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鬼に抱かれし少年は、今宵も逝者の夢を見る  作者: 秋山リョウ
第1話「夢は血に染まりて」
1/1

第1章「狙われた名家」

1500年前。

空が裂け、異界の門が開いた。

そこから現れたのは、人ならざる存在――魔族たちだった。


圧倒的な力をもって、彼らは人間たちの土地を奪い、命を奪い、尊厳を奪った。

人々はただ震え、祈ることしかできなかった。

だが、絶望のただ中に、ひとつの転機が訪れる。


ひとりの魔族が、人間に“魔術”という叡智を授けたのだ。

それがなぜだったのか、今となっては誰にも分からない。

しかし、人間たちはその術を密かに育て、血と汗と涙で鍛え上げ、ついに牙を手に入れた。


――魔術革命。

それは人類の反撃だった。


革命の炎は、魔族を異界へと追いやった。

人間たちは自由を勝ち取った。

けれど、手にした自由の代わりに、人間たちは憎しみを選んだ。


かつての被支配者である人間は、今度は魔族を徹底的に弾圧した。

魔族に与えられたのは、“契約”という名の首輪。

人間と契約を結ばなければ、この世界で生きることは許されない。


――時は現代。

人と魔族は表向きには共存している。

だが、その関係はあまりにも脆く、深いひび割れが走っていた。


北方のヴォルフスロー

灰色の霧に包まれ、石畳の道と古びたレンガ造りの建物が静かに連なるこの街には、いまだ根強い“種族差別”が息づいていた。


とりわけ、ある魔族――**人狼**に対する偏見と嫌悪は、街の空気そのものに染みついている。


この街に暮らすのは、人間と人狼だけ。

だが、その“共存”の実態は、名ばかりのものだった。


人間たちは人狼を畏れ、蔑み、遠ざける。

人狼たちは街の隅に追いやられ、言葉を呑み、肩をすぼめて暮らしている。


それでも、街は静かに回り続ける。

人々はパン屋に並び、名物のふわふわクリームパンを頬張り、今日も霧の中に消えていく――

まるで、何も問題など存在しないかのように。


だが、均衡は、いつか崩れる。

それはいつだって、血と共に。

街の一番奥、古くからそびえ立つ石造りの大邸宅。

それはヴォルフスローにおいて、まさに権力と歴史の象徴とも言える場所――アーデルハイト家の屋敷だった。

今日は、滅多にない一日だった。

朝の柔らかな光がヴォルフスローの灰色の街並みに差し込む頃――

長らく顔を合わせてこなかったアーデルハイト家の一族が、久々に全員そろうということで、屋敷は朝から落ち着かない空気に包まれていた。




重厚な門が開き、一台の黒いリムジンが静かに乗りつける。

最初に降り立ったのは、ビジネススーツに身を包んだ男。切れ長の目と鋭い視線を持つ、長男――シュバルツ・アーデルハイト。

そのすぐ後ろから、どこか斜に構えた表情の次男――ライナー・アーデルハイトが続く。

優雅なドレスに身を包んだ長女、イザベラ・アーデルハイト

控えめな微笑みを浮かべる次女、イレーネ・アーデルハイトと続いていく





玄関前にはすでに数名の報道陣が陣取り、フラッシュとシャッター音が交錯していた。


「シュバルツ様、次期当主はどなたに!? 遺産について何か進展は!?」

「ライナー様、アルベルト氏の容態は本当に――」


記者たちの問いが飛び交う中、ひときわ高い声が響いた。


「す、すみませんっ! 本日は一体どういった集まりなのですか!?

 噂では……お父様の**アルベルト様が“危篤状態”**だとか……!!」


ボイスレコーダーを差し出しながら声を張るのは、若き新聞記者――リリィ・ウェーバー。


だが、誰一人として答えようとはしなかった。

シュバルツは冷ややかな視線を一瞥くれるだけで、足を止めることすらせず。


一族は、まるで結界にでも導かれるように、屋敷の奥へと消えていった。


残されたのは、冬の冷気と、報道陣のざわめきだけ――。



重厚な扉が静かに開かれると、そこには壮麗な大広間が広がっていた。


時代の重みを刻む大きな古時計が、静かに時を打つ。

頭上には黄金に輝くシャンデリアが煌々と灯り、壁際には磨き抜かれたアンティーク家具と高価な絵画が整然と並んでいる。

その空間すべてが、アーデルハイト家の名門ぶりを物語っていた。


大理石の床を踏みしめながら進んだ先、長く重厚なダイニングテーブルの奥に――

気品をまとった老紳士が静かに腰掛けていた。

この家の主にして、街の実力者――アルベルト・アーデルハイト、その人である。


「よく来てくれたな。まずは座ってくれ。」


柔らかな口調に促され、4人の兄弟姉妹が順に椅子へ腰を下ろす。


「……で、なんなんだよ。こんな時に急に呼び出して。」


沈黙を破ったのは長男、シュバルツ。

口調こそ乱暴だが、視線には探るような色が宿っていた。


「話がある。ただの話ではない。家族全員にとって、大事な話だ。」


アルベルトはそう言って、ゆっくりと子どもたちを見渡す。


「次期当主の話か?」


シュバルツがニヤリと唇を吊り上げる。


「ちがうよ、兄さん。お父様の体調のことじゃないか?」


次男、ライナーが冷静に口を挟む。


「違う違う、ぜったい遺産の話よ! ねえ、お父様!」


と、興奮ぎみに身を乗り出すのは長女、イザベラ。


「お、お兄様、お姉様……まだお父様は何も言ってないのに……」


末っ子、イレーネは不安げに視線を泳がせた。


それを見て、アルベルトはふっと目を細める。

その表情には、どこか懐かしさと諦念が入り混じっていた。


「ふふ……変わらんね、君たちは。」


老いた父の微笑みに、場の空気が一瞬だけ和らぐ。


「せっかくの再会だ。まずはゆっくりしてくれ。

君たちの近況も聞きたいし、母さんの墓にも手を合わせてやってほしいんだ。」


「……おい、親父。話は?」


苛立ちを隠せないシュバルツの声が、静けさにわずかなひびを入れる。


「夕食の席で話そう。すべて、そこでな。」


それだけを告げると、アルベルトは椅子にもたれ、深く目を閉じた。


――このあと、この屋敷で起こる凄惨な事件を、

このときはまだ、誰ひとりとして予想していなかった。



日が傾くにつれ、アーデルハイトの屋敷にはそれぞれの時が流れていった。


長男、シュバルツは中庭を歩きながら、携帯で部下に指示を飛ばしていた。

「……それは俺の承認がなきゃ動かすなって言ったろ? ……はぁ? ふざけんな。」


次男、ライナーは応接間で父とコーヒーを酌み交わしていた。

医師らしい穏やかな声色で、互いの健康や時事の話題を交わしていた。


長女、イザベラは母の遺したドレスのクローゼットを勝手知ったように漁っていた。

「……あった。懐かしい。これ、ステージ衣装にできそうじゃない?」


そして末娘のイレーネは、静かな音楽室で、幼い頃から慣れ親しんだ懐かしのピアノの前に腰掛けていた。

指先が触れた途端、美しい旋律が屋敷の壁を優しく包み込む。


屋敷の空気は、久しぶりの家族の集いにしてはどこかぎこちなく、それでいて――妙に静かだった。



やがて、時間はあっという間に夜に塗り替えられる。


灯りの落とされた屋敷の中心、大広間。

そこには堂々たる長大な楕円形のダイニングテーブルが据えられていた。

黒檀の木目が柔らかな燭光に照らされ、艶やかに光を放つ。


その周囲には、今日この場に集められた四人の兄弟姉妹が静かに着席していた。

緊張と警戒、そして期待――それぞれが異なる思惑を胸に秘めながら。


テーブル上では、長年仕えてきた老執事たちが無駄のない動きでセッティングを整えていく。

背筋の伸びたメイドたちは、スープや焼きたてのローストを丁寧に運び入れ、空気は静謐で上品なまま。


……その静けさを、最初に破ったのは――




「ああっ、くそったれ! 親父はまだかよ!!」


シュバルツ・アーデルハイト(38)――大手企業の代表取締役。

鋭い目つきに三日月型の無精髭、空気を読む気などさらさらない口調が、彼の性格をよく物語っていた。


「兄さん、落ち着いて。……“家族に関わる大事な話”って言ってたでしょ?お父様だって心の準備がいるんだよ。」


と、隣でなだめるように声をかけたのは、ライナー・アーデルハイト(34)。

白衣の代わりに落ち着いたグレースーツを着た彼は、有名な外科医であり、アーデルハイト家の良識派……と言えるかもしれない。


「心の準備なんているのかしら?どうせお兄様たちやイレーネが遺産を引き継いだってなんの得もないんだから、私にぜーんぶくれればいいのよ。」


唐突に笑いながら口を挟んだのは、派手な宝石を身につけた長女、イザベラ・アーデルハイト(30)。

世間では“才色兼備の女優”として名を馳せるが、兄弟の中では一番、言葉がトゲだらけだった。


「お、お姉様、まだ遺産の話って決まったわけじゃ......。」


おそるおそる呟いたのは、末っ子のイレーネ・アーデルハイト(28)。

クラシック界で名を上げつつある天才ピアニストだが、家族の中では一歩引いたような立ち位置。

彼女の声は、豪奢な大広間の中で、妙にちいさく響いた。


時折、古時計の秒針だけが静かに、しかし確実に時を刻んでいた。


重苦しい沈黙の中、だれもが――“そのとき”を待っていた。



「まちきれねぇ!!親父はまだか!!」


苛立ちを隠そうともせず、シュバルツが声を荒げた。

大理石の床にその怒号が反響し、屋敷の空気が一層ぴりつく。


「……申し訳ありません」


老執事が頭を深々と下げた。すると、彼の視線はすぐそばの若いメイドへと向けられる。


「クラリス。旦那様はどうした?」


「さ、先ほどお声をおかけしたのですが……まだ、お返事が……」


声を震わせながら答えるクラリスに、シュバルツは机をドンッと蹴りつけた。


「いいから、さっさと呼んでこい!!」


「は、はいっ。ただいま!」


クラリスは慌てて大広間を飛び出していった。


「兄さん、本当に変わらないね……」


ライナーがやれやれといった顔でぼやく。


「……あ? どういう意味だ?」


「べつに、なんでも」


「ていうか、もう早くしてほしい〜。お腹すいた〜〜」


椅子にもたれたイザベラが、女優とは思えない子供のような声で駄々をこねる。


「す、すぐ来るよ。お姉様……きっと……」


と、イレーネが小声でなだめた、その瞬間――


「――いやぁぁぁぁあああ!!!!!」


甲高く響いたのは、さきほど出ていったクラリスの悲鳴だった。


「な、なんだ!?」


家族全員が反射的に立ち上がり、悲鳴の聞こえた廊下へと駆け出す。


開け放たれたアルベルトの部屋の前で、クラリスが腰を抜かして倒れていた。


「なにがあった!?」


「だ……旦那様が……っ……!」


部屋の中をのぞき込んだ瞬間、空気が凍りついた。


血の海。


重厚な絨毯は真っ赤に染まり、中央には――腹を深く引き裂かれたアルベルトの遺体が横たわっていた。

その周囲には、異常なほど大きな獣の毛と足跡が、血にまみれて残されている。


「お、親父……」


「う、うそ……」


シュバルツとイザベラが、ほとんど同時に言葉を失う。


クラリスは顔を両手で覆い、泣き出しそうな声で嗚咽をこらえていた。


そして、唯一冷静に遺体へと歩み寄ったのは、医師であるライナーだった。

彼は眉間にしわを寄せながら、脈を確認するまでもなく口を開いた。


「……死んでる」


その一言が、確かな現実を突きつけた。


満月の夜。

静まり返った屋敷に、忌まわしき惨劇の幕が下ろされた――。

名門アーデルハイト家で悲劇が起きたその夜。

街の片隅、小さな宿屋の寝室で――少年は美女の腕の中、静かに眠っていた。


「ふふ……ユリくん、かわいい」


銀髪を揺らしながら、鬼族の美女・**紫苑しおん**は、少年の髪をやさしく撫でる。

その表情は慈愛そのもので、まるで母が幼い息子を抱くようだった。


少年の名はユリス・ルルナリス。

彼は今、“夢”の中にいる。


――空気はどこかぼやけていて、色彩は淡くにじみ、音も遠く響く。

まるで薄いベールを通して世界を見ているような、奇妙な感覚。


不意に視界がゆっくりと切り替わる。

次の瞬間には、ユリスはすでに別の場所――とある民家の寝室に立っていた。


そこにはベッドでいびきをかいてねむる中年の男がいた。


「おい、起きろ。ダメ親父」


少年の声とともに、男のベッドが蹴られる。


「ん……なんだぁ?」


目をこすりながら起き上がる男。トム・ベイカー、この街の商人。……そして、今はもうこの世の人間ではない。


「トム・ベイカーだな?」


「ん?そうだけど……てか君、誰?なんでウチに?」


「質問が多い。僕はユリス・ルルナリス。覚えなくていい。君と話すのは最初で最後だ」


「え、そうなの……?」


ユリスはため息をひとつ。お決まりの流れだ。


「君、自分が死んだって理解してる?」


「……やっぱり、死んだのかぁ。目の前が真っ暗になったと思ったんだよねー」


頭をぼりぼりかくトム。のんきな反応に、ユリスはさらに呆れる。


「でも、死んでるのに人と話してるって、これ……夢?」


「そう。夢だよ」


「マジ?」


「マジだ」


「じゃあ……死んだのが夢だったらいいなあ。妻が寂しがるよう。」


「マンホールに落ちただけだろ? しかも君の妻、葬儀で笑いをこらえるのに必死だったらしい。」


「え、マジで?」


「だからマジだ」


「あの女ぁ……!」


「それはともかく。その妻が困ってるんだ」


「え?どうして?」


「**君が金庫の鍵を隠して逝ったからだよ。**開かないんだ、似ても焼いても。で、鍵はどこだ?」


「ええ……開けるの?」


「は?」


「いや……あんまりオススメはしないなぁ……」


「死人が何言ってる。協力しろ。財産を持ち逃げしても意味ないだろ。あの世に金は持っていけない。」


「ま、まぁそうなんだけど……」


ユリスがベッドをガンガン蹴る。


「わ、わかったよ!言えばいいんだろ!」


トムが観念するように告げる。


「書斎にあるタンスの一番下。あれ、二重構造になってるんだ。そこの奥に鍵がある」


「素直でよろしい」


ユリスはくるりと背を向ける。


「後悔するなよぉ!絶対するからなぁ!」


その声を背中で受けながら、ユリスの意識は夢から離れていく。



静かに、まぶたが開く。


「起きた! おはよう、ユリくん!」


紫苑がユリスの顔をのぞきこみ、微笑んだ。


銀色の髪がかすかに揺れる。

花のような甘い香りが尾行をくすぐる。

紫苑の柔らかい腕の感触、心地よい温もりを感じる。


何度も夢と現実を行き来してきたユリスには、もう迷いはない。

ここが現実だということを、直感的に理解していた。


「おはようって……まだ夜だろ」


呆れたようにそう言いながら、ユリスは体を起こす。

紫苑の体温が背中からふっと離れ、空気がひんやりと肌に触れる。

その頬が、ほんのわずかに赤いのは、誰も指摘しない。


「えー? でも寝て起きたら『おはよう』でしょ?」


「寝てない。夢を見てる間、僕は休んでないんだ」


ぶっきらぼうに言いながら、ユリスはベッドから降り、身支度を始める。

服のしわを直し、靴を整える仕草は、14歳の少年にしては妙に慣れていた。


「……ほんと、えらいなぁ。ユリくん」


紫苑も着崩した和装を直す。

胸元から肩へとゆるく落ちる布、脚を大胆に露出した装いに、腰にはよく手入れされた日本刀が下げられている。

その姿は艶やかで、けれどどこか野生的だった。


「ほめるな。……さ、依頼人のところへ行こう」


「はーい♪」


明るく返事をした紫苑がその後ろを追う。

2人は静かに部屋を後にし、小さな宿屋の戸口をくぐった。


──冷たい夜風が、街の匂いを運んでくる。


これが、確かに“現実”だということを、ユリスはひとつ深く息を吸って確かめた。


依頼人である妻を訪ね、ベイカー家に入る。

先ほど夢で見た景色がそのままここにあった。

しかし、寝室にはだらしない中年男の寝顔はなかった。

そして、書斎のタンスの1番下をよく調べてみる。


「……あ、あったわ!!タンスの二重底に、ほんとに鍵が!」


妻が鍵をみつけた。


「すごい……これが夢見探偵の力……」


「僕はただ、そんな夢を見ただけです」


「すっごいでしょ!? ユリくん、えらいえらい~」


紫苑が頭を撫でようとするが、スッと身を引かれる。


「さわるな」


「ぶー……」


ふくれる紫苑を横目に、金庫の前へ。


「開けるわね。」


震える手で鍵を差し込む妻。ゆっくりと回すと――


カチャリ、と重たい音がして、金庫が開いた。


中には――


艶めいた女性の表紙、山積みの官能小説、ビデオ、ポスター……


「……あああああっ!!!???」


紫苑が顔を真っ赤にしてのけぞる。


「な、なにが入ってたんだ? 僕も見たい。気になる」


身を乗り出すユリスを、紫苑が慌てて目隠しする。


「だ、だめっ! ユリくんは見ちゃだめぇぇぇ!!」


「おい、やめろ!見せろ!探偵として確認する義務が――!」


「だ、だめったらだめぇ!!ユリくんは汚れちゃだめぇぇぇ、!!」


──その後、夜が明けるまで。

ふたりは妻による夫のグチを延々と聞かされる羽目になったのだった。




朝焼けが差し込むヴォルフスローの住宅街。

その一角、ベイカー家の玄関先に、二人の姿があった。


「どうもありがとうね。すごくすっきりしたわ!はい、これ、お代。それと、昨日買っておいたパン。よかったら食べて」


にこやかに頭を下げながら、トムの妻は封筒と紙袋を差し出す。

封筒には報酬。紙袋には、地元名物のふわふわクリームパン。


「ありがとうございます。また、夢見探偵をよろしくお願いします」


ユリスが頭を下げると、その隣で紫苑もぺこり。


「しまーす……」


力なく言って、二人はフラフラと歩き出す。



街の中心部のベンチ。

その上にぐったりともたれるようにして、ユリスと紫苑はパンにかじりついていた。


「あーんっ、ん!?んま!!クリームパンうんまっ!!」


紫苑がクリームパンにかぶりつく


「頭が痛いんだから,もう少し静かにしてくれ。」


ユリスはその隣でけだるそうに小さくパンをひとくち。


「でもさー、ユリくん。これしか入ってなかったよー?」


紫苑が封筒を覗き込んで言う。


「旅の資金にしては、少なすぎない?」


「いいんだ。営利目的じゃない。最低限でいい」


「そーなのー? でも、うち、もっと稼いで!たっくさん美味しいもの食べたいし、おしゃれもしたいし、かわいい服もほしいし、あと――」


「旅の目的を忘れるな」


ユリスがぎろりと紫苑をにらむ


「うぅ……わかってるってば。ユリくんのママとお姉ちゃんを探す旅でしょ?」


「わかってるならいい」


そんな会話の途中で――


「……なんか、騒がしくないか?」


街の空気がざわめいていた。警官が走り、野次馬が集まり、報道カメラがうろついている。


「え、ホントだ。なんか事件のニオイ……!」


ユリスが立ち上がる。


「嫌な予感がする。この街を離れよう」


「ちょっと聞いてくるー!」


「おい、やめ――!」


ユリスの声を無視して、紫苑はダッシュ。



人混みの中をかき分け、紫苑がたどりついたのは――

ヴォルフスロー随一の大屋敷。アーデルハイト家。


門前には警察と報道陣が集まり、敷地内へ立ち入らないよう押しとどめている。

その横で、紫苑は近くの中年男性に話しかける。


「ねぇねぇ、おじさん?なんかあったの?」


「ん? ああ、殺人事件だとさ。今朝発見されたらしい」


「さ、さつじん!? じ、事件ってこと!?!?だいへんたいへん大変たいへーーーん!!」


パニックになった紫苑は猛ダッシュでベンチまで戻る。



「ユリくーーーん!!」


叫びながら、ユリスに思い切り抱きつく。


「ちょっ……何をする!」


「殺人事件だって!!」


「それがどうした」


「事件だよ!?事件!!」


「僕には関係な――おい、こら、引っ張るな!」


逃げようとしたユリスの腕を、紫苑ががっちり掴む。


「行こっ!行くよ!夢見探偵、しゅっぱーつ!!」


「やめろ、僕は――ああ、引きずるなああああっ!」


ずるずると引きずられていくユリス。


「真実はいつもひとーつ!」


「……言ってて恥ずかしくないのか……?」


事件の匂いと、強引すぎる助手に巻き込まれ、

少年探偵ユリス・ルルナリスは――再び謎と血の渦へと足を踏み入れることになる。


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