あなたは237番目の聖女です
「何なのよこの馬!信じらんない!!」
そう叫ぶのはカリャン男爵家の令嬢であるルイーズ様。隣にいるのは彼女と同じく憤慨した様子のホートン伯爵家令息マックス様。
ちなみに自称私の元婚約者です。
本日、ここ王都にある訓練場にて、騎士団の馬上訓練が行われました。会場には王立学園の学生たちが招待され、所属する科を問わず多くの学生が訪れておりました。学園に入学して三ヶ月が経ち、一種の息抜きとしての行事でしたの。
自己紹介が遅れて申し訳ありません。私、リルコット伯爵家長女のメリルと申します。どうぞお見知りおき下さいませ。
さて、先程から騒いでいるお二人ですが、馬上訓練に使われた軍馬に文句を言っているのです。手を取り合っている男女だけ見れば歌劇のようですが、その台詞ではなんとも残念な仕上がりになりそう。
まず初めに、訓練後、まだ熱気に包まれた会場で突然ルイーズ様が声を上げたのです。
「まあ、あの馬怪我をしているわ!私の治癒魔法で癒してあげなくては!」
そう言った彼女は怪我をした馬に近づくと、治癒魔法をかけたのです。患部を覆った手の中から溢れた柔らかな光が彼女を包み、あっという間に傷を塞ぎました。
ここまでは良かったのですがねぇ。
「ルイーズ!君は何て心優しい女性なんだ!それに先程の君の神々しさ!君こそ真の聖女と言うに相応しい!!」
「そんなことありません!私はただ当たり前のことをしただけなのですから。これは治癒能力を持った者の義務ですわ。」
「ああ、謙虚な君も素敵だ!でも治癒魔法を使える者は貴重なのだ。それを動物にまで施してやるなんて、君の寛大な姿に皆が心打たれたことだろう!」
と、ここで観覧席をチラッと見るお二人ですが、誰も追従することもなくただ白けた空気が漂っています。
想像していた反応ではなかったようで、少し焦ったようにマックス様が茶番を続けます。
「先程の君は『ドラゴンの騎士と宝石の姫』に登場する聖女シャロンのようだった!傷ついた者を捨ておけないその気高さに私は感動した!」
『ドラゴンの騎士と宝石の姫』とは、この国に伝わる伝説を元にした子供向けの有名な物語です。
その中で、翼が折れたドラゴンを聖女シャロンが癒し、ドラゴンと仲良くなるという場面があるのですが、マックス様はそのことを仰っているのかしら?
嫌だわ、馬のかすり傷を治したくらいで大袈裟ね。
「きっとこの馬にも君の優しさが伝わったはずだ!このような素晴らしい婚約者を持てた私は国一番の果報者だよ。」
「まあ、マックス様ったら恥ずかしいわ。でも治癒魔法をかけた時、私の心にこの馬の「ありがとう」という気持ちが流れ込んで来たのです!言葉がなくても私には分かるのですわ!」
「なんと!まさかルイーズは聖女シャロンの生まれ変わりでは?!」
ルイーズ様が聖女の生まれ変わりなら、聖女と結ばれる騎士はマックス様だとでも言いたいのかしら?随分と図々しいのね。
盛り上がる二人をよそに、会場内は静かなまま。誰もが退出するタイミングを窺う中、再びルイーズ様が馬に近づきました。
おそらく聖女がドラゴンの首筋を撫でて親愛の気持ちを表す場面を再現したかったのでしょうが、ここで馬が想定外の動きをしたのです。
まず彼女が手を伸ばした瞬間、苛立った馬が顔を背けて尻尾を勢いよく振り、ルイーゼ様の顔にバッサバッサと当たりました。
そして「痛い痛い!」と顔を両手で覆ったルイーゼ様の横で、馬のお尻からボロボロと落ちるアレ。
会場のあちこちで抑えきれなかった「んぐっ」やら「ヒィ」という呻き声が聞こえてきます。私もあまりに悲惨な光景に、思わず俯いて肩を震わせてしまいましたわ。
あら、ようやく目をあけたルイーズ様とマックス様がアレに気付かれたようですね。文字にすると「ぎぃやぁぁぁ!!!」という感じの悲鳴を上げて後退りしています。
物語ではドラゴンが仲良くなった聖女に宝石を渡すのですが、それと比べてしまってますますルイーズ様が不憫です。ああお可哀想に。
ここで冒頭の「何なのよこの馬!信じらんない!!」に繋がるのですが。
「せっかく治してあげたのに、感謝する気持ちもないのかしら?!」
「聖女であるルイーズが自ら治療してやったというのに、なんだその態度は?!」
とまあ五月蝿いこと。
動物相手に自分の主張が聞き入れられるなんて思っていらっしゃるのかしら。というか、先程ルイーズ様は馬から感謝の気持ちを感じたと言っていたのですが、あれはなんだったのでしょう。
白けた気分で眺めていると、こちらを向いたマックス様と目が合ってしまいました。嫌な予感しかしないわ。
「メリル!!お前の仕業だろう!早くルイーズに謝罪しろ!!」
えっ、この茶番に巻き込まれるの?嫌だわ帰りたい。
さ というか、なぜ私の所為なのかしら。
拒否したい気持ちでいっぱいですが、私が行かないとこの茶番が終わらないようなので仕方ありません。渋々と言う態度は微笑みの下に隠して、彼らと対峙します。
「メリル!お前の領地は軍馬の産地として有名だったな!この馬もリルコット領産に違いない!何か仕組んだのだな?!私たちに恥をかかせたことを謝罪しろ!」
「そうよ!ここは私の優しさに感動した馬が擦り寄ってきたり私を乗せて走り出すシーンでしょお?!あなたのせいで台無しよ!!」
見事な責任転嫁ですわ。だいたい、馬の生理現象なんてどうやってコントロールしろというのでしょう。
「まず初めに断っておきますが、私はあなた方に何もしておりません。こちらの馬は我が領地産かもしれませんが、だからといって私にありもしない疑いをかけるのはおやめ下さい。」
「だったらなぜ馬がルイーズに攻撃したのだ?!可哀想なルイーズはあやうく失明するところだったのだぞ!」
リルコット領の産業に影響があってはいけませんので、ここはきちんと説明して差し上げましょう。
「馬はハエやアブなどの虫を追い払うために尻尾を振ります。決してルイーズ様を狙っていたわけではありません。」
「なんだと!!お前はルイーズをハエのような汚らわしい虫だと言うのか!!」
「ひどいわメリル様…私がマックス様の愛を奪ってしまったからって、こんな侮辱許せない!」
言葉が通じないというのはこのことでしょうか。私はただ馬の行動を説明しただけですのに、随分と被害妄想がお盛んでいらっしゃるのね。
彼らの主張を聞いていると話が進まないので、こちらも言いたいことだけ言ってしまおうかしら。
「それから、馬がルイーズ様に懐かないと先程から仰っていますが、たった一回の治癒行為で懐かないのは当然のことではありませんか。
あなた方の家には懇意にする治癒士はいらっしゃいませんの?」
「いるに決まっているだろう!我々を馬鹿にしているのか?!」
「でしたら想像して下さい。例えばあなたが旅行先で軽い怪我をして治療を受けた時、現地の治癒士に向かって『あなたは命の恩人だ、是非我が家の主治医となって欲しい』と言いますか?たかが一回の些細な治癒行為に、感謝の気持ちだと言って必要以上にご自分の資産を差し出しますか?」
「いや…それはこの件とは話が違うのではないか。」
「ただの例え話でしょう。それに馬だって厩舎に戻れば治癒士の診療を受けられますし、ルイーズ様がわざわざここで治療する必要もなかったのですよ。」
「私の治癒魔法を馬鹿にするのね!そんなに真の聖女である私の優しさが理解できないなら、今後一切あなたに頼まれても拒否するわ!」
本当にこの方達、何をしにここに来ているのかしら。ご自分のことを過大評価されているし、現状の把握もされていないのね。
「はい、特に困りませんので結構です。それからこれは余計な忠告かもしれませんが、ルイーズ様が『真の聖女』と名乗るのはおすすめしません。今のあなたは『治癒士見習い』です。」
「ルイーズは治癒魔法が認められてこの学園に入学したのだぞ!なぜ「見習い」などと貶めるのだ!」
「治癒魔法に限らず、それぞれの魔法を正しく学ぶためにこの学園はあるのです。二年間の学びの後、試験に合格して初めて『治癒士』を名乗れますので、そうすればまあ『真の聖女』と名乗っても間違いではないのかしら。」
「しかし、治癒魔法の使い手は貴重なのだろう。たとえ今は正式な聖女ではないとしても、ルイーズを馬鹿にする理由にはならん!」
「治癒士が貴重と仰いますが、国内にどれくらいの治癒士がいるのかご存知ないのですか?」
あらあら、二人で顔を見合わせていらっしゃるわ。入学前に何も学習して来なかったのでしょうね。
「女性の治癒士を「聖女」と呼ぶこともありますが、それで言うと、現在国内には236名の聖女がおります。なので、ルイーズ様が治癒士の試験に合格されれば、聖女リストの237番目にお名前が登録されます。」
「にひゃくさんじゅうなな…そんなに…」
「もちろん男性の治癒士もいらっしゃいますので、合わせると千名くらいになりますかしら。少なくとも数名ずつがそれぞれの大きい村や街に派遣されていますから、ルイーズ様だけが特別というわけではないのです。私たちの学年でも何名か治癒士試験に臨む方はいらっしゃるでしょうし。」
「でも皆、私のことすごいって将来が楽しみだねって言ってくれて…だから…」
「治癒士とは治癒魔法に特化した国家資格を持つ職業です。卒業後の選択肢が増えるし、ご実家の名誉のためにも頑張ってね、ということでは?」
あら、ルイーズ様が泣いてしまったわ、どうしましょう。泣くほどきつい言い方をしたつもりはないのだけど。
「どうしてそんな意地悪なの!だからマックスにも相手にされなかったのよ!」
「そうだ!お前も少しはルイーズのように愛想が良ければ婚約継続も考えてやったのだがな!」
丁寧に説明して差し上げた私に向かってこの謂れのない罵倒。こうまで言われて私が我慢する必要あります?
「何か勘違いなさっておいでですわ。これもご家族に聞けばすぐ分かることだと思いますが、私とマックス様の間に婚約関係があったことはございません。なぜなら父親同士の酒の席での軽口ですもの。正式な顔合わせをしたわけでもないし、国に婚約契約書の提出もしていません。父親が交流があるという程度の知人です。」
事実無根の話を吹聴されても困るので、きっぱりと断言しておきました。
これまでも誰かに聞かれれば答えていましたが、わざわざ元婚約者の話を振ってくる人なんてあまりいないでしょうから、どうも広まらなかったよう。
でも今回のことで私たちが無関係だったことが周知できたから良かったのかしら?
「私があなた方と関係がないこと、お分かり頂けましたか?ではもう解散でよろしいわね。」
「そうそう、ルイーズ様に一つ言っておきますが、治癒士試験は実技だけで合格できる簡単なものではございません。幸い入学したばかりですから、心を入れ替え真面目に学ぶことをお勧めしますわ。」
さて、合格率六割の国家資格は、彼女には余裕かしら、それとも…?
二年後が楽しみね。
治癒士試験に不合格の場合でも、専門の教育課程を受けているので、卒業すれば治癒補士にはなれるイメージ。
たぶん貴族は家に治癒士が来るので、市井にどれくらいの治癒士がいるのか考えてなかったのかな。