのは、付き合いだして1年目のことだった。
元から社交的でサークルでも中心人物として男女問わず人気がある人だから女が放っておくはずもなかったと冷静に考えれば分かることだ。
でも彼氏は誠実な人だと信頼していた。
それがあっさり裏切られていたのを知ったのは一通のメールだった。
サークルの合宿だと言われて信じてたら彼氏狙いの別の女からご丁寧に映像つきで浮気現場をメールに送られてきた。
画像は不鮮明でもよく見れば彼氏だし声も聞こえたからすぐ分かった。映像にしたのは合成だと逃げるのを阻止して現実を把握させるためだと分かりやすく文章が載せられていた。
ラブホテルに腕を組んで入っていく男女の男が彼氏だった。
見た瞬間に血の気が引いた。
たまたま一緒に遊んでいた友人に支えてもらわなかったら道端に倒れたかもしれない。
「浮気するくらいなら別れよう」
付き合うときに彼氏にそれだけはお願いした。
3つ上の姉が恋人の浮気に苦しんでいる姿を何度も見てきて、浮気するくらいならすぱっと別れを告げられる方が後々が楽だと学んだからだ。
「約束守ってもらえなかった」
自分よりサークル活動を優先しても誕生日やクリスマスにバイトをしてても我慢した。
それは彼氏が好きだからだ。
でも会ったときには口喧嘩だってするし二人でいるときはお互いを大事にしていると思ってたらから満たされていた。
それで満足していたのは自分だけだった。
彼氏はこうして平気で自分を裏切っていた。
そのとき自分の心は既に壊れてしまったのだろう。
合宿から戻ったと笑顔で自分を見る彼氏に今までのように心が震えることもなくなった。
一縷の願いを抱いていた。
彼氏から「他に好きな子ができたから別れよう」と言ってもらえるんじゃないかと思っていた。
辛いのは辛いけど浮気ではなく本気ならまだ自分は彼氏を軽蔑せずに終わらせられると。
「ただいま!」
彼氏の言葉は願いは霧散した。
このとき自分で別れを告げれば良かったと友人は言うがそれはできなかった。
彼氏に対して自分の約束が「浮気するくらいなら別れを告げて」なら、彼氏からの約束は「俺が別れようと言わないなら付き合ってるってことだよ」と約束したからだ。
「奴が裏切ったんだからそんなの無効」だと友人たちは口を揃えて言うが頷けなかった。
彼氏が裏切ったから自分も裏切るのは子供の喧嘩みたいで嫌だった。
きっと彼氏は遠からず別れを告げてくれると約束が果たされるのを待った。
それから気が付けば大学を卒業して就職して仕事に慣れ始めたけど彼氏は別れを告げてはくれなかった。
映像の彼女は浮気相手だったようで間もなく別の女の人と浮気しているのを見た。
それなのに彼氏は変わらず自分を抱く。
「好きだよ。お前だけだ」
服を脱がしながら囁かれた言葉は耳を素通りした。
身体は彼氏の愛撫に反応を示すが気持ちが良いわけではない。
浮気を知ってから素直に感じなくなった。
でも彼氏はそんな自分に気付いていないようだった。
適当に声を出し愛撫されたら自然と反応する身体に夢中になっている姿は、どこか滑稽だった。
結局女の身体なら何でも良いんだろうな。
別れを告げられるまでは彼氏彼女なのだからと仕方なしに月に一度は身体を繋げていても不安感は常にあった。
就職して自活できるようになって初めて妊娠も怖くなくなった。生活は大変でも周りに助けてもらえればどうにかなるって思えたからだ。
でも病気の脅威もあったから半年毎に婦人課で検査するのをかかさなかった。
自分でも何度もこんな馬鹿みたいに自分を傷付ける付き合いはやめるべきだと考えた。
「私と別れようとは思わない?」
何度か別れを促してみた。
約束が頭にあったから自分から言うのはどうしても嫌だった。
他人から見たらくだらないプライドだと言われればその通りに思う。
「くだらないこと言ってるなよ。俺にはお前だけだ」
彼氏は望むようには別れを告げてはくれない。
自分が彼氏に都合の良い女だからダメなのかもしれない。
彼氏と身体を繋ぐことを半年くらい拒否したりデートを断ったりとしてみた。
それでも彼氏は会えないことを寂しがるフりはしても強要もせず自分の好きにさせた。
その間に浮気を次々していたようだが本命になる子は現れなかったのか、自分の前に何食わぬ顔をして姿を見せた。
このままではいけない。
転機が訪れたのはこんな惰性の付き合いに流されていた自分にはまたとない好機だった。
久しぶりに二人で食事をしている最中に彼氏から話を聞かされた。
「お見合い?」
「ああ。部長に頼まれたんだ。でもするだけして断るよ。俺にはお前がいるんだからな」
彼女である自分を安心させようと優しい笑顔を浮かべた彼氏に内心苦笑した。
彼氏は本気でそう思っていたのか自分に隠さずに教えたのだろうがはっきりいって気になるのは本当に断れるのかということだ。
彼氏と同じ会社で働く友人にお見合いについて聞いてみると、実際は半ば結婚が決定しているというのだ。
「相手の部長の娘さんは奴に惚れて無理やり親にお願いしたみたいよ。部長はあんたの存在も奴の下半身の軽さも知ってるみたいだからかなり止めたみたいだけどそれでも良いからって話。仕事は出来るから部長は許したみたい」
自分の頬が緩むのが分かった。
今の会社を辞める気は彼氏にはない。
当然だろう。不況の中一流会社に入ってそこそこ出世街道に乗りつつあるのだ。
ならば当然出世が絡むこのお見合いを無下にはできない。
お見合いしたら結婚まではすぐだろう。
自分の存在を知っているらしい彼氏の上司である部長が、結婚までに自分との付き合いをやめるように彼氏には厳命するはずだ。
それには彼氏も従うだろう。
自分の未来がかかっているのだ。
「ようやくだ」
どうにかこの惰性のようになった付き合いに終止符が打たれるときがきた。
今度こそ彼氏は自分に別れを告げてくれる。
自分でも久しく浮かべなかった笑顔が、自室の鏡には映し出されていた。