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外れスキル《棚卸し》の俺、物資不足で滅びかけた王国を倉庫から立て直す 〜追放した勇者たちは補給切れで泣きついてきたが、もう遅い〜  作者: のむ


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第77話 両側の人

 崩壊まで、残り七日。日付は、卓の上で変わった。


 燈の油を、女将が黙って足していった。カルロスは、二杯目の茶を断った。長居をする客の作法ではない。言うべきことを言って、夜が明ける前に戻る。その配分で、この人は敷居をまたいでいた。


「その席の名前を、申し上げます」


 カルロスは、図面の白い頂点に、指を置いた。


「……いえ。正しくは、名前は申し上げられません。名は、もうないからです。十年前に消えました。名を消した者を、名で追っても届かない。席で、追ってください」


 一拍おいて、静かに続けた。


「補給局長です」


 卓の空気が、変わった。


「十年前、ひとつの名前が本店から消えて、別の名前が補給局の長の席に座りました。ユリウス殿。あなたの、かつての上役です。あなたがこの卓で何を話したかは、伺いません。ただ、あなたの絵と私の知っていることは、同じ一点を指しています」


 ユリウスは、目を閉じた。長くは閉じなかった。開いたときには、商人の顔に戻っていた。


「一つだけ、伺います。あの人は、いま、その席に」


「ええ。あなたの知っていた顔で、あなたの知らない名で」


 第三の筆跡。調合台の部屋の主。書記官の講習を修めた手。消えた名前。全部が、一つの席に載った。


 そして、レンは気づいた。気づいて、しばらく口が動かなかった。


 貸付証文の条件。セリアが署名し、レンが預かった、あの紙の条件だ。行使には、補給局長へ直接手渡すこと。


「……俺たちは最初から、あの絵の頂点に、紙を届けようとしていたんですね」


「ええ。届かなかったのは、様式のせいではありません。届けば困る当人の手元に、宛てられていたからです」


 保留も、様式不備も、検分権限の範囲外も、全部この一点の周りに積まれた石垣だった。壁は人だと、ヤールの紙が教えた。その人の座る席まで、いま、線が届いた。


 レンは、図面から顔を上げた。


「宛先が犯人なら、書き直しはしません。……あの手に、押させます」



「家の話を、少しだけいたします。少しだけ、で済む話ではないのですが」


 カルロスは、茶碗の底を見ながら話した。


「ヴェン、という音を、私の父は王都で捨てました。ヴェイン、と名乗り替えて、書記の職を得た。北の家の音は、王都では枷ですから。生きるために音を変える者と、消すために名を捨てる者が、この街には両方いる。私は前者の子で、あの席は後者です」


 同じ所作で、逆の理由。名を変えた二人の男が、同じ帳簿の上にいた。


「保守の側は、父の代からの取り決めで、私に目を付けました。ヴェンの血が王都の官職に就くこと自体、家の中では譲歩なのです。目付は、監視であり、保証でもある。私が両側の人間でいる限り、家は私を守り、同時に縛る」


 二十歩の距離で立ち続けた、あの布の人のことだ。カーレルが、茶碗を置いて言った。


「保守の言い分にも、理はございますな。返せと迫って潰し合えば、鈴は永遠に戻りません。見て、待つ。それが向こうの百年。私どもは、待ちくたびれた側です」


 カーレルは、そこで少し声を低くした。


「鈴が王都に留め置かれた百年前の口実も、家の記憶に残っております。……調査継続中。待てば返す、と読める言葉で、待たせたまま百年。家が見る側と取り戻す側に割れたのは、待って死んだ当主が三人を数えた頃と伝わります」


 待って死んだ当主が、三人。膠着という言葉の中身は、人の寿命三つ分だった。


「監査であなたを試したのは」


 カルロスは、レンに向き直った。


「外の手を、探していたからです。この件は、ヴェンの血の載った手では動かせない。家の者が動けば、百年の膠着ごと燃える。血の載らない、数字だけで歩く手が要った。馬留めの紙も、私です。監査のとき、あなたの数え方は見ました。ハーレンに行き着くのは、時間の問題だと思っていました」


 試す側でした、といつか言った声の、種明かしだった。突き放した声も、瓶で数えろと書いた紙も、同じ一人の、両側から出ていた。


「北の目は、返させないために見ています。あの席は、返させないことを、金と力に変えている。見る側と、頂点は、味方同士ですらない。ただ、どちらも鈴が動くと困る。それだけで百年、同じ側に立ってきました」


 夜が、深くなった。カルロスは立ち上がり、最後にカーレルへ、家の礼をした。


「……叔父上に、王都でこの礼をする日が来るとは、思っておりませんでした」


「私もです、カルロス殿。……よくぞ、参られた」


 格式の言葉の下で、何かが一つ、ほどけた音がした。



 明け方、カルロスは宿を出た。


 ニスが先に外を検めて、低く報告した。


「布の方は、夜通し立っとりました。交替も、火もなしで。並の役目の立ち方ではありません」


 通りの向かいで、布の人が同じ姿勢で立っていた。カルロスは隠れなかった。目付の前をまっすぐ通り、一度だけ会釈をした。見られていることを、見ている側に知らせる会釈だった。布の人は、動かなかった。


 角を曲がる前に、カルロスは薬待ちの列に目をやった。夜明け前から、もう先頭に老人が立っている。


「私は十年、あの列の脇を通って登庁しました。列は、年々長くなる。帳簿の数字が揃う年ほど、列が伸びる。……その意味を、考えないことにして、十年です」


 誰に言うでもない声だった。それだけ言って、両側の人は、王都の側へ戻っていった。



 昼、レンは図面の白い頂点に、文字を入れた。


 筆が、一拍だけ止まった。名前を書く欄に、名前がない。書けるのは、席だけだ。補給局長、と書いた。名簿の白い欄と、図面の頂点。この王都で、いちばん重い場所ほど、名前が書かれていない。


 夕刻、補給局から使いが来た。ヤールが封を検め、読み上げた。


「貸付証文の取り扱いに関する、合議の招集状です。……二日後。証文の効力を、審査するとあります」


 都合の悪い紙への返事は、半日で来た。会議は、二日後に置かれた。急がせる時と、待たせる時を、向こうが選んでいる。時間そのものが、まだ敵の道具だった。


 ヤールは、招集状の様式を、端から端まで検めた。


「効力の審査は、通すための会議ではありません。三十年前の紙を、古い、で終わらせる側の様式です。父が上席だった頃、この様式で消えた案件を、幾つか知っています」


 握り潰しの卓が、二日後に用意される。分かっていて、行くしかない。証文の宛先は、あの席なのだ。あの席の前に、紙を置ける場は、あの卓しかない。


 そして、招集の名簿の末尾を、ヤールが指で押さえた。


「書記課長マゼル。会計方。それと、王都補給局書記官、カルロス・ヴェイン」


 両側の人も、あの卓に呼ばれている。


 崩壊まで、残り七日。

 会議まで、二日。紙と人の、置き所が決まっていく。


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