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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
13/27

13・誰がなんと言おうとも、嫁!

 遠くで轟音が鳴り響く。

 魔王が暴れ始めたようだ。警備についていた兵士達が一箇所に集まり、なにやら相談すると音のしたほうに走っていく。

 それを見届けると千里は柱の影から飛び出した。

 鋏が先に廊下を進み、曲がり角の向こう側を確認すると手招きする。

「監獄…というか紙袋が閉じ込められてた場所なんだけど、そこには入口ってものが存在しないんだ。繋がっているのはシン、紙袋の兄が使っている自室、王間にある魔術式だけ」

「そこからしか入れないってことか」

 無言で頷くと鋏は次の角から飛び出して走り出す。

 置いていかれないように千里も必死で走った。

 息も乱れていない鋏は、枷をされているというのにまったく疲れた様子も動きにくそうな様子もない。

 元々運動神経は良いようだ。

 廊下は突き当たりになっていた。

 その先にあるのは壁ではなく、両開きの大きな扉。鋏が蹴りあけるが誰の姿もない。

 人のいない部屋。だが床の所々に血の跡が点々とついていることから、つい先ほど何かがここであったことが分かる。

「佐藤!」

 呼びかけるが返事はない。

「まさかとは思ったけど…彼が負けるなんてね。こっちだ」

 鋏に案内されるまま玉座へ向かう。

 その後は紅いカーテンで仕切られてこそいたが、何かの空間があるようだった。

 鋏に続いてカーテンの向こう側へ進むと、一段高くなった床に奇妙な模様が描かれていた。ぼんやりと光を放っている。

「移動酔いは克服したよね、千里?」

「多分」

「じゃ、先に行ってて…ちょっと派手に暴れすぎたせいかな、この部屋の主さんに見つかっちゃったみたいなんだ。僕が相手をしとくから…千里は早く!」

 叫ぶと同時に鋏は千里の背中を強く押す。

 バランスを崩した千里は倒れまいと数歩進み、それによって術式を踏みつけてしまった。

 足が幾何学模様に触れると同時に、千里の体が消える。

 移動が終わったことを確認すると鋏はカーテンの内側から飛び出した。そこで部屋に駆けつけた主を目が合う。

「泥棒か?…吸血鬼も妙な仲間を持ったものだ」

「あなたの弟と佐藤を取り戻しに。ここであなたを通すわけにはいかないな」

「見たところ魔術の才はないようだが?…それでどうやって私を止めるつもりだ?」

「僕は弱いよ?戦闘要員は佐藤と紙袋で充分だと思うからね。でも…主が命令してくれたから、佐藤から命令されてるんだ。絶対に千里を護りぬけってね。だからここを退くわけにはいかないな」

 ジャラリ…と鋏が腕を上げると鎖が音を立てる。

 首から垂れ下がっている鋏に手をかけると、有刺鉄線が首に食い込むことも厭わずに引きちぎった。

 首周りに転々と紅い傷が浮き、血が鎖骨を流れる。

 引きちぎった鋏を左手…鎖のついているほうの左手で持ち、くくっと低く笑った。

 好青年のような明るい雰囲気はどこかへ消えうせ、明らかに纏う空気の変わった鋏にシンは戸惑いを浮かべる。

「相手したげるからおいでよ…愚かなドンキホーテ。自己愛の夢から覚めるといいね」


「ふひひっ、こうやっててめぇと牢屋の中で話すなんて久方ぶりだぜ。あの時と似てるな」

「……」

 痛めつけられた姿の佐藤は目を薄っすらと開けた。

 両手は鎖で縛られ、足枷の重さで歩くこともままならない。

 彼の胸の前には魔法陣のようなものが浮き、それが佐藤の魔術を妨害している為逃げることもままならない。

 そんなものがなくとも弱った体では動けないというのに。

「今回は化物が弱りきってやがるけどな」

「…黙れ」

 ようやく出せた言葉は相変わらずの憎まれ口。

 いつもの佐藤のような発言に紙袋は微笑んだ。

 向かい合う牢、二つの鉄格子越しに見える相手の姿。

 冷え切った壁に背中を預けて紙袋は長く息を吐いた。両足両手首に枷をされているのは何も佐藤だけではない。

「ったく、あの兄貴は本当に人の話きかねぇな…俺の言葉なんて届かないってことだ」

「……」

「実の弟を踏みつけて牢屋にぶち込んで…それが愛だとかのたまう。本当に…どうしようもねぇ、だけど俺の兄なんだよな」

「…それを振り切れなかったのはお前だ」

 佐藤の言葉に閉じていた目をそっと開いた。

 十字に割れた瞳孔を持つ双眸が佐藤を捉える。

「久しぶりだな、お前の姿を見るのは」

「……」

「変わったな、老いてはいねぇが随分変わった。これも単に千里のおかげってか」

 暗い牢の中では声がよく反響する。

 聞こえてはいるのだろうが、返事をする余力のない佐藤はうなだれながら彼の言葉を聞いていた。

 佐藤の体調を察した紙袋は、彼が何の反応も示さないというのに気にもかけずに言葉を続ける。

「感謝する…それにすまねぇ。ムカつくぐらい頭の回るお前はもう気づいてんのかもしれないけどよ、俺は千里を殺した」

「…っ」

 僅かに佐藤が震えて顔を持ち上げる。

 黄金色の瞳とぶつかって思わず視線を逸らした。

「俺はずっと兄貴の人形だった。俺にとってどんなに酷い奴でも兄貴は兄だけど、兄貴にとって俺は玩具に過ぎないわけだ。お気に入りの…だから物心ついたときからずっとこんな風に監禁されてきた。兄貴以外との接触を封じられ、兄貴に痛めつけられる日が続いてた」

「…続けろ」

「そんな俺に初めて友達ができた…千里だ。兄貴にずたずたにされた体を見ても嘲ることも哀れむこともしなかった。一緒に怒ってくれた…俺にとっての世界が広がった」


「どうして君はここにいるの?」

 通気用と証明用の小さな窓、声で推測するに、そこから身を乗り出したのは少年のようだ。

 突然の来訪者にウェドネは驚いて、返事をするのも忘れてじっと見つめてしまう。

 照れたように少年、千里ははにかむと、くるりと一回転して高い位置にある窓枠から飛び降りた。

「誰だ…兄貴の指示か?」

「お兄さんって教皇様のことだよね?違う違う、僕は千里…自分の意志でここに来たんだよ」

 言うなれば不法侵入かな…と千里は呟く。

 檻の中に初めて自分と兄以外の人物が入ってきた瞬間。

 生まれたのは危機感だった。

「駄目だ…ここにいることがばれたらお前、殺される!」

 その頃には理解していた。

 兄、シンのウェドネに対する愛情が度を越していること、狂気とも呼べる域に至っているということ。

 だから分かった。

 自分に近付いた人間がいると知れば彼は怒り狂うだろう。

 両目を両手で隠しながら必死で説得する。帰れと。

「大丈夫だって、要は教皇様にばれなきゃいいんだもん」

「だけど」

「君、耳良いよね?さっきから僕のこと見てないくせに色々分かってる。足音がしたら教えてよ…僕すぐに逃げるからさ」

「…ああ」

 不安で仕方なかったが、初めて出会った他人に対する興味が勝ってしまう。

 千里の滞在を許すと、ウェドネは両目を覆ったまま腰を下ろした。

「どうしてこっち見ないの?」

「俺は呪われてるんだ…兄貴に。だから俺の見た奴は石になる。俺は兄貴以外の人を見ちゃいけないんだ」

「ふーん…ずるいね、教皇様だけは大丈夫なんだ」

「兄貴は強いから、石にはならない」

 慣れてきたウェドネは両手を目から離した。目蓋は下ろしたまま、音だけで千里のいる方向を判断する。

 暫く特に会話もなく沈黙が続いた。

 帰ってしまったのか?と思うことがあったが、そのたびに人の身じろぐ音が聞こえる。

 どうやら千里は無言でもそこにいるらしかった。

「…お前も暇だな、どうして俺のところにいる?」

「だって一人になったら君、寂しいでしょ?」

「寂しい?」

「僕もね…角があるから怖がられるんだ。君もきっと僕を見たら驚くと思うな…角がある人間なんて気味悪いよ」

 クスクスと自嘲するように千里は笑った。

「そんなこと」

「あるよ」

 告げた千里の声は妙にはっきりしていて、彼が今までどんな生を歩んできたのかは想像に難くない。

 妙に大人びた声でそう告げる。

「いろんな世界を見た、いろんな人に会った。僕、俺、私。僕達はいろんな世界を見て辛い目にあった。でも誰よりも世界を知ってるから世界が嫌いにはなれない」

「…?」

 千里の言っている言葉の意味が分からず紙袋は首を傾げる。

「いろんな記憶、いろんな思い出、大好きな人。僕はまだ幼いけど、俺達はいろんなことを知ってる。君の狭い世界を広げてあげることができるかもしれない」

「難しいな…つまり千里は物知りってことか?」

「うん、そういうこと」

 クスクスと千里が笑う声がした。

 シンの笑い声とは違う、心から楽しそうな笑み。そんな笑い声を聞いたのは初めてで新鮮だ。

「俺の知らないことを教えてくれるのか?」

「今の僕は非力なんだ。昔の俺なら君を逃がすことが出来たのかもしれないけど…僕に君をここから出す力はない。だからこうやって、君の世界を広げてあげることしかできないんだ」

 立ち上がる音がして、歩み寄る音がして…千里がウェドネの隣に腰を下ろした。

 隣に人の体温を感じることは初めてだ。

 そっと手を伸ばして触れてみると彼が予想以上に幼いことを知る。ウェドネより随分年下だ。まだ十歳にもなっていないのではないだろうか。

 頭をそっと撫でるとくすぐったそうに笑う。

「ね、またこうやって来るからさ…僕の思い出話を聞いて欲しいな」

「また…来てくれるのか?」

「うん、毎日ってわけにはいかないけど…できるだけ来るようにする。だから楽しみに待っててね」

 毎日が絶望の日々だった。

 それから二、三日に一度のペースで千里は牢を訪れるようになった。その日が楽しみになった。

 ただ消費するだけの日々に色がついた。


「また来たのか、お前も大概暇人だな」

 随分慣れた口調でウェドネが憎まれ口を叩く。

 口では荒い言葉を放つが嬉しそうに千里のいると思われる方向に顔を向けた。

 体が少し大きくなり、窓を抜けることに時間を要すようになっていた千里はトンっと音を立てて牢内に入り込んだ。

「暇人で悪いのか」

「いや、俺よりは絶対に暇じゃねぇからな」

「いてて…俺も随分成長したな」

「…窓、そろそろ通れなくなるんじゃねぇか?」

「そんなに心配そうな顔するな、俺が痩せればいい」

 千里は年をとる。成長期真っ盛りの年齢となり、ウェドネの成長が止まっているのに対して彼はどんどん大きくなる。

 この頃になると音だけでほとんどが判断できるようになっており、ウェドネは千里の細い腰を掴むと両手で持ち上げた。

 身長はウェドネより少し低いだけだというのに、簡単に持ち上げられてしまうほどの軽さ。

「ちゃんと食べてんのかよ、縦ばっか伸びて重さはそのままだぜ?」

「失礼だ」

 持ち上げられたことに対してそう告げると、千里は体を離してウェドネに隣に腰掛けた。

「ウェドネは変わらないな…歳をとらないのか?」

「不老の魔術を埋め込まれてる」

 胸の辺りをトントンと叩いてウェドネは告げた。

 シンの狂愛の結果であり、石化の両目と同じ方法で埋め込まれた。

「あまり驚かねぇな、もしや不老って珍しくねぇのかよ?」

「いや、珍しいよ。ただ、俺は他にも見たことがあるだけだ」

 懐かしむような千里の口調には悲しさに似た感情が込められている。

 聞いてはいけないことを聞いたのかもしれない。

「大切な人だ」

「大切…好きってことか?」

「意味を取り違えられると困るが、まあ似たようなものか」

 見たことも、会ったこともないその人物に何故か腹が立つ。

 仮に会うことができたとしても絶対に仲良くはやっていけない。

「じゃ、俺は千里が大好きだぜ!」

「突然だな…どうし…うわっ!」

 いきなり飛びついてきたウェドネを避けることも出来ず、悲鳴をあげた千里は紙袋の腕の中に納まる。

 背中に回された手は本気で締め付けていた。

「苦しい」

「おう、俺の愛の形ってやつだ」

「あー俺はそんな危ないことを教えた覚えはない。離せ!」

 本当に呼吸が苦しいほどの力に千里は手足を動かして逃れようとするが、体格差がある為なかなか抜け出さない。

 諦めたように脱力した千里を見てケラケラ笑っていたウェドネだったが、ふと笑みを消すと真剣な表情をする。

「ホント、ありがとな、千里」

「…どうしたんだ?」

「お前には感謝してる…何しても返しきれないくれぇの恩がある。長く幽閉されて、それでも俺がおかしくならなかったのはお前のおかげだ」

 そっと呟くと腕を解いて千里を解放する。

「俺はウェドネの恩師ってわけか」

「んで嫁な」

「…俺は嫁の意味を間違えてあんたに教えたかもしれない」

 真面目な話を始めたかと思えばケロッといつものふざけた調子に戻る。

 そんなウェドネに呆れた。勿論心底呆れているわけではない。

「いつか…ここを出よう、ウェドネ」

「兄貴から離れるってことか?」

 いくらシンの愛情が辛かったからとはいえ、常に彼の庇護下に置かれていたことは確かだ。

 兄から逃げるという選択肢は常にあり、そして常に選ぶことのない選択肢でもあった。

 少し迷う。

(あんな兄貴でも俺の家族)

 だが千里と一緒なら…できる気がした。

「…そだな、俺も千里と一緒に外が見てみてぇ。白い街なんて何十年ぶりに見る光景だぜ?」

「期待しないほうがいい、変わっていない…面白みのない世界だ」

「それが面白いんだって、俺にとっては」

 千里と歩く世界。

 外。

 想像するだけで明るい気持ちになれる。楽しそうだ、楽しいのだろう。

 薄暗い部屋からの脱却はきっと簡単なことではない。

「楽しみにしてる、早めにな…俺も外じゃ一人なんだ」

「うい、俺様が脱出するのを待ってな」

「ああ、約束だ」

 不意に近くに千里の気配を感じる。

 何事かと顔を上げると手をとられた。鎖がジャラリと音を立てる。

 千里の右手とウェドネの左手が絡まり、くすっと笑った千里は自分の小指をウェドネと合わせた。

 指きり、この世界にはない風習だ。

「…っ、何やって」

「約束、守れよ絶対に。俺はもう破られるのは御免だ」

「おう」

 悲しげに呟いた千里の顔が見たくなった。

 彼は一体どんな表情をしているのか…声だけで判断するのには限界があり、長い間一緒にいた千里の顔を一目みたいという気持ちもあった。

 それはきっと許されないことだ。


「なるほど、禁忌を犯したか」

 話を無言で聞いていた佐藤が理解したように呟いた。

 辛そうに表情を歪めて紙袋が頷く。

「…俺の責任だ。兄貴に囚われた千里を…誘惑に負けて見た、俺の心の弱さだ」

 石になった千里を見た瞬間の絶望、忘れられない。

 ただ一時の感情に負けて彼を見てしまい、その結果永遠に失うことになってしまった。

「だから千里は俺が殺した」

「…それをお前が謝罪するのは間違っている」

 突然佐藤は激しく咳き込むと、口から血を零した。

 魔術を抑えられているというのは想像以上に辛いものらしい。

「ふっ…、皮肉なものだ、結局俺のせい…か」

「調子にのんなよ、てめぇの責任じゃねぇ」

「違わないな、お前をそこまで苦しめた男も、元を正せば俺によって狂わされた一人だ。気づいているはずだ…お前の兄が俺を求める理由、気づいているんだろう?俺が吸血鬼だということ」

「…兄貴の首にある傷口は、やっぱりてめぇなのか?」

 怒りを買うことを覚悟して佐藤は告げたのだが、彼の予想に反して紙袋は静かに尋ねた。

 肯定の意味で首を縦に振る。

 否定して欲しかった紙袋は額に手をやって低く呻いた。

「俺達の中には醜い獣としての本能がある。人の血は俺達にとって麻薬…一度噛み付いてしまえば食い殺すまでやめられない」

「…例外がてめぇか」

「過大評価だ。俺だって他の愚族と何も変わらない…ただ、大きな過ちを犯して、それを死ぬほど後悔して努力した結果だ。絶対にとはいえないが…途中で止めることができるようになった」

 自嘲の笑みを浮かべて佐藤は自分の膝に視線を下ろした。

「『我等』は捕食したものに力を与える。本来はその力を得る生物はいないはずだ…我等は殺すまで食すことを止められないから」

「…兄貴は生き残った」

「…どれだけ謝罪しても許されることではない。俺の行動のせいでシンを狂わせ、お前の人生を狂わせた」

 佐藤から与えられた力だが、それでも通常の人間にとっては到底抱えきれない力の量。

 大きすぎる力はやがてシンを狂わせた。

 その結果、すべてを兄に捧げる結果となってしまった紙袋がいる。

 同情、後ろめたさ。

 そんな汚い気持ちで紙袋を助け、旅に同行させている自分が許せなく、そして正直なことを話す勇気もなかった。

 旅が楽しい。

 そう感じる資格も自分にはないのだと感じ、常に仲間から一定の距離を置いて過ごしていた。

(贖罪になっていないな)

 すべては自己満足に過ぎないのだと気づいていた。

「化物、少し調子に乗りすぎだぜ」

「……」

(何を言われても仕方のないことだ)

 すべての非は、そもそもの発端は自分の弱さにある。

 紙袋は無理に体を起こした。

 拘束に使われている鎖がジャラリと音を立てる。音に反応して苦しそうに、弱々しく佐藤が顔を上げた。

 できるだけ佐藤に近付こうと紙袋は鉄格子のすぐ傍に体を寄せる。

「…分かっている」

「違げぇ…いいか、聞け!」

 自分も痛めつけられ、体中がボロボロで意識を保っているだけでも辛いはずなのに、紙袋は佐藤の気を引くために声を荒げた。

「調子に乗るなよ化物、俺の生はてめぇのせいでこんな風になったんじゃねぇ!」

「…!」

 思わぬ言葉にさっと紙袋の目を見つめた。

 犬猿の仲と認められ、絶対に性格の合わないはずの紙袋が慈しむような目をして佐藤を見ていた。

 柔らかな視線に居心地の悪さすら感じる。

 違う。

(俺はそんな風に言ってもらえる資格なんて)

「たとえ力を手に入れなくても兄貴は魔力を持って…俺は違った。変わんねぇんだよ…たった一人の力じゃ定めなんて結局変わんねぇ。たとえお前が兄貴に出会わなかったとしても、俺はこうなってた」

「…それは」

「ああっ!もう面倒くせぇな!」

 ガシャンッと強く鉄格子を叩いて紙袋は背中をそこに預けた。

 当然佐藤に背中を向ける格好になる。

 顔を見て直接言えるほど素直ではないと自負していた。

「お前のせいじゃねぇ…お前が全部しょいこむ必要なんてどこにもねぇんだよ」

 呆然とするほかなかった。

 自分の価値観を揺るがすほどの言葉、今までの考えをすべて破壊されるのと同じ発言。

 薄汚れてしまったシャツ、紙袋の背中をじっと見つめる。

「…言わせんなよ、恥ずかしい」

 照れ隠しのつもりなのか紙袋はガサガサと頭をかき乱す。

 初めて感じる感情の奔流に戸惑いを隠せず、佐藤は唇を軽く噛むと俯いた。

「…俺は、お前から沢山奪った。お前から許しを貰った。どうやって報いればいい?」

「本当、てめぇは素直じゃねーな」

「お前に言われたくはない」

「違いねぇ、そういう時は素直に礼言っとけ!俺は別に見返りなんか求めてぇねよ」

「…ありがとう」

 使うことの少ない言葉。

 ましてや使う相手が千里以外に紙袋になろうとは、少し前の佐藤ならば想像しなかっただろう。

「ありがとう、紙袋」

 声が僅かに掠れたのはきっと疲労と怪我のせいだ。

「はっ、てめぇが俺のことを名前で呼んだのは初めてだな」

 分かり合えなかったのではない。

 分かろうとしなかったのは自分だった。

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