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ざわざわ  作者: 千里/快晴310
1/27

1・雨の再会

 子が生まれたとき、我等は絶望の末に彼を殺そうとした。

 矜持ゆえに我等がとろうとした行動は子を恐れての行動。自らを上回る力を持つことを許さず、抹殺しようとした。

 それを生んだのは我等自身だというのに。


 小雨が降っていた。

 車道も歩道も雨水が洗い流す。傘をさして歩く人達の中、傘を忘れた数名が駆け足で帰途につく光景が見られる。

 車は水溜りの上を通って泥水を跳ね上げ、それを避けるように人々は車道から離れた歩道を歩く。

 空は真っ黒だ。曇天、加えて夜間だということもあり月も星さえも見えない空は真っ黒に塗りつぶされている。

 二度と関わることもないだろう人とすれ違いながら千里は歩いていた。

 人の間を縫うように、黒い傘をさして俯き加減に歩いている。職務が終わって帰宅する人達で込み合う中、千里は特に目的もなく歩いていた。

 特に珍しくない黒く長い髪は、低い位置で二つに結んでいた。傘をさしていても風で雨水は流れ、多少千里の髪を湿らせていた。

 腰の位置まで伸ばした髪から雫が落ちる。

 シャツにジーパン、どちらも跳ね返った雨で濡れてしまっていた。

 肌にまとわりつくような感触が嫌で眉を顰めた。髪の色と同じ黒目が傘の下から周囲を窺う。

「お母さん!」

 前方から迷子になったのか、母親を呼びながら走ってくる子供がいた。小さな子供で千里の腰ほどの身長しかなかったが、思いっきりぶつかられて千里はバランスを崩した。

 ほとんど反射的に子供を庇い、自分が背中から地面に倒れた。

 傘が手から離れて少し離れた場所に落ちる。

「痛っ」

 強く背中を打って痛みに呻きつつ、自分の上にうつ伏せで倒れこんでいる子供の無事を知る。

「いててて…」

 雨で濡れたアスファルトに思い切り寝そべったせいで背中までびしょぬれになってしまった。

 子供が無事であることを知ると千里は忌々しそうに子供を突き放した。体の上から体重が消えると立ち上がる。

 泥水を頬から拭い周囲を見渡して気づいた。

 人目を集めている。

 街中でいきなり転倒したのだ、それで多少は目立つだろうが、そんな面倒なことに関わっているほど行きかう人々は暇ではない。

 しかし立ち止まり、こちらを凝視する人達が多い。

(また…か)

 慣れた視線、自分と違うものを見て恐怖する、あるいは軽蔑する視線。白い目…とでも表現するべきだろうか。

 千里は無意識のうちに自分の額にある二本の角に触れた。自分で見ることは出来ないが皮膚との接合部分から先端に向かうほど紅色になっているはずだ。

 昔話に登場する鬼とは違い、人間と同じで何も変わらない。特別な力もなければ特殊な術が使えるわけでもない。

 ただ角が生えている…ついでに獅子のような尾があるだけの人間だ。しかし周囲はそうは思わないらしい。

「お、鬼だ!」

 この世界で自分の存在は有名らしい、勿論悪い意味でだが。

 角のある人間だ…珍しがられ、怖がられ、研究対象としてしばらくの間は捕らえられたこともある。

 千里は体を払うと落ちた傘を拾った。

(傘をさしていれば隠せると思ってたけど)

 そうでもないようだ。常にイレギュラーというのは存在するのだな…と周囲の喧騒を無視してそう思う。

 ざわつき始めた人々が千里を見て顔を顰める。

 不快ならば見なければいいのに見世物のように扱われ、千里はなれたこととはいえ溜息をもらした。

「退け」

 目の前で呆然と自分を見ている子供を邪魔だと押しのける。

「あれが噂の鬼?」

「化物みたいだな…マジで角が生えてんぞ?あれ飾りじゃねぇだろ?」

「近付くと食われるぞ」

 根も葉もない噂が事実となってしまっている。

(誰が人間なんて食べるか)

 口には出さずに毒づきながら群がる人々を無視して歩き出す。誰かに悪口を言われるのは慣れていたが、それでも不愉快なことに変わりはない。

「翔太!」

「おかーさん!」

 どうやらぶつかってきた子供の母親のようだ。子供に駆け寄って抱き締めると、千里をキッと睨みつける。

「私の翔太に何をしたんですか!」

「は?」

「汚らわしいっ…翔太が呪われたらどうするつもりなの!」

「……」

(ああ…なるほど)

 そういうことか、と納得いった千里はヒステリックな金切り声を上げる女を無視して歩き出そうとする。

 何もせずに立ち去る千里の背中に女の罵声があびせかけられた。

「気持ち悪い!気持ち悪い気持ち悪い!どうしてあんたみたいな化物が生きてるのよ!どうして私達は何もしていないのに手を出してくるのよ!私も翔太もあんたに何もしてないでしょ!」

「帰れ化物!」

「死ね化物!俺達の生活を乱すな」

 周囲の人間も母親に便乗して罵声を上げ始める。

 つまりはそういうことだった。

 千里は立ち止まると目を伏せる。

 つまり、自分は人間たちにとって得体の知れない存在であり、邪魔であり、恐怖の対象なのだろう。

 母親という小さな火種から一気に燃え広がり、千里を罵る喧騒はだんだんと大きくなって騒音と呼べるほどになった。

(ざわざわ…ざわざわと)

「…うるさいんだよ、人間共が」

 小さな呟きだったがその言葉は失望に満ちており、聞いているだけで耳から冒されそうな響きがあった。

 怒りを通り越した千里の呟きに一瞬で騒音が止む。

 雨が地面を打つ音が耳障りなほどに大きく感じられた。

 静かになったことに満足した千里はそれ以上関わるつもりはないようで、無言のまま歩き出す。

 誰もが千里のことを見ていながら、誰も追うことができなかった。


「説明してもらいたいな、僕は」

 金髪を一つ結びにした男は黒髪の男に問いかけた。

 黒髪の男の目は黄金色だったが目を閉じて椅子に座っているため今はそれが見えない。

 それに対して金髪の男は温厚そうな顔をした好青年であったが、今だけは黒髪に迫るようにして問い詰めている。

「…何をだ鋏、俺はお前に説明できることは説明したはずだ。これ以上何を知りたがる?」

 鋏と呼ばれた金髪の男は困ったように眉根を寄せた。カジュアルな格好に黒い腰エプロン、しかし名前にあるように、彼の胸元には銀色の鋏が揺れていた。

 植物を切るときに使うような先端の尖った鋏で、鋏の首から有刺鉄線の糸が伸び、その先に吊り下げられていた。

 鉄線の棘が首を突き刺し、所々白い皮膚が赤くなっている。

 更に鋏の左手首と左足首は鎖で繋がれている。動けないわけではないだろうが、明らかに動きが制限されていた。

「佐藤、肝心なところが説明されてないよ。どうして千里は」

 目蓋があがって黄金の目が鋏を睨んだ。

「そのことをどうしてお前達が知りたがる?千里の耳に入れば面倒なことになる…俺はお前達を信用していない。だから話さない」

 佐藤と呼ばれた黒髪の男は白い浴衣に身を包んでいた。肩から西洋風の黒いマントを羽織っているため、少し合わない。

 冷淡な口調で返答すると、これ以上話すことはないと佐藤は目を閉じて再び眠りにつこうとする。

 呆れたように鋏は首を振った。

 その合図を受けて離れた席に座っていた銀髪の男は予想通りだ…とクスクス笑った。

 そこはバスだった。

 バスの乗客は三人、佐藤は一番後ろの席に足を組んで座っており、惰眠を貪っている。

 それに鋏…最後の一人は少し、いや、大いに特徴的な姿だ。

 銀髪だがその髪はほとんど見えない。頭から紙袋をかぶって鼻先より上の顔は覆われていて見えなかった。

 紙袋には所々破けている箇所があり、そこから銀色の癖毛が飛び出している。

「やあやあ失敗か?相変わらずあいつは口堅いぜ」

「紙袋の変人っぷりも相変わらずだよ。僕だけに任せないで君も手伝ってくれたら助かるのに」

 佐藤から離れた場所に座っている紙袋は片手に白い皿、片手に銀色のフォークを手にしていた。

 皿の上に乗っているのはイチゴの乗ったショートケーキ。

 彼の口元に白いクリームがついているのもそのせいだろう。

 のんびり一人でケーキを貪っている紙袋を見て鋏は再び呆れたように溜息をつく。

 個性的な三人の中で苦労人が鋏なのは一目瞭然だった。

「そうだなー俺のこと紙袋様って呼んでくれたら考えてやらなくもねぇぜ」

「そんな趣味ないよ…それに、僕がそんな言葉吐いてるの見て楽しいかい?」

「なんでだよ、メイドは正義だろ」

「……次元の違う話をされてるみたいだ。僕には理解できない僕には理解できない僕には理解できない…」

 自分に言い聞かせるように耳を手で塞いで連呼する鋏を見て紙袋はケラケラ笑う。

「おっと」

 ガタンっ!

 バスが停車したようで一度大きく上下に揺れた。座っていた佐藤はともかく、ケーキを食べていた紙袋は少しクリームを頬に受けただけで済む。

 しかし鋏は立っていたため少しバランスを崩して椅子を掴んだ。

「着いたのか?」

「そうみたいだね…佐藤!」

「分かっている」

 揺れで覚醒したらしい佐藤はひょいっと椅子を飛び降りると、バスの真ん中をどうどうと歩いて降車口から外に出た。

 佐藤に続いて鋏、紙袋も外に出る。

 時間帯は深夜、空は暗くどうやら雨も降っているようでポツリポツリと雨粒が佐藤の浴衣を濡らした。

 紙袋の感心は天候にはないようで、周囲を見回して感嘆の声をあげる。

「すげ、文明進んでるな。地面が固てぇぞ」

「アスファルトってやつだよ…うん、僕の生まれたところとは少し似ているかな。こっちのほうが進んでるみたいだけど」

「…」

 佐藤は手を出して掌に落ちる水滴を暫く観察していたが、無言で手を胸の前で横に振る。

 青白い光が佐藤の指先の後を追うと、佐藤の体はそれ以上濡れなくなった。

 雨粒が佐藤の体に触れる前に全て蒸発しているようだった。

「行くぞ」

「おま、それずりぃぞ!俺にもかけてくれよ」

「自分でやれ」

「できるわけねぇだろ!」

「紙袋、これ貸してあげるから…ね?」

 鋏の差し出したビニール傘を受け取って渋々それを広げる。

「傘って持たないといけねぇのが面倒だよな」

「贅沢言い過ぎだよ」

 もう一つ、自分のために持っていた傘を鋏も広げる。利き腕である左手で傘を持とうとするが鎖の限界であがらない。

 仕方なく右手に持ち替えた。

 二人のやり取りを傍観していた佐藤が指示を出す。

「…千里を探せ」


 月の隠れた夜、頼りになるのは街灯の明かりだけだ。

 蛍光灯の頼りない明かりの中、千里は静かに歩いていた。傘は途中で捨てた…濡れてしまった今必要ないものに思えたからだ。

 それ以上に…角を隠している自分に虚しいものを感じたからだ。

「…俺は一体何してるんだろうな」

 自分を嘲る。

 傘を捨てたのは角を隠さないという意思の表れだったはずなのに、それでも人間の少ない道を選んでいる自分に気付いて嘲笑する。

 怖がりな鬼だ、嫌われることには慣れているはずなのに。

(罵声を浴びせられるのは嫌なのか、俺は)

 小さな道を歩いていると小さな工房が見えてくる。どこかの車の部品を作っている工場らしいが分からない。

 その工場の裏手に回る。小さな路地裏を通って安っぽい扉に鍵を差し込んで開けた。

 そこが自分の住むことが許された場所だ。

「……だいま」

 誰も返事をしてくれる人はいないと分かっている。分かっていても何故か毎回言ってしまう言葉だった。

 薄暗い部屋に入って手探りでスイッチを探した。

 明るくなった狭い部屋、家具はほとんどない…必要なかった。

 最低限の寝床として使っている場所だ。家と呼べるかも怪しい。

 濡れた服を脱いで工場の人が捨てるといっていたのを拝借した作業用のズボンをはく。

 細い腰には似合わない大きさだが動きやすいので気に入っていた。

 半裸だと冷えた。体を震わせて早目に拭くべきだとタオルを取り出して頭に乗せる。

 暫く考えて髪を結っていた白い紐も外した。長い黒髪が背中に落ちる。

「…伸びたな」

 切ろうとは思っているのだが面倒なのでそのままにしておいたのだ。それに髪が長いほうが角が隠れやすい気がした。

 ゴシゴシとタオルで黒い髪を拭く。

 壁に背中を預けてやることもなく木製の天井を見上げた。

「……」

 ぼんやりしていると眠気が襲ってくる。

 するとそれを妨害するように、今まで一度も人の尋ねてきたことのなかった扉がノックされた。

 驚きから一気に覚醒する。

「!」

(…誰だ?)

 警戒心から息を殺して居留守をすることにする。じっと玄関を睨みつけているとノックは途切れた。

 どうやら扉の外にいるのは一人ではないらしく、暫く話し声が小さく聞こえた。会話の内容までは分からない。

 言葉が途切れると同時に、勝手に鍵が開く音がした。


「ここだ」

 佐藤が立ち止まった場所は裏路地と呼ぶに相応しい、建物と建物の間の細い道、その半ばだった。

 大人一人がようやく通れるような道だ。佐藤が立ち止まると必然的に後に続く二人も立ち止まることになる。

「本当か?こんな場所に俺の千里がいるのか?」

「君の…じゃないよ。また変なこと考えないでね紙袋」

「変な事ってなんだよ!」

「君の考えそうなことだよ」

「お前な」

「静かにしろ」

 佐藤が一瞥してそう言うと二人とも俯いて黙り込む。

「でも本当にここなのか、佐藤?」

「ああ」

 佐藤が二階扉を手の甲で叩く。

「……」

 しかし応答はない。

「まずこんな場所に人住んでるのかよ、大丈夫なのか?」

「開ける気はないようだな」

「居留守かよ、お前も嫌われてんなぁ」

「……」

 その言葉に佐藤が紙袋を睨みつける。殺意すらこもった冷たい視線に紙袋は言葉を詰まらせて黙り込んだ。

 鍵穴に視線を戻した佐藤は鍵を宛がうべきそこに人差し指の腹を押し当てた。

 指先が青白く発光して鍵穴に光が灯る。指を横にずらすと光が指と鍵穴の間に尾を描いた。

 ガチャンっと開錠の音がする。

「へー、盗人みたいなことできるんだな」

「行くぞ」

 扉を押し開けて佐藤がはじめに入る。部屋の中は明るかった。

 誰かがいることは確かで、すぐにその誰かの姿を見つけた。

「…っ!」

 佐藤が息を呑む。

「誰だよ…お前達!」

 警戒したように三人を睨みつけて壁側に座っている青年、それは間違いなく三人の探していた千里だった。

「千里…だ」

「?…俺のこと知ってるのか?」

 名前を呼ばれたことで少し警戒心を緩めた千里が首を傾げる。それを見てずっと黙り込んでいた紙袋が数歩前にでた。

 紙袋越しだから見えていないはずなのに千里がいるということは分かるようで、小刻みに震えて俯いている。

「紙袋?」

「なんで…」

「紙袋…」

 いつもと様子の違う紙袋を見て鋏は伸ばした手を戻した。今紙袋に触れるのは無粋な気がした。

「なんで…」

「?」

「なんで半裸なんだよ!」

 大きく叫ぶといきなり千里に向けて一直線に駆け出す。

 両手を広げて狂気すらも感じられる勢いで迫る紙袋を見て千里も怯えたように体を縮めた。

「どうして君はそっち方向に思考が飛ぶんだよ!」

「げへっ!」

 瞬時に移動した鋏のとび蹴りが横から飛んできて、横っ腹にそれを受けた紙袋は吹き飛ばされる。

 それでも暴れて千里に近付こうとする紙袋の首を鎖で絞める。

「うぐぐ…鋏貴様、殺す気か」

「殺しはしないまでもブラックアウトぐらいしてもらわないと千里の貞操が危険だからね」

「ぐっ…同志よ!お前には分からんのか千里の可愛さが!」

「勝手に同類にしないでくれるかな!」

 ごちゃごちゃと争いを続ける鋏と紙袋を横目に、佐藤はその隣を悠々と歩いて千里の下へ近付くと膝を突いて視線を合わせた。

「千里」

「あんたには話、通じそうだな」

「…突然無礼な訪問だったとは思っている。そこは謝罪しよう…すまなかった」

 突然の襲来者が妙に礼儀正しく謝罪することに居心地の悪さを感じたのか、千里は目を逸らして髪を拭いていたタオルを首にかけた。

 いきなりあがりこんできたことに憤りを覚えるべきなのだろうが、佐藤の冷たく、しかしどこか慈しむような色のある瞳を見てそんな感覚は消え去ってしまった。

「別に、驚いたけど」

「色々質問があるだろう?」

「ああ、疑問だらけだ。まずあんたら誰だ?どうして俺の名前を知ってるんだ?鬼を殺しに来た連中か?」

 鬼を殺しに来た…という質問で佐藤が不快感から眉を顰める。

 だがゆっくりと首を振った。

「俺達…少なくとも俺はお前を殺しに来たわけじゃない。俺は佐藤…奴らは鋏と紙袋だ」

「鋏?紙袋?…佐藤?」

 どちらがどちら…とは説明されなかったが、その容姿から計り知ることが出来る。それにしても似合わない名前だ。

「偽名だ…本名を知られると困る仕事もあるものでな」

「仕事?それで、殺しにきたんじゃないならどうして俺のところに来たんだ?」

「千里に共に来て欲しかったからだ」

「俺に?」

「ああ…三人の共通する願いだ、俺達の本来の目的でもある。とりあえず一緒に来て欲しい…話はそれからだ」

 差し出された手をじっと見つめる。

 千里は暫く相手を見定めるように佐藤と…その背後でいまだに小競り合いを続ける二人を交互に見た。

 二人はともかく、佐藤は信用に足りる男だと感じる。

「突然来襲した不審者についていけってことか?」

「それに関しては何も反論できない。ただ信じて欲しい」

「……」

「それとも、こんな日常に縋り付く理由でもあるのか?」

(…ないな)

 この手をとった事を後悔したとしても、手をとらず生き地獄のような生温い日々を過ごすよりはマシな気がした。

(それに…少なくともこの人達は俺の角を見て何も言わなかった)

 意識するほどでもないことなのかもしれないが、それでも千里の中では大きな問題だった。

 自覚はなくとも心は正直だ。

 胸の奥が確かに暖かくなるのを感じる。

「……のか?」

「?」

「いいのか?…俺みたいな化物と一緒にいて」

 黄金の双眸を見ていると心が見透かされているような気がして、千里は目を逸らすために俯いて呟いた。

「鬼と一緒にいれば呪われるかもしれない…いや、呪いなんてあってもなくても一緒だ。俺と一緒にいるだけで周囲から疎まれる。ははっ…呪いと一緒だな」

「……」

「きっとあんた達に不幸しかもたらさないぞ、俺は。そんな俺と関わっていいのか?」

 黙って千里の言葉を聞いていた佐藤だったが、ふっとその顔に初めて微笑みを浮かべた。

 笑うだけでその印象はガラリと変わる。

 冷酷な印象は消えて、暖かい雰囲気へと変わった。

「化物か、お互い様だ」

「…どういう意味だ?」

 言ってから後悔したのか、自嘲するような笑みを浮かべた佐藤はどこか悲しげに見えて千里は思わず問いかける。

 しかし佐藤はそれに応じることなく、無言で千里を見ていた。

 顔をじっと見ているがそれが楽しいのだろうか?

「お前は呪われてなんていない…他者を呪うこともない。千里は優しいからな」

「優しい?俺が?…どうして初対面のあんたにそんなことが分かるんだ?」

「分かる」

 差し出していないほうの腕で佐藤は口元を拭った。何も着いていないのに何度も何度も…癖なのだろうか。

「千里」

「……分かった」

 差し出された手をとった。思っていた以上に冷たくて千里は驚く。そして予想以上に強い力で引き上げられ、千里は立ち上がった。

 この男の手をとったのは初めてのことであるはずなのに、どこか安心できた。どうしてなのか考えるが答えは出ない。

「そういえば…千里に会ったら言わないといけない言葉がある」

「ん?」

「…ありがとう」

「何のことだ?」

 お礼を言われる覚えはなく千里が尋ねると、佐藤は無言で目を逸らす。答えるつもりはないようだ。

「てめぇ!俺より先に千里と手を繋いだな!」

「…うるさい」

「うるさいって何だようるさいって!分かったぞさてはお前、お前も千里と…ふぎゃああ!」

 何かを言いかけた紙袋の顔面を鋏が蹴り飛ばす。

「それはちょっと言葉が過ぎるね紙袋くん」

 蹴られた紙袋は這いつくばったまま蹴った張本人を見上げる。

「ぐっ…無念」

「なあ」

「何だ?」

「どうしてあの袋の奴は鼻から血流してるんだ?」

「…知らん」


 白い鳥を彷彿とさせる青年は薄暗い部屋の中ひとり、違う世界を映し出す鏡を覗き込んでいた。

 鏡の向こうに写るのは雨の止まない世界。

 自分がせめてもの償いと、自己満足のために彼に与えた世界。

「千里」

 呟いて鏡に手を当てた。自分らしくない行動だ…と笑う。

 冷ややかな感触だけで、その先に指が進むことはない。行こうと思えば行けるのだ。

 会おうと思えば会えるのだ。

 しかし青年はそれを自ら拒み、見守るだけとした。

 佐藤が鏡に映ると目をすっと細める。

「どうして…?」

 すぐにその答えに思い当たり、世界の狭さとあまりの滑稽さに笑いが止まらなくなった。

 一人、ケラケラと笑い続け、そろそろ腹が痛くなってきたころ、ふっと表情を消して悲しそうに眼を伏せた。

「因果だね、本当に。どうしてこう…神様ってやつは僕に試練ばかり与えるのかな?僕のことが嫌いなのかい?」

 自問自答すればすぐに答えがでた。

「ああ」

 納得して再び自嘲的な笑いがこみ上げてくる。

「罰ね」

つづきます

呼んでいただければ幸いです。


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