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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
20/27

20・殺してくれてありがとう

 木造建築の立ち並ぶ町、人の手で作られた蛍光灯などの設備がないため、夜になれば町の中心であろうとも漆黒に塗りつぶされる。

 頼りになるものといえば灯篭の火、しかし赤い炎の僅かな明かりは頼りなく遠くを照らすには及ばない。

 月明かりが一番の頼みになるのだろうが、雲の浮きし空は常に月光を地上へは届けてくれない。

 時折月明かりによって照らされる町、美しく咲き誇る桜を見下ろして闇間を縫うように駆ける人影が二つあった。

 一人は町中を必死に走り、息も絶え絶えな状態でありながら立ち止まる気配もない。もう一つの人影より前を走っている。

 もう一人は瓦の上を器用に渡り、まるで空でも飛ぶかのように走り回っている。黒い爪をもった素足が音も立てずに屋根から屋根へと渡り走る。

 地上を這う者が息を切らしているのに対して、空中を翔ける者は息一つ乱すことはない。淡々と前方の人間を追っているようだった。

 前方を走っていた人間…質素な着物に身を包んだ女はとうとう恐怖に耐え切れなくなり、叫び声をあげた。

 甲高い声が嫌だったのか彼女を追う男は目を細める。

 月光の下に曝された彼の姿は一言で言えば異常だった。

 月明かりに照らされて青白い肌、夜闇の中でも光る黄金色の目。

 和風な周囲とは明らかに異質な夜闇に溶ける真っ黒なマント。

 一歩を踏み出すごとに伸ばしっぱなしで腰に達するほどの長さとなった黒髪が揺れて顔を隠した。

「ひっ…いやぁああああ!!」

「ちっ、騒ぐな、面倒だ」

 悲鳴をあげられてしまえば人が起きるかもしれない。そうすれば沢山の人間が集まるだろう。大勢の加勢が来てもまったく不都合はなかったが、多くの人間に自分の行為が目撃されてしまうのは困る。

 警戒した人間が臆病になれば次の「狩り」に差し障るからだ。

 男が狩りを行っていることは噂としては知れ渡っているが、知識と経験は違う。実際に狩りを目撃すれば住民の態度も変わってくる。

 男は残忍な笑みを浮かべると一層強く屋根を蹴った。地表から数えれば十メートル近く飛び上がり、上空より女を確認すると急降下を始めた。

 たなびく黒いコートが形を変化させ翼のようになる。

 冷たい夜風を切り裂きながら地表近くまで…ぶつかりそうな勢いで降下するとそのままの勢いを殺さずに方向転換、女を背中から突き飛ばした。

「きゃあ!」

 土壁に叩きつけられ動かなくなった女を抱えるとすぐにその場を後にした。このままでもよかったのだが、それだと見つかる可能性が高くなる。

 気を失った女を抱えて町外れの小山に入った。背の高い木々で深く覆われている山に夜立ち入ろうとする愚か者はいない。

 そしてそれを知っている男はそれを最大限に利用していた。

 山の一角にある木々の上に降り立つと女を放り投げる。

 地面に落下した女が鈍い声をあげて薄っすらと目を開ける。そして恐怖に支配された視線を男に向けるが、男は顔色一つ変えずに女に近付いた。

「な、何!どうして私なの!嫌よ…来ないで!人間なら他にも」

「…手荒な扱いをしたせいで骨が折れて動けないか?まあいい」

 逃げようと悲鳴を上げる女だが、手足を弱々しく交互に動かすだけで立ち上がろうともしない。腰が抜けているのか、本当に骨が折れているのが原因なのか。

 どちらにしても構わない。

 男は女の髪を掴んで顔を上げさせると冷淡だった表情を狂気にゆがめる。

 目の色が増したのを確認して女は余計に怯えた。直視することが辛いほどの眼光は恐ろしい何かに憑かれているかのようだ。

「や…やめ…っ、いやああああ、離せ化物!」

「!」

 女の制止を無視して男はいきなり女の喉に噛み付いた。血が噴き出して肉が抉れる。血を吸うなどという生易しいものではなく、首ごと食べているという表現が相応しい。

 声帯を食いちぎられた女は断末魔の叫びを上げることもできず、ヒューヒューと呼吸音を響かせた。血が泡立つ音が混じる。

 息絶えた女を口から離して男は笑った。唇は柘榴を食べ終えたときのように真っ赤に染まっている。

(化物、化物か…笑える)

 人間とはかけ離れた容姿をした男は声を立てずに笑い続ける。

 血で真っ赤に染まった口元を拭うこともせず笑い、月を見上げた。


 人とは違う身の上を嘆くことはとうの昔に卒業した。

 男は歩いていた。堂々と昼間に、町の大通りのど真ん中を。

 着物を着ている人間の中、一人だけ異質な着衣をしている。誰もが彼を気にかけながら、しかし関わりたくないのか目を逸らす。

 石を投げられなくなっただけマシになったものだ…と男は自虐すると微笑んだ。

 人は恐怖に弱い。

 この町の人間を殺しておきながらどうどうと街中を歩く。勿論この世界で殺人は罪であり、その掟があるからこそ正常な世界が営まれている。

 殺人犯ならば報復か逮捕を恐れて逃げ回らなければならないのだろうが、残念なこと…もしくは幸運なことに、彼はそのどちらも恐れる必要はない。

「邪魔だ、道を塞ぐと通れない」

 目の前を塞いだ数名の男を眺め、男は目を伏せて尋ねた。

 明らかに殺人犯を捕縛しにきたような格好の相手だ。しかし男は一歩も引くことなく彼等の視線を受け止める。

「このっ、よくも平然としてられるもんだ!とぼけるのも大概にしろ、貴様が昨夜女を殺したことは分かっているんだ」

「とぼけてなどいない、隠すつもりもない…認めよう。私は昨夜人を殺した。恐らく貴様の言っている女だろうな」

「化物が!これ以上の犠牲を許すわけにはいかん!化物、お前を捕らえるように御触れが出ている。抵抗するのならば殺しても構わんとのこ…ぎゃあぁああ!」

 言葉が途中で途切れ、その仲間達が慌てふためく声が聞こえた。

 捕縛者の一人を蹴り上げ、男は自分も宙に跳ねると体を捻って踵から蹴り落とし捕縛者を地面に叩きつけたのだった。

 昏倒し動かなくなった捕縛者を冷たい瞳で見下ろす。

「身の程を知れ莫迦が…貴様程度の実力で私を殺せると本気で思っていたのか?だとすればおめでたいにも程がある…見せてやる、力の差、種族の差を」

「ひっ!このっ、化物がぁあああ!!」

 倒れた人間の仲間達が威勢良く声をあげ、刀を振り上げる。

「怯むな!所詮相手は狂った殺人者だ!」

「殺せ!」

 捕縛者達が一斉に襲い掛かり、男はそれを避けるために低くしゃがみ込んだ。がら空きの足下を潜り抜ける。

 抜けた後そのままの体制で背後に足払いをした。無様に大半が転がり、その胸の上を強く蹴りつける。

 残された捕縛者は一人になっていた。

「ゆ、許さぬ!…我等をここまで侮辱するとは!」

「殺さないだけでも感謝が欲しいところだが…それで?貴様はどうする?」

 構えた刀が恐怖でカチャカチャと震えている。

 男はそれを見て笑った。冷たい笑みだった。

(楽しいか?)

 自分に問いかける声が聞こえる。

「ああ、楽しいな。私を見下す者達を細切れにするのは楽しい。私を害虫のように扱う連中が恐れるのは楽しい」

「な、何を言って」

「貴様を」

 おびえる男の構えた刀、その刃を握り締めて力を込めるといとも簡単に折ることができた。

 甲高い金属音がなって二つに折れる刃。

 愕然としてその光景を見つめる観衆。

「どう殺そうかと思案していた」

「ひぃ!」

 小さく悲鳴をあげると捕縛者は刀を投げ出して走り出す。

 男の注目していた人間がいなくなると、次の暇つぶしにされてはたまらない…と観衆達は目を逸らして慌てて去っていく。

(居心地が悪いか?)

「とんでもないな…ずっとマシになった。今で満足だ」

 誰もが道を空ける。

 誰もが彼を恐れる。

 誰もが彼を憎んでいるのは変わらないことだった。

「死肉に興味はない」

 死体には目もくれず、不快な死体の臭いから逃れるように佐藤は駆け出した。


 久しぶりに日中行動したからかもしれない。

 太陽光があまり得意ではない体がへばり、男は山の中…奥にある鍾乳洞であり男の住まいである場所で寝そべっていた。

 岩壁に上半身を預けて目を閉じてはいるが完全に寝ているわけではない。ちょっとした休憩のつもりだった。

 日光ではなく乾いた風だけが吹き込んでくる。

 心地よさにうつらうつらとしていた。

(平和だな)

 自分にはもっとも似合わない言葉だとは知りつつ、思わずそう思ってしまう。

「睡眠か…面倒なものだ」

 行動ができなくなる時間は不条理にもやってくる。

 睡眠に価値を見出せない男は不満げに、しかし睡魔には流石に勝つ事ができないのか目蓋をゆっくりと下ろした。


 目が覚めたのは雨の音のせいだろう。

 地面を雨粒が打つ音で目覚め、睡眠の影響でしびれる脳髄に顔を顰めつつ体を起こす。

 木の上で寝なくてよかった。

 自分を雨から守ってくれた鍾乳洞に感謝する。

「!」

 驚いた。

 雨に気をとられた…というのもあるが、それでも驚く。

 自分のすぐ近く、目の前に少年がいた。

 寝ている男を見ていたのか、興味深そうな目をして覗き込んでいる。

 あまりの事態、そして今まで経験したことのない状況に目を丸くして、男は不覚にも動きを停止してしまった。

 人間の動きには敏感なほうだ。人が近付けば特有の臭いで分かる。

 眠りが深いほうではないので近付けば目を覚ます自信があった。

 黒い髪は男と同じ、髪が長いという点でも一緒だろう。しかし少年は髪を二つ結びにしている。この世界では特に珍しいことでもない。

 しかし彼の額より映えている二本の角は、流石に珍妙であった。

(私を殺しに?)

 それ以外の目的で山に立ち入る物好きはいない。もちろん討伐目的できた輩が生きて帰ったこともないわけだが。

「誰だ」

 できるだけ平静を装って尋ねた。

「僕?…名前は千里。あなたは吸血鬼様だよね?」

 見た目は十歳にも満たない少年だった。声も声変わり前で高い。

「誰がそんなことを…空想上の生き物と一緒にするな。私は「我等」の一人だ。それ以外の何でもない」

「我等?」

「物語の中のように甘くはない…血を飲むだけでは満足できない、人喰の種族のことだ。私達は我等を我等と表現する…それで、貴様は何故ここにいる?」

 話がそれている事に気づいて思わず尋ねなおしてしまう。どうもこの少年の、男を全く恐れていない態度は男を狂わせてしまうようだった。

 本来ならば理由も聞かずに殺すところなのだが、ついつい理由を尋ねてしまった。

 千里は思い出したように微笑んだ。

「僕は吸血鬼様にお礼が言いたかったんだ」

「礼?」

(私に礼?)

 罵られる覚えはあれども礼を言われる覚えなどない。

 生まれてから一度でも礼を言われたことがあっただろうか?

 経験のない出来事に男が戸惑っているが、千里は構わず続けた。

「昨日女の人、殺した?」

「ああ…あの不味い女のことか。それがどうかしたのか?」

「あの人、僕の母親なんだ」

 訳が分からず沈黙する。

 千里はニコニコ笑ったまま何も言わない。暫くは雨音だけが続き、状況を理解できない男はやっとのことで言葉を搾り出した。

「家族を殺されて礼を言うのか?」

「吸血鬼様は優しいのかな?僕のこれ見ても何も聞かないよね」

 質問を無視される。

 千里が指差したのは自分の角だった。

「奇妙なそれを嘲れと?…とんだ自傷行為だな。貴様のそれが異常なら、私は一体なんだというんだ?」

「うん、優しいね。でもね、僕の母親はそうは思わなかったみたいだよ。自分の腹から生まれてきた僕をね、害虫みたいに扱うんだ」

 それで彼が何故礼を言ったのか分かった気がした。

(愛されない子供というわけか)

 よく見れば千里の着ているぼろぼろの布切れのような着物の隙間から、青くなってしまっている肌が見えた。

 殴られたのか…蹴られたのか。

「僕、母親大嫌いだったよ。だからお礼」

 クスクスと男が笑い出す。

 千里は驚いたようにいきなり笑い出した男を見つめた。

「ふっ…ははは…!礼を言われたのは初めてだ。面白い人間…いや、鬼か?やはり私に合うのは異形の者というわけだ」

「吸血鬼様?」

「その名前は違うと言っている。私の名は鴉…いや、くろなり。「黒」と「也」で黒也だ」

 鍾乳洞の岩を爪先で削って字を書いてやる。

 どうして本名を教えてしまったのか…と自分で名前を告げてから疑問に思う。

 得体の知れない人物にひょいひょいと教えるべきではないことだ。

「黒也様?」

「敬称など面倒なだけだ、捨て置け。異形の仲間…私は貴様を気に入ったんだ千里。親が死んだと言ったな、行くあてはあるのか?」

「黒也…うん、僕の父さんならいないよ。母親が僕を生んだときに気味悪がって逃げたみたい」

 あまりショックを受けていないようにさらっと千里は言ってのける。そのことが不思議で黒也は目を瞬いた。

「親だぞ?」

「だってどうせ、この世界のこの体だけの親だ」

 千里はそう言うと、まるで子供ではないかのような表情を一瞬過ぎらせる。長く生きてきたような…昔を思うような顔だ。

「良い…千里、暫く私の傍に留まれ。出会えたことが奇跡のような珍しい出来事だ。千里の話を聞いてみたい」

「僕を?」

「傍に置くと言っている…異論があるのか?」

 何故か釈然としない表情を浮かべる千里を見て、黒也は首を傾げた。強要をするつもりはないのだが、まさか断られるとは思っておらず少し戸惑う。

 千里はしばらく気まずそうに黙っていたが、暫くして自分の角を小さな手で撫でた。

「黒也は僕が鬼だから傍に置くの?…僕、多分黒也が思うような鬼じゃない。そんな鬼にはなれないよ…黒也と違って特別な力なんて何もないんだ。見た目は鬼でも、中身は黒也の嫌いな人間と一緒だよ?」

 捨てられるのを恐れているような顔と声をしているくせに、言葉だけは気丈だ。

 そんな姿をみて黒也は唇をゆがめた。

「瑣末な事だ、私は千里から話を聞きたいといっただけだ。貴様が嫌なら強要するつもりもない。人里に戻りたいのなら私が送り届ける」

「嫌だ!」

 突然千里が声を張り上げた。

「戻りたくない、もう一人ぼっちは嫌だ!!」

 今にも泣き出しそうな表情が酷く心をくすぐった。何かと重なる気がした。

(なんだというんだ…私が自分と重ねているとでも?)

 一瞬浮かんだ考えを忌々しげに振り払う。

 独りが嫌だなどと思ったことはないはずだ。

「私が引き取るといわなければ自害でもするつもりだったか。戻りたくないのならばここにいるがいい」

 それだけ告げると黒也は雨天の空を見上げる。

 黒也の言葉に驚いた千里が彼を見たとき、すでに彼は千里を見てはいなかった。

 しかしそれでも黒也の厚意が分かって胸が熱くなる。

 千里は満面の笑みを浮かべると黒也に飛びついた。


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