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第2話:はみ出し者たちの中で、新しい人生を

雨は、ギルドからあてがわれた小さな宿舎を出る頃にはもう止んでいた。


二日後。


それが、シスター・アメリアがあの艶やかな声で「おめでとうございます」と言いながら、封蝋の押された書簡を俺の手に渡してからの時間だ。


二日前、俺は《オーロラ》ギルドの一員となった。


かつて誇りと共に手にしていた「騎士」という称号とは比べものにならないほど細やかで、しかし、もしかすると、より“誠実”な新しい人生が、そこから始まったのかもしれない。


朝の空気は澄み切って冷たく、俺は新しいギルド支給の装備の襟を整えた。


濃紺の実用的なコート、肩には補強革、動きやすい仕立てのズボン。そして胸元には一つだけ輝く銀のバッジ――「オーロラ・ギルド Dランク」。


かつての「騎士団長」という肩書ほどの重みはない。だが、それでも“何か”ではあった。


ゆっくりと息を吐く。


「……行こう。」


...........................


今の俺の朝は、決まってギルド本館の大広間から始まる。

冒険者たちの喧噪と、下の食堂から漂ってくる香辛料の効いたパンの匂いに包まれながら。


「おい、新入り! 今日も薬草採集な!」

「昼食後は馬小屋の掃除だぞ、忘れんな!」

「それとヘルダさんが木箱の移動を頼んでた。腰を痛めずにな!」


どれも小さな、誰もが鼻で笑うような仕事だ。

だが今の俺には、それが必要だった。

一歩ずつ、信頼を積み重ねるために。


昼までに、薬師の店の棚を補充し、3キロメートル先の農夫へ伝令を届け、干し草の束を抱えて腕が軋むほど働いた。


華やかさなど一片もない。だが、額に滲む汗は、不思議と心を落ち着かせてくれる。


――もっとも、そう感じるのは俺だけのようだが。


.......................


物資を積んだ手押し車を押して《アストラライン》の石畳を歩いていた時、耳に届いたのは、あざ笑う声だった。


「おやおや……“黒騎士”様じゃないか」

「気をつけろよ。ちゃんと頭を下げないと、あの“裏切り者”に糞山でもひっくり返されるぞ」


道を塞ぐように三人の男が立ちはだかる。

磨き上げられた胸甲鎧。王国騎士団の紋章――かつての同僚たちだけど、違う部隊のようだ。

いや、“裁き手”たち。


「まさか《カディム・バログン》様が鶏のエサ運びなんかしてるとはな」

「牢屋の藁の上で腐ってると思ってたが、随分と楽しそうじゃねぇかー」


俺は手押し車の柄を握りしめたまま、短く答える。


「どけ。仕事がある」


「仕事? そうだな……じゃあ次は俺たちの靴を磨けよ。裏切り者の仕事ってやつだろ?」


突き刺すような笑い声。

刃よりも深く、心の奥を抉る声だった。

それでも俺は何も言わず、ただ前へ進む。彼らが道を空けるまで、ひたすらに。


「腰抜けめ」


背後から吐き捨てられたその言葉に、かつてなら剣で応えていたかもしれない。

だが――今の俺はもう、守るべき“誇り”など持ってはいないのだ。


.............................


「気にするなよ、あんな犬ども」


声をかけてきたのは、ギルドの前のベンチに腰掛けていた青年だった。


煤で黒ずんだ手で壊れたクロスボウをいじっている。名前はロナン。元攻城技師で、今は何でも屋の修理工だ。


「吠えるのは、鎖につながれてる証拠さ」

と彼はにやりと笑った。

「それに対して、お前は自由だ。今度こそ、本当に意味のあることをやれるはず」


俺はため息をつき、手押し車を彼の横に止めた。


「……剣を箒に持ち替えただけの気がするけどな...」


「壊す剣より、築く箒のほうがマシだろ」

とロナンは工具を動かしながら言った。

「このギルドは“栄光”じゃなく、“意義”で動いてるんだ。」


確かに、それは彼だけの考えではなかった。

日を追うごとに、俺は《オーロラ》という名の居場所を共有する者たちを知っていった。


料理場を切り盛りし、「世界が終わる味」と自慢する煮込み料理を毎日ふるまう元傭兵のジャリク。


片目の伝令で、鷹より速く王国中を駆け回るフェン。


没落貴族出身の書記官ルーセンは、財産は失ったが皮肉と知性だけは健在だ。


誰一人として俺の過去を問わない。

誰一人として俺を裁かない。

そして、何日ぶりかに――俺は笑っていた。


.....................................


「適応が早いのね~」


背後から聞こえた柔らかく響く声に、俺は手を止めた。

盾の汚れを落としていた訓練場で、振り返らずとも声の主はわかる。


「シスター・アメリア」

俺は立ち上がり、軽く頭を下げた。

「言われた通りにしているだけです」


彼女は金糸の走る修道服を揺らしながら近づいてくる。

今日の彼女は聖撃のメイスを腰に下げていたが、それは飾りに近い用途を果たしているだけ。戦場じゃないから。それでも、放たれる威圧感は変わらない。


「高貴な出の者は、こういう雑事を嫌がるわ」

と言い始める彼女。


「不満を言い、もっと良い仕事を寄越してと騒ぎ、そして一週間もせずに去っていくの……。でもあなたは違う。二日で盾磨きとはえらいわね~」


俺は小さく笑った。


「……すべてを失った今では、これは“贖罪”のようなものです」


アメリアの瞳が少しだけ優しくなる。


「贖罪は罰ではないわ、癒やしのためのもの。そして――ギルドマスターは、あなたの中に“馬丁以上”の何かを見ているのよ」


「“何か”……?」


彼女は直接は答えず、ゆっくりと武具棚を指先でなぞりながら言った。


「ひとつ、任務があるの。栄光を求める者にも、自惚れた者にも向かない任務よ」


「任務……?」


アメリアは微笑みを浮かべる。その目に宿る光は、どこか秘密めいている。


「……少しばかり“静かな”危険が伴う任務ね」


「どんな危険です?」


「いずれ分かるわ、ふふふ~」

と彼女はいたずらっぽく答えた。

「今は信頼を築きなさい。ギルドの信を得るのよ。いずれ――」


その視線が、鋭く、獲物を見据える獣のように俺を射抜く。


「――《カディム・バログン》、いずれあなたは必要とされるでしょう。“かつての騎士”ではなく、“今のあなた”が」


すぅー

「~!?」


俺の首筋をその白い手でゾクゾクするほど一瞬で撫でられながら、そう言い残していったアメリアは香の匂いと鉄の匂いを残しながら去っていった。


うぅぅ......やっぱりただの女じゃない事が確かだ!


............................


その日の夕刻。

一日の雑務を終えた俺は、ギルドの大きな食卓で新しい仲間たちと共に腰を下ろしていた。


ロナンとルーセンは「クロスボウと投石器のどっちが格好いいか」で言い争い、ジャリクは「完食できたら勇者」と豪語する二杯目の煮込みを振る舞っている。


笑い声と杯のぶつかる音が満ち、そこには確かな「仲間」の温度があった。


「兵舎とは違うだろ?」

とフェンが言って、俺の前にエールを滑らせる。


「……ああ」俺は頷いた。

「あそこは“階級”がすべてだった。ここは……“人”がすべてだ」


「その通りさ」フェンはにやりと笑い、椅子の背にもたれた。

「ここじゃ、騎士も貴族も落伍者も関係ない。ただ“世界を少しでもマシにしたい”奴らが集まってるだけだ」


温かなエールの味が、胸の奥まで染み渡っていく。


名誉を奪われたあの日、俺の使命も死んだと思っていた。

だが今――この“はみ出し者”たちの中で、俺は新しいものを感じ始めていた。


希望という名の、微かな灯火を。


....................................


翌朝、俺はアメリア修道女と共に街の外へ「巡回任務」に出ることになった。

……少なくとも、俺はそう聞かされていた。


「カディム君~、噂で聞いたあの罪があったんだけど、実際に隣国、『エリニス公国』の国境地帯を見たことは?」

と彼女は馬上で問いかけてきた。


「遠目からなら...」

と俺は本当のことを答えながら、彼女の意図を探るような表情を浮かべた。

「遠征中、許可なく近づくなと命じられた場所です。“呪われた土地”だと」


「呪われた……そう表現する者もいるのよね~」

とアメリアは静かに言った。

「“見捨てられた土地”と呼ぶ者もいるぐらいなの」


丘を越えると、風がひんやりと頬を撫でた。

その先に広がっていたのは――戦の亡霊に刻まれた谷。

骨組みだけの農家、焼け焦げた大地を覆う雑草、そして忘れ去られた村の影がぽつんと立っている。


「かつてここには、何千という人々が暮らしていた」

「商人も、兵士も、司祭も。今では……“こだま”しか残っていないわ」


俺はその荒廃を見つめ、息を呑んだ。


「なぜ……俺をここへ?」


アメリアは秘密めいた笑みを浮かべる。


「――世界に見捨てられた場所こそ、最も大切な“任務”が生まれるからよ」


その言葉は、街へ戻ってからも胸の奥で何度も反響した。


................................


その夜。

狭い宿舎のベッドに横たわり、俺は天井を見つめながら雨音に耳を澄ませていた。


嘲った騎士たちの声。

失った仲間たちの顔。

かつて誇りを込めて呼ばれた名が、今では侮蔑と共に囁かれている現実。


――だが同時に、ロナンの歯を見せた笑い声。

ジャリクの豪快な笑い。

アメリア修道女のからかうような笑みと妖艶な仕草と親切な目、そしてその奥に潜む“希望”のような光。


「世界に見捨てられた場所……」


彼女の言葉の真意は、まだわからない。

だが―俺の《オーロラ》での日々は、やがてもっと大きなものへと繋がっていく。

それは、かつて戦場でも経験したことのないほど深く、俺という人間そのものを試すものになるだろう.........


……そして、私は初めて、その“試練”を心待ちにしている自分に気づいた。


――追放されて以来、初めて。

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