14・静かな幕を
「本当、女の子に戦わせるなんて酷すぎると思うな」
「…はっ、はっ」
荒い息を吐いているのはマキナ、地べたに伏せっている。
その背後には同じように少し疲れた様子のシンがいた。鋏を見て余裕を浮かべることはない。
「酷か?…だがそれを容赦なく切り伏せるお前はどうなのだろうな?」
余裕なく喘いでいるマキナ、その腹は横一線に切り裂かれ、そこから肉が、血が止め処なくあふれ出していた。
床を真っ黒に染めるマキナを今思い出したように見下ろし、鋏は優しげな笑みを浮かべて膝をつく。
「ごめんね、痛いよね」
「ひっ…もー止めてよ!シン様に手を出すな!」
「うん、約束する、だから安心して」
「ホントか?」
「うん」
「…良か…った」
出血は人形にとっても致命傷になるらしかった。
鋏の約束を聞き遂げると安心したようにマキナは目を閉ざす。二人のやり取りを無表情で聞いていたシンは、予測していた通り飛んできた鋏を体を逸らして避けた。
黒い血に濡れた鋏は切っ先を地面に突き立てる。
「……」
「…気づかれてたんだ」
「外道が」
「なんとでも…僕は弱いから手段なんて選ばないよ。今更綺麗事なんて言えないしね」
息絶えたマキナに手を伸ばすと、彼女の腰に固定していたデウスと同じタイプの剣を抜き去った。
元々動かしにくい左手だ。剣を扱うのに向いているとは言えない。
しかし鋏は利き腕なのか左手を使う。
「君と僕ってよく似てるよ、佐藤の言ったとおりだ。誰かに依存してないと生きられない…依存される側の紙袋とは正反対だ。一人が怖いんだ、君は縋ることで生きて、僕は命令を受けることで生きる。」
小さな剣をクルリと一周回す。
「さ、時間稼ぎさせてもらうね。どうせ僕は君に勝てないんだから、せめて佐藤達が駆けつけてくれるまで時間を稼がないと」
「一緒にするな雑魚が…私はウェドネを手放すつもりはない」
「鏡見てるみたいで気持ち悪いはずだよ。君が嫌悪感を抱く僕が君。自分をよく見てご覧よ」
優しげに微笑むを鋏は剣を硬く握りなおし、強く地面を蹴ってシンとの距離を詰めた。
「佐藤!」
移動した先にはまっすぐ続く廊下。千里は意識が覚醒するとすぐに駆け出し、両側に連なる牢屋の中を一つ一つ探して回った。
数個目の牢屋、その中に人の姿を見つけて千里は立ち止まる。
鎖に両腕を縛られた状態でボロボロになった佐藤がいた。
「おい!助けにきたぞ…俺だ!千里だ!」
「……と?」
「え?」
「…すまない…千里、俺が…お前を」
(魘されてるのか?)
薄っすらを目を開けた佐藤だが、その目に生気はなかった。
千里は檻の戸をあけようと試みたが、鍵穴すら見当たらない。
「退いとけ、千里」
「!…紙袋!無事だったのか」
佐藤とは対照的に紙袋はあまり怪我をしていないようでぴんぴんいしている。
ただ頭につけているはずの紙袋がなく、両目を布で隠しているだけだった。
「ついさっき脱出したとこだ。誰か近付いてくる気配すっから隠れてたが…マイハニーかよ」
「誰がマイハニーだ…どうやって脱出したんだ?」
「実戦してやっから…ちょっと向こう行ってろ。危ねぇぞ」
言われたとおり千里は紙袋の指差す先、彼の背後にある壊れた牢に入る。
紙袋はそっと後の結び目をとき、十字の瞳孔を鉄格子に向けた。黒い金属光がくすみ、灰色の石へと変化する。
「ったく…嫌な慣れだぜ。少し前までは生物しかできなかったってのによ」
呟くとポケットの中からくしゃくしゃに折りたたまれた紙袋を取り出し、それを頭から被った。
フォークを手を突っ込んでフォークを取り出すと鉄格子に向かって振り下ろす。
石造りになった格子は脆く崩れ去った。
「もう大丈夫だぜ千里、あとは化物に突き刺さってる戒めを何とかすりゃあ枷は自力で引きちぎるだろ」
紙袋から許しが出るとすぐに千里は檻の中へと入り、飛びつくような勢いで佐藤にすがりつく。
冷たい体温が不安にさせた。
何度か名前を呼びながら揺さぶると、佐藤が呻いて一度目を閉じ、はっきりとした視線を千里に向ける。
「…千里?どうしてここに」
「良かった…生きてる、生きてるんだな」
「…ふっ、俺が死ぬわけないだろう。それにしても…護るべきお前に助けられるとは…駄目だな、俺は」
「バーカ、化物!てめぇが駄目な奴ってのは周知の事実だっつの。どうだ?…その呪いは解けんのか?」
ゴホゴホと数回咳き込んでから佐藤は自分の胸を見下ろす。
光り輝く槍はいまだに彼の体を貫いたままだ。
暫く黙って戒めを見ていた佐藤だが、首をゆったりと横に振った。
「…力が足りない。肉体の修復に力を回しすぎた」
佐藤の言ったとおり、体がボロボロだったことに変わりはないが大きな傷は目立たなくなっていた。
出血も止まっている。
「力が足りない…ねぇ、血が足りないの間違いじゃねぇのか?」
「っ!」
紙袋の発言に佐藤は焦ったように顔を上げる。
千里を不安そうに見つめるが、幸いな事に千里は発言の意味を取り違えたようで首を捻った。
「佐藤…出血が酷くて貧血でも起こしてるのか?」
「…似たようなものだ」
言いつつフラフラとした足取りで立ち上がる。
胸に戒めが突き刺さったまま、壁を補助に使いながらやっとのことで立つと、手首を引っ張って口元に持ってきて鎖を噛み千切った。
鋼鉄でできているはずの鎖が紙でも破くかの如くいとも簡単に切り裂かれる。
「流石化物、で…どうするよ?」
これから…と付け加えて気だるそうに紙袋は頭を掻く。
「千里、鋏と魔王はどうした?」
「そうだ!魔王は敵の注意をひきつけるって飛び出して、鋏は一人でシンの足止めをするって!」
「兄貴を一人で止めるつもりかよ!無謀すぎるぜ」
「ちっ、ひとまず俺は魔王を援護しに行く。紙袋は千里をつれて鋏と合流しろ」
それはつまり佐藤が大勢の相手をするということであり、戒めの為たいして動けもしない。
だというのに戦いをするというのは無茶な話だった。
「無茶だ!その体でどうやって」
「行け!シンと戦おうと思うな…逃げろ…いいな?」
抵抗する千里を紙袋はひょいと持ち上げると、佐藤に目配せしてから千里の使った魔術式へと駆け出す。
一人になった佐藤は背中を壁から離すと、魔力の残滓をかき集めて魔術式を組み上げた。
大蛇が尾を一薙ぎすると数人が吹き飛ばされ、壁に激突して動かなくなる。
しかし次々と湧き上がってくるかのように増える兵士に、魔王も疲労の色を見せていた。
その隙をつかれることで時折傷を負い、怪我が更に動きを鈍くさせてまた怪我が増える…という悪循環に陥っている。
「くそっ…どいつもこいつも、命が惜しくねぇのか…よっ!」
再び尾を振るって周囲の敵をなぎ払うと、魔王は一息ついて体を大蛇の姿から人型へと戻した。
男の姿に戻って着地すると、再び包囲されたことを知って溜息をつく。
「世界を気遣う戦い方…なんて慣れないことはするもんじゃないな。そろそろピンチだぞ…千里」
「助太刀だ、喜べ」
聞き覚えのある声に魔王は振り返る。
荒い息をついて佐藤が立っていた。
戒めが胸に突き刺さったままだったが、何とか自力で立つ事はできるようだった。
だがとても戦いの補助になるとは思えない。
「鋏はどしたよ?」
「無事だ、千里に見られると困る…俺だけできた」
「血が足りてないってことか…ま、その辺に転がってるのから好きに頂いとけ。気絶してるだけで死んではいねぇと思うぞ」
魔王が指差した先には大蛇の状態で薙ぎ払った兵士達の姿がある。
「助かる」
魔王が宙に作り出した太刀を手にして構える。兵士達が警戒する中、佐藤は倒れている一人の近くにしゃがみこんだ。
目の色が黄金色から真紅へ変化する。
断末魔の短い叫びが聞こえ、続けて何かを引き裂くようなおぞましい音が響いた。
「こえーな。さて…お食事を邪魔させるわけにはいかないから俺が相手をしてやるよ。佐藤!終わったら援護頼むぞ」
「ああ」
口元を真っ赤に染めた佐藤が一度肉片から顔を上げて返事をした。
「往生際の悪い、お前が私に勝つことはない。早く退け…それともまだ痛みが足りないか?」
蔑むような視線でシンは膝をつく鋏を見下ろした。
額を伝って目に入った血を拭うと、鋏は不敵な笑みを浮かべてシンを見返す。
「何度も言わせないでほしいな」
「…本当に理解できん」
心の底から不思議そうな顔をしてシンが首を傾げた。
「私の目から見てもお前達は歪んで見える。お前達は一体何だ?教皇の独裁から国を解放する義もない。仲間を思いやるという義もない。命を尊ぶという義もない…何のために動いている?」
「…あなたにそれを言われるとはね。でも流石…カリスマ性に見合った実力はあるってことかな。あなたの言うとおり、僕たちは世間一般では正義とは呼べない存在かな」
そこで血に塗れた顔で鋏は柔らかに微笑んでみせた。
「だから?ってかんじですけど」
「ふっ…くくくっ、なるほど、気に入った。お前達のことを私は気に入った。良いじゃないか…同じ穴の狢といわけだ」
「分かっていただけて良かった。ただ…敵の敵が味方とは限りませんよ」
「それも理解している。お前達がウェドネを私から奪おうというのならお前達は私の敵だ」
シンは怪我をして動きの鈍くなっている鋏に向かい、手加減などする気はないようで魔力によって槍を作り出すと、それを突き出す。
悲鳴をかみ殺す鋏だが顔が痛みに歪んだ。
足の甲を貫かれて地面に縫い付けられることになる。
「敵の敵が味方ではないとすれば…同族嫌悪か。私はお前を無性に殺したい」
「奇遇ですね…僕もだよ!」
片足を動かさないままもう片方の足で地面を蹴り、鋏は手に持った鋏の切っ先をまっすぐシンに突き出した。
「本来…これは人を刺す道具でも切る道具でもない。それに向いてもいない。こんなもので何故戦う?私をこんな玩具で殺せると思ったのか?」
胸に浅く突き刺さった刃は、しかし距離的に彼の肉を抉ることなく留まった。
内臓に達するわけもなくシンの服が僅かに紅く染まるだけだ。
「…君には関係ない」
「そうだな関係ない、死ね」
もう一本作り出した槍を振り上げ、今度は鋏の脳天目掛けて振り下ろす。
しかし横から直線を描いて飛んできた銀色のフォークによって槍は弾き飛ばされ、カランっと軽い音をたてて地面に転がった。
敵意のこもった目でシンはそのフォークを投げた人物を見る。
「ウェドネ、逃げ出したか」
「あいにく薄暗いところで暮らすのには飽き飽きしてんだ。それに…俺はもう、てめぇの玩具でも愛玩動物でもねぇ」
千里をできるだけシンの視線に曝さないよう、紙袋は彼を背中に庇うようにして立っていた。
投げてしまった巨大フォークの代わりとして、もう一本を紙袋の中から取り出して右手に持つ。
「千里、俺が正攻法で突っ込んでも兄貴には敵わねぇ…悔しいけどな。俺なら…兄貴の隙を作り出せる。俺が注意を引いてる間に鋏と一緒に逃げろ、俺もすぐ後を追う」
「分かった」
数回の囁きを交わすと、千里と紙袋は同時に動き出した。
千里はシンを避けるように迂回して走り出し、鋏を目指す。
紙袋はまっすぐ突進し、シンを目指す。
先に目的に到達したのは紙袋だった。シンの懐に入り込むと、今度は会話をするつもりも説得をするつもりもないようで、容赦なくフォークを上へ突き上げた。
体をそらしてそれを避けるとシンは微笑んだ。
「ウェドネが本気で私を殺しにきたのはこれが初めてだ」
「よくご存知だ…じゃ、これも知ってるよな。てめぇが俺に施した改造の一つだ…俺は死ねない」
「よく知っている、だが全く問題などない。仮にお前が不死でなかったとしても、私は愛する弟を自ら壊すつもりなどないのだから」
「たいした余裕だな!」
数回突きを繰り返すがひょいひょいと…まるでどこに攻撃が来るのか分かっているかのように、シンはウェドネの攻撃をかわす。
「だが、過ぎた行為は叱らなければな」
服をはためかせてシンは紙袋から距離をとると、倒れて動かなくなってしまったマキナのそばに着地した。
黒い血が流れる床を見て愉悦の笑みを浮かべる。
靴先で血を引き摺り、円を描くとステップを踏むようにして不可思議な模様を描き出した。
「私こそがこの世界の覇者、皇帝であり教祖、そして神である」
「自己陶酔か?…てめぇの独白なんて反吐が出るんだよ!」
「愛しいウェドネ、反抗する気が起きぬ程苦痛を与えよう」
円からあふれ出した黒色の液体のような気体のようなものはシンの体にまとわりつき、彼を覆うよう黒色の楕円となった。
卵の殻に皹が入るように亀裂が走り、黒い球体が割れる。
中から液体に塗れて誕生したのはおぞましい姿をした何か。
二桁に及ぶ数の手を持ち、黒い鱗のある化物。
まるで女神の像に悪魔が取り付いたかのように、顔の部分だけは女の美しい顔をしていた。閉じていた目が開く。
眼球は収まっておらず、虚ろな穴の中は真っ赤な光が灯るだけ。
幾つもの手を使って胴体を浮かせると、ライオンのような後ろ足で数度地面を蹴った。背中から数十対にも及ぶ翼が溢れ出す。
歪な生物だった。
「ウェドネ、ウェドネ、私のウェドネ」
濁った声がシンだったものから漏れる。口は動いていない…どこから放たれているのかも分からない音が反響している。
女神の真っ赤な瞳に見据えられ、得体のしれない恐怖が背中を這うのを感じながら尚も紙袋は感情を押し殺し、恐怖を表には出さなかった。
恐怖の代わりに笑ってやる。
「はっ…マジに化物になりやがった。てめぇの歪んだ性癖が姿ににじみ出てやがるぜ!」
「私はウェドネの兄だ。ウェドネの家族、ウェドネの全て。ウェドネは私のものだ。ウェドネ、ウェドネ、ウェドネ、ウェドネ!」
狂ったように名前を繰り返す。
最早人だったころの冷静な面影は見られない。感情の爆発。感情の赴くままに動く獣に等しい存在。
複数ある手の内一番長く太い手が振り上げられ、紙袋を叩き潰そうと振り下ろされる。
巨体に似合わず素早い動きに紙袋は避けることができず、フォークを突き出すことで受け止めた。
切っ先が掌に突き刺さり真っ黒な血が流れ出た。
黒い肌に黒い血が伝う。
真っ黒な中、モノクロの女神の中に一つだけ色が灯った。
紅い瞳から流れ出す血のように濃い赤をした液体。止め処なく流れ出すそれは床に水溜りを作った。
「あ、が。ギガガガががガ。…た、ウェドネ!ヒヒヒヒヒて!」
最早意味を成さない言葉の連続。
無機質な言葉の羅列に無意識に嫌悪感を覚える。
ウェドネは嫌悪感に耐え切れずにフォークを引き抜くと、その勢いのまま背後に飛び退き踏みつけから逃れた。
「…もう、人間じゃねぇ」
呟くともう一本フォークを抜き出し、両手にそれぞれ一本ずつ握る。
「これがお前の望んだ未来かよ…兄貴」
悲痛に呟いて二本のフォークをシンの体を支えている腕に突き立てる。深く二本が突き刺さった腕は不安定に捩れ、引き抜くとその衝撃で千切れた。
「違うな、俺が狂わせた結果がこれだ」
飛んで駆けつけたらしい佐藤が自責の念に苛まれるように呟き、シンの背中に着地すると自分の体から引き抜いておいた光の槍を背中に、複数ある羽の付け根に突き刺した。
「あ?…ああああああああああああああああ!」
悲鳴をあげるシンは体を振って背中に乗っている異物を振り落とそうとし、佐藤は大人しくそれにしたがって背中から飛び立つと、紙袋の隣に降り立った。
続けて魔王も紙袋の隣に転移してくる。
目の前に突然現れた化物の姿となったシンを見上げ、驚いた様子で目の上に手を掲げた。
「こりゃすげぇな。ここまで無茶な魔力暴走は初めて見たぞ」
「運び主になりかけている…早く片付けないと、本当にお前の兄は化物に成り下がるぞ」
「ああ」
三人は同時に散開し、三方向から攻撃を始めた。
佐藤は背後に回りシンが使ったような光の槍を次々と生み出しては突き刺していく。
魔王は側部に向かい佐藤と同じく魔術で攻撃を加えた。
前方にたった紙袋は痛みで絶叫する兄を見上げ、そっとフォークを構えると額に狙いを定めた。
「ウェドネ、ウェドネ、うぇ、ウェウェウェウェ!があああああああああああああああああああぁあ、ァアぁ、ぐべぇァアアアアアアアアアアア!あ…げっ、ブベェエアアアアアアアアアア!」
「こんなことになるなら」
(どんな形でも良かったから)
「兄貴の傍にいればよかったな」
ごめん。
小さく呟いてから額に切っ先を突き刺す。
途端ピタリと動きを止め、シンは硬直の後その体をゆったりと横たえた。
重い音がして体が倒れる。
轟音と共に倒れた巨体は溶け出し、黒い気体となって霧散した。その中に残されていた人影がゆっくり紙袋に手を伸ばす。
対峙した紙袋は最早何も言わない。
二度…言いたかったことは言った。
「ウェ…ドネ!お前は…私の!」
パンッ!
硬直して動けなかった紙袋、だがシンの手が届く前に乾いた音がなり響く。
一度大きく体を痙攣させたシンは膝から崩れ落ち、両目を見開いたまま動かなくなった。
側頭部からどす黒い血が溢れる。
硝煙の立ち上る銃口、震える手でグリップを握っていたのは千里だった。
荒い呼吸を繰り返して倒れたシンを見る。
「…紙袋が、自分を責める必要なんてない。俺があんたの兄を殺したんだ…俺を責めてくれ」
銃口を下ろした千里は告げる。
倒れた兄を、動かなくなったシンを呆然と見下ろし、紙袋は暫く動こうとしなかった。