17・気遣い=隠し事
女は深く椅子に腰掛けて召使いのような立場にあるのだろう…彼女に寄り添う少女と談笑を楽しんでいた。
黒い服に身を包んだ白髪の女性、威厳のある…しかし気難しそうな印象は全く受けない女はどうやら仕える側が主人だというのに気軽に会話ができるほど、人望の厚い人物のようだった。
燭光だけが頼りの広い部屋、そこに楽しそうな声が響く。
「あら、それは大変ね」
「そうなんです…だから私はやめといたほうがいいって言ったんですけど、ローザったら好奇心は人一倍だから」
「それで?憧れの王子様はどうだったのかしら?」
面白そうに女性が尋ねると、召使いは肩をすくめた。
「全然駄目、ハズレみたいです」
「あら?…理想には至らなかったのかしら?」
「いえいえ!とんでもないです。凄く綺麗な人でした…ローザも一目ぼれしちゃうぐらい。でもですね…ちょっと冷たくて」
「それは大変、今回は苦戦しそうね」
会話を楽しんでいた女だったが、ふとその顔から笑顔を消した。突然表情が消えたことに驚いた召使いがどうしたのかと尋ねる。
声をかけられたことで女性は思考の海から帰ってきたようで、はっとすると微笑んだ。
「大丈夫よ、ただお客様みたいね」
「大変!来客があるのでしたら先に教えていただければ!」
「予定外のお客様よ、フェリン、少し下がっていて」
「はい」
召使いはフェリンという名前のようだった。女に言われて彼女の椅子の後に控えるように立つ。
すると女の数メートル前の空間が捩れ、突如バスが出現した。
砂埃が舞い、エンジン音が暫く続いて途切れる。
「!…な、何これ!」
「フェリン!…下がって」
「は、はい」
バスの扉が開いて最初に黒い男が歩み出る。
俯きながら女の前に立った男、佐藤はそっと顔を上げて女の視線を真正面から受け止めた。
「久しぶりだな、鳳仙」
「こうやって面と向かってまともな会話をするのは初めてね、鴉」
鳳仙と呼ばれた女性は妖艶に笑った。
突然異常な方法で出現した佐藤にもまったく驚いていないようだ。
それどころか僅かだが面識があるようだった。
「お嬢様、お知り合いですか?」
「フェリン、お客様と話がしたいわ。簡単でいいから晩餐の用意、できるかしら?」
「は、はい!…えっと、お客様の人数は?」
「俺に食事は要らない」
「では4人ね」
バスの中にいるはずの人数も把握しているようで、鳳仙がそう告げるとフェリンはバタバタと騒がしく部屋を飛び出した。
フェリンがいなくなったのを見計らって鳳仙が椅子から立つ。
「とりあえず歓迎しておくわ…ようこそ私の世界へ、鴉の友人さん達も」
気づかれていたことに気づくと佐藤はバスに向かって手招きをした。最初に顔を出したのは千里で、次に魔王、鋏、紙袋と続いた。
「佐藤の…知り合いか?」
「佐藤、鴉のことね。知り合いと呼べるほど面識があるかは妖しいけれど、そうね。あなた達は?」
「僕は鋏…それにこっちの威嚇してるのが紙袋で」
「俺が魔王だ、よろしく頼む」
続けて千里が名乗り出ようとするが、それより先に鳳仙が口を開いた。
「あなたは千里君ね、会えて光栄だわ」
「…どこかで会ったか?」
「いいえ、ただ…よく知っているわ」
個性的な面々を見ても、千里の角を尻尾を見ても鳳仙は少しも動じることはせず全て受け入れて微笑む。
おかしい…と佐藤は鳳仙の笑みを疑うように見つめた。
それから隣に立つ魔王の耳元に近付き、千里達に聞こえないとうに注意して囁き声で尋ねる。
「記憶は?」
「…いや、ないぞ。千里とあの女は会ったことがない…はずだ」
魔王も少々混乱しているようだった。
「私は鳳仙、詳しい話は後で…とりあえずこちらで待っておいて」
黒いコートを翻して鳳仙は部屋の奥にある扉へと消えた。自分がいればしにくい話もあるだろう…との配慮だった。
鳳仙がいなくなると同時に紙袋が詰めていた息を吐き出した。珍しくずっと緊張でもしていたのかもしれない。
そう思って千里が驚いた表情で紙袋を見る。
「あの女、俺は苦手だぜ」
「紙袋の勘もたまには当たる」
紙袋の漏らした感想を佐藤が肯定した。つまり紙袋が鳳仙に対してなんらかの嫌悪を感じたことは正しいこと…ということだった。
「あの人は…異世界のことを知ってるのか?」
「僕らのことみても驚いてなかったよね、もしかして鷺と同じだったりする?」
「その通りだ…彼女も我等、つまり俺と同じ種族に当たる」
余程気に入らないのか紙袋は魔王の背中を舌打ちしながら殴る。
「いってぇな、俺に八つ当たりするなよな」
「俺にとってお前はサンドバック程度の認識でしかねぇ」
「酷いな、どうしてそこまで嫌われてるのか覚えがないんだが」
「千里に近付く奴は俺のライバルなんだよ!」
「……千里も大変な奴に好かれたな」
心から同情する、という目で魔王から見られ、千里は返す言葉なく脱力した。
「一体何を勝手に競ってるのか知らないけど、本人の前でそんな失礼な態度はとらないようにね、紙袋」
「どーだかな、保証はできねぇ」
フッと紙袋の言葉を聞いていた佐藤が笑う。
まるで嘲るような、莫迦にするような笑みに紙袋が反応しないわけもなく、噛み付くように佐藤に詰め寄った。
「んだよ?」
「彼女の機嫌は損ねないほうがいい。ああ見えて実力は上の上…俺すら叶わないかもしれない」
「へぇ、あんなに美人なのに強いのか」
とてもそうは見えないと魔王が感心したように呟く。
鳳仙の体は細く、とても華奢だった。威厳はあったがそれは別の話だ。女性らしく細い体つきで強いというのは驚くべきことだった。
「怒らせると怖ぇってか、化物そっくりだな」
「お前は俺を怒らせたいのか」
相変わらず佐藤を挑発するような発言しかしない紙袋を見て、千里は大きく溜息をついた。
前回の世界で少しは仲の進展があったかと思ったが、結局二人のやり取りはあまり変わっていない。
変わったところといえば佐藤が紙袋のことを名前で呼ぶようになったことと、紙袋も名前で佐藤を呼ぶことがたまにある程度だろう。大概化物という呼び方を使っているためあまり変化は顕著でない。
喧嘩をするほど…という言葉もあるのだが。
「とりあえず紙袋は人を怒らせる天才だからね、駄目だよ?いくら綺麗だからって初対面の人にセクハラは」
「ふざけんな!俺の眼中にあるのは千里だけっ!」
走りこんできた魔王からドロップキックを受けて紙袋は言葉半ばで吹っ飛ばされる。
久々の攻撃に油断していたようで、受身をしっかりとると口元を拭って悔しそうな表情を浮かべた。
「くっ不覚!」
「愛の鞭ってやつだよ、紙袋が鳳仙さんに消し飛ばされちゃったら極少しだけ悲しいからね」
さらっと酷い発言を鋏は涼しい顔をしてやってのける。
「千里ぉ…やっぱお前だけだ俺の癒しは。腹黒鋏も極悪魔王も冷徹佐藤も駄目だ、こいつら」
「あー」
しがみ付かれた千里は抵抗するが紙袋の力が予想以上に強いため抜け出せず、仕方なく頭を撫でた。
といっても袋に覆われているため紙の感触しかしない。
ガサガサと無機質な音が物寂しく響くだけだ。
「いい加減千里から離れろ、変態が」
怒気をはらんだ佐藤の声が千里の上から降ってきた。佐藤は千里の背中に回りこみ、そこから手を伸ばして紙袋を引き剥がす。
剥がすときベリベリと音がしそうな程強いしがみ付きだった。
「んで?佐藤…説明しろ。襲ってきた連中は誰だ?」
千里達がずっと気になっていたことを魔王が質問する。
すると佐藤は顔を曇らせた。
「あいつらの狙いは俺だ…巻き込んでしまって悪いと思っている」
「どうして佐藤が?…鋏は何か知ってるのか?」
鷺という言葉を最初に口にしたのは鋏だった。
千里、魔王、紙袋の知らないことを鋏が知っていることは明白であり、問い詰められても鋏は笑みを崩さず黙り込んでいる。
その笑顔が偽りのものであることぐらい千里にも分かった。
どうやら鋏は無言を貫き通すようだった。
「ケッ、だんまりかよ!」
「俺と同じ種族だ…鷺も、エリカも」
「そういえば鳳仙さんのこともそう呼んでたな、佐藤…我等って何だ?」
「っ!」
千里が「我等」のことについて佐藤に質問する。首を僅かに傾げる千里の姿を見て佐藤は息を呑んだ。
(また…同じ)
「…佐藤?」
「いや、大丈夫だ」
「大丈夫って何がだよ?お前、本当に大丈夫か?」
紙袋ですら佐藤の異常な様子を感じ取って僅かに心配そうに覗き込んでくる。
今顔を凝視されれば何かが曝け出されてしまいそうで、佐藤は顔を背けて表情を隠した。
「我等について…話すつもりはない。知る必要もない」
「知る必要がないって、お前。俺はともかく千里には関係ある話なんじゃないのか?」
「俺の問題だ」
佐藤の返答に憤りを感じたのは紙袋だけではないようで、千里すら少々眉根を寄せて何かを言いたそうに口を開いた。
最初は心を閉ざして自分のことを滅多に語ろうとはしない佐藤だったが、最近は自分のことも少しずつだが話すようになってきた。
それを心を開いてきた…という風に思っていた千里にとって、抱え込むような佐藤の言動は気に入らないものだった。
千里が反論する前に扉の開く音がした。
それにより口を閉ざすことになるが、入ってきた人物…鳳仙は部屋の空気が重いことに気づき、少し申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい、お邪魔だったかしら?」
「いや…構わない」
真っ先に口を開いたのは佐藤、これ以上千里に問い詰められることをよしとしない彼は、第三者の介入によって話をうやむやにした。
「食事の用意が出来たから、そこで詳しい話は聞くわ。短時間で作ったものだけど…うちのメイドは料理が上手なのよ」
「へぇ、そりゃ楽しみだ。な、紙袋」
「なんで俺に振るんだよ…知るかよ」
自信があるのか鳳仙はまるで自分のことのように誇らしげに告げ、それから部屋を出て行った。
沈黙が嫌なのか佐藤はそれに続いて出て行ってしまう。呆れたように肩をすくめた魔王は千里に目配せすると、佐藤を追った。
「申し訳ないけど千里、今回の件について僕から話すことはないよ。佐藤の問題っていうのは事実だし…僕にも関わりはあるけど全てを知ってるわけじゃない」
「何も全部説明しろって言ってんじゃねぇだろ。てめぇの知ってることを教えろってだけじゃねぇか」
「あまり思い出したくないし、それに我が侭になるけど好き好んで話したいことでもないんだ。ごめんね」
「鋏が謝る必要なんてないだろ」
(誰も悪くない)
語りたくない過去があるというのは当然のことだ。それを旅に参加したばかりの千里が無理に聞き出す…というのはいけない気がした。
だが、それでも隠し事をされて気分が良いはずもない。
千里にとってはそれが佐藤であるということは、なおさら胸が締め付けられるように感じた。