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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
3/27

3・獣、月花。

 森を抜けた先に現れたものは見慣れた光景、できれば違う世界に来てまでは見たくないと思っていた風景だ。

 灰色の町、草原だった大地は突然灰色に変化する。

 あまりに突然すぎる変貌に、まるで違う世界に来たようだった。

「これは」

「へー、なるほど。佐藤が言ってた発展の世界っていうのはそういうことか」

「開拓の進む世界ってことか、ここも俺達のいた場所みたいになるんだろうぜ。ま、人様の世界のことなんて気にする余裕ないけどな」

 未開拓の地では見ることのなかった人間が多くみられる。

 整備された道路では、まだ少ないが車もちらほら見かけることができた。空気も確実に変わっている。

「…行くぞ、こっちだ」

 すでにこうなっていることを知っていた佐藤は驚く様子も見せずに淡々と歩き出す。

 時折立ち止まっては記憶を辿り、再び進むの繰り返しだ。

 人の多い場所を歩くのは苦手だった。

 佐藤も紙袋も鋏も何も言ってこないが、明らかに人の目を引いている。角があるのだから当然だろう。

(…ここでもか)

 角がある人間が普通…という世界のほうが珍しいのだろうが、それでも異世界に来てまで奇異の視線に曝されるというのは少し心にくるものがある。

 店の並ぶ通りを歩いていたとき、思い出したように佐藤が立ち止まって振り返り、千里を吟味するように見た。

「千里」

「ん?何…うわっ」

 頭から何か黒いものをかぶせられて視界が真っ黒になる。引き上げて視界を確保する位置まで布を持ち上げた。

「…何するんだ」

 開けた視界、再び映った佐藤は先程までと何かが変わっている。印象が軽くなったというべきか…その原因を探す。

 すぐに分かった。

(あ…マント)

 佐藤が浴衣の上からはおっていたマントを千里の頭からかぶせたらしい。

 出会って一日も経っていないはずなのに落ち着く匂いがした。

(俺が角のこと気にしてたの、気づいたのか)

「あ、ありがとう」

「…千里が角を気にする必要はないんだが、視線を集めるのも気分が悪いだろう?…千里がいなくても鋏や莫迦のせいで随分人目を集めているからあまり意味はないが」

 言われてみれば佐藤はともかく、紙袋は頭部を隠した怪しい変人、鋏は拘束具や鋏を持った危ない人に見える。

(佐藤も充分目立ってると思うけどな)

 見た目が他とは逸脱していた。

 美しいという面でもあるのだが、何か生気のないような顔立ち、普通の人間とは違う異様な雰囲気を纏っている。

 見た目は普通でも佐藤は人を惹きつける何かを持っていた。

 千里の角がなくとも充分に人目は集めている。

 確かに…と千里は苦笑する。

「本当はあまり目立つのは良くないんだがな…早めに何とかする」

 悩ましげに瞳を伏せて誰にともなく呟く。

 突然佐藤が立ち止まり、一軒の店の看板を見上げた。

「ここだ」

「ここ?…何の店だ?読めない」

「異世界の言葉だ…骨董品を取り扱う店だったはずだが」

「どーしてお前がそんなとこと知り合いなんだよ?」

「……」

 紙袋の問いかけを無視して佐藤は遠慮なしに店に踏み入る。室内は薄暗く、人の気配はない。

 もしかすると閉店時間なのかもしれないが、遠慮してしまう千里の背中を紙袋が押す。

「おら、佐藤のお友達なら大丈夫だろ」

「お邪魔します…佐藤が友人じゃなくて世話をした…って言ってるところからなんとなく想像つくけど、多分佐藤と店のご主人良好な関係じゃないと思うな」

「あー、そりゃ何となく想像つくわ」

「そうか?」

 確かに冷たい言動や素っ気無い態度、愛想はないと思うがそれは佐藤の一部分だけのように思える。

 千里が疑問を浮かべると鋏と紙袋は顔を見合わせて苦笑する。

「化物が優しいのはお前限定だよ、千里が思うほどあいつは優しくねぇぞ?心の底まで化物だ」

「紙袋のはちょっと偏見混ざってるけど…佐藤は確かに冷たいよ。損得勘定で全てを割り切れる冷静さを持ってる」

「…佐藤が」

 信じられないという思いだけだった。

 自分の名前が呼ばれたことに気がついたのか、佐藤がこちらを振り返る。薄暗闇の中で光る黄金色の目はやはりどこか人外のものを感じさせた。

「どうした?」

「…いや、なんでもない」

 埃っぽい室内に足を踏み入れる。佐藤の言っていた通りどこか古びた小物が幾つか机の上に並べられている店内だった。

 中には価値のありそうなアンティークもある。

「居ないみたいだね…留守かな?」

「いや…これは」

 佐藤はレジの近くに置いてあるマリオネットに近付いてその頭を指先でなぞった。

 なぞった指先を目の前に持ってきて息を吹きかけると埃が舞う。

「逃げたようだな」

「逃げたって…何からだ?」

「決まっている、俺からだ」

「あんたから?」

「…助けてもらったときには俺の力に感謝を示したくせに、解決した途端に恐ろしくでもなったんだろう。世界を渡る化物がな」

 化物…と自嘲するように表現する。

「佐藤…」

「どうしてお前が悲しそうにする?…別にお前が気に病むことじゃない。こんなことには慣れている」

 マリオネットの感情の灯ることのない眼球を指で弾いた。衝撃を受け止めることができずに人形は倒れる。

 その様をみて無様だな…とせせら笑った。

「壊してやってもいいが、今はそんなことより優先すべきは化物討伐だ。この店の主人は情報通だったからな…良い情報が得られると思ったんだが」

「やっぱり虱潰しにあたっていくしかないのかな?」

「んなちまちまやってられっかよ。バスと何時までも放置しておくわけにもいかねぇぞ?俺みたいなのに見つかったら面倒だ」

「いや…これに聞こう」

 これといって佐藤は倒したマリオネットを立たせる。金髪の少女の形をした人形は無表情に風景を映した。

 しかし人形は喋ることは出来ない。

「そんなことできるのか?」

「こいつの見ていた光景を、聞いた言葉を読みとることはできる」

「んな面倒なことしなくても依頼主に聞けば…」

「依頼主はこの世界の住人だけど確か匿名希望だったからね、あんまり期待できないんじゃないかな」

「そういうことだ」

 目を閉じると佐藤が人形の額に手を添えて目を閉じる。指先から白い炎が立ち上って人形が一気に燃え上がった。

「何やって」

「黙っていろ」

 暫くして目を開けると、佐藤は掌にまとわりついた白い炎を紙袋に向かって投げつけた。

 突然炎を投げつけられた紙袋は慌てるが、避けるにはすでに遅く、それを正面から受けてしまう。

「熱っ…くない?」

 炎は紙袋に燃え移ることなく、彼の胸の少し前で浮遊している。

「読み解いた記録から推定される討伐対象の居場所を割り出した。そいつが進む方向へ向かえば会えるはずだ…その化物とやらに」

「これ、動くのか?」

「入れ物に入れてやればいい…こんなのはどうだ?」

 適当にその辺においてあったものを見繕ったのか、緑色の頭部のでかいぬいぐるみを千里に向かって放り投げる。

 眉尻の下がった顔、小さな黒い点の目、三角の口。

 どうして小物店にあるのか分からないようなゆるいキャラだ。

「お前がこんなぬいぐるみ投げるなよ。イメージ壊れて俺の心が大ダメージだわ」

「訳の分からないことをいう前に早く入れてみろ」

「へいへい」

 一度威嚇するように舌を出してから、紙袋は胸の前にあった炎を千里の抱える大きなぬいぐるみに突っ込む。

「うわっ」

 動かないはずの綿と布だけの体がパタパタと動き、驚いて緩んだ千里の腕から抜け出した。

 声帯はないので喋ることは出来ないようだが、ぽふぽふと数回飛び跳ねると満足気に座り込んだ。

 首をフラフラ揺らしている。

「えんどう豆みたいだな」

「遠藤さんで良いんじゃないか?」

 適当に思いついた名前を千里が口に出すと鋏と紙袋が閉口した。

「千里、とうとうネーミングセンスまで化物に影響されて…」

「……」

 遠藤さんとたった今名づけられたぬいぐるみはぺたぺたと地面を歩くと、千里の足にしがみ付いて上り始める。

「てめぇ、千里の生足触ってんじゃねぇよ!俺だってまだ…ぐぇっ」

「だから君はもう少し発言を慎もうか!」

(ついに手が出たな)

 今までは足だったわけだが、今回は疑いようもなく鋏が紙袋を殴り飛ばした。

 二メートルほど吹っ飛んだ紙袋は地面に突っ伏す。

 冷静に傍観していると呆れたように佐藤が歩き出す。

「行くぞ…さっさと化物とやらを始末して帰る」

「ちょっと待…」

「っ!」

 慌てて千里が後を追おうとするがその必要はすぐになくなる。突然佐藤は崩れ落ちて膝をつく。

 胸を押さえて床を睨みつけた。

「なっ、佐藤!」

 千里の悲鳴で争っていた二人も異常に気づいたらしく、すぐに駆け寄ってきた。

「何の騒ぎだ?」

「…かはっ…鋏、近くに…罠が」

 幾度か咳き込み、息を詰まらせながら訴えかける。

 鋏は頷くとすぐに周囲を見回し、小さな木箱を見つけると佐藤の視界に入るような位置に置いた。

「これのこと?」

「…貸せ!」

 オルゴールのようだった。千里にとっては美しいだけの旋律なのだが、どうやら佐藤にとっては違うらしい。

 苦痛を伴う旋律に顔を顰めながらオルゴールを力ずくで殴りつけた。甲高い音がして木箱が砕ける。

 中に金属で出来た音の原因があり、それを壊そうと手を伸ばすのだが指先が震えて定まらないようだった。

「く…そっ」

「貸して!」

 見ていられなくなった千里は佐藤が壊そうとしているオルゴールを奪いとると紙袋に視線を向ける。

「壊してくれ!」

 オルゴールを突き出して懇願した。

「ちっ…ったく、千里の頼みだと断れねぇだろーが!」

「鋏、これ!」

 フォークを出す時間がもったいないと判断したのか、どこから見つけてきたのか鋏がナイフを投げて渡した。

 上手く柄の部分を掴んで受け取ると、紙袋は思いっきり振り上げたナイフを深くまで突き刺した。

 不協和音が鳴り響いて金属片が砕け散る。

 砕け散った破片の中に青色の輝きを放つ光があり、槍のような形状に変化するとまっすぐに佐藤へと飛んだ。

 疲弊した佐藤の反応が遅れ、数本の槍が体を貫く。

「ぐっ」

「佐藤!」

 慌てて千里が駆け寄るが、佐藤は荒い息を繰り返すだけで意識は随分とはっきりしているようだった。

 鋏がすぐに駆け寄って怪我の様子を確認する。

「二重に罠が、でも出血はない。最初のが本命だったみたいだね…阻止できて良かった。お手柄だよ千里」

 鋏が手を貸して立ち上がらせようとすると、佐藤はその手を払って自分で立ち上がる。

 相変わらず胸に槍は刺さったままだったが、フラフラと移動すると店の端に置かれたソファに崩れ落ちた。

「状態は?」

「この程度で俺は死なん…だが、暫くは動けない。あの人間、面倒なことをしてくれた。そこまで俺が怖かったか」

「おいおい、どうすんだよ。俺達だけで情報も何もない化物相手にするのはキツイぜ?」

「…回復でき次第俺も参加する。それまではお前達だけだ」

「そんなに酷いのか?」

 いつも余裕があったはずの佐藤の表情が、今だけは苦痛に歪んでいる。槍を抜こうと千里が手を伸ばすが、実体を持たないのか触れることが出来ない。

 心配そうに覗き込む千里を見て苦しそうにしながらも笑った。

「大丈夫だ…心配するな」

 さっさと行けという風に佐藤が手を振る。

 そう言われても怪我人を置いていくということに抵抗があるのか、千里はなかなか立ち上がろうとしなかった。

 そんな千里を見かねて鋏が声をかける。

「行こう千里、佐藤なら大丈夫だよ。こんなことじゃ死なないって僕が保証する」

「…分かった、出来るだけ戻るからな」

「期待しないで待っておく」

 頭からかぶっていたマントを佐藤にかぶせた。風邪でない今この処置が正しいものなのかは分からないが、何かしてやりたいという気持ちからの行動だった。

 マントを受け取った佐藤は暫く黙って三人を見送っていたが、最後尾を歩く千里を呼び止めた。

「?」

「持っていけ」

 手渡されたのは全体的なシルエットが丸みを帯びている大きな帽子と、聞いたことはあるが実物を見たことはない…拳銃だった。

 黒一色に塗装された二つの拳銃、そのグリップの位置には見たことのない動物が刻まれている。

 長い耳をした獅子のような動物だ。

「これは?」

「角が嫌なら隠せ…拳銃は俺が守れない間お前が自衛のために使え。できるだけ使わずに済むことを祈るが」

「…分かった、ありが…」

「礼を言うのは俺のほうだ。紙袋は絶対に俺を助けるために行動しないからな…お前のおかげでさっきは助かったようなものだ」

 懐かしむように佐藤が遠くを見る。

「行け」

 短い言葉だった。これ以上ここに留まられて無様な姿を見られるのは彼のプライドに反するのかもしれない。

 千里は帽子をかぶると踵を返した。


 一人残された佐藤は、忌々しげに自分の体を貫く槍を見下ろした。

 手を伸ばして槍に触れる。千里にはどうやら触れることができなかったようだが、化物ならば触れるだろう。

(それにしても…)

 目下にある条件発動の妨害魔術、これはかなり高レベルのものだ。

(この世界に魔術は存在するが…人間がこのレベルの術式を組めるものなのか?)

 魔力は数人が結託すれば苦しいが何とかできると推測しても、人知を超えた術式というものも存在する。

 それができるような器には、この店の店主は見えなかった。

「仕掛け人は誰だ」

 自分達の行動を予測し、そして明らかに佐藤だけを狙った魔術を放ってきている。通常の人間に効果のない魔術などを防犯用に仕掛けるわけもないだろう。

 恨みならかなりの数をかっている。

 思い当たる相手は多いが、その中にこのレベルの魔術を使える人間が見当たらずに首を傾げた。

(…推測だけしていても意味がない…か。ならば今優先すべきなのは、早く動けるようになること…そして千里との合流だ)

 突き刺さった槍を一本両手で掴んで引き抜こうと力を入れる。肉体ではなく精神的なものに突き刺さった槍を抜くのには激痛が伴った。

 肉体的な激痛ではなく精神的な激痛だ。

「…くっ」

 引き抜くたびに思い出したくもない過去が蘇る。

 古臭い店内の光景が記憶の中の光景と入れ替わり始めた。

 後悔の記憶、懺悔の記憶。

 降りしきる雨の中、雨に打たれて落ちているのは桜の模造品。水溜りを汚しているのは真っ赤な血。

「これを忘れたことなどない…こんなもので思い出さなくても、俺の中にはいつもこの光景がある」

 顔を顰めながら槍を引き抜いた。


 町の中を歩くのに流石にあの格好は目立つと判断したのだろう。千里の前にある鋏の背中はマントのようなもので覆われていた。

 体中をすっぽり包み込むことで手足を拘束する鎖を隠すのと、有刺鉄線と鋏も隠す意味があるのだろう。

 千里に並んで歩く紙袋はやはりそのままの格好で隠すようなことはしていないが、頭を覆う袋もそういうファッションだと思えば割り切れないこともない。

「鋏さん、どこに向かってるんだ?」

「うん、佐藤抜きだと初見討伐は辛いからね。とりあえず一回近くのギルドみたいな場所に行って情報でも貰おうかなって」

「けっ、鋏はビビリすぎなんだよ。あんな化物いなくても俺が充分補ってやるってのによ!」

「戦闘要員は君だけなんだから、やっぱり相手のことを探るのは大事だよ。遠藤さんの案内は正しいのかな?」

 千里の抱えるぬいぐるみ、遠藤さん。

 両腕の中の緑のぬいぐるみに顔を寄せて尋ねる。

「こっちに情報があるのか?」

 コクコク…と遠藤さんは頷いて腕を伸ばして道を指し示した。

「…佐藤が心配だ。早く終わらせて戻ろう」

「うぐっ、千里は化物の心配ばっかで俺なんて眼中にないのね」

「佐藤のことなら本当に心配いらないよ。紙袋と千里にとっては初めての経験かもしれないけど、ああいったことは今回が初めてじゃないんだ」

「以前にもあったのか?」

 歩みを止めずに尋ねる。

「うん、度々ね。魔術がある国に来るとああいうことがたまにあるんだよ。魔力なんて皆無の僕達には影響ないけど佐藤は別だ。影響を強く受けて倒れることもある…まあ死なないけど」

 淡々と話す鋏の様子はあまり佐藤を心配していない風だった。佐藤の次に古参だと言っていた…どうやら佐藤と過ごしている時間は紙袋よりずっと長いらしく、今回の事態にもあまり動じていない。

 冷静な鋏の言葉を聞いていると少しだが安心できた。

「ひひひっそれにしても随分嫌われてんだな化物。あのトラップは化物狙ったもんだろ?」

「不謹慎!」

「いてぇ!」

 バシッと小気味いい音を出して鋏が紙袋の頭部を叩いた。

「予告もなく何叩いてくれてんだ!これ以上身長縮んだらどう責任とってくれんだよ!」

 確かに千里と大差はないが、佐藤や鋏に比べれば身長の低い紙袋は叩かれた箇所を両手で押さえる。

「身長気にしてたのか…じゃなくて、千里の前でそういう不安を煽るような発言を止めろって言ってるの」

「んむっ…千里、不安になったのか?」

「…多少」

 そんなことはないのだが悪戯っ子のような鋏の目配せを受けてそう答える。

 すると紙袋は面白いほどにうろたえ始めた。

「ご、ごご…ごめんな!俺は別にそんなつもりで言ったんじゃねぇんだ!俺は化物のことは確かにいけ好かねぇけど本当に死んで欲しいって思ってるわけじゃなくてだな!」

 わさわさと両手を振って必死に弁解するか紙袋。

「…ぷっ」

「へ?」

 そんな彼の動転している様子を見て耐えていた笑いが零れた。

 一度決壊してしまえば止まらない。千里は声をあげて笑い出す。

 突然笑い出した千里に呆然とした紙袋ははっとした様子で鋏を睨みつけた。

「だ、騙したな!」

「うーん、身に覚えがないですね」

「鋏てめぇ!ちょっと止まれ、その優男面今日こそ恐怖に歪めてやらぁ!」

 走り出した鋏に腕を引かれて千里も走り出す。意外なことに戦闘の得意な紙袋より鋏のほうが早いようだった。

 追いつかない千里は引き摺られるように走る。

 身長の差…というより一歩の大きさの問題だろう。

「あ、鋏さんちょっと止まって」

「ん?」

 後を必死で追ってくる紙袋の姿が随分小さくなった頃、千里は遠藤さんの動きを感じて立ち止まった。

 今まで道を指し示していた遠藤さんの手が建物を示している。

 大きな建物で、鉄筋コンクリートのつくりをしている…無駄な装飾のない質素な建物だが、人で賑わっていた。

 ガラス張りの開けっ放しの入口から中に入った頃にようやく息を切らした紙袋が追いつく。

「ぜぇ…ぜぇ…覚えてろよ鋏」

「ここか…少し紙袋は少し休んでて、ご老体に差し障るとあれだから。千里、少し情報収集といこう」

「誰がご老体だ、俺はまだ二十歳だっつの。そういうのは化物に言ってやれ」

 文句を言いつつもホールの端に置かれている椅子にどっかりを腰を下ろした紙袋を放っておいて、千里は鋏についてギルドの受付らしき場所へと向かう。

「すみません」

 接客の笑顔を常に称えた女性に鋏が声をかけた。

「いらっしゃいませ、ギルドへようこそ…あら、どうやらギルド参加者ではないようですね。依頼の受付ですか?」

「いえ、僕らは少し情報提供をして欲しくて」

「…申し訳ありません。我がギルドでは利用者様の情報は安易に公開できないことになっております。お引取りを」

(ま…当然だろうな)

 予想通りの展開だ。

 だが鋏はそこで引き下がることなく、カウンター上に両手を組んで乗せると身を乗り出して女性を見上げる。

 突然の出来事に受付の笑顔が一瞬乱れた。

「…まだなにか御用でも?」

「うーん…ちょっとだけでも駄目かな?僕達が知りたいのは山に最近出没してる人間の敵…って呼ばれてる化物のことなんだけど」

「…ですからお答えできませんと」

「ね、個人的にお願い。君が見聞きした情報でいいんだ。僕はギルドの情報を出せって言ってるんじゃない」

 ギルドの受付である女性の見聞きしたことはギルドの情報に等しいだろう。正論を言っているようであるが言い方を変えただけでまったく要求していることは変わっていない。

 それでも少し堅苦しい雰囲気を崩すことはできたようだ。

 鋏のやり口と常ではありえない相手の心理の奥を突くような鋭い表情に感心する。

(自分の見た目を最大限に生かしてる…鋏さんって…)

 こういう人間がひょっとすると化物より怖いのかもしれない。

「口外無用でお願いします」

 そろそろと周囲を見回して自分達に関心が向いていないのを確認すると、声のトーンをさげて囁くように女性が口を開いた。

「おそらく探されている化物は「月花」のことでしょう。人間を滅ぼすと噂されている化物のことです」

 どうやら話す気になったようだった。元々噂話が好きなタイプのようで、一度口を開けば言葉が流れ出す。

「月花…聞いたことないね」

(げっか…月の花?)

 口を挟むことはしないが千里も鋏に同意する。

「そうですか?噂話になる程度には有名ですが。この町に来て浅いのですか?」

「うーん…まあ旅の人間かな」

 まさかこの世界の住人ではない…などといえるわけがない。

「でしたらご存じないのも無理はありませんね。この町…いえ、この国はここ百年で急激な成長を遂げました。それはご存知だと思います。自然と共存する狩猟生活と決別し、人間は文化というものを手に入れました。私達の国も成長を始め、勿論この町も例外ではありません」

 発展の国。佐藤が言っていた内容と似ている。

 鋏は相槌を時折はさみながら言葉に聞き入っていた。千里も鋏の隣で聞き漏らさぬように耳を澄ました。

「あまり有名ではないのでご存知ないのも無理はありませんが、この町付近の森には古よりこの地方にしか生息しない動物がいるんです。呼び名は様々ですがこの町の住民は彼等のことをモゼルと呼んでいました。安易なものですが魔術を操ることのできる人間に近い脳を持った雑食の動物です」

「高度な知能を持った獣ってことだね」

「はい、モゼルは長い耳に白い毛並み、強靭な足を持つ動物です。知能を持つ彼等が人を襲うことは少なかったのですが、逆は別でした」

(白くて長い耳…強靭な手足)

 知っている中に当てはまる動物が見つからずに千里は首を捻った。受付の女性が言うとおり認知度が低く、この世界にしかいない生物なのかもしれない。

「人間がモゼルを狩る」

「魔術を扱うモゼルはその身に魔力を宿しました。この世界はご存知の通り魔術によって発展をしている町です。急激な成長に魔力は不足していくらあっても足りないほどでした」

「つまり大量に狩猟を始めたわけ…か」

「はい、モゼルは今では絶滅危惧種です。お探しの化物というのはおそらくモゼルの親玉…月花と呼ばれるものではないかと」

「親玉?」

「伝説上の存在とされていたのですが、最近になって目撃者が急増している獣です。月花は人を狙って襲うような兆候が見られるので、ギルドとしても対応に困っているところ…というのが現状でしょうか」

「なるほど」

 顎に手を当てて考え込むように黙り込んだ鋏、それを見て受付の女性はどうしていいのか戸惑っている様子だった。

 これ以上鋏にいいように利用されているのを見るのも可哀想だったので千里は一礼して鋏を引っ張る。

 その場を離れて紙袋のいる場所へ戻ると退屈そうに欠伸をしていた紙袋が気づいて顔を上げた。

「分かったのかよ?」

「大体はね…でも敵の正体がいまいち掴めない。残念だけど戦闘に役立ちそうな情報はなかったかな。いけるかい?」

「はっ、何が来ても力押しでぶっ潰すってのが俺達のやり方だっただろうが」

「それは佐藤がいたからできた荒業だ」

「あんな奴がいなくても俺一人で何とかする。ほら、行くぞ。案内しろ緑人形」

 違う名前で呼ばれたことが気に入らないのか、遠藤さんは手足をじたばた振って怒りを表現する。

 だが暫くすると収まって方向を指し示した。

 この町に来る際に通った大きな森、その方角を示している。

「きっと森の中にいるだろうね…月花は。どうかした?」

 ずっと考え込むように浮かない表情をしていた千里に気づいて鋏が声をかける。

「いや…なんでもない。行こう」

 月花。

 人に迫害されて人を憎んで人を襲っている獣。

 その境遇に何か同情に似た気持ちを抱いた自分に気がついて千里は自分の考えをかき消した。

(直接会ったほうが早いな)

 狩るという目的だけではなく、千里は月花に会ってみたいと願い始めていた。

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