第7話 捨てられた倉庫街
ミナの案内は、道案内というより街の隙間を縫う技だった。
大通りを避け、魚屋の裏、神殿の外壁沿い、古い水路の上に渡された板橋、鍛冶場の煙突裏を抜ける。セリアの護衛がついてこようとして何度もつまずき、そのたびにミナは得意げに振り返った。
「こっちの方が早いよ。大通りは荷車で詰まってるから」
「領主をこんな道に案内する子供がいるとは思いませんでした」
セリアが息を切らしながら言う。
ミナは肩をすくめた。
「領主様だって、急ぐなら細い道を通るでしょ」
「理屈は合っていますね」
「でしょ?」
ガルドが後ろから唸る。
「お前はいつもそうやって勝手口を覚える」
「覚えないと、荷物が届かないんだもん」
その言葉に、レンは足を止めかけた。
荷物が届かない。
ミナはさらりと言ったが、そこには慣れがあった。
約束されたものが、予定通りに届かないことに慣れている声だった。
「ミナは、配達をしているのか」
「うん。神殿の伝言とか、古着とか、炊き出しの札とか。正式な配達人じゃないけど」
「正式ではない?」
「あたし、組合に入ってないから。孤児は荷札に名前を書けないんだって」
レンは眉を寄せた。
「誰が決めたんだ」
「大人」
ミナは短く答えた。
セリアの表情が少し曇る。
ガルドは黙っていた。
街の制度が、届かない人を作っている。
レンはそのことを覚えておくことにした。
旧倉庫街は、リンドホルムの北西にあった。
かつて河川道と鉱山街道が今より栄えていたころ、ここには木材、鉄具、塩、革、酒樽が集まっていたらしい。だが新しい共同倉庫ができてから、古い倉庫は少しずつ使われなくなった。
今では、石壁の一部は崩れ、屋根瓦は抜け、空箱と壊れた荷車が山のように積まれている。
ガルドが鼻を押さえた。
「ひどいな」
「倉庫長なのに知らなかったんですか」
レンが聞くと、ガルドは苦い顔をした。
「知ってはいた。見ないようにしていた」
「正直ですね」
「うるさい」
ミナが笑った。
「こっち。昨日、大人たちがいたのは奥の赤い屋根のところ」
赤い屋根の倉庫は、扉が半分外れていた。中に入ると、埃っぽい空気と木の乾いた匂いがした。
レンの視界に文字が浮かぶ。
壊れた荷車、七台。
修理可能、三台。
車輪再利用可能、五輪。
古樽、四十二個。
乾燥廃材、燃料転用可能。
麻縄、劣化中。
魔石灯、故障品十二基。
魔石残量、微量。
荷札束、未使用。
レンは一歩、奥へ進んだ。
ゴミではない。
ここにあるものは、捨てられているだけだ。
「使えます」
セリアが驚いた。
「これが?」
「全部ではありません。でも、荷車は三台直せる。車輪は五つ使える。古樽は乾燥炉の燃料にできます。樽の金具は鍛冶場で再利用できる。麻縄は荷締めには不安ですが、束ねる用途ならまだ使える」
ガルドが壊れた荷車を覗き込む。
「この車軸、まだ生きてるな」
「はい。泥と錆を落とせば動きます」
「なんで放っておいたんだ、俺は」
「新しいものの方が管理しやすいからです」
レンは言った。
「古いものは、何が使えて何が駄目か分ける手間がかかる。誰の責任で保管するかも曖昧になる。だから捨て場になる」
ガルドは反論しなかった。
セリアは古樽の山を見ている。
「これを燃料にすれば、乾燥炉を動かせますか」
「一時的には。ですが、全部燃やすのはもったいないです。樽板は修理材にもなる。燃料にするもの、修理に回すもの、金具を外すものに分けた方がいい」
「分類ですね」
「はい」
ガルドが額に手を当てた。
「また棚卸しか」
「はい」
「悪夢みたいだ」
だが、その声には少し笑いが混じっていた。
ミナが奥から声を上げた。
「レン! これ見て!」
彼女が引っ張り出したのは、古い手押し車だった。片方の車輪が外れ、荷台の板も割れている。
レンが見る。
手押し車、修理可能。
必要部品、車輪一、釘六、横板二。
修理後用途、軽量配達。
「直せます」
「本当?」
「車輪があれば」
ミナはぱっと顔を明るくした。
「これ、神殿で使えるよ。古着運ぶとき、いつも袋を背負ってるんだ。これがあれば一回で倍運べる」
「倍運べるなら、往復が半分になります」
「そう! あたしの足も半分で済む」
「足は半分にしない方がいい」
レンが真面目に言うと、ミナは一瞬きょとんとしてから笑った。
「変な人」
セリアも小さく笑った。
その瞬間、旧倉庫街の埃っぽい空気が少しだけ軽くなった。
レンは手押し車を見ながら考えた。
荷車一台が直れば、運べる量が増える。
手押し車が直れば、ミナのような子供でも無理なく運べる。
古樽が燃料になれば、乾燥炉が動く。
乾燥炉が動けば、食料が保存できる。
保存食ができれば、鉱山村も神殿も冬を越しやすくなる。
小さな物の流れが、人の暮らしに続いている。
「セリア様」
レンは言った。
「回収班を作れませんか」
「回収班?」
「旧倉庫街の廃材を、用途ごとに分ける班です。燃料、修理材、金具、布、縄、荷札。何がどれだけあるかを記録します」
ガルドがすぐに渋い顔をした。
「人手はどこから出す。倉庫も門前も足りてないぞ」
「正規の倉庫人夫でなくてもできます。重いものは大人が必要ですが、荷札の分類、縄の束ね、布の仕分けなら子供や神殿の人でもできる」
セリアの視線がミナへ向いた。
ミナは胸を張る。
「あたし、できるよ」
「危険な場所もあります」
レンはすぐに言った。
「崩れた倉庫には入らない。刃物や釘は大人が見る。子供は軽いものだけ。あと、作業した人には食事か賃金を出してください」
セリアが少し驚いた顔をした。
「神殿の奉仕ではなく?」
「奉仕だけにすると続きません。仕事にした方がいいです」
ミナがレンを見た。
「仕事?」
「うん」
「あたしでも?」
「荷の数を数えて、使えるものを分けて、必要な場所へ届けるなら仕事です」
ミナは何も言わなかった。
ただ、鞄の紐をぎゅっと握った。
ガルドが低く言う。
「簡単に言うが、組合が嫌がるぞ。孤児や神殿の連中に倉庫仕事をさせるな、と」
「倉庫仕事ではなく、廃材回収です」
「言い方を変えただけだ」
「言い方は大事です」
ガルドは鼻を鳴らした。
「誰に似たんだ、その図太さ」
「たぶん、昨日会った倉庫長に」
セリアが口元を押さえた。
ガルドはしばらくレンを睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「回収班を作るなら、監督は俺が出す。勝手に倉庫街を荒らされるよりましだ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。面倒が増えただけだ」
レンは頷き、倉庫の奥へ進んだ。
そこには壊れた魔石灯がいくつも転がっていた。
街灯や倉庫の明かりに使う小型の魔道具だ。外枠は曲がり、硝子は割れている。だが中の魔石には、まだわずかに光が残っていた。
魔石灯、十二基。
再点灯可能、四基。
部品回収可能、八基。
魔石残量、合計三日分。
「これも使えます」
セリアが近づいた。
「魔石灯ですか」
「修理すれば、夜間の荷下ろしに使えます。昨日みたいな緊急時、暗くて作業が遅れる。明かりがあれば、夜でも分類ができます」
「魔石は貴重です」
「だから、新品を買うより先に壊れたものを直します」
ガルドが腕を組んだ。
「職人を呼ぶ必要があるな」
「はい。箱職人、鍛冶屋、魔道具師。あと、煙道を掃除できる人」
「結局、街中を巻き込むじゃないか」
「巻き込まないと、街の胃袋は動きません」
セリアは壊れた魔石灯を一つ持ち上げた。
埃にまみれた硝子の奥で、小さな青白い光が揺れている。
「捨てられたものの中に、まだこれだけ残っているのですね」
「捨てられたわけではないかもしれません」
レンは言った。
「誰かが、あとで使おうと思って置いた。でも記録されなかった。責任者が変わった。棚が埋もれた。いつの間にか、ないものとして扱われた」
胸元の荷札が、やけに重く感じた。
人も物も、記録されなければ消えたことにされる。
ミナがぼそりと言った。
「あたしみたい」
レンは彼女を見た。
ミナは慌てて笑った。
「冗談」
「冗談じゃないなら、言っていい」
ミナの笑みが少しだけ消えた。
セリアもガルドも黙っている。
レンは言葉を選んだ。
「荷札に名前が書けないなら、別の札を作ればいい。回収班の札。誰が何を拾って、どこへ運んだか、残るように」
ミナの目が大きくなった。
「あたしの名前も?」
「仕事をしたなら」
「ミナって書く?」
「書く」
「字、間違えない?」
「間違えたら直す」
ミナは唇を結んだ。
それから、少しだけ下を向いた。
「じゃあ、やる」
セリアが静かに頷いた。
「回収班を認めます。まずは試験的に。危険な場所には入らないこと。作業記録を残すこと。食事と日当を出します」
ミナがぱっと顔を上げた。
「日当!」
ガルドがぼやく。
「また予算が飛ぶ」
「食料を腐らせるより安いです」
セリアが言うと、ガルドは何も言えなくなった。
そのとき、倉庫の外から足音が聞こえた。
モリス商隊の若い商人が、息を切らして駆け込んでくる。
「レンさん! セリア様!」
セリアが振り返る。
「どうしました」
「燃料商の荷が、今朝から急に値上がりしています。薪も炭も、昨日の倍です」
ガルドが顔をしかめた。
「倍だと?」
「はい。それだけではありません。塩も、市場から消え始めています。小売りが買えないと」
レンは古樽の山を見た。
燃料。
塩。
昨日から半分に減らされた神殿の炊き出し。
夜に運び出されていた廃材。
線がつながる。
「誰が買っているんですか」
若い商人は息を整えながら言った。
「モリス商会ではありません。もっと大きいところです。王都にも支店を持つ、ヴェルナー大商会が」
ガルドが低く唸った。
「あそこか」
セリアの目が冷たくなる。
「燃料と塩を同時に?」
レンは頷いた。
「食料保存と冬支度を握れます」
「買い占めですか」
「まだ断定はできません。でも」
レンは旧倉庫街の埃だらけの廃材を見回した。
捨てられたものを燃料に変えなければならない街で、燃料と塩を買い占める者がいる。
それはただの商売では済まない。
「早く動かないと、届く前に値段で止められます」
セリアは壊れた魔石灯をそっと置いた。
「レン」
「はい」
「まずは、私たちの手元にあるものを数えましょう」
レンは少しだけ目を見開いた。
セリアは続けた。
「相手が隠しているものを暴く前に、私たちが何を持っているのか知らなければならない。そういうことでしょう」
レンは頷いた。
「はい」
ミナが手を上げた。
「じゃあ、あたし、回収班の一番?」
ガルドが言った。
「調子に乗るな」
「でも名前書くんでしょ」
レンは古い荷札の束から、一枚を取り出した。
埃を払う。
そこに、炭の欠片で文字を書いた。
ミナ。
少女はその札を、両手で受け取った。
捨てられた倉庫街の中で、最初の回収班が生まれた。
そして同じ頃、街の市場からは、塩と燃料が静かに姿を消し始めていた。




