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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
15/27

15・殺してくれてありがとう

 先にバスに戻り紙袋の帰りを待つ。

 怪我をしていた鋏は前方の席に座り、運転席の近くにある救急箱で応急処置をしているようだった。

 鋏に付き合って魔王もその手伝いをしている。

 二人の組み合わせは珍しく、魔王が甲斐甲斐しく人の世話を焼く光景というのはなかなか見られたものではない。

 千里と佐藤はそれを見ながら後部に座る。

「千里、お前が責任を負う必要なんてない。あれは元はといえば俺の不手際が招いた不幸だ」

「佐藤は悪くない…佐藤が何をしたのかは知らないけど、きっとあの兄はそういう人間だったんだ。それでも紙袋は彼のことが大事だったのか」

「…どんなに手酷く扱われてもあいつにとってシンはただ一人の兄で、生まれてから暫くの間ずっと二人だった相手だ。歪んだ愛情だと分かってはいても、結局紙袋はあいつと共に生きたかった」

 佐藤の告白を聞いて信じられない…と千里は俯いていた顔をあげた。

「じゃあ…どうして紙袋は旅をしてるんだ?」

 その質問をすることがおかしかったのか、千里がすることがおかしかったのか、佐藤はキョトンとした後苦笑した。

「些細な願いだ…千里、俺達は些細な願いのために自己を犠牲にする。当たり前を望んでいるだけだ」

「些細な願い?」

「紙袋の願いはお前だ…自分の目で千里を見たかっただけだ、そして続けてお前と共にいることを望んだ」

「俺?…どうして見ず知らずの俺に会うためだけに自分の望みを捨てたんだ?」

「…見ず知らずのお前に会うことが、俺にとっても紙袋にとっても願いだっただけだ。千里は全てを知る必要なんてない…最後の願いぐらい叶えてやらなきゃ魔王が報われない」

「魔王?…どうしてそこであのオッサンが出てくるんだよ」

「余計な発言だった。気にしないでくれ」

 明らかに無理をして佐藤が微笑む。

 その痛々しさすら感じる笑顔を見つつ、千里は自分だけが何かを知らないような疎外感に苛まれ、同時にもやもやした感覚を頭に覚えて


髪をかき乱した。


 たいていの場合紙袋は夜になると千里の部屋に忍び込もうとし誰かに捕まり、その人の部屋で監視されて一晩を明かすことになる。

 それ故に紙袋の部屋は存在しているがなかなか使われることはない。

 珍しく紙袋は自室に篭り、窓を開けて弱い雨音をぼんやりと聞いていた。夜風が吹くと湿気を帯びた空気が室内に入り込む。

「……」

 トントンと扉が叩かれる。

 返事をする前に扉は開かれ、煙草を銜えたまま魔王が入ってきた。

「よ、今夜は静かだと思ったらこんな場所にいたのか」

「…んだよ?俺に何か用か?」

「傷心のとこ申し訳ねぇけどな、少しお前と話がしたくなった。付き合ってくれや」

 何か言いたそうに口を開いた紙袋を無視して魔王は部屋に上がりこみ、扉を閉めると壁際に置かれた椅子に腰掛けた。

「てめぇが俺に何の用だよ」

 今すぐにでも出て行ってほしい。そんな雰囲気を隠しもせずに無愛想に言い放つと、話すことはないとでもいう風に紙袋は魔王に背中を向け窓の外に視線を向けた。

「少しお前に教えてやろうと思ってな、千里はお前のことを恨んで死んだわけじゃない」

「…知ったような口きくなよ。俺の何がお前に分かるんだよ」

「約束を破ったのはお前だ。千里はお前を恨まなかったが…深く悲しんだ。だから次で捨てた…俺を」

「何のことだ…てめぇ!一体何を知って」

 振り返った紙袋はそこで言葉を失う。

 悲しそうな眼差しをした魔王が一瞬、千里のように見えたからだ。

 背丈、格好、見た目、性格、何もかもが不一致だというのに、似通ったところなど何もないはずなのにそこに千里がいるような気がした。

 それが幻覚だと気づくのに時間はかからず、すぐに魔王の姿に戻る。

「開き直れとは言わないが、いつまでも自分を責めるな。少なくとも千里はお前を恨んじゃいねぇよ。知ってるからな、俺は」

「お前は誰だ?」

「野暮な質問だな、みんな大好き魔王様だよ。じゃ、あまりここにいても迷惑だろうし、失礼するぞ」

「待て!」

 ひきとめようと紙袋が手を伸ばすが、魔王の首に巻いているマフラーに触れた瞬間、それは煙のように飛散してしまう。

 さらさらと体が崩れ、最後に笑みを浮かべた魔王は消えた。

 指の間をすり抜ける煙の感覚に紙袋は歯噛みし、部屋を飛び出すと魔王の自室へ駆けた。

 鍵のされていない扉を押し開けるが誰もいない。

「…一体何者なんだよ…お前は」

 呟きは薄暗い部屋に響き渡った。


 雨が降っていて、傘をさしていない魔王の長髪を容赦なく濡らしていった。小雨とはいえ長く外にいればびしょぬれになる。

 髪の先から雫が滴り落ちるのを見て魔王は溜息をついた。

 口に含んだ煙が宙に舞い、雨粒と混ざり合って消える。

「厄介だな…感情移入のしすぎで誰が誰だか分からなくなる」

(だからって俺があいつって実感は出来ないんだが)

 雨粒が火種に当たって煙が止まった。魔王は火の消えてしまった煙草を放り投げる。

 宙に舞った煙草は長い間落下して、地面に落ちると同時に激しい炎を上げて消し飛んだ。

 彼は鉄塔の頂点に立っていた。

 雨の多いこの世界、もう一つ特徴を挙げるとするのならば、鉄塔が多いというところだった。

 ライフラインがしっかりとしているという証明なのだが、規則正しく並ぶ塔は芸術的ですらある。

「なあイグレア、俺はどうしたらいいんだろうな?」

 自分で、いや、過去の自分が選んだこととはいえ随分酷な選択をしたものだ…と魔王は嘲笑した。

 自分で問いかけているが、本当はその答えなどとうに出ているはずだった。

 最初からそのつもりだった。自分の存在がどれだけ儚いものなのか理解し、それを覚悟して今回の旅にも同行した。

 自らの世界を滅ぼすという、おそらく千里のもっとも嫌い行為で。

「ただで消えるつもりはねぇよ、イグレア。俺とお前は無理だったが、せめてあいつらだけでも幸せにさせてやろう」


「客人の多い日だな…って千里!夜這いか!」

「違う」

 また魔王のような厄介な客人だろうか…とうんざりしながら紙袋が部屋の戸を開けると、そこには待ち望んでいた本物の千里がいた。

 いつもの反抗的な態度がなく、どこか申し訳なさそうに表情が沈んでいる。

 急いで部屋に招き入れると千里はベッドに腰掛け、紙袋は窓枠に飛び乗ると腰を下ろした。

「んで?千里が来るのは大歓迎なんだが何の用だ?」

「…その、謝りたかった」

「謝る?」

 謝られるようなことをされた覚えがなく、紙袋は思わず妙な声を上げて尋ね返してしまう。

 すると千里は神妙に頷いた。

 手が僅かに震えているのに気づき、しかしそれを指摘することはせずに紙袋は袋の中で僅かに目を細めた。

「どした?」

「あんたの…兄を殺した」

「……」

 そのことか、と紙袋は気まずさを誤魔化すために天井を見上げてみる。目が機能していないため意味はないのだが。

「気にするなって言うのもおかしいと思うんだが、むしろこっちが礼を言いたいぐれぇだ」

「家族を殺されて…礼?」

 …「家族を殺されて礼を言うのか?」

 いつか、どこかで聞いたような言葉が脳裏を過ぎり不思議な感覚に陥るが、ここで意識を飛ばしてなるものか…と千里は首を振った。

「俺は兄貴に依存されつつ…心のどこかでこっちからも依存してた。だからきっと俺は兄貴を殺さないといけなかった。けど、できねぇし…家族殺しなんてしたくねぇよ」

「だけど」

「だけどもクソもねぇよ、俺は千里が思うよりずっと弱虫だ。だからな…お前は優しいぜ千里。俺に代わって兄貴を殺してくれた。俺に家族殺しを背負わせないようにしてくれた。人を殺すことに慣れてねぇお前が、俺のために自分の手を汚した」

 紙袋は軽く窓枠から飛び降りると、ベッドに座る千里の前に立ち、屈むと彼の膝の上に置かれ、震えている手に手を重ねた。

 体温が伝わってくる。

「流石、俺の嫁」

「…台無しだ」

 いつもの口調でそう呟く千里の手の震えはいつのまにかなくなっており、口では紙袋の悪口を言いながら微笑んでいた。

「家族か」

「俺も嫁の親御さんに挨拶してぇな。千里に家族は…あースマネ」

 途中で自分の質問の愚かさに気づき、紙袋は口を閉ざした。

 しかし千里は苦笑すると気にしないでくれ…と前置きしてから離し始める。

「俺にも生みの親はいた。俺の角を気味悪がって捨てたけどな。だけど…俺にはあの人たちが家族だとは思えなかった。変な言い方かもしれないけど、血は繋がってるはずなのに魂は繋がってないような…赤の他人ってかんじだ。だからな、今一緒に旅してる佐藤や、紙袋、鋏…それに魔王が家族に一番違い感覚なのかもしれない」

「どうして化物が筆頭にあがるんだよ。ま、擬似家族ってやつかもな…そこは認めるぜ。千里が俺の嫁で鋏は千里の母親、魔王はただのオッサンで、化物が千里の父親だなー。うちの娘は嫁にやれん!…的な立ち位置で、俺と千里の恋路を邪魔するわけだ」

「賑やかな頭の中で何よりだ」

「酷ぇ!」

 ケラケラ笑いながら紙袋が指摘すると千里もつられて笑う。

「ま、あくまでも擬似…だ。本当の家族ってのは…俺みてぇにあんな残酷な兄貴でも繋がってるつーか、もっと違うもんがあるぜ」

 お前にも分かる日がくるといいな。そう呟いて紙袋は千里の頭を撫でた。


「客人とは珍しい…というか、あなたが来ること自体珍しいわね」

 女は予期せぬ客人に驚き、そして歓迎の意を表して両手を広げた。

 女の歓迎を受けても客人、髪で目を覆い隠した男は何の感情も見せない。まるで心をどこかに置き忘れてきたかのようだ。

 真っ黒な髪に衣服を身に着けていない上半身。腰の辺りから翼が生え、それは手首へ繋がって蝙蝠のように翼を構成していた。

 その姿で彼が人間ではないことが分かる。

「動く」

「…これ以上見て見ぬふりはできないってことね。彼が怒るなんて珍しいこともあるのね…長く生きてきたけど、彼が本気を出したところなんて見たことないわ」

「鴉に処罰を…貴殿はどちら側に?」

「私はいつも通り、どちらにもつかないわ。中立の立場かしらね…こういう立場もいないと困るでしょう」

「器用だ」

 女の返答を受けて男は呟く。

 女は苦笑した。

「確かにそうね、だけど最後まで中立の立場を護り続けるとは言っていないわ。状況を見て…変わるかもしれない」

 妖しく笑った女を見て、男は僅かに俯いた。

 しかし感情を表に出す事はなく、相変わらずの無感情な声で短く言葉を放った。

「願う、貴殿が我等の敵にあらぬことを」

「そうね、私もあの子を敵に回したくはないわ」


 異世界でどんな出来事があったとしても、館に戻ればすべては異世界の出来事、揺るがぬ場所だと信じていた。

 だがそんな館で異変が起こり千里は困惑していた。

「魔王がいない?」

 朝起きると珍しく千里より先に紙袋が起床しており、魔王を探していた。

 彼が魔王を探している…というだけでも充分異常なことではあるのだが、更に魔王の姿がないというのは重ねて異常であった。

 出かけるときにも一言告げる。

 そうでなかったとしても紙袋の話では一晩姿を見ていないという。

 不安が胸を過ぎって縋るように佐藤を見ると、彼は難しい顔をして紙袋の話を聞いていた。

「…昨晩、何かなかったのか?」

 至極まっとうな質問を佐藤がする。

 昨晩からいなくなっているのだから、その直前に何かがあったと考えるのは至って普通のことだ。

 思い当たる節があるようで紙袋は言い辛そうに黙る。

「…昨日の夜、あいつと話した。俺の過去のこと知ったような口きくから苛々して、だけどあいつは意味分かんねぇことぬかして」

「どんな話だ?」

 千里が問いかけるがそれ以上紙袋は話したくないらしい。

 肝心の内容が分からなければ意味がない…と思ったが、佐藤は何があったのか大体の察しがついているらしい。

「なるほど、大体理解した。少し頭を冷やせば戻ってくるだろうが…探しにいくか?」

 乗り気ではない様子でとりあえずといった感じで佐藤が千里に問う。千里の意思を尊重してくれるらしい。

(勿論探しに…)

 千里がその意思を口にしようとしたとき、激しく扉の叩きつけられる音がして鋏が部屋から出てきた。

 怪我をしている額にガーゼが当てられている。

「佐藤!」

「どうした?休んでいろと」

「違う!…あいつが!あいつが」

「まさか…」

 鋏からいつもの穏やかでのんびりとした雰囲気が消えている。焦燥感にさいなまれているように額に冷や汗を浮かべ、その尋常ではない事態に佐藤も気づいたようで鋭い目をしていた。

 話についていけているのは二人だけらしく、紙袋もポカンとしている。

「事情が変わった…今すぐ魔王を連れ戻す。まさかこの世界にいるとは…迂闊だった。まさか千里のいる場所と同じ場所に」

 不幸を嘆いて悔しそうに佐藤はひとりごこち、すぐにマントを翻して外に飛び出そうとする。

「待てよ!」

 何の説明もなく置いていかれそうになり、慌てて千里は佐藤の腕を掴んだ。

 千里のほうが力は弱いが、佐藤は絶対に千里の手を無理矢理振り払ったりはしない。

「俺も行く、なんだか分からないけど緊急を要するってことだけは分かった。事情は後で説明してくれ」

「俺から離れるな、それと…全部を説明できるとは限らない」

 それでもいいんだな?と佐藤が視線で訴えかける。

 千里は深く頷き、握り返された腕が引かれるままに佐藤を追いかけた。


 鋏の顔色は悪い。

 まるで体中の血液を奪われてしまったかのようだ。青白い肌はシンとの戦いで負った怪我のせいだけではなく、何かに怯えているようにも見え、千里を追おうとした紙袋は引き返す。

 しゃがみこんで手すりに寄りかかる紙袋に視線を合わせる。

「おい、大丈夫か!」

「あんまり…大丈夫じゃないかな」

 弱々しく笑った鋏は紙袋の肩を借りて立ち上がる。

「ここまで弱ってると張り合いもねぇな。どっか痛むのか?」

「大丈夫…体は全然問題ないよ。ただ…きっと怖いんだ」

「怖いだ?何が?」

「自分かな」

「…俺は哲学的なこととかは分かんねぇぞ。そういうばかげた話なら佐藤にでも」

「違うよ、本当に自分が怖いんだ。そのままの意味…別に何を示してるわけでもない」

 彼の首には一度千切りとった鋏が再び有刺鉄線によって繋がれている。

 シンとの戦いで一度首に食い込んだ鉄線の傷痕は簡単に癒えることなく、今尚痛々しく紅い傷痕として残っている。

 自分の体を傷つけるような格好をする鋏、紙袋すらも理解できず、その行動に戸惑いを感じていた。

「大丈夫…大丈夫だよ。僕は自分で止めることができる。僕が選んだのは黒い鳥だ」

「だからさっきから何を!」

「紙袋」

 紙袋の問いを遮って名前を呼ぶ。

 呼ばれた紙袋は言葉を遮り、いくらか平常心を取り戻した様子の鋏に視線を向けた。

 肩から離れ、一人で鋏は立つ。

 もう大丈夫なのか、と紙袋が手を伸ばしかけるが、その手は挟みによって遮られた。

「バスへ…急ごう、もうここは安全じゃないんだ。戻って来られないかもしれない」

「佐藤達がまだだ」

「勿論置いていくつもりなんてないよ。先に行っていつでも出せるようにしておくんだ。行き先は多分、佐藤が知ってる」


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