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4.戦いのはじまり

 弓弦葉琴海は、湊の涙が止まるのを、黙々と唐揚げをつまみながら待っていた。

 ようやく涙が枯れた頃。ドリンクバーとデザートバイキングを注文して席を立つと、緑色の液体に不格好なソフトクリームを乗せたものを持ってきた。

 目の前に置かれたそれを見て、湊は戸惑った。

「何ですか、これ」

「メロンクリームソーダ」

「…………」


 こんな不自然な緑色をしたものを飲んだことがない。しかも、ソフトクリームは体に悪いと、常日頃言われている。


 手を出せないでいると、弓弦葉は眉を吊り上げた。

「私のクリームソーダが飲めねえっつーんか、ア?」

「飲みます! 飲みますから……」


 仕方なく、ストローを挿し口を付けた……決してメロンではない甘味が、涙のしょっぱさを中和してくれるようで心地よかった。


 弓弦葉は満足気に椅子にもたれ、気の抜けたビールを飲んだ。

「自分語りしていいか?」

「まぁ、どうぞ」

 彼女は空になったピッチャーをテーブルに置いた。

「私もさ、君と同じで、いいトコのお嬢様だったワケよ」

「お嬢様!?」

 間髪入れずに、テーブルの下から蹴りが入る。

「す、すいません……」

「素直なのはよろしい」

 彼女はすっかり冷めたローストビーフ丼に手を伸ばし、箸を突き刺す。

「具体的に言うと、両親とも学者だったパターン。大学の教授でさ、家にいたことがなかった」


 似てる……湊は思った。

 父は院長、実の(・・)母は外科部長で、いつも隣の病院にいた。その挙句、多忙すぎる母に愛想を尽かして、父は浮気した――それが、今の母だ。

 遊園地、動物園、市民プール……子供が行きそうなところへは、一度も行ったことがない。大人の都合が第一で、子供の気持ちは二の次どころか考慮すらされない。それなのに、勉強の成績だけは期待して、満足できないと怒る。

 毎年、夏休みが憂鬱だった。架空の旅行記を作文に書いて賞を取った時は、こっぴどく叱られた。


 弓弦葉も、驚くほど似た境遇だった。

「全然構ってくれないクセに、成績だけは求めてきてさ。私は君ほど大人しくなかったから、ムカついたらよく家を飛び出して、山に隠れた」

「山に!?」

「うちの市、今はそれなりに町だけど、ちょっと前までは田んぼばっかのド田舎だったんだ。田んぼに逃げたらすぐ見つかるからさ、山に逃げんだよ」

「はぁ……」

「だから、山は庭みたいなモンだった。タヌキを追い掛け回して遊んで、腹が減ったら、猿と一緒にアケビ食ってる感じ。けど、一度だけ、本気で遭難したことがあって……」


 前言撤回。全然似てない。こんなワイルドな生活、俺には想像もできない。

 普通にその先が気になって、湊は身を乗り出した。

「どうやって生還したんですか?」


 彼女はあっけらかんと答えた。

「助けられたんだ、たまたま通りかかった小鳥遊のおっさんに」


 当時の小鳥遊は猟師で、ジビエ料理の店に鹿や猪を売ったりしていたようだ。

「山の近くに住んでて、家に屠殺場があるんだ。それから時々遊びに行くようになってさ。よくいるだろ? 地域コミュニティで浮いてる、何して生きてるか分からないおっさん。小鳥遊のおっさん、そういう枠でさ。大人からは煙たがられるけど、子供には人気だったんだよ」


 湊は、ハードボイルドを繕ったニヒルな顔を思い出す。彼がこれまでに出会ったことがない人種なのは間違いない。強烈に惹き付けられる何かが、彼の顎髭にはある。


「猟師だから猟友会に入ってて、熊の目撃情報があると出動要請がかかるんだ。でさ、つい何年か前……」


 市街地に熊が出現との報を受け、小鳥遊は出動した。そして、市役所の職員に促されるまま熊を撃った。


「そしたらさ、警察が口を挟んできて。市街地で発砲するとは何事か! ってね」

「…………」

「確かに、近くに小学校はあるわ商店街はあるわって場所だった――だからこそ、一刻も早く熊を駆除しなきゃならなかったんだ」

「理不尽、ですね……」

「だろ?」

 弓弦葉は丼をかき込む。

「不起訴にはなったけど、猟銃の免許を剥奪されてさ。腐ってたから、出来たばかりの異世界失捜に誘ったんだ」


 あのニヒルな表情の裏に、そんな辛さを抱えていたとは。湊は眉間にしわを寄せた。

「だから、この世界が嫌いなんだ」


 弓弦葉はチラッと湊に目を向けてから続けた。

「理不尽なのは野辺もそうだ。あいつ、学歴、経験、資格問わずっていうから、動物園に応募したんだ。そんで採用されたのによ、縁故採用に横入りされてさ、内定取り消し」

「酷いですね」

「鬼窪ちゃんとこも理不尽だぜ。彼女が世話してる孫の親――鬼窪ちゃんの娘なんだけどさ、結婚が決まったと喜んでたら、相手が既婚者だったんだ」

「えっ……」

「で、妊娠を明かしたら捨てられて。子供産んですぐに、自殺した」

 孫を引き取ったものの、ただでさえ育児しながら仕事をするというのは難しい上に、あの年齢だ。

「生活保護の相談に来て断られてるとこ、たまたま見ちゃってさ。事務の経験があるっていうから、うちで働いてもらうことにした」

「…………」

「うち、仕事時間が自由だから。出張(・・)だって、鬼窪ちゃんの都合に合わせてるんだよ。あの通りシゴデキだから、めちゃくちゃ助かってる」


 湊は静かにクリームソーダを啜った――自分の辛さなんか、ゴミみたいだと思った。


 空になった丼に割り箸を置いて、弓弦葉は肘をテーブルに置く。

「人間、生きてりゃ色々あるんだよ。でも一番やっちゃいけないのが、自分の辛さを人と比べて我慢すること」


 湊は顔を上げた。

 この人は人の心が読めるのか……そんな目で彼女を見たら、弓弦葉はニッと歯を見せた。

「カウンセリングの資格を持っててね。異世界から戻った人のメンタルケアも、仕事のうちなんだ」


 なんだ、仕事か……と、湊は少しガッカリした。親身になってくれるのなら、仕事でない方が良かった。


 そんな湊に、弓弦葉は顔を寄せた。

「あれれ、まさか、私に何か期待してた?」

「ま、まさか……」


 咄嗟に見返した彼女の顔。

 これまで意識して見ていなかったが、飛び抜けて美人ではないけど、悪い方じゃない。アルコールで火照った肌はツヤツヤしていて、悪戯っぽく目を細める表情は、チャーミングですらある。


 けれど、触れてはいけない一線みたいなものを常に纏っていて、痛々しいようにも見える。

 孤独――彼女に一番似合う言葉はそれなんじゃないか。湊は思った。


「まあ、箸休めはここまでにして……」

 すっかり空になった食器を積み上げ、弓弦葉はおしぼりで手を拭った。

「箸休め?」

「本命はデザートだから」

 と、彼女はパフェを注文する。湊にも「せっかくのバイキングだし」とビュッフェコーナーを示すが、山盛りのソフトクリームを片付けるだけで精一杯だ。


「――それからさ」

 注文を待つ間、弓弦葉はテーブルの上で手を組んだ。

「雨宮クン、うちでバイトしてみない?」

「はあ?」

 湊は目を見開いた。

「バイト、ですか?」

「受験勉強の息抜きに……もちろん、学業優先で」

「…………」

「君に同情してる訳じゃない。私が誰かを誘った時も、そういう気持ちは一切ない。私にメリットがあるから誘ってんの」

「はぁ」

「小鳥遊のおっさんは、部署の立ち上げ直後でとにかく人が欲しかったから。野辺は、資格は無くても獣医の知識は必ず役に立つと思った。鬼窪ちゃんは、あの通り超優秀」


 湊は目を細めた……彼女は彼の中に、どんなメリットを見ているのか。


 すると弓弦葉は、人差し指を湊の鼻先に向けた。

「君、聖剣持ってたでしょ?」

「あ、はい……折れちゃったし、返しましたけど」

「あれ使える人、なかなかいないんだ」

「…………」

「チェリーボーイしか持てないから」

 湊の顔が沸騰する。

「は、はあ??」

「私が見るに、ミリアとルージーっていう二人、魔王の回し者だよ? 君の貞操を奪うための」

「…………」

「勇者から、聖剣を奪いたかったんだよ」


 そんな……と湊は頭を抱えた。

「信じたくない……」

「君がなかなか手を出さなかったから、暗黒竜討伐に誘ったんだろうな」

「う……」

「君の最終的な目的は魔王退治だったはず。なのに、なんでわざわざ、属性相性の悪い暗黒竜討伐っていう寄り道をしたのか……そう考えると、あの二人が間者としか思えないんだよね」


 絶望してテーブルに突っ伏した彼の頭をポンポンしながら、弓弦葉は続けた。

「うちの備品に聖剣があるんだけど、使える人がいなくてさ」

「…………」

「異世界で役に立ちそうだから、使える人を探してたんだよね」


 全てがどうでも良くなった。

 湊は顔を伏せたまま答えた。

「イヤです。バイトなんてしません」


 すると、弓弦葉の手が止まった。

 それから彼の頭をクシャッと撫でて、こう言った。


「ちゃんと、自分の気持ちを言えるじゃん」


 温かい手が離れた。顔を上げると、弓弦葉が伝票を手に立ち上がるところだった。

「一応、名刺渡しとくよ。気が向いたらおいで。バイトじゃなくても、ポテチくらいあるから――じゃ」


 ガタイのいい背中を見送ってから、湊はテーブルに置かれた名刺を手に取った。

 弓弦葉の名前と直通の電話番号。裏には、市役所の案内図。防災器具庫に蛍光ペンが引いてある。


「…………」


 それをポケットに収め、運ばれてきたパフェに手を付ける。毒々しいまでに色鮮やかなマカロンや、甘さが凶悪なチョコシロップが染みたコーンフレークまで全部平らげ、湊はファミレスを出た。



 帰宅し、自室に向かう。すると、風呂上がりの父と出くわした。

「予備校をサボったようだな」

「…………」


 返事をしない湊に、父は言った。

「優秀な跡取りはいるのだし、おまえを作ったのは失敗だったな」


 去っていく背中に、湊は小さく舌打ちした。

「……っせえんだよ」


 父は足を止めた。

「何か言ったか?」

「……いいえ、何も……おやすみなさい」


 自室の扉を閉め、湊は大きく息を吐いた。


 ――生まれて初めて、父に反抗した。


 言葉は届かなかっただろうけど、彼にとって、これはとてつもなく大きな一歩だ。

 『自分の意思を持つ』という選択肢を得たのだから。


 頭に浮かぶのは、弓弦葉の温かい手。

 ――ちゃんと、自分の気持ちを言えるじゃん。

 あの手に後押しされたのは、間違いない。


 湊はポケットから名刺を取り出した。

 しばらくそれを眺めてから、彼は参考書の隙間にそれを挟み、ベッドに身を投げた。

 そして薄暗い天井を見上げ、聖剣を受け取った時のように手を伸ばす。


 ――本当の俺の戦いは、ここから始まるのかもしれない。



 ✧••┈┈┈┈┈┈••✧



 壁のスイッチを入れると、現れたのは殺風景な部屋。

 ミニマリストを気取っている訳ではない。


 自分を飾るのに、罪悪感があるだけだ。


 弓弦葉琴海はカバンを床に置き、ベッドにジャケットを投げた。そしてベッドに腰を下ろすと、ワンルームアパートの部屋を眺めた。


 高校生の頃、父と母が失踪してから、ずっとここに住んでいる。

 それなのに、ここから見る景色は、何ひとつ変わっていない。


 元から備え付けられているエアコンとシーリングライト。小物が入ったダンボール箱に、壁に掛けたハンガーが数本。キッチンに置かれたカップと歯ブラシがひとつずつ。

 それだけあれば、生きていける。


 ただひとつ。

 生活には関わりのないものが、ベッド横の窓枠に置かれていた。


 それは、父と母の写真。

 学会か何かで撮られたものらしい。二人が一緒に写っているものはこれしかなかった。

 三人で写ったものなど、どこにもない。


 けれど、それは彼女にとって、生きるために必要なものだった。


 彼女は写真立てを手に取り、ベッドに寝転がる。そして、動かない肖像に語りかけた。

「……今回も、会えなかったな」


 毎日こうして、両親の顔を思い出す。

 そうしなければ、いつか忘れてしまうだろう。


 ――忘れてしまったら、どこかの異世界で二人に会っても、こちらの世界に連れ戻せないから。

ここまでご覧いただき、ありがとうございます!

以前、短編のコンテストに出したものを公開してみました。

続きの構想はありますが、公開は未定のため、一応完結としておきます。

お付き合い、ありがとうございました!

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