8・魔王、終末。
「魔王の仲間が殺された?」
買い物をするついでにそこの商人に話しを聞くことにしたのだが、口の軽い商人の話は興味深いものだった。
貿易品を扱う店で買い物をしながらの会話だが、客足は悪いようで店内には鋏と千里以外に客がいない。
声を潜める必要もないようで、商人はぺらぺら話してくれた。
「知らないなんて、あんたらもぐりだな。いたらしいぜ…百年ぐれぇ前によ、魔王の味方についた非国民が」
「その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
鋏がカウンターに身を乗り出して尋ねると商人は少し気後れしたように黙り込み、それでもお喋りな性格は押さえつけられないのか話し始めた。
「話す分には構わねぇけどよ、ちゃんと品も買ってってくれよ?」
「ええ、話の内容によってはそちらに金を払いましょう」
金には目がないらしい。
その言葉を聞くと商人の態度ががらっと変わった。
「毎年よ、俺ら人間は若い娘を一人勇者っていう名目で魔王の塔に向かわせるんだ。表向きは魔王討伐に選ばれた戦乙女、本当は魔王への供物だ。魔王のこたぁ憎いけどよぉ…怖いって気持ちもあんだ。だから怒りを静めるためっていうわけだよ」
「勇者のことか」
魔王の見ていた肖像画、あれに描かれていた女性もおそらくその生贄の一人だったのだろう。
そして偶然にも魔王と恋に落ちたというわけだ。
「へぇ、ご存知なんで?」
「続けて」
「へい、しっかしその中にろくでもねぇ女がいましてね、あろうことか魔王に寝返りやがったわけでさ。んである日その女が塔から降りてきましてね、必死な形相して叫んだらしいです「魔王はどこだ、魔王をどこへやった」ってね」
「…そのとき魔王はこの町へ?」
「いいえ、勘違いもいいところです。とうとう女が人間に牙をむいたってんで、役所の兵隊さんが彼女を捕らえたんです
。そのとき数名が怪我を負ったっていうらしいですから恐ろしいことです」
なんらかの行き違いがあって…勇者は魔王が人間に囚われたと思い込んでしまったのだろう。
そして捕まってしまう。
「それで…どうなったんだ?」
「へい…」
案内されたのは大きな扉。魔王の部屋の扉も大した大きさだったが、目の前にある扉もそれに劣らぬ大きさを誇っている。
魔王が懐から取り出した鍵を使って扉を開き、埃っぽい部屋の中へと佐藤を案内した。
「察しの良いお前なら気づいてると思うが、勇者はただの生贄だ。本人達は魔王を殺すって意気込んでる、自分を勇者だ
と信じきってる連中だけどな」
「…ここは?」
随分長い事使われていないようで、ある程度掃除はされているが生活感の薄れてしまった部屋。
魔王の部屋ではないようで、装飾や置かれている小物、服などが明らかに女性向けだ。
察した佐藤は質問を変える。
「この部屋の主はどこだ?」
悲しげに室内を眺める魔王はまるで思い出を追っているようだ。
「気づいてるんだろ?…処刑されたんだ、イグレアは」
「イグレア…勇者の名前か」
「イグレアが囚われたのに気づいたとき、彼女は処刑台の上だったよ…俺の力があれば助け出すことは簡単だったが、何しろ相手が悪かった。イグレアは俺の名前を知っていた、何かの拍子に零したんだろう…名前を知られた以上、魔術における制約を受ける。自由が利かなかった…助けてやれなかった」
佐藤も含め紙袋や鋏が本名を明かさない理由にそれがある。異世界を旅する上で名前を知られることは危険なことだ。
魔術の存在する世界の中には、名前を使うことでその人物を束縛する能力を持つ人間がいる場合がある。
そして魔王はその弱点をつかれた。
「利用されたんだよ、騙されて。勇者だなんて捨て駒に使われて、それでその礼が処刑か?…あんまりだろ」
「…お前は甘いな」
「ああそうだ、甘くて…だからイグレアのことを引き摺って世界を壊すことができなかった。報復ができなかった。だけどな…そろそろ終わりにしようと思ってる」
頃合だ…と佐藤は依頼を果たすことにする。
どちらに転ぼうともこれで依頼は果たされる。
「お前は…どうするんだ?」
世界を続けさせるのか、滅ぼすのか。
選択肢は多いように見えて二つしかない。
「許せると思うか?…人間が」
「いたとしたら…聖者だな。お前も俺も知ってるな、そんな人間を一人。気にせず決断するといい…お前は魔王だ」
魔王の部屋の前、廊下に背中をつけて紙袋は俯いていた。
魔王と佐藤の会話を聞いて大体の事情はつかめた。千里に関する部分では分からないところが大半だったが、魔王の気持ちは痛いほど伝わってくる。
(名前をイグレアって変えたのは…女への弔いと名前変更による制約の回避が目的ってことか。ったく)
溜息をつく。
「どいつもこいつも…面倒くせぇな」
「大変だぁ!」
商人の話を聞いて衝撃を受けた千里は暫く呆然として言葉が出なかったのだが、突然商店に乗り込んできた男の声に現実に引き戻される。
「客がいるんだぞ?何だってんだ?」
「魔王が攻め込んできやがった!」
「は?お前それ、何の冗談だよ」
「見てみろ!魔王の塔から魔物がわんさか溢れてやがる!」
慌てた商人は金を受け取ることもせずに店の外に飛び出す。
千里と鋏も素早く外に飛び出した。
空を見上げると魔王の塔からあふれ出した黒い小さなものの集合体が空を覆っている。
遠くに見えるその粒一つ一つが魔物のようだった。
「とうとう…とうとう魔王が本性を出しやがったんだ!」
「ひっ、ひぃいいい!」
「俺達まだ死にたくねぇよ」
恐怖の声は瞬く間に感染して、道に溢れた人々が恐怖のあまり悲鳴をあげてパニックを起こしていた。
きっと空を睨みつけた鋏が小さく舌打ちをする。
「やってくれるよ、僕が千里を無事に連れ帰るって…信じてるってわけか。確かに人間相手じゃないならやりやすいけど、それを予測して佐藤は僕を」
「どうなってるんだ、鋏さん!」
「…帰るよ千里、魔物のど真ん中を突っ切ることになるけど、僕から絶対に離れないで。ある程度近付けば佐藤と合流できる。銃…あるよね?相手は魔物だ…危険だと思ったら即座に撃って」
確かに佐藤から貰った銃は腰のベルトに固定されている。使ったことは一度もないが、トリガーを引くことぐらいはできるつもりだ。
鋏はポケットから金貨を幾つか取り出すと商人に投げつけた。
とても冷たい目をしている…それこそ千里には絶対に向けない目。
路上に落ちている金属の長い棒を右手で拾い上げると、数回確かめるように振ってから肩にかけるようにして持った。
前方から雪崩のように迫る魔物の群れを見据え、鋏は棒を構えると千里を背中に庇うようにして走り出した。
塔の屋上に立ち、冷たい風に当たりながら都市を見下ろす。
何の感慨も湧かない、愛着など欠片もない都市。壊すと決めた今でも心は全く痛まなかった。
すでに放った魔物の手によって多くの命が奪われているだろうし、自分がこれから世界を滅ぼすとなれば全ての命が無に帰る。
人の命を奪うことに何の感情も湧かなくなってしまった時点で、自分は千里とは違う人間なのだと思い知らされた。
「人を殺すのをやめて欲しい…か、俺は千里である資格もないな」
思い出される言葉。
所詮は残骸に過ぎないそれを頭から追い払い、魔王は雪空を見上げる。
口に銜えた煙草から煙が立ち昇り、魔王の体を覆うとその姿を変化させた。
勇者とであった頃の姿に戻る。もとより姿など簡単に変えることができた。全盛期であれば世界を滅ぼす事もできる。
若返った姿で魔王は冷たい視線を都市へと向けた。
「…まだか?」
「千里が帰るまで実行は許さん…少し待て、鋏は必ず千里を連れて戻ってくる」
「分かってる」
「お前は…来るんだよな?」
「ああ、こんな腐った世界と一緒に心中するつもりなんてねぇよ」
「ならば俺はバスを移動させておく。最後に残るのはどこだ?」
「発動地点、つまりここ…塔の一番上だな」
それを聞くと佐藤はすぐに塔から身を投げた。
落下しながらマントが姿を変え、翼となって彼の落下を止める。
風の流れに乗りながら、佐藤は冷たい風に目を細めた。
「うっ…あぁああ!」
近付いてきた魔物の額をぎりぎりまで引き付けて撃ち抜く。距離があれば初心者らしく外すことが多かったが、近付けばそれだけ命中率が高くなった。
弾けとんだ異形の頭、しかし胴体だけになっても動く。
「っ!」
「千里、伏せて!」
反射的に膝をつくと頭上を棒が凄まじい速度で通り抜けた。薙ぎ払われた胴体は飛んで動かなくなる。
振り切った棒を雪の積もり始めた地面に着きたてて、鋏はそれを軸にしてクルリと体を反転させた。
それと同時に近場にいた魔物を蹴り倒す。
手馴れた様子で魔物を殺して道を作る鋏、その後に千里は続く。
「おらおらおらぁあああ!」
聞き覚えのある声が聞こえ、上から紙袋が降ってきた。
フォークで魔物の一匹を地面に縫いとめて振り返る。
「ヒーローは遅れてくるってな!」
「助かるよ紙袋、数が多くて手こずってたとこなんだ」
「ういうい、俺様が来たからには百人力ってとこだぜ。千里、俺を盾にしながら進みやがれ」
フォークを振りかざす紙袋と拾った棒で敵を薙ぎ払う鋏、二人のおかげで道はどんどん開かれるが、それでも圧倒的数の不利には変化がみられなかった。
数対を一気に引き裂きながら紙袋が苛立ちを隠せないようで地面を強く蹴る。
「くそっ、きりがねぇ!」
「他に策もない」
「…いーやアルネ、おい鋏ぃ!」
「おっと…何?」
「ここら一帯は俺が引き受ける。突っ込んで道開くからその隙にお前等は先行け!」
それはつまり、紙袋を置いていくということだった。
いくら紙袋といえどそのようなことができるはずもなく、千里は勿論躊躇して立ち止まるがその手を鋏に引かれる。
強い力で振り払うこともできずに引っ張られた。
「千里」
「でも」
「おいおい、俺って信用ないねぇ…大丈夫だ千里、俺は何度ぶっ倒れても必ず起き上がるんだ。タフさにおいては化物にも負けねぇぞ」
妙に自信たっぷりに胸を叩く紙袋の背後に魔物が迫っていた。千里は悲鳴をあげかけるが気づいていた紙袋はフォークを後に突き出すことで魔物を貫く。
「俺を視覚で騙しても無駄だっつの」
「じゃ、任せたよ紙袋」
「おう、若干死亡フラグ立ってんのが気になるが、まあ俺には関係ねぇな。立って嬉しいのは恋愛フラグだけだっつの」
なおも抵抗しようとする千里を肩にか突き上げると、鋏と紙袋は同時に魔物の軍勢に飛び込む。
先駆けとして紙袋が飛び込み、豪快にフォークを振り回して魔物の群れに一本の道を作り上げた。
申し訳程度に武器を振りかざしながら鋏がその道を駆け抜ける。
道はすぐに新たな魔物によって多い尽くされ、その咆哮が周囲にこだました。
通り抜けることができずに魔物の中心に紙袋は残される。
次々と襲い掛かってくる魔物の牙や爪を交わし、一度周囲にいる魔物を薙ぎ倒すと一度休憩の為に立ち止まる。
「ふぅ…俺って働き者だよな」
袋の中に手を突っ込んで棒つき飴を取り出した。
口に放り込んで自分を囲う魔物の数を数えようとして…やめた。
「参っちゃうね、俺ぁ両手の指以上の数は苦手なんだよ。あーあー…これじゃあ後で千里に武勇伝聞かせるとき、何体だったのか語れねぇじゃねぇか。やめだ、やめ」
戦っていても意味がない。伝えるべき相手がいないのだから。
千里に語れないのなら頑張って抗う意味もない。
紙袋はフォークを袋の中に突っ込んで手ぶらになると、両手を広げて脱力した。
へらへらと笑う。
「このまま歩いて塔まで帰るか…ったく、化物はちゃんと俺の到着まで待っててくれんのかね?」
武器を捨てたことで戸惑っていた魔物達だったが、次第に相手が丸腰になったことに気づき始めて唸り声を上げ始める。
知能はあっても理性がない。
見境なく殺す魔物に魔王の客人だと説明したところで襲ってくることに変わりはないだろう。
敵意をむき出しにする魔物達を眺め、紙袋は肩をすくめた。
「好きなようにしろよ」
一斉に地面を蹴って、魔物達は山となって紙袋を覆った。
「佐藤!」
「間に合ったな…先に行け、俺も上る」
塔の麓で待っていた佐藤の下に千里を抱えた鋏が駆け込むと、佐藤は二人の肩を軽く叩いて転移させる。
姿が消えたのを見届けると迫り来る魔物の軍勢を眺めた。
塔から放たれた魔物は塔にすら押し寄せる。
「…理性もない獣が」
見ていると不愉快な気持ちがこみ上げてくる。
自分に似ている気がした。
だが相手にする理由もなく、無意味に殺戮を繰り返すような趣味もない佐藤はすぐに翼を生やすと塔を一気に飛んで上った。
数度翼を羽ばたかせて上昇を止めると塔の上に移動して降り立つ。
先に転移していた千里を鋏の無事を確認して安堵した。
相変わらず魔王は塔の下を睨みつけている。
「佐藤!紙袋が!」
「…姿を見ないと思ったら、お前達を助けに行ったのか」
「うん、でも助かったからお叱りはなしにしてあげなよ」
魔物の軍勢はすでに都市部を飲み込み、戦火が上がり始めているらしく町の所々で火の気が上がっている。
いくら魔王を恐れていようとも黙って滅ぼされる種族ではないということだ。
「…魔王」
「始めるぞ…これ以上待てば人間達の中にもこちらに攻め込む者が出ておかしくない。そうなれば面倒だ」
「待てよ!紙袋が」
「心配は無用だ…滅ぼすのは塔の頂点以外、この場所の崩壊には暫く時間があるらしい。ぎりぎりまでバスで待つ」
「それじゃ意味がない!あいつは今町にいるんだ…滅ぼしたりなんかしたら紙袋が巻き添えになるだろ!」
どうして皆平然としているんだ…と疑問に思う。
慌てているのは千里だけのようだった。佐藤は冷酷に告げて鋏は何も口を挟まない。
(仲間…じゃないのか?)
「千里、僕らは別に紙袋が死んでもいい…なんて言ってないよ。巻き込まれるのは仕方がないってことなんだ」
「一緒だろ!」
「違うな」
言い切られてしまえばそれまでだった。千里は言葉を詰まらせ、それを確認した佐藤はふっと表情を和らげた。
その瞬間轟音が響く。
鼓膜が痛くなるほどの音が轟き、驚いた千里が塔の端に駆け寄って下を見下ろすと地上が割れていた。
巨大な亀裂がまるでクッキーでも砕くように簡単に走り、地上を大きく割ってしまっている。
谷間からは赤い灼熱の炎が上がった。
「時間だ佐藤…壊すぞ」
「っ!」
「構わん」
振り返った若い魔王は佐藤の許しを得ると口角を吊り上げて笑い、両手を胸の前に掌が下になるように突き出した。
「お前達が散々コケにしてくれた魔王の力だ、味わえよ人間」
火柱が大きくなり、塔にも届きそうな高さへとなった。
火の海となった場所に嬉々として魔王は飛び込む。
「ははっ…ははははははは!」
狂ったように落下する魔王は地面に叩きつけられる前に静止し、両手の前にそれぞれ広がった巨大な黒球を投げ飛ばす。
強制的に突き飛ばされた球体は半径五メートルほどで、幾つも放たれては地上へ落下して建物を破壊した。
しかしはじけることなくその場に留まる。
地上には幾つもの黒い球体が落ちているという状況になった。
「あれは…」
「…面白い魔術を使うな、あいつは。なるほど…魔物は全て手作りというわけか」
「手作り?」
「面白いものが見れるぞ」
幾つも落とされた黒い球体を眼下に見て魔王は笑っていた。
殺戮をしながら笑うことを評価することもできないが、否定することもできない。
彼はそれをするに足りる苦役を引き受けてきた。
それを思うとどうすることもできず、千里はただ魔王の所業を見ていることしかできなかった。
幾つか球体を投げ落とした後魔王は塔に戻った。両足を石畳につけると疲労の色を見せて荒い息をつく。
しかし狂気の色は目から消えない。
「随分無茶をしたな…それだけの魔術を暴発して、お前はどうするつもりだったんだ?」
「言ったろ、心中するつもりはねぇけど…俺が今まで怠惰に生きてきたのは報復が目的だ。これが原因で死んでも構わねぇよ」
立つ気力もないのかずるずると壁に背中を擦りつけながら魔王は崩れ落ちた。
肩膝を立ててそこに頭を乗せる。
「これで…終わりだ、イグレア」
「…終わりではない」
佐藤はポツリと呟くと、千里に向き直った。
「千里、お前は世界を理解したはずだ。魔王の過去も客観的な視点ではあるが知ったんだろう。選べ千里」
「選ぶって…何を」
すでに世界を壊してしまった魔王、これ以上何か選べる物事があるとは思えず千里は問いかけた。
「魔王を止めるか、止めないかではない。魔王を助けるか、助けないか…をお前に選ばせてやる」
「……」
「見ろ」
佐藤の手を差し伸べられてそれを掴むと、丁寧な仕草で塔の端に案内された。隣に佐藤が立つ。
「あれは!」
黒い球体が弾け、中から巨大な化物が飛び出した。四つの手足を持つ生き物で、翼は持たないが飛ぶ必要がない程巨大だ。
複眼がぎょろぎょろと動いて周囲を見回した。
頬まで裂けた口が大きく開いて悲鳴をあげた。幾人もの赤子が泣くような耳障りな声だ。
「運び主、天災の一つか…よくあんな化物を、いや、それだけ本気だったということか」
大量に産み落とされた巨大な化物、運び主鷲のような手先を使って町を踏み潰し、黒色の炎を口から放って台地を焼き始める。
もはや地上には都市の面影はなく、人の生きていけるような土地は失われてしまった。
「世界は魔王によって滅ぼされた…罪がないかは別として大量の人間の命を奪ったわけだ。千里、魔王を助けたいか?」
「…それは」
魔王は人々の命を奪った。あまり関わりもなく仲間意識もない別世界の人間ではあったが、紙袋は別だ。
「お前の意思を優先させたい」
穏やかな目で選択を迫る佐藤はどちらを選んだとしても褒めてくれるだろう。
だが安易に決められる問題ではなかった。
「……」
魔王の姿を視界に入れる。
目を閉じて衰弱しきった姿を見て、自分の過去と重ねた。世界から憎まれて、それでも許して、そして裏切られた。
ボロボロになるまで愛して、裏切られた。
(俺と一緒だ)
「…助けて欲しい」
「お前がそう望むのなら」
小さな声だったが千里の決断を聞くと佐藤はきっと視線を強くして身を翻した。
「バスを出せるようにしておけ!千里を頼む」
「了解!」
素早く鋏に指示を出す。命令を受けるとすぐに鋏は千里を小脇に抱えて塔の上に移動されていたバスに乗り込む。
それを横目で確認しながら佐藤はうなだれる魔王に近付くと、膝をついて彼の呼吸を確認した。
息があることを知ると安堵の息を漏らす。
「いくら別人でも、お前を死なせたくはない」
魔王の額に手を当てると力を込めた。掌が白い光に包まれ、薄っすらと目蓋が持ち上がる。
「ん、何を」
「治癒だ、少しじっとしていろ」
「ははっ…ありがたいけど無駄だ。命削っての荒行だ…怪我とか病じゃない」
「千里はお前を生かしたいと言った、お前がそれを望まなくても、俺はお前を生かす義務がある。例え呪われた方法でも…お前にはしばらくは生き延びてもらう」
「…まさか」
「俺の理性が勝つことを祈っていろ」
佐藤の黄金の目が真っ赤に変色し、荒々しく魔王を床に叩きつけると口を開いて魔王の首へと噛み付いた。
バスの中は外で起こっていることが嘘のように静かだった。
椅子に腰を下ろした千里はぼんやりと鋏の動きを眺める。
彼は運転席の付近でなにやら機器を弄っているようだった。
「…紙袋」
「千里?」
「どうしてあいつが犠牲になる必要があったんだ?」
「犠牲…うん、まあ仕方なかったのかな」
「仕方なかったってなんだよ!…紙袋は仲間じゃないのかよ!」
まったく意に関していないといった鋏の態度が気に入らず思わず叫ぶと、とんとんと窓が叩かれた。
「!」
「呼んだ?」
窓の外に見覚えのある顔、しかし鼻から上を窓枠の外に隠していた。
「紙袋!どうして…」
「お帰り、随分ボロボロだね」
「おおう、大変だったんだぜ?魔物にフルボッコされるわ巨大怪獣に踏み潰されてミンチにされるわ…ったく、誰か俺と役代われ」
鋏が駆け寄ってきて千里の座っていた近くの窓を開けた。そこからひょいっと紙袋が入ってくるが、何か物足りない。
不自然な動きをする紙袋が両手で目元を隠しているのを見て気づいた。大きな変化すぎて逆に気づかなかったのだ。
(袋が…ない)
癖のある銀髪、白い肌、いつもは紙袋で隠しているというのに、今は全てが曝されていた。
もっとも手で目元を覆っているのでそこは見えないのだが。
隠れていた為よく分からなかったのだが、もしかすると鋏より美形なのかもしれない。
「参っちゃうよマジで、俺の服ボッロボロ」
「たくさんやられたねー…服、確か用意してたはず。ちょっと待ってて」
切り刻まれた服は血に濡れている。紙袋の血なのか魔物の血なのか判断に悩むところだが、彼は怪我一つしていなかった。
その代わり装飾品はボロボロだ。
「あーっと、バスの部屋鍵どこやったかな…俺のチャーミングポイントと一緒に齧られちまったからな」
片手で顔を覆い、もう片方の手で布切れのようになった服のあちこちを触って鍵を探す。
ポケットの中から見つかったらしく、満足気にそれを口に銜えた。
「紙袋…だよな?」
「ん?俺のこと忘れちまったのかよ千里、つれねぇな」
「いや、忘れてないけど…なんか印象変わったな」
「お?素顔の俺に惚れちゃったか?なーなー、佐藤じゃなくて俺にしとけって」
「…俺がいつ佐藤を選んだんだよ」
相変わらずの言動に呆れと共に安心がこみ上げて、気がつけば涙が流れていた。
慌ててそれを拭う。紙袋が目を閉じていて助かった。
「とりあえず袋、俺に袋をよこせ。ビニールは拒否するぞ!中が蒸れるんだよあれ」
「はいはい」
どこから持ってきたのか茶色の、やはり所々に切れ目の入った紙袋を鋏が頭からかぶせた。
すかさず紙袋は鍵を袋の中に突っ込む。
「で、こっちが服。君に露出癖がないこと祈っとくけど…千里のいない場所で着替えてね」
「よーく分かったよ、お前の俺に対する評価は」
綺麗にたたまれた服を受け取ると紙袋は欠伸をしながら一番後ろの席へと向かった。
「ね、無事だったでしょう?」
「…凄いな、紙袋は」
「うーん、こういうことは得意だからね、彼。全員そろったことだし…あとは佐藤だけなんだけど」
意識の浮上、首に僅かな痛みはあるがそれだけだ。
目の前には口元を擦る佐藤の姿があった。双眸が黄金色だということは、理性とやらが勝ったのだろう。
あの時とは違った。
「うへ…お前首抉り食ってんな」
「それだけで済んだだけで感謝しろ。成功したのは二度目だ」
溢れる血の量は牙を立てられたというレベルではなく、首の肉をいくらか持っていかれたというほうが正しい。
いくら助かったとはいえこの出血を放置していれば生命維持が危うい。
魔王は傷口に手を当てるとあっという間にそこを治癒させた。
それから血に濡れていないほうの手を伸ばして佐藤の腕を掴み、口元を拭うのをやめさせた。
すでに血はついていない。
「…成功して喜ぶべきなんだろうが、成功するたびに思う。どうしてあの時は止められなかったのか…」
「長い間のブランクがあったからな、あの時は。ま、今更後悔しても何も変わらない…今は定期的に補給してんだろ?」
「ああ、千里に知られれば嫌われるだろうが、依頼を果たす上で力は必要になってくる」
口ではそう言っているが迷いはない表情をしていた。
「…」
「行くぞ、いつまでもここにいればバスもろとも消し飛ぶ」
差し出された手をとると、佐藤は微笑んで魔王を立ち上がらせた。
佐藤の肩を借りてバスへ向かう途中、魔王はふと思いついたように尋ねる。
「そういえば…お前が世界を移動してるのって依頼のためだよな?今回はどんな依頼だったんだ?」
「ん?…ああ、企業秘密だ」
「はぁ?」
「お前は愛されてるということだ」
「訳分かんないな」
「そうか」
「そうかってお前、気になって眠れないだろ!」