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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
25/27

25・もう一人の鬼

 初めて会ったとき、まるで野良犬のような眼光に興味を抱いたのを鷺は覚えていた。

 近付くもの全てを傷つけるような、酷く敏感そうな青年は鷺とは対照的に真っ黒な髪をしている。

 黄金色の瞳だけが共通点であり、我等である証拠だ。

「新入りかな?」

 そっと手を伸ばして…しかし届かず、鷺は立ち上がって青年のもとへ歩み寄った。

 青年の横に立っているエリカが顔を険しくする。

「鷺」

「心配性だな、エリカは」

「……」

「それにしても随分ぎらぎらとした目をした仲間だね、君は?」

「私は…いや、俺は」

「ああ、やっぱりいいよ」

 自分から名前を聞いておいたくせに鷺は手を前に出してそれを制止し、黒い翼と黒い髪を持つ彼をじっと吟味する。

「正式な名前は自分の中にだけ秘めておくといい。君の名前は鴉…どうかな?僕の対となる名前だ」

「鴉?」

「君の望みは聞いたよ…世界を移動する術を知りたいらしいね。でも残念ながら君にそこまでの力はないようだ。だから僕は君に移動方法を教える…世界を移動するバスの使い方だ」

「それがあれば…違う世界にいけるんだな?」

 他の話題に比べて鴉の反応が違った。

 どうやら何が何でも世界を移動する手段が必要なようで、一見冷めているように見える彼をそこまで必死にさせる理由が知りたくなった。

 しかし初対面でそれを尋ねるのは失礼にあたるだろう…と鷺は好奇心を押し殺した。

「人には扱えない方法だ。対価が必要になる」

「構わない、命だって差し出す…それで救えるなら」

「救う…ね。面白い。暫くここに留まるといい。今の君にはバスを移動させるほどの力すらない。我等が教えよう…力の使い方というやつを」

「鷺!」

「エリカ、彼は望みを果たしたい同志だ。だったらそれを応援するのも僕らの役目なのではないかな?」

「危険」

「鳳仙が離脱した今、新しく仲間が必要な頃合だろ?鴉、我等を志を共にする者として護らなくてはいけない掟があるんだ」

「掟?」

 突然条件を提示されて、鴉は怪しむように鷺を睨んだ。大したものではない…と苦笑して鷺は手を振った。

「簡単なことだよ、我等にとって人間は食べ物に過ぎない。だから家畜として扱うことは許されても、人間を助けるようなことはしてはならない。簡単に言えば…人とお友達になろうなどとするな。人と我等は違う存在、違う世界に別れて秩序の生まれるものだ」

 静かに掟を聴いていた鴉だったが、鷺の言葉を聞き終えると首を僅かに捻った。

「何故…そんな決め事が?」

「不都合かい?高潔な我等の教えだ。意義は…人との交わりを断つため。教訓だよ…かつていたんだ。愚かにも人と交わり、人の子を成した我等の裏切り者が。我等と人が交わればそこには鬼が生まれる。人でもなければ我等でもない、中途半端な紛い物だ」

「……分かった」

 鴉はそう呟いたが、鷺と目を合わせようとはしなかった。


「思えば、あの時からすでに鴉は僕を裏切るつもりだったのか」

 ぼんやり呟いて鷺は嘲るように笑った。

 見抜けなかった自分の愚かさを、そして鴉の心中を思って。

 寝台から身を起こさずに手を天井に向けた。窓は布切れで覆われているが風が入ってきて、一瞬だが日光が射し込む。

 日が彼の伸ばした手に当たった瞬間、鷺の手から肉が消えうせ、骨だけの姿へと変わった。

 しかしそれは現実ではなく、日陰に戻れば元の白い肌へ戻る。

「…長い僕の生もあと一世紀ぐらいで終わりってとこかな」

 老いとは怖いものだ。

 と老いとは無関係な我等であるはずの鷺が呟く。見かけは老いることもなく、身体機能が衰えることもない。

 しかし不死ではない限りいつか死ぬときがやってくる。

 太陽の下に出ることが辛くなってきたとき、自分の死が近いことを悟った。残った寿命だけでも人は長い生だと言うのだろうが。

「エリカがやられるなんて、やるな…僕の狗も」

 目を閉じて呟いた。


「あーやってられっかっての!」

 木造の街中を二人が歩いていた。

 言うまでもなく千里と紙袋なのだが、二人ともこの世界からみれば特殊な格好をしていたので、服を調達して着物に着替えていた。

 その一人、紙袋は疲れたように立ち止まる。

「今まではどこでもナビの化物がいやがったから世界移動も楽だったけどよ、一つの世界って馬鹿でかいんだぜ?んな中から佐藤だけ探し出せつったって無茶だろ。化物みたいに人の気配を探知する能力も俺にはねぇしな」

「それは…確かに。でも手探り以外に方法があるわけでもない」

「けっ、頼りてぇときにだけいねぇんだな、あの化物は」

 千里の言い分ももっともであり、また紙袋の意見も正しいものだ。世界を移動したのはいいものの、完全に佐藤の足取りを見失ってしまった。

「そうだ、千里は魔王から力戻ったんだろ?こう…なんつーか探知機能的なもんねぇのか?」

「探知…ああ、魔術のことか。佐藤が使ってたのも多分それだと思うが…佐藤の真似事が俺にできると思うか?」

「あー」

 バスでの世界移動と千里の乱暴な世界移動とを比較してみる。力は自力で世界を移動できる千里のほうが優れているのだろうが、如何せん扱いに慣れてはいないようだった。

「無理か」

「無理だ」

 はぁ…と二人が同時に溜息をつくと、向かい合った二人の真ん中にいつの間にか人が立っていた。

 突然の出来事に千里は悲鳴を呑み込み、紙袋は警戒してフォークを取り出して構えた。

「……」

 無言で二人の間に立つその青年は短い灰色の髪をしており、顔の前面を大きな狐のような猫のような仮面で覆っている。

 無言であるのとは対照的に、彼の仮面に描かれている顔が笑っているため不気味に見える。

 一目でこの世界の存在ではないとわかる洋服を着ており、シャツの裾からはひょろ長い尻尾が飛び出している。

「新手かよ!」

「紙袋!…ちょっと待ってくれ」

「はあ?」

「いいから」

 紙袋を止めた千里は仮面の青年の尾を凝視した。見慣れた形だ…なぜなら自分の腰にも同じものがついているのだから。

「誰だ?」

「…柊だ、ついて来い」

 言葉少なくそれだけ告げると柊と名乗った青年はひょいひょいと跳ねて屋根の上を移動し始める。

「千里の知り合いか?面白くねぇな」

「そういう感想は心の底に止めとけよ…だけど知らない。ただ、俺と同じ臭いがした」

「千里と同じだぁ?んなわけあるかよ、千里の香りは俺の大好きな」

「いーから行くぞ!」

 長々と語りだしそうな紙袋の腕を掴み引っ張る。

 見失わないように柊の背中を目で追いながら走る。

 千里から手を繋がれたことが嬉しいので、勿論紙袋は抵抗せずに駆け出した。


 暫く後を追いかけると柊は町を外れて町からそんなに離れていない山道へと走った。

 時折立ち止まって千里達がついてきているか確認する。

「ったく、どこまで連れてくつもりだよ」

「分からないけど、敵じゃなさそうだ」

 気づかないうちにあれだけ二人に接近できたのだ。殺そうと思っていたのならその瞬間に首を刎ねることだってできただろう。

 それをしなかったばかりか、どこかに千里達を案内しようとしている。

 暫く進むと水の流れる音がして、森の中を流れる清流に突き当たった。そこで柊は立ち止まり動こうとしない。

「休め」

「どこまでも上から目線だなこいつ。可愛げねぇ」

 紙袋は吐き捨てると不愉快そうに川の水を飲み、大きな木の根元に腰を下ろして一息ついた。

 千里はフラフラと川に近付くと、その透き通った水に手を浸す。

 冷たい。

 しかしそれだけではなく、思い当たるところがあって表情を険しくすると、柊の前に立った。

「どういうつもりだ?」

「……」

「千里?」

(ここは俺が黒也に殺された場所)

 どうしてこんな場所に連れてきたのか?

 何故知っているのか?

 柊は仮面の内側で一体何を考えているのか、全く表情が読めない。千里はそれに珍しく苛ついているようだった。

「どうしてこの場所を知ってるんだよ」

「知っている、母上より聞かされた」

「母上?」

「この場に連れてきたことに意味はない。目的は場所ではなく、お前達の探しているものにある」

「佐藤の居場所を知っているのか」

「道案内」

 囁くように告げるとそれっきり柊は口を利かなくなってしまう。

 元々無口なのかもしれないが、それよりも柊の生気のなさに磨きをかけているのは彼のその仮面にあった。

 表情が見えない。目を開いているのかも分からない。

 動かなくなって口も利かなくなってしまうと、本当にそれが生きているのかすら分からなくなる。

「答えになってない、お前は誰だ!」

「……」

「答えろよ!」

 パンッ!

 千里が叫んで仮面を払うと、あっけなく仮面は柊の顔から離れ、物悲しい音を立てて地面に転がった。

 避けることもできたはずなのに柊は動こうともしなかった。

 仮面を剥げば感情が分かるというのは甘い考えだったようで、柊は仮面をつけていなくとも表情一つ浮かべていない。

 両目はしっかり開かれており、黒色の瞳が千里を見ていた。

 そして仮面の下からはもう一つ出てきたものがある。

「!」

「どういうこったよ…これ!」

 額の位置に千里よりは小さいが角が二本生えていた。仮面で上手く隠していたようだが、それがなくなった今となっては隠すすべもない。

「見てのとおり、私は鬼だ」

「千里と同じってことかよ、分かんねぇな…鬼って何だ?どうして千里以外にも鬼がいるんだ?」

「何故、教えない千里?認めたくないのか、知らないのか」

「何を言って」

「自分が何者かも知らずに彷徨っていたのか?哀れだな。私達は鬼、人と我等の間に生まれた悪魔の子だ」

 一呼吸置いてから柊は目を閉ざして呟いた。

「存在してはならないモノだ」


「見果てなさい、千里君。あなたの存在意義を、あなたの意思を私に教えてちょうだい。それが私の答えになるわ」

 鳳仙は呟くと、空に立って千里達を見下ろした。

 見守るような穏やかな目だ。

「頼んだわ、柊」


「我等と人の子?」

 初めて知った事実に驚き、千里は柊の顔を正面から見たまま、目を逸らせなくなってしまう。

 今まで鬼というのは自分だけかと思っていた。

 だが目の前に鬼と名乗る青年がいて、角は紛れもなく彼の言葉が真実であることを示していた。

 だがそんなことより驚くべきは彼の口から出た言葉。

「千里が…人と化物共から生まれたってことかよ」

「なるほど、どうやら本当に知らないようだ。随分古くに生を受けた方のようだ。忘れているのか…それとも産み落とした者から何も聞かされていないのか、もしくは出会ってすらいないのか」

「忘れた?自分の生まれを?…俺が?」

(そんなわけ)

 一時期魔王に記憶を預けていたときには特殊な例として忘れていたわけだが、それ以外のことを忘れたことはないつもりだった。

 膨大な記憶を記録できる魂は膨大な生を持つ自分に与えられたものだと思っていた。

 だが言われて、改めて記憶を探るとどの記憶が最初だったのか分からない。最初の記憶がなく、気づけば自分が鬼であるということを自覚して生きてた日々だ。

 思い出せないことがあるというのは初めての経験で、千里は額に冷たい掌を当てるとフラフラ数歩下がる。

「数奇な運命もあるんだな、我等の子であるお前が、数多の世界でも数少ない我等と出会い、その心を捉えた」

「ちょっと待て!はったりかましてんじゃねぇぞ!千里は確かに少し変わってるかもしんねーよ。けど化物みてぇに特別な力を使ったこともねぇし、そもそもお前等みたいに人を食ったりは」

「私は鬼で、人を食らったことはない。千里のように転生を繰り返したこともない。老いるのが遅いのでな、二百年ほど生き続けている。だから分かる…自分の存在している訳も」

「……」

 暫く額に掌を押し当てたまま俯いていた千里だったが、落ち着いたようでそっと顔を上げるとできるだけ無表情を装い、冷ややかな目をしている柊を睨み返した。

「それを伝えにわざわざ来たのか?」

「違う、母上の命でお前達を鴉のもとへ案内する」

「化物の居場所を知ってるってことかよ。だったらさっさとしようぜ!…これ以上無駄口叩いて千里を苦しめるのは許さねーぞ」

「私も話は得意ではない…ついて来い」

 休憩は終わりだ、と柊は叩き落された仮面を拾うと再び顔につけ、表情を再び隠すを無言で歩き出した。

 体尽くしたままの千里は悔しそうに唇を噛んでいる。

「千里」

「…行こう、少なくとも敵じゃない」

「お前がそう言うんなら」


 案内された先は予想はついていたがあの鍾乳洞だった。

 黒也と過ごした日々を回想して千里が目を細めると、これで自分の役目は終わりだ…とばかりに柊は立ち去ろうとする。

 慌てて紙袋がその袖を掴んだ。

「おい!」

「何だ?私の役割は終わった」

「ここに化物がいんのかよ?」

「自分の目で確かめてみればいい」

 細い腕からは想像ができないが、予想以上に強い力で柊は紙袋の腕を振り払うと砂を舞い上げて跳びあがった。

 相変わらず人間離れした動きで山を駆け下りていく。

 それを目で追うこともせず、千里は鍾乳洞へと歩を進めた。気づいた紙袋が続こうとするが、千里は無言のままそれを手で制し、首をゆっくり横に振った。

「…」

 察した紙袋は不満そうではあったが立ち止まり、洞窟の穴が空いている壁に背中をつけて顔を伏せた。

 ここで待っているということだろう。

 千里は一人で薄暗い空間に足を踏み入れ、入口からそう遠くない場所に体を丸めている青年を見つけた。

 膝の上に腕を組み、顔を埋めているため表情は窺えない。

 しかし黒い髪、その姿から誰なのかは分かる。

「黒也」

 あえて佐藤ではない名前を呼ぶ。

 すると佐藤は驚いたように顔を跳ね上げ、信じられないという風に目を丸くして千里を凝視した。

 幻覚でも見ているのではないか…と疑っている。

「ど…して、お前までここに」

「俺だけじゃない、紙袋もいる。魔王も…一緒だ。鋏さんは見当たらなかったけどな。みんな佐藤のために来た、あんたを一人にはさせない」

「魔王?」

 魔王の気配を感じられずに佐藤は弱々しく彼の名前を呼んだ。

 酷く傷ついている様子で、そんな佐藤を千里は初めて見る。

「感じられない…いや、それよりも千里…お前今、俺のことを」

「黒也だ、覚えてる…もう忘れない」

 辛い過去だったとしても捨てるのはもうやめた。

 決意を胸に秘め、堂々と千里は宣言した。

 それは佐藤にとって大きく二つの意味を持っていた。

 一つは千里の記憶が戻ることにより、自分の犯した罪と向かい合わなくてはならないということ。

 もう一つは魔王の消滅だ。

 どちらも今の佐藤には重過ぎる出来事だった。どうすればいいのかも分からずに戸惑いの視線を彷徨わせる。

「どうして?」

 辛うじて口から出た言葉は酷く掠れ、そして内容もたいした意味を持たないものだった。

 そんな佐藤を気遣ってか千里は柔和な笑みを佐藤に向ける。

「魔王は俺に記憶を返したんだ。だから俺はもう…黒也のことを忘れたりしない。佐藤のことも忘れないし理解してるつもりだ」

 驚いていた佐藤だが千里と目が合うと目を伏せて顔を逸らした。自分に責任を感じているのかもしれない。

 千里はそれを少し寂しく感じた。

 折角記憶が戻ったというのに佐藤は自分の姿を見てくれない。なんとかしてそん黄金色の瞳が見たくて名前を呼んだ。

 しかし佐藤は振り返らない。

「黒也?」

「全部…俺のせいだ」

「?」

 小さく呻くような声が聞こえた。

 佐藤は再び膝に顔を埋める。

「俺のせいで…千里も、紙袋も、鋏も」

「佐藤」

「俺が、化物のくせに普通になりたいなんて願うから、罰が当たったんだ。俺が…人を殺す俺が報われるなんて、そんなことが」

「やめろ…やめろよ!どうしてそんなこと」

 自分を責め続ける彼の姿を直視できずに千里は叫んだ。

 優しくしてくれた千里を殺した。

 紙袋の人生を潰した。

 悲しい存在の魔王は自分のために千里に還った。

 共に旅をしてくれた鋏は自分のために死ぬまで戦い続ける。

 全てがもとを正せば…自分のせいだと佐藤は感じて、千里に合わせる顔もないと嗚咽を漏らした。

 情けなかった。

 我等といえども、力があっても、結局はこの程度の存在で、千里のように他人を幸福にすることもできずに災厄だけを振りまいているではないか。

「俺は…あんたに助けられた。佐藤は俺を助けてくれたんだ」

「その恩を仇で返した」

「…俺はそんな風には思ってない」

 優しげで、佐藤を慈しむような声が降ってきて、佐藤は俯いていた顔を上げると千里を見上げた。

「すまない…っ俺は!俺は!」

 長い間ずっと自分を責め続けてきた彼の心からの謝罪だった。

 泣き崩れた佐藤の頭を抱き締めながら千里は静かにその謝罪を聞く。自分に向けられた贖罪だ。

 黒い髪をそっと撫でた。

「大丈夫だ、俺は黒也を嫌いになったりしない。絶対に…お前は二度と一人にはならない。世界中が黒也を見捨てても俺だけは黒也の、佐藤の味方だから」

 きっと高潔な意思を持つ我等でさえも、本質は脆いものなのだ。佐藤を構成しているもの、きっとその根源には一人に対する恐怖がある。

 詳しい話を聞いたことはなかったが、佐藤は、黒也は千里と出会うまでずっと一人だったはずだ。

 そして過去、きっと何かがあった。

 人を大好きな佐藤が人を殺すという行動自体に矛盾があった。それが心から生まれる苦しみだと、気づいてやれたのは随分後になってからだ。

「俺のほうこそ…ごめん。黒也のこと忘れたりして。俺とようやく再会できたっていうのに忘れられてたら…俺だったら泣き叫んで愛想つかすところだ」

「…ありえない、俺が千里を見捨てることは」

「そりゃ嬉しいな、じゃあ俺もあんたを見捨てるようなことはしない。戻ろう?…みんなでまた一緒に」

 不可能なことだというのは分かっていて、それでも千里は告げた。佐藤もそれが絵空事だということを知りながら、否定しない。

 魔王は消えた。

 鋏は戻らない。

 変えようのない過去の事実だ。

「いちゃついてんじゃねーぞ」

 棒読み、明らかに退屈そうな響きを持った声が聞こえる。

 振り返れば外から差し込む光を背に、痺れを切らした紙袋が立っていた。

 紙袋の存在に気づくと佐藤は慌てて手の甲で顔を拭い、弱々しい表情を一変させた。

 別に紙袋だから…というわけではないのだろう。佐藤は気高い。だからこそ千里以外に自分の弱い面を見せたくないという意地のような、プライドのようなものがあるのだろう。

「ごめん」

「鋏は、やっぱいねぇのか」

「…ああ」

 ようやく落ち着いたのか佐藤が短く答えた。しかしその声は沈んでおり、鋏に何かがあったのだとすぐに分かる。

「話してくれ佐藤、鋏に何があったのか」


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