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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
4/27

4・月花、惨殺。

 道も分からない森の中を千里と紙袋、それに鋏は歩いていた。三人のうち誰も現在地を特定できず、なおかつ森からの脱出方法も分からない遭難に近い状況。

 しかし三人は慌てることはせずに月花を探していた。

「本当に大丈夫なのかよ…こんな奥地まで来て迷子になるなんてよ」

「大丈夫だよ…千里と佐藤を信じよう」

 遭難まがいの事をしてまで恐れることなく月花を探しているのには理由があった。

 それは三時間ほど前にさかのぼる。

 

 町を出て再び歩くと先程通った森につく。入口付近で鋏は立ち止まり、困った様子で腕を組んだ。

「どうしたんだ?」

「うーん…森の中、千里も見たから分かると思うけど結構難しい入り組み方してるんだよね。佐藤の道案内があったから良かったけど今回道を知ってる人はいない。ちょっと心配かなって」

「ちっ、お前は役に立たないな」

「救いようのない方向音痴の君には言われたくないよ。闇雲に森の中を探したとして、仮に月花に出会えたとしても僕達が遭難せずに山を出られるかは怪しい」

 一見すると解決法のないように思える問題だったが、千里はすぐに森に踏み込もうとして慌てた鋏に襟をつかまれた。

 息が詰まって変な声が出る。

「…何するんだいきなり」

「それはこっちの台詞だよ千里、僕の言ってたこと聞いてなかったの?」

「莫迦にするな聞いてた。だけど大丈夫だろ」

「まさか千里、お前には瞬間記憶能力的なものがあるのか!」

「あるわけないだろ…俺は普通の人間と何も変わらない。だけど佐藤が追ってくるって言ってた。だから大丈夫だ」

 確信して言い切る千里を見て二人は唖然としているようだった。

「化物なんか信用できっかよ」

「でも紙袋、こっちには千里がいるんだよ?佐藤もまさか見捨てるようなことはしない…いや、それ以上だね。何があっても千里を見つけ出して救出する」


 渋々納得した紙袋も連れて三人は歩く。

 薄暗くなってきた空、それに伴って森の中も闇に閉ざされつつあった。肌寒くもある。

「…あ!」

「ん、どした?」

 黙々と歩いていた千里が小さく声をあげて少し離れた山道を指差す。木々の間から見える白い体。四足で立つ凛々しい獣。

「月花かな?」

 息を潜めて三人は体勢を低くした。

 兎のように長い耳、白い毛皮、獅子のような胴体。赤い眼球は周囲を警戒するように忙しなく動いている。

(どこかで見たような)

 記憶を辿ってみると確かにモゼルを見たことがあった。しかし実物ではなく、何かに装飾されていた…。

 思い出して佐藤から受け取った銃をポケットから取り出した。二つの銃にはそれぞれモゼルの姿が彫られている。

 しかし月花は姿をろくに目撃されていないと聞いた。つまり銃などにその姿が彫られているわけもない。

 目の前にいるモゼルはどうやら月花ではないようだ。

「やあやあ、逃げるぜ?」

「どうする?ここで紙袋に殺してもらうって手もあるけど」

 どうやら紙袋は千里に判断を任せてくれているようだ。早めに判断しなくては見失ってしまう。

 千里は一瞬で考えを纏め上げた。

「いや、追おう。俺はあいつが月花だとは思えないんだ」

「了解っ」

「うわ!」

 千里の判断を聞くや否や紙袋が茂みを飛び出して、しかし音をまったく立てずにモゼルの後を追い始める。

 千里も飛び出そうとするがその前に地面が足から離れて体が勝手に浮き上がる感覚に陥った。

「よいしょっと」

 人を持ち上げるほどの力などなさそうな細腕だというのに、鋏は千里を横抱きに脇に抱えていた。

 重さなどまったく感じさせない動きで紙袋に続く。

「何をっ」

 突然の鋏の行動に文句を言おうと口を開くが、人差し指を唇の前に持ってきてシーと言われてしまう。黙れということだ。

「佐藤がいないときぐらい僕にも甘えてよ千里。それに、都会っ子の千里に山道はきついんでしょ?」

「そんなこと…」

「僕は佐藤に散々付き合って慣れてるから、ね?」

「…分か…った」

 抱き上げられて運ばれるなど恥ずかしいが過保護すぎる鋏は絶対に引く様子はない。

 仕方なく承諾すると笑みを浮かべて鋏は速度を上げる。

 一歩踏み出すたびにジャラジャラと鎖の音が聞こえた。

(そういえば…鋏はどうして鎖なんかつけてるんだ?)


 モゼルの後を追ってたどり着いた場所は森の中にある崖、その側面に岩をくりぬくようにしてある洞窟の中だった。

 薄暗いがまだ夕焼けの光が差し込む洞窟内は、人の目でも状況が理解できるほどには明るい。

 ようやく鋏から下ろしてもらえた千里はひんやりとした空気に体を震わせた。

「くしゅんっ」

 寒気がしてくしゃみが出る。風邪ではないようだが寒さから出てしまったようだ。

 あっと思ったときにはもう遅く、二人が心配そうに覗き込んでいた。

「大丈夫千里、風邪?」

「いや…でも少し寒かったからだと思う。心配しなくても…」

「寒いのか!」

「ああ…え?」

 何か禁句でも言ってしまったのか…と自らの発言を思い返しても特に不適切な発言はなかったように思われる。

 だが目の前の紙袋はいつもの危ない雰囲気を纏っていた。

「んだよ千里―!寒いんだったら俺が抱き締めて暖め…おっと!」

 言いかけた紙袋の頭部に向かって鋏が蹴りを放つが動きを先読みした紙袋は屈んで避ける。

 空を切った足を見て鋏が驚愕に目を見開いた。

「ふひっ何時までも成長しない俺様だと思うなよ!」

「うわ!」

 攻撃後の隙を突いて紙袋が千里に飛びつく。自分とさほど変わらない体型とはいえ飛びかかれた千里はふらついた。

 がっしりとホールドされて解けない。

「離っ」

 助けを求めようと鋏を探すが姿がない。

 と思いきや、いつの間に移動したのか千里の隣にいた鋏は屈んだ姿勢のまま足払いを放ち、千里と紙袋のバランスを崩した。

「うおっと…いってぇええ!」

 ゴスっというなんとも不愉快な音がして紙袋が頭から転倒する。

(どうでもいいけどここ洞窟だぞ?…岩壁に頭ぶつけて大丈夫なのか?)

 そんな心配を千里ができるのは、倒れこんだ千里を間一髪の場所で鋏が腕で支えていたからだ。

 支えていた千里を立たせると呆れたように鋏が溜息をついた。

「油断も隙もないね、本当に。そんなことしててよく佐藤に殺されないよね」

「あ?あー、そういやそうだな。俺どうして化物に殺されてねぇんだ?」

「僕に聞かれても…」

 後頭部…といっても紙袋で覆われているのだが、を擦りながら紙袋が体を起こした。

 物凄い音がしたが特別に支障があるわけではないようだ。

「人間」

「え?」

「人間だ」

「…千里の声じゃないよね、僕も違う…紙袋?」

「ふざけんな、俺はこんな陰気な声ださねぇよ」

(人間?…誰の声だ?)

 洞窟の中を反響する声、出所が掴めない。

 だが気づけば暗闇の中で光る目に囲まれていた。いつの間に包囲されたのか…まったく気づけなかった。

 獣臭い。

「モゼル」

「まさか…知能の高い獣だとは聞いていたが、人語を解せるのか!」

 千里の呟いた獣の名、それはどうやら事実のようだった。じりじりと距離を詰めてくる獣、それは先程追いかけた獣に似ている。

 間違いなくモゼルだった。それも一匹や二匹ではない。

 群れに囲われている。

「おいおい、どういうこった?モゼルって奴は人間襲わねぇって話なんじゃなかったのかよ?」

「怒ってるんだ」

「はぁ?」

「怒ってるんだ…仲間を殺されて。自分達から人間には手を出してないのに一方的な虐殺を受けて」

 モゼルの言葉はなくとも伝わった。

 殺意を向けられているというのに怒りすら湧かない。むしろ同情心すら湧いてくる自分の心を千里は嫌悪する。

 これではまるで同族意識だ。

「人間!」

「人間!」

「ニンゲン」

 響き渡る幾多もの怒りの声に気が狂いそうになって目をぎゅっと閉じた。渡された銃のことなど頭にも浮かばない。

「紙袋、どう?」

「どうってお前、多勢に無勢…流石にこの数相手は厳しいぜ」

「だよね」

「ったく、てめぇが手伝えば半分に減るのによ」

「冗談、僕は策略、君が実戦。決めたことだろ…文句言わないで欲しいな」

「融通がきかねぇ」

「石頭で結構。ほら…突っ切ろう?脱出口さえ開ければ後はどうにでもなる。千里を助ける為だろ?」

「おらっ!」

 短いやり取りの間に巨大なフォークを取り出していた紙袋は軽々と片手で持つと駆け出し、一番手短なところにいたモゼルに突き刺した。

 真っ赤な血が飛んで悲鳴が上がる。

 獣の雄叫びに近い悲鳴だったが、人語が不意に混ざった。

「何故我等が」

「何故我等が滅びなければならぬのだ」

「我等が何をした」

 次々と悲鳴を共に声が溢れ出す。千里は首を振って声を追い払おうとしたが消えることはない。

 耐えられなくなって目蓋を上げると、丁度重傷を負って倒れたモゼルに向かって紙袋が止めを刺そうとしているところだった。

 両手で持ち上げたフォークを振り下ろそうとしている。

「止めろ!」

「…っうお!」

 千里の声に反応して紙袋のフォークが止まった。

 その隙をついてモゼルは激しく暴れ狂うと紙袋の手に牙を突きたてた。食い込んだ牙が皮膚を肉を貫き通す。

「ぐあ!」

 鮮血に塗れた白い毛皮が赤く染まった。

 紙袋は瀕死のモゼルを振り落とすと怪我を庇って飛び退く。

「ぐっ…千里?」

「千里、まさか同情なんてしてないよね」

 このときばかりは常に浮かべる微笑を消して真剣な顔で鋏が問いかける。その視線が痛くて千里は顔を逸らした。

「頼む…止めてくれ」

「こっちこそお願いだよ、そんなこと言わないでくれ。千里が言ったことに僕達が反抗できると思ってるのか?」

 困ったように鋏が苦笑した。

 分かっていた…二人が手を出さなければ自分だけではなく二人も死ぬこと、そしてモゼル達は容赦をする気はないこと。

(それでも…俺にはこいつらが悪いとは)

「退け」

「え?」

 氷のような声が聞こえて近くにいた数匹のモゼルが跳ね飛ばされる。首筋を深く切り裂かれたモゼルは悲鳴をあげることなく息絶えた。

 目の前で起きた惨状が理解できずに千里はただ呆然とする。

 黒い影にように千里の前に降り立った背中、見覚えのある黒いマントに白い浴衣を着た黒髪の男。

「佐…藤?」

「……何をしているかと思えば、紙袋…無事か?」

「てめぇに心配されるなんて俺も堕ちたもんだぜ。上っ面だけの余計な気遣いなんざ不要だ!」

「でかい口を叩くのならまずは千里を完璧に守って見せろ。それすらできない屑が」

「…くそっ」

「人間が!」

「我等を脅かす人間だ!」

「殺せ!」

「殺せ」

 一気に多数の仲間を佐藤に殺されたモゼル達は怒り狂っているようだった。殺せという言葉が連呼される。

 怒声すら気にかけずに佐藤は涼しい顔をしていた。

 頬に返り血が散っているのを見て手の甲で拭う。

「あ…佐…と…」

 声をかけようとして憚られる。光っている目がどこか人間離れしていて、狂気じみた表情に声をかけてはいけないと意思より深い場所にある何かが警告した。

「殺せ」

「殺せ」

「莫迦が、誰が人間だ…お前達の両目はただの飾りか」

「!…千里、伏せて!」

 警告した鋏が千里に覆いかぶさるようにして倒れ掛かってくる。

 二人で地面に伏せた次の瞬間、頭上を黒いものが目にも留まらぬ高速で幾度か往復して血飛沫が周囲で幾つも上がる。

 悲鳴が幾つも上がって白色の体が幾つも地面に落ちた。

「はっ…はっ…」

 恐怖に似た感情で呼吸が上手くできない。

 両手を真っ赤に染めた佐藤が立っているのを見上げた。冷ややかな目で見下ろされると流れる水の音を思い出す。

 暗い、怖い、喪失への恐れを抱きながら走った川辺。

(何だ…これ?)

「佐藤?」

 今まで見てきた彼であって欲しいと願って名前を呼ぶ。

「…何だ?」

「あんたは…」

「我等の仲間、良くぞここまで殺してくれたものぞ」

 今までのモゼルの使っていた低くしゃがれた声ではなく、若者の声、変声期前の性別の判断しにくい声が聞こえた。

 千里をじっと見ていた佐藤が目を逸らして声の方向を探る。

「討伐目標は獣共ではなかったのか?」

「違うね佐藤、僕等の倒すべき相手はモゼルの王、月花。そして多分…きっとそいつが月花だよ」

 暗がりの中、倒れた同胞の骸を慈しむように抱えた少年のような少女のような人影が見える。

 その人影は人ではなく、人の形をしているがモゼルの王だ。

 女でも男でもなく、性別すらも持たない人間に対する復讐心だけが生んだモゼルの神、月花。

「人の姿を真似るなんて、嫌いな人間だっていうのに随分皮肉な真似が好きなんだね」

「これは報復ぞ。我等は憎き奴等の姿を以ってして奴等を皆殺しにする。人の世は終わりを迎えるべきなのじゃ」

 月花が一歩千里へと近付く。

 勿論月花と千里の間には佐藤と鋏が立ちはだかっているのだが、それでも接近されることをよしとしなかった紙袋が立ち上がった。

 怪我をした腕ではなく、無事な左手でフォークを握る。

「ひ…ふひひっ、てめぇがウサ耳ってのは実に俺好みなんだが、千里に害があるんだったら容赦できねぇな、残念だ」

「我等はそこに居る鬼に話をしたい。そこを退け人間」

「なめんじゃねぇぞウサ公が…取っ捕まえて俺のペットにしてやってもいいな。鎖で繋いで一生地べた這わせてやんよ!」

「愚かな」

「お前がな!」

 フォークを持ち上げて走り出そうとした紙袋の肩を佐藤が掴んで止める。

 強い力が怪我に響いたのか紙袋が小さく呻き声をあげる。

「何のつもりだ」

「そいつは俺が殺る、雑魚は休んでろ」

「なっ、誰が雑魚だ!って、痛てててて!」

 どうやら佐藤に協力するつもりらしい鋏が紙袋の怪我をしたほうの腕を掴んで拘束した。

 一歩前に出て佐藤は月花と対峙する。

「退いてはくれぬか?我等はただその鬼と話をしたいだけじゃ。人は我等の敵であるが、その鬼は我等を庇おうとした上に人ではない。我等は鬼を迎え入れる用意ができておる。お主とて人外の者であろう?…退かれよ」

「…が鬼だ?」

「?」

「誰が鬼だと言った…屑が」

(佐藤が…怒って…)

 表情の変化こそ乏しいものの佐藤は確実に激昂していた。

 付き合いの短い千里でも分かるほどの怒りだ。

 きょとんとして佐藤を見ている月花はどうやらそれに気づいていないようだった。

 絶対的で圧倒的な力を持っていた月花は危険という言葉を知らないのだろう。佐藤の変化に対応できない。

 だから佐藤が飛び掛ってきたときも少しだけ対応が遅れる。油断ともいい傲慢とも呼べる現象だった。

「佐藤!」

 無邪気な月花に何の罪もない。

 彼がこのまま殺されるのが嫌で、止めて欲しくて千里は叫ぶが紙袋と違って佐藤に声は届かないようだった。

 武器も何も使わずに素手で薙ぎ払われた月花は壁に背中を強打してずるずると地面に落ちる。

 壁が真っ赤に汚れていた。

「ぐ…が?」

「お前が生きていることが俺にとっては不快だ、死ね」

「あぐっ…我等が何をした。我等が正義だ。人間ではないお主なら中立に立って判断できるはずじゃ。ぎっ…我等こそ…正義…っ」

「…お前が正義だとか何だとかいうのにまったく興味はない。俺は以来を受けたから殺す、お前が千里を侮辱したから殺す…つまるところお前が嫌いだから殺すんだ」

「やめっ!」

 手を伸ばして佐藤を止めようとするが鋏に拘束されて動けない。

 何もすることができない千里の前で、佐藤は振り上げた手を、鋭利に尖った爪を月花に振り下ろした。

 真っ赤に染まった。


「あ、目ぇ覚めたのかよ」

 何故か残念そうな紙袋の声が上から降ってくる。しかもかなり近い距離からの声だ。

 薄っすらと開いていた目蓋を押し上げると、ぼやけていた視界が徐々に綺麗になっていく。

 ようやく今の状況を理解すると共に混乱する。

「…なんであんたが俺の上にいるんだ」

「んー…まあチャンスだと思って潜り込んだのはよかったものの、千里が起きちゃったってとこだな」

 右腕には痛々しく包帯が巻かれている。

 その怪我はおぞましい出来事が現実であったことを教えてくれた。

(俺…いつのまに)

 ふかふかな背中の感触はおそらく羽毛。ベッドに寝かされていた。

 状況が理解できない。分かることはあの洞窟とは違う場所だということぐらいだ。

 窓から外を見てもう一つ分かったことがあった。

 雨の降っている見慣れたビル群の町、おそらくバスで移動して千里のいた世界に戻ってきていた。

「あ、おはよう千里…と、また虫がついてたみたいだね」

「ひっ…ぐへっ!」

「あ…怪我してても容赦ないんだな」

 蹴飛ばされた紙袋は伏せたまま動かなくなる。死んでしまったのではないか…と心配することもあったがもう慣れた。

「鋏さん、俺どうして?」

「ん、あの後君倒れちゃってさ。まあ無理ないよね…あんな現場見せられたら誰だって最初はね。で、バスを放置しとくわけにもいかなかったから僕等で君を連れ帰ったってわけ。ここは最初に千里を連れてきたあの館だよ」

 あんな現場…とは月花達の殺戮現場のことを示していた。

 思い出してももう吐き気に似た感情は湧き上がってこなかったが、悲しさと申し訳なさは消えない。

(あの時俺が止めてれば)

「千里、月花と自分を重ねてない?」

「え?」

「やっぱりね」

 様子がおかしいと思ったんだーと一人心地で鋏は呟きながら、千里の寝ているベッドの隣に置かれた椅子へ、腰を下ろした。

「うん、相変わらず千里は優しいな。佐藤がここまで入れ込むわけだよ…僕もね」

「何のことだ?」

「ネタ晴らしは出来ないんだ、僕が佐藤に殺されちゃう。そんなことよりさ、過ぎたことを気にするのは止めたほうがいいし、千里のせいじゃないことまで背負い込むのは止めたほうがいいと思うな」

 話をはぐらかされた気がするが鋏はニコニコしたままだ。

 千里は話の流れに不自然さを感じながらも首を横に振る。

「佐藤はどうして…月花を殺したんだ?」

「分かんないかなぁ、別に分かんなくてもいいと思うけどね。佐藤も報われないけど彼はそれを望んでる。君のせいじゃないよ」

「?」

 鋏の言葉がまったく理解できずに千里は疑問符を浮かべた。文脈が通っていない気がしたのだが、意図して鋏がそうしたのかもしれない。

 はぐらかすのが上手い。

 鋏の印象だ。

「とにかく、あんまり佐藤を責めないでやってよ。彼千里のこと大好きだから、嫌われたらきっと引きこもっちゃうよ」

「引きこもるって何処にだよ」

 バスの中に引きこもる場所などあるわけがない。

「ん?佐藤の部屋だよ。この館たくさん部屋あるから、佐藤の部屋も紙袋の部屋も、僕の部屋だってある」

 館は三人の住処になる場所だったのか…と今更気がつく。よくよく考えてみればこんなに大きな館だ。それなりの値段だろう。

 訳の分からないバスのためだけにこんなに大きな館を買う必要はないはずだ。

 自分の寝ているベッドに敷かれているシーツを撫でて気づいた。

「もしかしてここ、鋏さんの部屋なのか?ごめん…邪魔して」

「いきなり何言い出すかと思ったら…ここは君の部屋」

「は?俺の?」

 何故千里の部屋がこの家にあるのだろう?と本気で頭を悩ませる。

 客の部屋が客間という意味で使っている…と無理に考えることも出来たが、鋏は確かに千里の部屋だと言った。

「はい、これ。もしもの事態のために佐藤が合鍵…というか鍵開けの魔術持ってるから絶対とはいえないけど、紙袋対策に」

 促されて千里が手を差し出すと、その上に銀色の鍵が落とされた。鋏が握っていたせいか少し温い。

 鍵にはタグがついており、丸みを帯びた字で千里と書かれている。

「俺の…」

「それから…多分もう必要ないとは思ったけど遠藤さん、落ちてたから千里の部屋に置いといたからね」

 鋏の視線を追うと部屋の端に置かれたチェアの上に緑のぬいぐるみが見えた。

「ちょっと待ってくれ…どうして俺の部屋があるんだ?」

 続けざまに喋っていた鋏が黙り込み、ようやく千里は聞きたかったことを質問できる。

 異世界を旅したという衝撃的な出来事があったせいか忘れかけていたが、そもそも三人は千里を突然連れ出しただけだ。

「…僕等は千里を拘束するつもりなんかないから嫌なら出て行けばいいよ。ただ、一緒に生活して欲しいって思ってる」

「それは…誰の望みだ?」

「僕等の。うーん、確かにそうだけど一番強く望んでるのは佐藤かもね。彼はずっとそれを望んでたんだ。僕からもお願いするよ千里、一人で生活するより賑やかなほうがいいだろう?」

(一人で生活)

 ずっとそうやって生きてきたつもりだった。両親に早々に研究機関への売却という方法で捨てられた千里は、特殊な力もないことが知れるとその施設からすら捨てられた。

 少しの金と自分の身。

 それだけでずっと生きてきたはずだった。誰にも頼らずに誰とも関わらずに鬼と知られないように。

 その生活を突然乱したのは目の前にいる鋏を含めた三人だ。変な人間達ではあったが、今まで千里のであった事のないタイプ。

 ずっと思っていたことがあった。

「どうして俺に関わろうとするんだ?」

「?」

「前にも言った、俺に関わったことであんた達は損しかしない。角が生えた化物だぞ?鬼だ。気味が悪いとか…」

「千里」

 鋏から目を逸らしてシーツを見ながら自傷する千里の言葉が遮られた。鋏が強く名前を呼んだせいだ。

「僕達の望みだって言ったよね?千里がそんな意味もないことで悩む必要はないんだ。利用するっていう気持ちでも構わない…だから嫌じゃなかったらここにいればいいよ」

「せい!」

「うわっ」

 突然目の前が真っ暗になる。

 慌てて両目を覆うものを頭に押し上げた。それは佐藤から渡された大きな帽子だ。

 そして背後に回っていきなり帽子をかぶせてきたのは紙袋だった。

「嫌なら隠せばいーだろが。ま、俺達はんなこと気にしねぇけどな!…そだろ、鋏?」

「…ちょっと復活が早いな。蹴りが甘かったか」

「俺の名言は無視デスカ」

 どうやら紙袋の復活が予想していたより早かったらしく、鋏は一人でぶつぶつと思案している。

「姿を見ないと思ったら…こんな場所に集まっていたのか」

「あ、佐藤」

 鋏が入室したっきり開けっ放しになっていた扉から佐藤が顔をのぞかせる。

 呆れたように眉根を寄せるその姿に少し違和感を覚えた。違和感の正体はすぐに分かる。

 浴衣を着ていないのだ。相変わらず肩からのマントはそのままだったが、室内着なのかシャツにジーンズという身軽な格好だ。

 そうしているとどこにでもいる少し見栄えの良い青年に見える。

 月花を殺したときのような鋭利な印象を持った目はなく、暖かい光が宿っていた。

「鋏、少し来い。依頼が入りそうなんだ」

「へぇ、今度はどこから?」

「勧善懲悪の世界だ」

「匿名?」

「いや…少し特殊ではあるが女だ。下で待たせているが俺が対応するしかなさそうだ。死者の残留思念など、初めての依頼相手だが」

「分かった。じゃ、何か困ったことがあったらそこら辺の紙袋にでも頼んどいて、紙袋は手ぇ出したら駄目だよ」

「そこら辺って落ちてるみたいに言うな!」

 笑いながらヒラヒラを手を振って鋏は部屋を出て行く。佐藤はその後に続こうとするが、一瞬千里に目をやった。

 佐藤を見ていた千里と偶然にも目が合う。

 冷ややかな印象がないとはいえ、月花を殺した人間に変わりはない。恐怖に似た感覚が背筋を上ってきて思わず目を逸らした。

「……」

 無言で佐藤が部屋を出て行く。

 足音が遠ざかっていくのを聞きながら千里はベッドに再び横になった。ゴロンと寝転がると天井が視界を覆う。

「んだよ、また寝るのか?」

「…いや、起きる」

 勢いをつけて体を起こすとベッドから降りた。冷えた床の感触が足の裏に心地いい。

「なぁ」

「ん?」

「俺はここにいていいのかな?」

「俺的には目の保養にもなって大歓迎だぜ。化物も鋏も千里が気に入ってるみたいだからいいんじゃねぇか?」

「そう…か」

 呟いたときに目を閉じたのは涙がこぼれそうだったからじゃない。


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