22・「私」「俺」
皆と一緒にいたいと願う少年がいた。
黒い髪に金色の目、みすぼらしい身なりをしているのは親からたいして世話もされていないからだった。
彼は歩いていた。町を毎日毎日、食べるものがなく体力がないときでも、雨が降っているときでも、流行り病があるときも、何があっても毎日歩いていた。
探していた、同年代の子供を。同年代でなくとも共に過ごしてくれる人間を。
黄金の目が人を探すたび、それを向けられた人達は気味悪がった。
「なぁにあの子、目が黄色いわ」
「化物らしいわよ、母親の乳を噛み切ったんですって」
「それで血を飲んで喜んでたらしいから、もう本当に鬼の子なんじゃないの?」
ざわざわ大人達は噂する。
その声が聞こえていながら聞こえないフリをしていた。
「すみません、少しでいいので食べるものをいただけませんか?」
「何この子、ずうずうしいにも程があるわ!出て行って化物!」
家々を渡り歩いた。
「すみません、食べ物をいただけませんか?」
「気持ち悪い目!呪われるって噂は本当なのかしら」
「あの」
「はやくあっち行ってよ!近所にあんたなんかと話してるところ見られたら…なんて噂たてられるか!」
晴れた日には外で子供達が駆け回っていることもあった。
「あ、あの…僕も一緒に」
「うわっ、見ろよ!化物だ!」
「本当だー俺知ってるぜ!こいつ母ちゃんが言ってた奴だよ!」
「近付いたら呪われるってやつか?」
「人様を食べるらしいぜ!」
「気持ち悪い!」
「こいつ汚ねぇ格好してるぞ!きっと盗みなんかもやってんだろ!そうだ!捕まえて差し出そうぜ!」
避けられる側から追われる側に変わった。
鬼、鬼、鬼、時には妖怪、時には化物、ときには人殺し。
身に覚えのない呼び名ばかりが増えていき、とうとう少年はどうどうと町を歩くことすらできなくなった。
ざわざわ…噂から始まったそれは狂気へと変わった。
「化物だ!」
「殺せ!」
子供達が石を投げる。
中には拳大の石もあり、硬いそれに頭をぶつけて血が溢れた。
流血が目に入って痛い。
「きゃあああ!鬼よ!」
「てめぇ!なんのつもりだ!そんなに俺達が憎いのか!」
「近付くな!化物!」
大人が農具を振りかざす。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
(きっとみんなが僕の事を嫌うのは、僕が悪い子だからだ。もっといい子にならなくちゃ)
「将軍から特例が出た!化物を捕まえたら褒美があるらしい!」
「殺してもいいってよ!」
「遅いぐらいよ、あの化物ったら人食べるらしいじゃない?」
石が鎌やクワに変わった。刀を持った人間にも追われるようになった。血走った目は彼を殺そうとする目だった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
恐ろしかった。殺されることは怖かった。
だから少年は自分から捕まってしまった。
逃げれば叱られる、ならば捕まれば褒められると思っての行動だ。
縄で縛られ、町中を馬で引き摺られた。
さらし者にされ町の真ん中で処刑が行われる。
(でも大丈夫だ、みんな僕が生きてると怒るから、きっと死んだら褒めてくれるよね)
体中が痛かった。
少年の体には擦り傷も切り傷も打撲痕も沢山できていた。しかしつるし上げられて刃を向けられても尚、笑顔でいた。
笑顔でいることできっと笑顔を向けられるはずだ。
処刑台の上、冷え切った空気に彼はようやく気づいた。
集まった観衆が向ける目線に。
(どうして?)
褒められるはずだったのに。
彼等の憎しみは全て少年に向けられていた。本来向けられるべきでない憎しみすらも少年のせいにされていた。
病。飢餓。理不尽な税。
(愛してもらうために…?)
少年は笑うのをやめた。微笑んでも微笑みは返ってこない。
愛してもらうために動いた少年は、いつのまにか憎しみの対象になっていた。そのことにようやく気づく。
「…ぁ」
涙を流しても誰も慰めてくれない。それどころか振り上げられた刃が首に向かって振り下ろされた。
「…ぁ…ぁああああああああああああああああ!」
ひんやりとした刃が喉に達するより速く翼が生まれる。
黒い翼は素早く刀を持った人間を切り裂くと、続けて少年を拘束していた縄を切り裂いた。
少年はずっと気づかないふりをしていた感覚に気づく。
腹の底が焦げるような、痛むような、もやもやして何かにぶつけたいような感覚だ。
(何がお前を躊躇わせる?)
ずっと押し込めていた自分の本質が語りかけてくる。
「だって…、だって、僕はみんなと一緒に」
(それを誰が望んでいる?周囲を見ろ…誰もがお前を憎んでいる)
「一緒に…一緒に」
「きゃああああああああ!」
執行人が殺害され、更に少年の背から黒い不吉な翼が現れたことにより会場はパニックに陥っていた。
悲鳴が響き渡り、我先にと逃げ惑う人々が他の人を蹴落とし、押しのけ、自分だけ先に逃げようともがく。
無様だった。
悲鳴の中少年は笑った。理由は分からなかったが何故か喉が笑みを零して止まらない。
しかし何故か涙が頬を伝った。嬉しいときにも涙が出るというのは本当なのだな…と心の中で思う。
「ああ、遊ぼうよ!」
黄金色の目が輝き、本能のままに少年は手当たり次第に人を襲っては食い、襲っては食らうことを繰り返した。
気づいたときには血の海の中、一人きり。
詰られる立場が恐れられる立場になった瞬間だった。
目を開ける。
汗をかいていた。冷や汗だ。
黒也は溜息をついた。夢を見ていたらしい…残念なことに内容は全て覚えている。
忘れようにも忘れられない過去の再現だった。
「睡眠が無駄なものだとは感じていたが、まさかここまでとは…夢は厄介だな」
膝を丸めて汗で張り付いた前髪を右手で押しのけた。
しばらくその体勢のまま、悪夢の余韻が過ぎ去るのを待つことにし、溜息をついた。
隣では静かな寝息を立てて千里が眠っている。
人を食べないでくれ、殺さないでくれと彼は言った。
思い返せば…あの日から人のことを家畜と同じような目線で見ていたのかもしれない。
人が牛や豚をそう扱うように、黒也にとっては人間も食料の一つにすぎない。そうおもっていた。
(だが…あいつは…千里は別だ)
そう、千里は黒也の中で確実に特別な存在だった。
(あいつは人間だ)
それと同時に自分とは違うまっとうな人間だった。
迫害を受けてなお、人を人として愛することのできるまっとうな人間だ。自分とは大違いであり、殺人鬼の自分が一緒にいていいのかすら悩ましい人間。
笑ってしまった。
顔を両手で覆うと指の隙間から月が見える。
「そうだな…千里、人と違っても人になれるのか」
眠っている千里に問いかける。勿論答えはない。
「私も…人間になれるのだろうか?」
その日から人を口にしてはいない。
もともと生命維持に血肉を必要とはしていない。しかし特殊な力を使うとなれば別で、更に麻薬のような役割も果たしていたためにその依存性は高く、自分との戦いだった。
拷問のような毎日、本能に負けることなく半年人間を食わなかった。
翼が明らかに弱々しい動きになっている。
(そろそろ飛翔は限界か…)
香辛料を買うために人里におりるのだがそこまでの道のりは険しい。
山を飛んでおりると、そこからは歩くことに決めて黒也は地上に降りた。
地上に足をつけることは珍しい。山中ではない乾いた砂に限る話だが。
尖った小石と足とで悪戦苦闘しながら暫く歩くと、懐かしい…半年振りの町についた。以前来た際は狩りの用事だった為、正常な理由で町に立ち寄るのは本当に久しぶりのように思える。
町の中に入る際、長い黒髪を一つに結び着物に着替え、傘を目深にかぶることを忘れない。
自分はこの町ではお尋ね者なのだ…そう簡単に顔を出すわけにはいかない。
幼い頃食べ物を分けてもらうよう尋ねて回った記憶がある。それを頼りに町を歩いた。すでにあの頃より数世紀経っているため店主は変わっているだろうが、店は受け継がれているかもしれない。
「お、いらっしゃい」
見つけた店を覗き込むと客が来たことに気を良くした店主が愛想いい笑みを浮かべて声をあげる。
その笑顔を見て背中を何か冷たい衝撃が走った。
(?)
理解できない自分の感情に疑問を抱く。
黙りこんでいる黒也に困ってしまったようで、店主はこちらをおどおどと見ていた。
「ああ…すまない、肉料理に使える調味料を幾つか見積もって欲しい」
「へい」
こうやって丁寧に応対をする…この町も良い方向に変わったのかもしれない。
そんなことを考え込んでいると店の奥から店主が戻ってきた。口に団子を銜えている。
団子は高価だ。どうやら店はそれなりに繁盛しているようだ。
茶色い麻袋の中に入っているようで、それを受け取ると金粒を差し出した。
かなりの量…それに大きめのものだ。
掌の上に金を落とされた店主は目を丸くしている。
「すまないな…今現金の持ち合わせがない。それで勘弁してくれ」
「ちょっいいんですかい?こんなに」
「不満か?」
「とんでもねぇ!」
店を後にする際背後から最来店を求める声が聞こえたが無視する。
振り向くつもりのなかった黒也だったが、子供の悲鳴で振り返った。
見るとぼろぼろの身なりをした少年が…あの頃の自分と同じくらいの年代であろう少年がしりもちをついていた。
どうやら店主に店から締め出されたらしい。
やせ細っている。
興味のない光景だ。
そう思っているのに、考えようとしているのに目が離せない。
子供は諦めずに正座して頭を下げる。
「お、お願いします!母ちゃんが死んじゃうよ!」
「お情けで恵んで欲しいってか?金持ってきて言いな!ここは店だ!てめぇみたいに汚いガキにやるもんはねぇんだよ」
「でも!」
「今の時代飢餓なんて珍しくもなんともねぇよ!お情けで恵んで生活してけるほどこっちも余裕あるわけねぇんだ!」
下げた頭を思いっきり蹴り飛ばされて子供は倒れこむ。
脳震盪でも起こしたのか起き上がらない子供に目もくれず、店主は鼻息荒く店内へと戻っていった。
「……」
じっと一連の出来事を傍観していた黒也だったがはっと気がついて少年に駆け寄った。
倒れた少年を抱き起こす。
頭部からどろりと血が伝った。黒也の白い手を真っ赤に汚す。
呼吸はない…死んでいた。
果たして蹴られたことで死んだのか…純粋に栄養失調で死んだのか。
どちらなのかは黒也には判断がつかない。ただ流れ出る血が両手を汚すのを、着物を汚すのを呆然と見つめ…その香りに危険性を感じて手を離す。
(血…?)
投げ出された少年の亡骸がどうなるのか気にする余裕はなかった。
慌てて立ち上がると赤いそれから逃げ出すように走り出す。
(千里!)
戻る。
(助けてくれ…)
舞ってくれている人のいる場所へ戻ろうとして走った。早くしないと自分を追ってくる血の臭い…そして戻れない何かに飲み込まれてしまいそうで、足を痛めつける小石のことなど気にもせず走った。
視界に広がる山々。
端のほうから黄色に、橙色に、赤色に変化していく。
正常な世界の崩壊に危機感と恐怖を覚えながら同時に吐き気を覚えて膝をついた。吐こうにも腹には何も入っていない。
「かはっ!」
乾いた声だけが口から漏れた。
霧散しそうになる意識を必死で繋ぎとめながらほとんど無意識で黒也は歩いていた。
おかしい。
そう思ったのは日が暮れて数刻経ってからだった。
約束を破ったことのない黒也が帰ってこない。遅すぎる。
嫌な予感がして千里は立ち上がった。食べやすい形になった肉を見張るという役割があったが、そんなものより黒也のほうが大事だ。
夜の山は危険だ。出歩かないように黒也にも言われていたがそれを破ることにする。
「黒也…」
暗闇の中、持ち出してきたトーチの灯りを頼りに歩く。
「ぜぇ…ぜぇ…っ!」
荒い息遣いが聞こえて耳を澄ました。
「いるの、黒也?」
近くに川を見つけた。よく黒也と遊んだ川だ。
下流のほうへと降りていくと、水辺に倒れる黒い塊を見つけた。
「黒也!」
「…来るな」
「どうしたの?」
「来るな」
「っ!人間に何かされたのっ?」
来るなといわれてもあの息遣いは尋常ではない。心配にならないはずはなく、そっと歩を進めると静かだった黒也の声が荒くなった。
「くろな…」
「来るなぁあああああああああ!」
懇願のような悲鳴のような叫び、それが途切れた瞬間、黄金色の目が闇の中で尾を引いて素早く動き…真っ赤に染まった。
「あ…あぁあああ!」
目が覚めると同時に自分のやったことがはっきりと思い出される。
雨に打たれながら激しい流れの川に両手を突っ込む。。
両手の血は川に、口元にこべりついた血が雨に、見た目だけは洗い流される。鉄臭い味も消え去るが事実は消えてはくれなかった。
顔を水からあげて空を見上げる。
両手を泥の中について暫く何も考えることが出来ずに泣いた。
振り向くことは絶対にしないが、もし振り向けばそこには動かなくなった…そして原型も留めていない肉片が転がっているのだろう。
「俺は…私はなんてことを…っ」
激しい雨は頬を伝い、涙なのか雨水なのか分からなくなった液体が頬をつたって顎から絶え間なく落ちる。
私。
俺。
雨に打たれている桜の枝が視界に入った。
「黒也はさ、もうちょっとみんなと仲良くなりたいんなら話し方変えよう!」
「は、話し方…か?」
「そう」
千里の提案に一度は興味を示した黒也だったが、すぐにくだらないと吐き捨てた。
「何故そんなことを私がしなくてはならない」
「それ、それなおそう!」
「私の性格に文句をつけるのか…別に構わないが、こんなものは意識してそうそう変えられるものでは」
自分の性格が割と高圧的なほうだということは知っていた。
知っていて一度も直そうとおもったことはないのだが。
「違うって…別に僕は黒也の性格に文句言ってるんじゃないよ。その「私」とか「貴様」ってやつ」
「…代名詞のことか」
「うん、私っていうとどこか冷めてるようなかんじがあってさ…貴様って黒也が言うと少し怖いんだよ」
「怖い…か」
「だからさ…いきなり「君」…とかなんて言わなくていいからせめて「お前」…僕のことは出来るだけ名前で、自分のことは「俺」でいいんじゃないかな?」
「お前、千里…俺」
何度か小さく呟いた。
お前…は自然に口にすることができそうだった。俺…もなんとなく違和感はあるが使えないほどではない。
「千里は…俺のほうが好きか?」
「うん」
千里。
名前を呼ぶたびに唇がむずがゆくなるような、胸のうちがふわふわするような妙な感覚がした。
水溜りの中に落ちている桜の枝を拾い上げた。
地面にできた水溜りには自分しか映っていない。
雨粒が水面を乱して顔が途切れ途切れにしか見えなかった。
歪む自分の顔が酷く滑稽で哀れに見えて、一度手を突っ込んでぐしゃぐしゃにかき乱した。
茶色く濁った水がしばらくすると元に戻る。
そこに映った自分の顔は紛れもなくあの頃の殺人鬼の顔で、口元にはもう血は残っていないはずなのに残っている気がして、気がつけば口元を腕で何度も何度も擦っていた。
濡れているため滑る。摩擦で痛みはなかったが痛かった。
普段はきにならない雨音が耳障りに感じる。
空が泣いているようだ。
(何が人を超越する力だ)
雨を止ませることもできなければ我慢もろくにできない犬以下の存在。
「千里…千里!」
謝罪で許されるはずもない。
それに本当に自分が彼に伝えたかった言葉はこんなものではないはずだ。
(俺は…千里に謝りたかったんじゃない。ただ…一緒にいてくれて…独りだった俺に仲間ができて、本当に嬉しかったんだ)
「礼も…言えてないだろう」
言えなくしたのは誰だろう…自分だった。
感謝するべき千里を殺したのは間違いなく自分だった。
「うぁああああああああ!!」
千里はもういない。
千里を殺したのは化物だった。