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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
2/27

2・交通手段

 連れて行かれた場所に到着すると千里は驚いた様子だった。

 目の前に聳え立っているのはアンティークのような建物、繁華街の一角にあり、しかし交通量の多い大通りからは一本違う道にある。

 落ち着いた色で統一された建物で、お菓子を取り扱う…もしくは小物を取り扱うようなお洒落な見た目をしている。

 おとぎ話に出てきそうな…と表現したらいいだろうか。

 二階建てらしく、見た感じはかなりの広さだろう。

 二つ結びに戻し、白いティーシャツを着た千里が感嘆の声をあげる。ゆっさゆっさと腰から飛び出した尾が揺れた。

「凄いな…これ、佐藤の家なのか?」

「…いや」

「ふぉおお!千里の尻尾が揺れてる!なあなあぺろぺろしていいか?いいな!」

「いいわけない!」

 開いていた傘を閉じてそれで鋏が紙袋を殴る。

「ぎゃぁあ!」

 本気で殴ったのか、紙袋は倒れて動かなくなる。雨に濡れている姿は少し可哀想だ。

「その家は僕が用意を。といっても…佐藤のツテを使ったんだけどね。僕はこの世界は初めてだから」

 傘を再び広げてながら鋏が微笑む。

「初めて?」

「うん…ああ、そうか。佐藤、説明はまだなんだ」

「どうせ信用しない。見せたほうが早いだろう」

「をぉい…なんでそいつと千里は相合傘してんだ!」

「千里が濡れたら困るだろう」

「お前がさしてやる必要ねぇだろ!」

 うるさい…と大袈裟に佐藤は不快感を露にした。

「とりあえず中に入ろう?話はそれからだ」


 中に入るとほとんど空き家に近い状態だった。

 何も家具はなく、一階は大きな玄関を過ぎてすぐ広い部屋があり、そこには最初から机と椅子が幾つか用意されていた。

 二階に何があるのかと聞くと、どうやら個室が幾つかあるようだ。

「千里に見せたいのはこっちの部屋だ」

 佐藤に案内されるまま机のある部屋を通って突き当たりの扉の前に立つ。

 何故かその扉だけ他とは違い曇ったガラス張りで、まるでステンドグラスのように色分けがされている。枠もないガラスだけの扉だが鍵の部分だけは金属で出来ており鍵穴がある。

 どうやら部屋に入るためには鍵が必要なようだった。

 佐藤が胸元に手を突っ込み、浴衣の内側から何かを取り出す。

「鍵…それがここの鍵か?」

「ああ」

 しかし佐藤の掌の上にある鍵は一つだけではなかった。合計で三つ乗っている。

 同じ部屋の鍵ならば当然鋏、紙袋、佐藤のものなのだろうな…と考えていた千里の掌に冷たい鍵が落とされた。

 突然のことに取り落としそうになって慌てる。

「え、え?」

「千里が持っておけ…個人で使うことはないと思うが、念のためだ」

「うん、なくさないようにね千里。特に紙袋」

「なんで俺は無くす事前提なんだよ」

 鋏は有刺鉄線に鋏と一緒に通す。紙袋は一度鍵を噛む。

「まず」

「当たり前…どうして食べようと思うかな」

 勿論食べられるわけもなく、紙袋はそれを自分の頭部を覆っている袋の中に穴から放り込んだ。

 自分はどうしようか…と千里が鍵とにらめっこをしていると、横からのびてきた白い手が鍵を取り、茶色い革紐に通して首に掛けてくれた。

「あ…りがとう」

「…礼を言われる立場じゃない」

 ボソッと佐藤が呟いた。

 その表情は憂いを帯びている。悲しい気持ちにさせてしまったのかもしれない、と千里は考える。

 自分にとっては礼を言うという単純な行動に過ぎなかったのだが、佐藤にとってはそれが何か大切な意味をもつこともある。

「そういえば佐藤は要らないのか?」

 重苦しい話題から話を切り替えようと千里が提案する。

「俺には不要だ」

 その言葉を証明してみせるように、佐藤は鍵穴に触れて横に指を引く。青白い線が浮かんで開錠の音がした。

 魔術と呼ぶに相応しい芸当を目にして千里は絶句する。

 この世界にそんな非科学的なものは存在しないと思っていたからだ。

「それで俺の家も…どんな仕掛けだ?」

「仕掛けなどないが、信じろとは言わない」

 ステンドグラスの扉を押し開けると中は壁も天井も床すらも真っ白な空間だった。光源などないのに明るい。

 入口で立ち止まっていると紙袋に背中を押された。

「ほら、早く入れよ」

「あ、ああ」

 何もない部屋…しかし四人が入っても余裕がある大きさだ。

「何だ、まだ繋げてないのか」

「無茶言うなって…僕にそんな力ないよ。こればっかりは佐藤にやってもらわないと」

 部屋の中央に立った佐藤は懐から取り出した何かを放り投げた。

 重力にしたがって落下したそれは着地することなく、地面から一メートルほど浮いた場所で静止した。

(浮いてる)

 驚きの連続だったが堪える。

 浮いているのは茶色い枝、先端にはピンク色の花が咲き誇っている。実物を見るのは初めてだが知っている花だ。

「桜?」

「造花だ…枯れることもない」

 言われてよくみると花弁の部分が薄いガラスで出来ている。

「大事なものなのか?」

「…大切なものだからこそ対価になる」

 辛そうに目を伏せた佐藤だったが、思い切ったように突然花の部分に手を伸ばすと強く握り締めた。

 パキンッ!

 軽い音がして花が砕ける。

 手を離すと桜は浮遊したままだったが、花弁は砕けてゆらゆらと動きながら宙を漂っていた。

 その様を見て千里は首を傾げる。

(…何だ?)

 空、黒い鳥。

 一瞬過ぎったその映像は白昼夢に似たものなのかもしれない。頭を振って訳の分からないイメージを振り払う。

 決して表情に出さないが辛そうな佐藤はたった今桜を砕いた自分の掌をじっと見つめている。

「怪我、してるのか!」

 ガラスを直接割ったから当然ではあるのだが、佐藤の掌は浅く切れて血があふれ出していた。

「お前は…こちらを…いや、心配するな」

「大丈夫だぜ千里、そいつ化物じみてるからそんな怪我舐めとけば治るんだよ」

 化物という言葉に反応して佐藤が紙袋を一瞥する。

「けっ…なんだよ本気でキレんなよ」

「ならば余計なことを言うな」

「あ、でも舐めるなよ千里!そんなこと俺以外にはゆるさ」

「黙ろうか」

「…分かったから鎖構えるの止めてくれ、いや止めてください」

 鋏が左手足を拘束する鎖を両手で持って構えると、効果抜群なようで紙袋は静かになる。

「ごめん邪魔したね佐藤、続けて」

 毎度のことながら鋏は本当に笑顔を崩さない。

 微笑みを浮かべた優男が男の首を絞めているというのは、なかなかにシュールな光景なのだが。

「いや、これで完了だ。後は行きたい場所を魔術式に組み込めばバスが来る」

「へぇ、結構簡単な作業なんだね」

「ちょっと待ってくれ…バスって何だ?」

 まったく話についていけない千里が尋ねると、鋏がそうだったと手を打って口を開こうとする…が喋る前に口を閉じた。

「見たほうが早いね…佐藤、何か依頼は来てるのかな?」

「前の店で受けたものがある。内容は化物退治…比較的単純な依頼だ」

「じゃあそれ、駄目かな?」

「いや」

 佐藤は桜の前に立つと指先を桜に触れさせて目を閉じた。

 桜が一度光り、それを確認して一歩下がる。

 白い壁から突然何かが飛び出してきて、桜の前に停車した。それは大きな、しかし見たことのある乗り物。

「バス?」

「そ、これが僕らの言ってるバスだよ」

 目的地の表示のないバスが停車していた。


 何か特別なつくりをしているのかと疑いながら乗り込んでも、普通に見たことのあるバスとは何の違いもない。

 強いて述べるなら広告等がまったくないことだろうか。

 鋏に案内されてバスの後ろ側に近い席へと腰を下ろす。

「なんで壁からバスが…」

「驚いた?僕等も最初は驚いたけどね…佐藤に何度説明されても理解できないから千里にも上手い説明は出来ないかな」

「…まさか本当に魔法なのか?」

「いろんな世界があるってことだよ…僕や君の世界みたいに現実主義な世界もあれば、佐藤のいたところのように空想世界のような場所もある。多重世界っていえば分かるかな?」

「多重世界…」

 聞いたことはある言葉…というよりフィクション作品では使われすぎている言葉であり世界観だ。

 自分達のいる世界は時空間上に並べられた世界の一つでしかなく、幾つかの世界が他にも存在しているという根拠のない話。

 しかしそれが事実だとするなら、佐藤達の言っていた自分達の世界、初めての世界という意味も分かってくる。

(そんなことが本当にあるのか?)

 しかし今まで生きてきた中で身についた常識がそれを安易に信じるということを拒んだ。

「疑り深いんだな千里は」

「紙袋の言えたことじゃないと思うけどね…君はなかなか信じなかっただろう?」

「うるせぇな…俺は目で見て信じる派なんだよ。それにだ、俺だって目的さえなけりゃ、てめぇらみたいな怪しい連中についていくかっての」

「目、見えてないくせに」

「放っとけ…というかそこは言っちゃいけないところだろ、気使えよ」

「紙袋…さんか?」

 初めて名前を呼ぶとなってなんと呼べばいいのか分からず、とりあえず敬称をつけて呼んでみる。

「呼び捨てで構わね…で、で!俺に何の用だ?」

 期待に満ちた目で千里の続ける言葉を待つ。

「紙袋は気にしてるのか?」

「あ?…あー、これのことか。これは俺の意思でかぶってるもんだ。目が見えないが他の感覚で補える。別に気にしてねぇよ…今はもう」

 本当に気にしていないらしく、むしろそこを気遣われることのほうが気恥ずかしいのか紙袋はがさがさと頭を掻いた。

 袋がわさわさと音を立てる。

「ま、とにかくだ。見たほうが早いんだよ!」

「珍しく意見が合うね。…そういえば佐藤」

「何だ」

 佐藤は三人がバスの後部に集まっているのに対し、一人だけ前方、本来なら運転手の座る位置の近くで何かをしている。

 険しい顔をしているため何か細かい作業なのかもしれないが、声をかけられて不承不承ながらも顔を上げた。

「次、魔法とかってある世界かな?」

「魔術だ…呼ばれ方は異なっているが、記憶が正しければ僅かだが存在していた世界のはずだ」

「うん、丁度良かった。千里、今から行く世界は魔法とかがある世界みたいだから…君もきっと信じてくれると思うな」

「…どうして佐藤は詳しいんだ?」

 ずっと気になっていたことを尋ねてみる。

 三人は聞いた話から推測するに一緒に千里を何故か探していたようだ。つまり三人で旅をしていたということになる。

 だが紙袋に関してはあまり多重世界に関係のある知識はないように思え、鋏は慣れているようだが分からないことは佐藤に頻繁に尋ねていた。

「佐藤が一番古参だからかな…僕も詳しいことは知らないけど、僕が佐藤に会ったとき彼は一人で時空移動を繰り返していた。目的が重なったから僕は彼に協力することにしたんだ。紙袋も一緒だよ」

「目的?」

「うん、目的…強面に見えてね、佐藤の目的は本当に些細な夢なんだよ」

「鋏っ!」

 それ以上を言わせないように佐藤が叫ぶ。

 珍しく激情をはらんだ佐藤の声に鋏は口を噤み、微笑むと千里から離れて席に座った。

 二人のやり取りを見ていた紙袋も珍しく何も冷やかすことなく千里の近くの椅子に座った。

(何か…聞いちゃいけないことだったのか?)

 突然静かになった車内の空気に居心地の悪さを感じた。

 前方でなにやら機材を弄っていた佐藤が作業を終えたようで、溜息をつくと最後尾の椅子に座る。

 運転手がいないはずのバスは暫くすると自動的に起動し、エンジン音と共に壁に向かって走行を始めた。

 ぶつかると思いきや壁を突き抜けて真っ白な空間へと移動する。

「なんだよ…これ」

 見たことのない風景に唖然とする。

 千里の問いには誰も答えない。見て判断しろということなのだろう。

 誰も喋らない車内は沈黙に包まれている。紙袋しか能動的に喋る人はいないようで、その紙袋が黙った今沈黙だけが続いていた。

 退屈を紛らわせる為に窓の外をぼんやりと見ているが、ずっと白い光景が続いているだけ…二秒もしないうちに飽きてしまった。

 退屈は睡魔を呼ぶ。

 うとうとしていた千里は、断続的に繰り返されるバスの揺れのせいもあって次第に意識を手放していった。


「……」

(…チャンスじゃね?)

 バス内は静かだ。移動時間のある程度かかるバスの中、特にやることもなく退屈だったのか、千里は眠ってしまっていた。

 珍しく鋏も俯いて目を閉じている。

 当然のようにいつも眠っている佐藤も鋏と同じように目を閉じて静かな寝息を立てていた。

 一人密かに起きていた紙袋はそっと座席を離れる。

 そっと足音を立てないように千里の眠っているほうへと近付く。

(寝顔…ブフォッ!)

 声をあげるわけには行かないので口元を押さえて悶える。

 そんな紙袋を常に殴ったり蹴飛ばしたりする鋏は今はいなかった。

(可愛すぎだろ!可愛すぎだろ千里!)

 じっと凝視し続けて五分近く経ったが誰も起きる気配がない。

(…これは…チャンスだ!)

 そっと千里に手を伸ばす。

(神様がきっと日頃鋏に蹴飛ばされてばかりいる不憫な俺にチャンスを与えてくださったに違いな…)

「何をしている」

「ひっ」

 千里まで後一センチ…というところまで指先が到達したとき、予想外の冷たい声が聞こえた。

 こんな低い声の持ち主は一人しかいない。

 見て確認するまでもなく誰なのか分かって背筋が寒くなる。

「ちっ、化物かよ」

「その呼び方は止めろといっている。それよりお前今何をしようとしていた」

「べ、別に何も疚しい事など!」

「なるほど…な」

 納得していないだろう雰囲気で閉じていた目を開く。立ち上がると千里の席に近付いて紙袋の手を払った。

「…なんだよ、いつもは俺と関わりたくもねぇって顔してスルーしやがるくせによ、こんなときだけ邪魔するのか」

「お前がどうなろうと何をしようと知った事ではないが、千里が関わることなら別だ」

「はっ、随分べったりなこった…言っとくけどな、お前だけの夢じゃねぇってことを覚えとけ。お前が過去に何をやったのかは知らねぇし聞くつもりもねぇけど、俺達だって」

「…新参者が調子に乗るな。お前達とは桁が違う」

「桁?…一体お前は何だよ?」

 答えない佐藤はじっと紙袋を睨みつける。

 そのときバスが大きく揺れて何の支えもなかった紙袋は倒れこんだ。佐藤は揺れなど問題にしないようで平然としている。

「いてぇ!」

 揺れと紙袋の悲鳴で千里は目を覚ます。すると何故か近くにいた佐藤に気づいて驚いた。

「なんだよ?」

「別に、虫が寄っていただけだ」

 素っ気無く言い放つとすぐにバスを降車してしまう。千里も慌てて席から腰を浮かせると、倒れている紙袋を無視して佐藤を追った。

 少し遅れて鋏も目を覚まして、すぐに倒れている紙袋を発見して首を傾げた。

「どしたの?」

「…失恋」

「は?」


「いいんだよ俺は失恋如きでは諦めない、何度だって蘇るゴキブリのような逞しい人間になるって」

「ゴキブリ…うん、もう充分だと思うよ」

 何故か落ち込んでいる紙袋を慰めるように鋏が背中を撫でる。

 エンジン音の止んだバスの前に四人はいるのだが、佐藤はバス全体を見てなにやら考え込んでいて、千里は初めてみる光景に感嘆の声をあげていた。

 人工の地べたではなく、自然の芝が生い茂っている。

 その先に見えるのは灰色の建物ではなく緑の山々。空が青い、そして太陽が出ていて雲が白い。

 灰色ではない雲だというだけで珍しく思えた。

「凄い…な」

「…初めてなのかな?」

「鋏さん…ああ、俺の世界は晴れることがない世界なんだ。空が青いって知識では知ってても、実際に見るのは初めてだ」

 雨が毎日降っているわけではないが、環境汚染か何かが原因で空が見えることはない世界になってしまっていた。

 太陽が雲間から出ることはあっても、今見ている空のように美しい色を見せてくれることはない。

 そのことを伝えると鋏は違うところが気になったようだった。

「あれ、どうして僕だけさん付け?」

「あー…なんとなく、常識人だから。嫌だったら変える」

「大丈夫だよ、千里の呼びたいようにしてくれれば」

「そうか」

 呼び名が受け入れられたことが喜ばしく、些細なことだが千里は笑う。

 ずっと一人でバスを見ていた佐藤が動き出し、バスを一周するとどこから取り出したのか黒い鴉の羽のようなものを手に取り、息を吹きかけた。

 羽が白い炎に包まれる。

 熱がる様子もなく燃えた羽を落とすと、バスが消えた。白い炎に包まれたかと思えば、炎がバスの向こう側の光景を映し出した為だ。

 そこにあるのかもしれないが視覚で感じることは出来ない。

「…凄いな」

「俺の力など大それたものじゃない。こうやって見ることは出来ないようにしたが、触れれば分かる…それに臭いや気配で分かるだろう、完全じゃない」

「臭い?バスに臭いなんてあるのか?」

「あるぜ…化物が何をしたのかは大体予想つくけどよ、俺からすると何も変わってねぇように感じる。元々視力には頼ってないからな」

 紙袋は視力に頼らず行動をしていると聞いた。

 つまり視力以外が特化した人間にはバスが発見される危険性があるということだった。

「これだから俺はそいつが嫌いなんだ」

「お、何だ…俺に嫉妬してるってわけか?」

「そういう態度が嫌いってことだと思うよ紙袋。佐藤…地理は分かる?」

 尋ねられて佐藤は先程までの千里と同じように周囲をぐるっと軽く見回した。

 思い出すように考え込む。

「発展の世界…この辺りは覚えがある、大丈夫だ」

(また佐藤に聞いてるな…)

 古参だといっていた。彼の発言から推測すると佐藤は一度この世界に来たことがあるようだった。

「発展の世界ね…この世界の正式名称じゃないよね?」

「俺が勝手につけた名前だ、あまり気にしなくていい」

「どういうことだ…勝手に?」

「多重世界を知らない人間が自分の世界に名前をつけるわけがない。千里は自分の世界の名前を知っているか?」

「…国名とかなら分かるが、そう言われてみれば知らないな。国を総纏めにした名前なんて聞いたことがない」

「そういうことだ…ただ、俺達は世界を判別する為に便宜上呼び分ける必要性がある」

 世界を旅する上で世界に名前がなければ不便ということだろう。

 佐藤の言葉で納得した千里は頷いた。

「…こっちだ」

 じっと地平線の辺りを眺めていた佐藤が歩き出す。

 向かう方向には木々が茂った森があった。何の知識も持たずに入るには自殺行為だが、佐藤の迷いのない歩調を見る限り道は分かっているようだ。

「ったく、どこに向かうんだよ?」

「……」

「無視かよ!」

「佐藤?…どこに行くんだ?」

「ここの近くに以前この世界を訪れた際世話をした人間の家がある。とりあえずはそこに…それから情報収集だ。討伐依頼だが、対象の情報がなくてはどうしようもない」

「なんで千里にはすらすら答えるんだよ!」

 無視された紙袋が喚く。

 鋏が明らかに哀れみを含んだ微笑を浮かべて宥めているが、その程度で収まるような紙袋ではない。

「うるさい」

「てめぇっ、お前は俺に悪口言うときしか口利かねぇよな!」

「…だからうるさい、少し静かにしろ」

「本当に仲悪いな、君達。ほら紙袋、これ上げるから静かにしてて」

 黒い腰エプロンに取り付けられた大きなポケットから小さな何かを取り出して鋏が紙袋に投げつける。

「いってぇ!」

 放り投げるという表現ではなく投げつけるという表現のほうが正しい。

 一直線に風を切ってとんだ小さな飴はビシィッという大きな音をたてて紙袋の額に直撃する。投げた本人が笑顔なのが少し怖い。

 袋越しのためよく分からないが赤くなるほどの力だろう。

「お前、悪意を感じる投げ方しやがって。あーあ…これ多分中身粉砕してんぞ」

「紙袋は食べられれば何でもオッケーでしょ?」

「俺をなんだと思ってやがんだ…」

 文句を言いつつ包装紙を開け、粉々になった中身を口に流し込む。

 何かを食べると機嫌が良くなるのか、騒いでいた紙袋が大人しくなる。

(餌付けみたいだな)

 紙袋が犬だとすれば鋏は飼い主、佐藤は猿だろう。

(どっちかっていうと紙袋のほうが猿っぽいけどな)

 犬猿の仲というやつなのだろう。

「千里、何か失礼なことを考えていないかな?」

 犬な佐藤に莫迦にされる猿な紙袋…という構図が頭の中に出来上がっていたのだが、顔に出てしまっていたのか…と心配になる。

「いや…別に」

「うぐっ…何故だ。俺の千里が化物と一緒にいるせいで悪い子に」

 目元を押さえて、しかし紙袋は立ち止まることはない。目元を押さえたところで周囲からみれば紙袋を押さえつけているようにしか見えないのだが。

「あーあー泣くなよ紙袋、ゴキブリなんだろ?」

「すでに心が折れそうなんだよ!」

「大丈夫だ紙袋、あんたは猿であって昆虫では…痛っ」

 跳ね返った枝が顔を打って小さく悲鳴をあげた。一番前は佐藤が歩いているが、それでも開拓もされていない森の中を歩くのに多少枝にぶつかってしまう。

「大丈夫か?」

「あ…ごめん、大した怪我じゃ」

 大袈裟にも立ち止まって枝のぶつかった場所を凝視してくる佐藤を見て、慌てて両手を振るが遅い。

 佐藤は舌打ちをすると森を見回した。

「いっそ焼き尽くして…」

「考えが物騒なんだよ…君。巨大すぎる力ってのも困りものかな。もっと細かいところから工夫すればいいんだよ…紙袋」

「お、何だ?」

「武器持ってるよね…先頭歩いて邪魔な枝とかを切り落としていってくれないか?」

「そんなことかよ、おー、やってやんぜ」

 ひょいっと軽く三人の頭上を飛び越えると、最後尾にいた紙袋が一番前を歩く形になる。

 だが紙袋は武器など持っていない。

「武器?」

 手ぶらな紙袋は自分の頭部を覆う袋の中に右手を突っ込んでごそごそと動かし。中から銀色のフォークを取り出す。

「あーこれじゃねぇ」

「ちゃんと片付けてないからすぐに見つからないんだよ」

 フォークをもう一度放り込んでごそごそともう一度動かし、どうやら目的のものを掴んだようだ。

「ういうい、ちょっと離れててください…っな!」

 一気に右手を引き抜く。

 最初に現れたのは鉄パイプに似た銀色の棒、ずるずると出てきた棒の先端は三又に分かれていて、フォークのような形状をしていた。

 驚くべきはその長さ、到底紙袋の中には納まらない長さで、少なく見積もっても一メートル半ぐらいはあるだろう。

「どうなってるんだその中」

「企業秘密…と言いたいところだが、まあ四次元ポケッぐへぇ!」

 何かを言いかけた紙袋の口にシュークリームが放り込まれる。

 強制的に黙らせようと鋏が投げつけたものだが、相変わらず加減ができていない。

 もごもごと口を動かしてシュークリームを胃に収めた後、紙袋はもう一度口を開いた。

「つーかお前、どうしてシュークリームとか持ち歩いてるんだよ」

「紙袋がお腹空かしていざというとき身代わ…戦えなくなったら大変だろ?」

(不憫だ)

 鋏の台詞を聞いて初めて紙袋に同情を覚える。

 知らぬが花、幸いなことに鋏の非情な台詞の一部は紙袋に届かなかったらしく、ふーんと適当な返事をするとフォークを持ち上げた。

「そやっ!」

 振り上げたフォークを思いっきり振り下ろす。紙袋は巨大なフォークを片手で軽々と扱ってみせた。

 前方を遮っていた枝や葉が切り裂かれて腐葉土に落ちる。

 次々と切り裂いては前に進む。その繰り返しのおかげで人が通れる道ができた。

「紙袋って…へらへらしてるけど強いのか?」

「へらへら…っていうか、あんなに莫迦になるのは千里絡みのときだけだよ。佐藤と仲が悪いのは前からだけど、強いよ、彼は」

「…たまには役に立つな」

「一言余計なんだよ化物!」

 鬱憤晴らしも込めて紙袋はフォークを振り下ろした。


「…?」

 千里達が進んでいる森の中、少し離れた場所にある崖。その上から白い髪をした人間が彼等を見下ろす。

 白目も黒目もなく、眼球全体が真っ赤な両目。

 長い白髪の間には白い兎のような長い耳が飛び出していた。

「人?」

 兎のような格好をしていた。足下は獅子のような肉球のある足、それに白い毛並みをしている。

 半人と呼ぶに相応しい格好だ。

 半人は興味深そうに千里を見つめた。その額には人のものではない角が生えている。

「角…?人?」

 分からなかった。人なのに角がある人間のことが不思議で仕方なかった。

 だから襲いかかることをやめ、手に持っていた毒矢を投げ捨てた。

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