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断罪され売られた公爵令嬢は復讐を終えることにした

作者: 阿久屋 九零乗
掲載日:2026/10/02

「セレスティア・ローゼンフェルト。王太子暗殺未遂の罪により君との婚約を破棄する」


王太子アルベルトの声が広間に響いた。彼の傍らでは妹のミレーヌが両手を組み合わせてうつむいている。その後ろにはローゼンフェルト公爵夫妻が並び、娘ではなく王太子の決定を見守っていた。


「お待ちください。私は殿下の飲み物に毒など入れておりません。購入記録にも手紙にも覚えがありません」


セレスティアは王太子へ訴えた。十年以上も婚約者として支えてきた相手なら一度くらいは話を聞いてくれると思っていた。けれど彼が差し出したのは手ではなく、筆跡を似せた手紙と使用人たちの証言だった。


「まだ言い逃れをするのか。ミレーヌは君から何度も脅されていた。私に近付くなと言われたそうだ」


「お姉様……申し訳ありません。けれど私はこれ以上うそをつけません」


妹は震える声で告げた。幼いころから見慣れてきた泣き方だった。顔を伏せる角度も指を握る強さも同じなのに、その涙だけが姉を罪人へ変えていく。


「お父様。お母様。お二人は私がそのようなことをすると思っていらっしゃるのですか」


父は目を合わせず母は扇で口元を隠した。答えがなくても何を選んだのかは分かる。長女の自分ではなく愛らしい次女を王太子妃にするため、家族全員が同じ側に立っていた。


それでもセレスティアは証拠を調べてほしいと求めた。手紙を書いた記憶はなく毒物を買ったこともない。飲み物に触れた使用人を一人ずつ調べれば偽りが見つかるはずだった。


アルベルトはその訴えを最後まで聞かなかった。彼は愛する女性を守る王子の顔をしてセレスティアから爵位と家名を奪った。長く王太子妃教育を受けた令嬢ではなく、すでに裁かれた悪女を見る目だった。


「罪は牢で償ってもらう。もう君の顔を見ることはないだろう」


兵士に両腕を取られたときもセレスティアは叫ばなかった。王太子の横を通る際に足を止めて振り返ったが、彼の視線は泣いているミレーヌへ向けられていた。


地下牢に入れられて三日目の夜。顔を隠した男たちがセレスティアを連れ出した。刑を執行する場所へ移されるのだと思っていた彼女が押し込まれたのは、鉄格子を備えた荷馬車だった。


行き先を尋ねても返事はなかった。首には罪人を示す鉄の輪がはめられ、手首をつなぐ鎖は座席の下へ固定された。馬車が王都の門を抜けたところで男の一人がようやく笑った。


「公爵家のお嬢様も今日から商品だ。買い手が付くだけありがたいと思え」


貴族が奴隷として売られるなどあり得ない。そう言いかけたセレスティアは自分がすでに貴族ではないことを思い出した。罪人となった娘を修道院へ送ったことにすれば、ローゼンフェルト家の体面も傷付かないのだろう。


奴隷商の店で名を聞かれた彼女は何も答えなかった。店主は帳面へセラと書き込み、それがその日から彼女の名になった。淡い金髪は見栄えを整えるために切られ、値を決める男たちの前で何度も服を脱がされた。


最初の買い手は売春宿の女主人だった。逃げれば罰を与えると告げられ、従わなければ食事を減らされた。セレスティアは怒り、泣き、扉の鍵を壊せないかと考えた。


どれも長くは続かなかった。客を取るたびに拒む理由が削られ、助けを求める相手の顔も浮かばなくなった。家族は彼女を売り、婚約者は二度と顔を見たくないと言ったのだ。


何人目だったかを数えなくなったころには、命じられたことだけを行うようになっていた。食事が出れば食べて呼ばれれば部屋へ向かう。自分が何を望んでいるのかを考えなければ一日は過ぎていった。


数か月が過ぎるころには日付を意識することもなくなっていた。昼と夜の境はあっても昨日と今日を分けて覚える理由がない。次に客が来るまで眠ることだけが毎日の区切りだった。


客からの指名が減ると女主人は彼女を奴隷商へ戻した。買われたときより頬はこけ、肩に届く髪からも昔のつやは失われている。新しく付けられた値札は以前より安くなっていた。


そこでセレスティアを買ったのがハーゼン男爵だった。


◇


「息子が成人したばかりでな。身の回りを任せられる侍女を探している。読み書きはできるのか?」


大柄な男爵に問われたセレスティアはうなずいた。会計や礼法を学んだとは答えず、文字を読んで簡単な計算ができるとだけ伝えた。余計なことを話しても命令が増えるだけだった。


ハーゼン領は王都から馬車で二日ほど離れた土地にあった。広い畑と小さな町を抱えているが、男爵家の屋敷は公爵家の離れより小さい。壁には補修の跡があり玄関の敷物も端が擦り切れていた。


「今日からお前は息子付きだ。昼は侍女として働き夜も求められれば相手をしろ。逃げたり盗みを働いたりしなければ食事に困らせるつもりはない」


男爵の説明を聞いてもセレスティアは何も感じなかった。売春宿とは部屋と仕事が変わるだけだ。寝る場所と食事が与えられるなら以前よりましだと判断した。


リオネル・ハーゼンは父親より頭一つ低く、茶色の短い髪と灰色の目を持つ青年だった。十八歳になったばかりの彼は新しい奴隷を前に落ち着かない様子で立っていた。それでも父親が部屋を出るとセレスティアへ椅子を勧めた。


「名前は?」


「セラと申します」


「年はいくつだ」


「二十二です」


リオネルは驚いた顔をした。自分より四歳も年上の女が専属侍女として買われたとは思わなかったのだろう。何かを尋ねかけたものの彼は口を閉じ、仕事について説明を始めた。


朝は起床の手伝いから始まり、衣服を整えて朝食の時間を知らせる。昼は執務室で茶を用意し、外へ出る際には必要な物をそろえる。夜については言葉を濁したが、セレスティアには説明など必要なかった。


屋敷の侍女長から渡された服は二着だけだった。濃い灰色の仕事着には前の持ち主が直した跡が残り、靴はセレスティアの足よりわずかに大きい。それでも売春宿で客の好みに合わせた服を着せられるよりは動きやすかった。


最初の数日は屋敷の道順と使用人の顔を覚えることに使った。井戸は裏庭にあり洗濯場は台所の隣にある。リオネルの朝食は父親より半刻遅く、外へ出る日は革のかばんに帳面と筆記具を入れる決まりだった。


誰も彼女の過去を尋ねなかった。奴隷商から買われた女には知られたくない事情があると考えているらしい。セレスティアにとっても都合がよく、自分から話す必要を感じなかった。


最初の夜。彼女が服の留め具へ手を掛けるとリオネルは目をそらした。それでも帰れとは言わず、父から与えられたものを受け取るように彼女を抱いた。


セレスティアは拒まなかった。拒める立場ではなく、その気力も残っていなかった。翌朝には普段どおり茶を入れたため、リオネルも何も聞かなかった。


男爵家での日々は決められた仕事を繰り返すうちに過ぎていった。家事は売春宿で覚えており侍女として困ることはない。ほかの使用人は彼女が奴隷だと知っていたが、主人の持ち物へ余計な手を出そうとはしなかった。


リオネルは父親から領地の仕事を教わり始めていた。朝になると大量の書類を抱えて執務室へ入り、夕方になっても最初の一枚を前に悩んでいることがある。決められないまま期限が近付き、最後は父に怒鳴られるのがいつもの流れだった。


セレスティアは茶を入れながら書類の内容を目にしていた。最初は何も言わなかった。助けを求められておらず、求められてもいないことを行う必要はないからだ。


男爵から任された水路改修の意見書を前にリオネルが三日目のため息をついた。北の農村では古い水路の壁が崩れ始めている。しかし全てを直す金はなく、工事をしなければ次の雨で畑まで水があふれる恐れがあった。


「何度読んでも金が足りない。父上はできないという返事を望んでいないはずなのに、どこから出せばいいんだ」


独り言に答える者はいない。セレスティアは空になった茶器を下げようとしたが、机の上の図面へもう一度目を向けた。赤い印が付けられた場所の全てが同じ程度に傷んでいるようには見えない。


「全部を今年行う必要があるのでしょうか」


「え?」


リオネルは顔を上げた。セレスティアが仕事について口を挟んだのは初めてだった。彼女は失礼しましたと頭を下げて去ろうとしたが、青年は図面を持って立ち上がった。


「待ってくれ。どういう意味だ?」


「次の雨で崩れる場所と一年は持つ場所を分けます。危険な場所だけ先に補修すれば、今年必要な費用は抑えられます。残りは来年の予算に入れればよいかと存じます」


「だが人手も足りない。急ぐ場所だけでも職人を雇えば予算を超える」


「水路が壊れて困るのは村の方々です。工事へ参加していただく代わりに、その家の税を一部減らす方法があります。金銭の支出を抑えながら必要な人数を集められます」


リオネルはしばらく図面と彼女の顔を見比べた。奴隷の侍女が口にした案を聞き流すこともできたはずだ。けれど彼は椅子を机の前へ運び、セレスティアに座るよう頼んだ。


二人は村ごとの人口と税額を確認した。危険な三か所を先に直し、工事へ出た日数に応じて次の税を減らす。専門の職人には石組みを任せ、領民には土運びと古い石の片付けを頼むことにした。


意見書を読んだハーゼン男爵は太い眉を上げた。何度か息子へ確かめたものの、最後には大きくうなずいて工事を認めた。雨が来る前に三か所の補修は終わり、水路は畑へあふれずに済んだ。


「父上から初めてまともな意見書だと言われた。セラのおかげだ」


戻ってきたリオネルは子供のように笑った。セレスティアは茶を差し出しながら、決定したのも責任を負ったのも若様ですと答えた。以前なら王太子の仕事を支えても彼女の名が出ることはなかったので、その言葉は口になじんでいた。


水路を直した村へ同行した日セレスティアは工事に参加した領民たちから礼を言われた。彼らは彼女の案だとは知らず、若様が早く決めてくれたおかげで畑を守れたと喜んでいる。隣で話を聞くリオネルは何度もセレスティアを見たが彼女は名乗り出なかった。


帰りの馬車でリオネルは功績を自分だけのものにしたくないと言った。セレスティアは領主となる者が決断の責任を負うなら、成功したときに感謝を受けるのも仕事のうちだと教えた。失敗したときだけ侍女の案だったと言わないのであれば問題はない。


「そんなことはしない。失敗したら決めた私の責任だ」


迷わず言い切った横顔を見て、セレスティアは初めて彼を主人ではなく一人の青年として見た。能力がないのではなく、何を基準に決めればよいのかを知らないだけなのだろう。教わる機会さえあれば自分よりよい領主になるかもしれない。


「なら次も相談していいか?」


断る理由はなかった。命令であれば従うと答えるとリオネルは顔をしかめた。


「命令ではない。セラの意見を聞きたいんだ」


求められることと命じられることに、どれほどの違いがあるのだろう。セレスティアには分からなかったが、翌日から机の横に彼女の椅子が置かれた。


◇


商人との交渉では相手が急いでいる理由を探すよう助言した。街道整備では全ての道を広げるのではなく、荷車がすれ違えない場所を先に調べさせた。穀物倉庫の管理では帳面と実際の量を比べるよう伝え、不足が見つかれば誰かを疑う前に量り方をそろえさせた。


リオネルは素直に聞き、分からない部分は何度でも尋ねた。身分の低い者の意見も退けず失敗を使用人の責任にもしない。判断は遅いが、間違いを認めてやり直す力があった。


相談が増えるにつれてセレスティアは彼の弱点にも気付いた。リオネルは彼女の答えを正しいものとして受け取り、自分で確かめなくなり始めている。このままでは彼女がいないと何も決められない人間になる。


ある日リオネルは隣領の商人から届いた契約書を差し出した。毎年決まった量の小麦を買い取る代わりに、今年の価格を一割下げろという内容だった。収穫が余る年には助かるが、不作でも同じ量を渡さなければならない。


「セラならどうする?」


「若様はどうされたいのですか」


「それが分からないから聞いている。契約を結ぶべきか断るべきか教えてくれ」


「でしたら考えてください。利益を得るのは誰でしょう。凶作になった場合に困るのは誰でしょう。その二つを確かめれば答えは出せます」


リオネルは不満そうに眉を寄せた。これまで何でも答えた侍女が急に教えなくなったのだから当然だった。それでも契約書を投げ出さず、前年までの収穫量と価格を倉庫から取り寄せた。


三日後。彼は最低量を減らし、余った年だけ追加で売る条件を商人へ出した。商人は渋ったが交渉の末に受け入れた。


「最初からこの答えが分かっていたのか?」


「同じ答えを考えました。ただし私の考えが正しいとは限りません。若様が領主になれば最後に決めるのは若様です」


「間違えたらどうする」


「なぜ間違えたのかを考えます。次も同じ間違いをするよりはましでしょう」


実際に失敗もあった。街道脇へ休憩所を置く案では通行人の数を多く見積もり、建てた小屋を使う者がほとんどいなかった。リオネルは報告書を前に落ち込んだが、セレスティアは慰めも答えも与えなかった。


「何が悪かったと思いますか」


現地を一日見ただけで利用者を予想し、荷車が通る時間帯も確かめていなかった。近くには馬を休ませる水場もない。彼が挙げた三つの失敗を聞いてからセレスティアは今ある小屋の使い道を考えるよう求めた。


リオネルは村人に話を聞き、収穫期だけ使う共同の道具置き場へ変えた。失った金は戻らなかったが建物は無駄にならずに済んだ。男爵も息子の失敗を怒鳴ったあとで、その処理については認めた。


翌年には穀物倉庫で帳面と在庫が合わない問題が起きた。管理を任されていた老人は盗みを否定し、リオネルも長年働いた者を疑いたくないと言う。以前の彼なら父へ判断を任せたはずだが、その日は倉庫へ行って一袋ずつ量り直した。


不足の原因は盗難ではなく古い量りだった。片方の皿を支える金具が曲がり、納められた穀物を実際より重く示していたのである。管理人を罪人にせずに済んだ一方で、税として集めた量が不足している事実は変わらなかった。


リオネルは不足分を領民から取り直す案を退けた。量りを確かめなかった男爵家の責任として、翌年まで支出を減らすことにしたのである。自分の衣服を新調する費用まで帳面から外したため、セレスティアはやり過ぎだと止めた。


「領地の支出と若様の小遣いは分けて考えてください。反省を示すために不便な服を着ても、減らせる金額はわずかです。それより倉庫の量りを定期的に確かめる決まりを作るべきです」


「私が我慢すれば皆に分かりやすいと思ったんだが」


「分かりやすい罰を受けて満足するより、同じ失敗を防ぐ方が役に立ちます」


リオネルは耳の痛い意見も聞いた。新しい量りを購入し、半年ごとに二つの量りで同じ袋を調べる方法を決めた。その後は帳面と在庫の差が小さくなり、倉庫番の老人も仕事を失わずに済んだ。


別の冬には雪で街道がふさがり、町へ来られない村が出た。リオネルは人を出して道を開けようとしたが、全ての村へ同時に向かわせる人数はいない。彼は地図を広げ、食料の残りと病人の有無を使者に調べさせた。


最も急ぐ二つの村から道を開け、残りには男爵家の倉庫から食料を届けた。その順番を決める間にセレスティアが口を出したのは一度だけだった。助けやすい場所から選ぶのではなく、待てない場所を先に考えるよう伝えただけである。


雪解けのころにはリオネルの執務室を訪ねる者が増えていた。農民も商人も彼がすぐに答えられないことを知っていたが、話を聞いたうえで返事をすると信じて待った。決断の速さではなく、考えた結果を守ることが彼の強みになっていた。


「最近の若様は変わられましたね」


屋敷の老執事に言われるたびリオネルはセラのおかげだと答えた。彼女はその言葉を聞くと訂正した。初めの案を示したのは自分でも、今の彼は自分で調べて決めている。


昼の相談が増える一方で夜に呼ばれる回数は減っていった。セレスティアは理由を尋ねず、求められれば以前と同じように応じた。リオネルも彼女が何も拒まないことに甘えながら、終わったあとだけ苦しそうに顔を背けるようになった。


ある夜。彼はセレスティアの手首に残る古い傷を見つけた。売春宿から逃げようとして縄で縛られたときのものだったが、彼女は転んだだけだと答えた。リオネルはそれ以上聞かず、その日から寝室へ呼ばなくなった。


理由を尋ねることもできたがセレスティアは尋ねなかった。命じられないなら行かない。それだけのことだった。


断罪から四年が過ぎるころリオネルは二十二歳になっていた。領内の村へ自分の足で通い、帳面だけでなく畑や水路を見て判断するようになっていた。商人との交渉も一人で行い、大きな支出を決める際には父へ根拠を示した。


王都にもハーゼン男爵家の若様は優秀らしいという話が届いた。華やかな功績ではない。水路の破損が減り、税の滞納が減り、余った穀物を以前より高く売れるようになったという地味な成果だった。


セレスティアは変わらず専属侍女として彼のそばにいた。荒れていた肌は戻り、肩までだった髪も背へ届いている。食事を残さなくなってから頬にも肉が付き、屋敷の者と必要な話をする程度には言葉が増えた。


それでも自分から何かを望むことはなかった。休みの日に何をしたいかと聞かれれば部屋の掃除を選び、欲しい物を聞かれれば必要な物は足りていると答える。セレスティアにとって選択とは主人の都合に合う答えを探すことだった。


◇


王太子の地方巡察が決まったのは収穫を終えたころだった。領地経営を改善した若い後継者を見たいという名目で、ハーゼン男爵家に一泊するという。知らせを読んだリオネルは喜ぶより先に日付を確かめた。


屋敷はその日から戦場になった。客室の壁紙を直し、欠けのない食器を集め、庭木を整える。料理人は王都から来る一行の好みを調べ、男爵は警備の配置を何度も変えた。


セレスティアも客室を確認していたが、王太子の名を聞いても手は止まらなかった。いつかこの日が来ると考えたことはない。それでも会いたくないと訴える気にはならず、与えられた仕事を順番に終わらせた。


訪問を三日後に控えた夜。執務室に残っていたリオネルへ茶を運び、セレスティアは扉を閉めた。彼女が自分から向かいの椅子へ座ったため、彼は書類を置いて続きを待った。


「お話があります。明後日こちらへ来られる王太子殿下についてです」


セラという名を与えられる前のことをセレスティアは初めから話した。ローゼンフェルト公爵家の長女として生まれ、幼いころから王太子の婚約者として教育を受けて十年以上彼の仕事を支えていた。


妹と王太子が恋仲になったあと自分には暗殺未遂の罪が着せられた。家名を奪われて地下牢へ送られ、奴隷商を経て売春宿で客を取らされた。その後は商品価値が落ちたとしてハーゼン男爵に買われた。


リオネルは何度か口を開いたが声を出せなかった。初めの夜に自分が何をしたのかも思い出したのだろう。灰色の目が彼女の手首へ落ち、すぐに机へ戻った。


「セレスティアというのが本当の名です。王太子殿下は私を牢へ送ったつもりでいらっしゃるはずです。奴隷になったことまで知っているかは分かりません」


「どうして今まで話さなかった」


「話す理由がありませんでした。私は若様に買われた奴隷です。過去が何であっても仕事は変わりません」


リオネルは立ち上がりかけてやめた。謝罪の言葉も口にしなかった。何を謝っても主人と奴隷という関係が消えないと分かっていたのかもしれない。


「あなたはどうしたい?」


初めて向けられた問いにセレスティアは答えられなかった。何をすべきかでも何が正しいかでもない。自分がどうしたいかなど四年の間に一度も考えていなかった。


復讐したいと思ったことはある。両親の名を叫びながら鉄格子を握った夜も、妹の証言を思い出して眠れなかった夜もあった。それらは客の顔を数えるのをやめたころに捨てたはずだった。


「可能なら復讐したいです」


口にすると意外なほど素直に言葉が出た。王太子に自分の姿を見せたい。彼が下した処分の先で何が起きたのかを知ったうえで、同じ言葉を言えるのか確かめたかった。


「分かった。できる方法を考えよう」


「男爵家へ害が及ぶ方法は選べません」


「それも含めて考える。今度は答えを教えてもらうつもりはない」


リオネルは翌朝までかけて記録を調べた。しかし四年前の事件を覆す証拠は男爵家にない。公爵家を告発しても、元奴隷の証言だけでは王家も動かせないだろう。


「殿下へ直接お尋ねすることはできます。けれどその場でえん罪を認めさせるのは難しいでしょう。私の身分を知った父上が慌ててあなたを隠そうとする可能性もある」


「男爵様には話さないのですか」


「今話せば殿下へ失礼がないことを優先する。父上は悪い人ではないが、王家に逆らえる人でもない」


セレスティアも同じ判断だった。男爵は領民へ無理な税を課さず使用人をいたずらに罰することもない。しかし奴隷商で女を買い、成人した息子へ与える行為を疑わなかった。自分が慣れ親しんだ仕組みの外へ出るまでには時間がかかる人だった。


「殿下の前に出たあとで、若様が罰を受けるかもしれません」


「その可能性はある。だから私も自分で決める。あなたが男爵家を巻き込みたくないと思うのと同じように、私も何も知らずに殿下を帰したくない」


自分の意思を押し付ける言葉ではなかった。危険を理解したうえでリオネル自身が選んだと示している。セレスティアは止める理由を失い、二人で応接間へ入る時機を決めた。


二人が選んだのは王太子へ事実を見せることだった。裁判をやり直させるのでも公爵家を破滅させるのでもない。彼が忘れた女の行き先を自分の目で確かめさせる。


作戦を決めたあとリオネルは机の引き出しから一枚の書類を出した。男爵の署名と領都の役人が押した印があり、セラという奴隷を解放すると記されている。


「なぜ今なのですか」


「復讐をするなら奴隷としてではなく、あなた自身の意思でやるべきだ。終わったあともここに残れとは命じない。出ていくなら旅費と当面の生活費を用意する」


「私を買った代金はどうなさるのですか」


「必要なら働いた分から返してもらったと帳面に書く。あなたが気にすることではない」


セレスティアは解放証書を受け取った。紙一枚で四年が消えるわけではない。売春宿を出た日も自分が自由になったとは思わなかったのに、その書類を持つ指は思うように動かなかった。


「出ていくかどうかは今決めなくていい。殿下に会うこともやめて構わない。明日になって考えが変わったなら、そう言ってくれ」


「若様は私が決めるまで待つのですか」


「それくらいしかできない」


セレスティアは返事をせず解放証書を折らないよう胸元へ収めた。その夜は眠らずに考えた。何を命じられたかではなく、明日どこに立ちたいのかを初めて自分へ問い続けた。


◇


王太子一行が到着したのはよく晴れた日の昼前だった。アルベルトは二十六歳となり四年前より王族らしい服装が似合うようになっている。馬車から降りた彼は男爵とリオネルへ人当たりのよい笑顔を向けた。


その隣からミレーヌが降りた。小柄な体に淡い色の外套をまとい、姉と同じ金髪をきれいに結っている。王太子の婚約者として当然のように彼の腕へ手を添えた。


奥の廊下から二人を見たセレスティアは自分だけが邪魔だったのだと理解した。王太子は妹を選び、妹も王太子を望み、両親も二人の結婚を望んだ。そのために長女を罪人へ仕立てて捨てた。


怒りも悲しみも湧かなかった。自分の中に何かが残っていると思って復讐を望んだのに、二人を目の前にしても心は動かない。セレスティアはその事実を確かめるために一度だけ息を吐いた。


「本当に何も残っていないのですね」


誰にも届かない声で言い、客室の準備へ戻った。


客室には王太子が使う旅行用の箱が運び込まれていた。従者の指示に従って衣服を戸棚へ収めると、見覚えのある紋章が目に入った。かつてセレスティアが選んだ王太子家の印であり、若いころのアルベルトが古い意匠は堅苦しいとこぼしたため二人で直したものだった。


彼はその紋章を今も使っている。それを選んだ女の顔は忘れているかもしれない。セレスティアは箱のふたを閉じ、過去を知らせる印を布で隠した。


廊下へ出るとミレーヌの侍女が姉を呼び止めた。婚約者様が湯を望んでいるので運ぶよう頼まれたが、セレスティアは別の侍女へ仕事を渡した。逃げたいからではなく、会う場所を自分で決めていたからだった。


指示を受けた侍女は理由を聞かずに湯を運んだ。セレスティアはその背中を見送り、自分が初めて命令を断ったことに気付いた。解放証書は部屋に置いたままでも、すでに昨日までと同じ侍女ではなかった。


夕食までの間に王太子は領内を視察した。改修された水路と穀物倉庫を見て、若いリオネルの仕事を褒めた。リオネルはセラという侍女に教わったとは言わず、領民と使用人の協力があったとだけ答えた。


夕食後の応接間には王太子とミレーヌのほか、ハーゼン男爵とリオネルが残った。セレスティアは廊下で待機し、呼ばれれば茶を運べる位置に立っていた。厚い扉を隔てても男たちの声は聞こえる。


「二十二歳でこれほど領地を整えるとは大したものだ。王都でもハーゼン家の名を聞く機会が増えた。いずれ父上から爵位を継いでも心配はないだろう」


「ありがとうございます。殿下に一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


「何だ。遠慮せず聞くといい」


リオネルは四年前の婚約破棄について尋ねた。ハーゼン男爵が止めるような声を出したが、王太子は気分を害した様子もなく答えた。


「セレスティア・ローゼンフェルトのことか。あれは残念な事件だった。幼いころは聡明な娘だと思っていたが、妹への嫉妬で人が変わったのだろう」


アルベルトの中には一つの物語が出来上がっていた。嫉妬深い姉が心優しい妹をいじめ、最後には王太子を殺そうとした。彼は愛する女性を守るため悪女を裁いたのだと、少しの迷いもなく語った。


廊下で聞いていたセレスティアには自分の知らない女の話にしか思えなかった。妹を脅した覚えも毒を買った覚えもない。それなのに四年の間に彼の記憶では立派な悪女へ育っていたらしい。


「その女性は現在どうされているのでしょう」


「牢にいるはずだ」


「はずとおっしゃいますと、その後を確認されていないのですか」


「処罰は済んでいる。罪人の暮らしまで王太子が一人ずつ確かめる必要はないだろう」


その返事はセレスティアが予想していたものより軽かった。彼は奴隷商も売春宿も知らない。断罪した日のあと一度も彼女を思い出さず、自分が命じた牢にいると決めていた。


リオネルが扉へ顔を向けた。


「セラ。入ってくれ」


セレスティアは扉を開けて応接間へ入った。侍女の服を着たまま王太子の前まで進み、教わった礼をする。公爵令嬢だったころと変わらない姿勢で頭を上げた。


アルベルトは肩より下へ伸びた淡い金髪と家事で傷の残る手を見た。四年前よりやせた体まで数秒かけて眺めても、その顔に理解の色は浮かばなかった。


「誰だ?」


セレスティアは驚かなかった。十年以上そばにいた女でも服と髪形が変われば思い出せない。その程度の存在を相手に復讐を考えていたのかと思うと、自分の方が間違っていたようで笑いそうになった。


ミレーヌの椅子が床をこすった。彼女は立ち上がったまま姉の顔を見つめ、次に侍女服と両手へ目を向けた。青緑色の目が大きく見開かれる。


「……お姉様?」


アルベルトがミレーヌを振り返った。セレスティアという名を聞くまで目の前の女と元婚約者を結び付けられなかったらしい。彼の顔から笑みが消えた。


「お姉様。どうしてそのようなお姿で……修道院で暮らしていると、お父様たちは……」


ミレーヌの声が途切れた。侍女服だけなら身分を隠しているとも考えられたはずだ。しかし姉の手首には古い傷があり、首輪に隠れていた部分にも薄い跡が残っている。王太子の視察先で奴隷だった姉が働いている理由を、彼女は言葉にされる前に理解した。


「ごめんなさい。ごめんなさい、お姉様……私は少し困らせるだけだと思って……こんなことになるなんて……」


「そう」


「私はお姉様がどこかで暮らしていると聞いていました。売られたなんて知らなかったのです。本当に知らなくて……」


セレスティアは許すとも責めるとも言わなかった。妹が奴隷商のことを知らなかったとしても、うその証言をしたことは変わらない。自分で始めたことが想像よりひどい結果になったからといって、被害が消えるわけでもなかった。


ミレーヌは両手で口を押さえ、泣きながら応接間を出ていった。姉の横を通る際にも目を合わせられなかった。セレスティアは追わず、閉じられた扉へ声も掛けない。


「セレスティア……なのか」


ようやくアルベルトが名を呼んだ。彼は椅子から立ち上がったものの近付こうとはしなかった。断罪した日の自信は消え、目の前の現実をどこへ置けばよいのか分からない顔をしている。


リオネルが彼に向き直った。


「殿下がおっしゃっていた牢とは奴隷商のことだったのですね」


「違う。私はそのような命令を出していない」


「では売春宿でしょうか。彼女は奴隷商から売春宿へ売られ、そこで客を取らされていました。その後に商品価値が落ちたとして戻され、父が買いました」


ハーゼン男爵の顔から血の気が引いた。四年前の事件を詳しく知らず、購入した奴隷が元公爵令嬢だとは考えもしなかったのだろう。息子とセレスティアを交互に見ても言葉が出なかった。


「私は知らなかった。公爵は修道院へ送ると言っていたはずだ。なぜこのようなことに……」


「確認なさらなかったからでしょう」


リオネルの声には怒りがあった。それでも王太子を責め続けはしなかった。アルベルトも反論できず、四年前に捨てた女から目をそらしている。


セレスティアは彼の反応を見ても満たされなかった。謝罪を聞けば何かが戻ると思っていたわけではない。だが困惑する王太子を見ていると、相手が自分と同じ四年を生きていなかったことだけが分かった。


彼女が客の数を忘れようとしていた間、アルベルトは愛する女性と過ごしていた。水路の案を考えた日も手首の傷を隠した夜も、彼の中でセレスティアは牢にいる悪女のままだった。


「私は……」


アルベルトが何かを言おうとした。知らなかったと弁解するのか謝罪するのか、それとも公爵家を調べると約束するのか。セレスティアにはどれでもよかった。


「お帰りくださいませ」


王太子の言葉を遮り、もう一度礼をした。アルベルトは彼女の名を呼びかけたが続ける言葉を持っていなかった。やがてハーゼン男爵へ予定を切り上げると告げ、妹を追って部屋を出ていった。


◇


翌朝。王太子一行は当初の予定より早く領地を発った。アルベルトから説明も謝罪もなく、ミレーヌは馬車の窓を閉めたまま姿を見せなかった。


出発の前に王太子の従者が一度だけセレスティアを訪ねた。殿下が王都で事情を調べるので待つようにという伝言だった。謝罪でも命令でもない曖昧な言葉に、彼女は返事を預ける必要はないと答えた。


調査の結果がどうなるかは分からない。公爵夫妻の罪が明らかになる可能性もあれば、王家の体面を守るため何も公表されない可能性もある。提示されていない未来を都合よく信じるつもりはなかった。


男爵は門前で馬車を見送ったあと、セレスティアへ何度も頭を下げようとした。彼女を買い、息子へ与え、夜の相手まで命じたことを今になって理解したのだろう。セレスティアは謝罪を求めず、自由になったので仕事へ戻る必要もないと答えた。


自室で荷物をまとめようとしても持ち物はほとんどなかった。男爵家で与えられた衣服と髪を結ぶひもに、リオネルが勉強に使えと渡した数冊の本だけだった。自分で買った物は一つもない。


窓から門を見るとリオネルが立っていた。王太子の馬車が見えなくなってからも動かず、何かを考えている。セレスティアは荷造りをやめて外へ向かった。


「あれでよかったのか?」


彼は振り返らずに尋ねた。王太子に罪を認めさせることも公爵家を裁くこともできなかった。セレスティアの名誉は戻らず、王太子の婚約者は今もミレーヌのままだ。


「ええ」


「復讐になっていない。殿下が王都へ戻れば何もなかったように暮らすかもしれない」


「これ以上すれば男爵家まで巻き込みます。証拠もないまま公爵家を訴えれば、罪人だった私の言葉より両親の言葉が信じられるでしょう」


悔しくないとは言えなかった。両親にはなぜ売ったのかと尋ねたい。妹がどこまで知っていたのかも確かめたい。自分を陥れた者たちが今までどおりの生活を送ると思えば、何も感じないわけではない。


それでも追い続ければ残りの人生まで彼らに渡すことになる。王太子の失敗を証明するために生き、公爵家の罪を暴くためだけに時間を使う。昨日までならそれが復讐だと思っていた。


「それに、あの方は私の顔すら覚えていませんでした」


リオネルが振り返った。セレスティアは彼の困ったような顔を見て、四年ぶりに自分の頬が動くのを感じた。


「そんな人のために、これ以上時間を使うのはもったいないでしょう?」


うまく笑えていたかは分からない。リオネルは驚いたまま何も言わず、やがて目元を押さえて背を向けた。泣いているのか笑っているのかは確かめなかった。


「これからどうする。王都から離れたいなら行き先を探す。働き口も紹介できる。ここにいたくないなら遠慮せず言ってくれ」


「若様は私に残ってほしいのですか」


「それを言えばあなたは残るだろう。だから私の望みは先に言わない」


相変わらず判断の遅い人だった。けれど四年前と違い、決めるべきことと自分が決めてはならないことを知っている。セレスティアは答えを急がず、部屋へ戻って解放証書を机へ置いた。


その日の夕食は客用ではなく普段の献立だった。使用人たちは王太子が帰った理由を聞かず、男爵も息子とセレスティアの間へ口を挟まなかった。誰にも行動を命じられない一日は、思っていたより長かった。


夜が更けたころセレスティアは自室を出た。廊下の角を曲がり、男爵家へ来てから何度も通った部屋の前で足を止める。扉をたたくと中からリオネルの返事があった。


彼は寝台ではなく机に座っていた。セレスティアを見ると立ち上がり、何かを警戒するように距離を取った。


「もう来る必要はない。あなたは奴隷ではないんだ」


「存じています」


「なら、なぜ来た」


セレスティアは返事を考えながら部屋へ入った。以前は扉を閉める音が合図だった。求められることを済ませれば自室へ帰り、翌朝には何もなかったように茶を入れた。


最初の夜に戻ることはできない。リオネルが奴隷である自分を受け入れた事実も消えず、彼女が拒むことを諦めていた時間もなくならない。それを許したからここに来たわけではなかった。


「今日は命令されて来たのではありません」


「それでも今夜ここへ来れば、あとで後悔するかもしれない。昨日まであなたは私の所有物だった。自由になったばかりで何を選べばよいか分からないはずだ」


「分からないから選んではならないのですか」


リオネルは答えなかった。セレスティアは寝台へ向かわず机の前まで進み、彼の手を取った。以前の彼なら命令できたことを今は自分から選んでいる。その違いだけは誰にも決めさせたくなかった。


「明日になって考えが変われば、そのときは別の道を選びます。今夜ここに残りたいと思ったことまで、若様に決めていただくつもりはありません」


「若様ではなくリオネルと呼んでくれ。ここに残るとしても侍女でいる必要はない」


「それも今決めるのですか」


「いや。明日にする」


ようやく返ってきた答えにセレスティアは笑った。今度は頬が動いたかを確かめるまでもなかった。リオネルは伸ばしかけた腕を一度止め、彼女が離れないことを確かめてから抱き寄せた。


公爵令嬢だったころにも奴隷だったころにも、自分のために選べるものはなかった。その夜初めてセレスティアは誰にも命じられず、リオネルの寝室に残った。

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― 新着の感想 ―
大変読み深い話でした。 できれば、続きが読めれば幸いです。
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