1.異世界失踪人捜索係
勇者は折れた剣を握り締めたまま、愕然とした眼差しを目の前の敵に向けていた。
それは、あまりにも巨大だった。
それは、あまりにも強かった。
とても敵う相手ではないと知ったのが、勝ち目も逃げ道も失ってからというのでなければ、背を向け全力疾走していただろう。
――暗黒竜エルドラ。
漆黒のオーラに包まれた邪悪の権化は、爪のひと凪ぎで聖剣を折り飛ばした後、怒りを込めた眼光で彼を睨み下ろしている。
体の震えが止まらない。現実世界にいた頃は、『死の恐怖』を感じたことなどなかった。ただ漠然と、「死にたい……」と口癖のように言っていただけで、本物の死に直面したことなんかない。
――今から死ぬ。
圧倒的な死が彼の精神を萎縮させ、膝がガクガクと笑っている。
つい先程までの虚勢はどこかに消え失せた。こんな背中を、仲間たちはどんな顔で見ているのだろうか?
すると、背後で声がした。
「勇者さま、他に手段はあるんですよね?」
祈り子のミリアだ。戦闘力はないから、後方でサポートに当たっている。ピンクの髪に、生命の樹の葉を象った金の髪飾りを付けた巫女。小柄で華奢な体つきは幼く見え、彼にとっては妹のような存在だ。
「奥の手があるんだろ? さっさとやれよ!」
そう檄を飛ばすのは、エルフのルージー。魔法弓の使い手で、遠距離攻撃タイプだから後衛を務める。グラマラスな長身で、弓を引く時に胸が挟まれないか心配になるが、「ガキは黙ってろ」と言い返す姉御的存在だ。
二人はそれぞれの武器を構え、彼の後方で固まっていた。
ここに来るまで、彼が全ての敵を倒してきたから、いきなりの戦闘で連携が取れないのだ。
――ダンジョン『暗闇の洞穴』。
その最下層まで、聖剣だけで無双してきたのに……。
ラスボスの戦闘力が五桁違うとか、聞いてない。
動かない体を持て余しつつ、彼は脳だけをフル回転させた……ミリアとルージーに、格好悪いところを見せたくない。何とかカッコ良く、決めゼリフひとつで乗り切る手段はないものか……。
しかし、エルドラは短気なようだ。
「男は不味い。女を喰わせろ」
「……え、ッ……」
「胸の大きい方が食べ応えはありそうだが、小さい方が肉が柔らかそうだ。どちらでもいい。おまえが決めろ」
頭が再びフル回転を始める。
これはもしかして、ミリアかルージーを差し出せば、俺は助かるんじゃないか。
いや、俺が選ぶまでもない。俺は王より使命を託された勇者だ。ミリアもルージーも、俺を「勇者さま」と呼んで尊敬している。自ら身を差し出す展開だってあり得る――いや、そうなるべき。
となると、この先、ミリアかルージーのどちらかと旅を続けることになる。
正直、俺には選べない。妹のように可愛いミリアも好きだけど、ルージーの強気ぶってツンデレなところも好きだ。胸が大きい方が包容力があるけど、小さいのも侮れない。
宿代の節約と称して、三人同じベッドで眠り旅を続けてきたけど、ミリアの甘い香りも、ルージーの大人な香りもたまらない。時々、俺を挟んで二人がヤキモチを焼いて喧嘩したりなんかして……。
「おい、早く決めろ」
エルドラが急かす。
彼はチラッと背後に目を向けた。けれど、彼女たちに自ら名乗り出ようとする様子はない。逆に、自らを犠牲にしてでも彼女らを助けろとでも言いたげな視線を投げてくる。
「…………」
困った。
一体どうしたらいいんだ……。
すると、どこかで「チッ」と舌打ちする音がした。
「ッたく、いつまでモタモタしてんだよ」
女の声だった。
「えっ?」
と彼が周囲を見渡そうとすると、その声は太い音量で司令を飛ばした。
「投光器、点灯!」
瞬間。
エルドラに向けて四方から光の矢が放たれた。サーチライトみたいなやつだ。それが目を直撃するから、エルドラは「クッ」と呻いて目を閉じた。
再び声が飛ぶ。
「捕獲ネット、発射」
発砲音がして、大きな網が宙に広がる。それはエルドラを頭からすっぽりと包み込だ。
「うぬ!」
動きを封じられたエルドラは手で払おうとするが、動けば動くほど網目が絡み付く。
次の声は、彼のすぐ後ろでした。
「鬼窪ちゃん、聖なる呪符は?」
「千枚印刷しときました」
彼の左右を人影が通った。パンツスーツに、紺色にオレンジのラインが入った作業着を羽織ったガタイのいい女と、黒いカーディガン姿の小柄なおばさん。
二人とも、防災用の白いヘルメットを被っている。
おばさんはパンツスーツの女に紙の束を渡す。それを受け取って、女は言った。
「さすが鬼窪ちゃん……ちょっとやり過ぎ」
女はエルドラの前に来ると、
「おーい、いつまで隠れてるんだ」
と誰かを呼んだ。すると、闇の奥からふたつの人影が現れた。
ニヒルな顔の顎髭のおじさんと、気弱そうな若い男。どちらも揃いの作業着とヘルメットを身に付け、バズーカ砲のようなものを担いでいる。
パンツスーツの女は紙の束を四等分して、それぞれに手渡した。
「闇属性のドラゴンだから、光属性の呪符が効くはず。とりあえず、貼っとこう」
四人は作業に取り掛かった。エルドラの鱗にペタペタと呪符を貼っていく。まるで宛名貼りのような手際の良さだ。
一方、エルドラのオーラは弱まっていく。
「や、やめろ……」
網の中でもがくが、呪符に力を奪われるのか、そのうち立っていられなくなり、ドスン……と土煙を上げて倒れた。
「さて……と」
呪符を貼り終えると、パンツスーツの女は若い男を呼んだ。
「一応、麻酔もいっとこう」
「えっと……」
男はバックパックから道具箱を取り出す。
「このサイズのドラゴンだと、どのくらいの量を打てばいいですか?」
すると女はチッと舌打ちした。
「野辺ぇ、獣医の資格持ってんだろ」
「三浪して中退したから、資格は持ってません……って、何回言わせます?」
「象十頭分くらいでいいんじゃね? 知らんけど」
渋い顔をしつつ、野辺と呼ばれた男は道具箱から大きな注射器を取り出して、鱗の隙間に針を刺す。
……すると間もなく、エルドラはいびきを立てだした。
「念の為、象二十頭分入れときました。三日くらい寝てると思います」
「おう、ご苦労さん」
――一連の作業を、彼はただ呆然と眺めていた。
ミリアとルージーの二人も同様で、ポカーンという効果音が似つかわしい顔でただただ突っ立っている。
そんな彼らの前に、パンツスーツの女がやって来た。そしてエルドラの鼻先にドカッと座って足を組んだ。
彼女は彼を見て言った。
「雨宮湊さん、十九歳の予備校生。住所は鳴王市西町七-三八で間違いない?」
「は……はい」
彼が答えると、パンツスーツの女は首に提げたIDカードを示した。
「私は鳴王市役所市民課、異世界失踪人捜索係の弓弦葉琴海です。雨宮さん、あなたを迎えに来ました」




