嘆き女
親父の田舎には、「嘆キ女」と呼ばれる存在がいる。
その村では、夜中に女の泣き声を聞いても、絶対に外を覗いてはいけない。
「どんなに気になっても、障子の隙間からでも見たらダメだよ」
小学生の頃、夏休みに親父の実家へ遊びに行った時、ばあちゃんにそう言われた。
当時は迷信だろうと笑っていたが、実際に体験した俺は、今でも思い出すだけで背筋が凍る。
あの日の夜――。
山奥の田舎だから、夜になると本当に何も聞こえなくなる。虫の声すら途絶えた真夜中、突然、どこかからすすり泣く声が聞こえてきた。
家の外、すぐ近く。
「ひっ……ひっく……」
か細く、震えるような女の泣き声だった。
起きてしまった俺は、布団の中でじっと息をひそめた。でも、泣き声はやまない。むしろ、だんだん近づいてくるような気がした。
「ひっく……ひっく……」
喉が乾いて仕方がなかった。恐る恐る布団を抜け出し、障子の向こうを見た。
見てはいけないと分かっていたのに。
――そこにいた。
白い着物を着た女が、家の前に立っていた。
黒く長い髪で顔が隠れている。でも、肩が小さく震えていて、確かに泣いていた。
俺は、言葉を失った。
――その時。
泣き声が、ピタリと止んだ。
女が、顔を上げた。
暗闇の中、白くぼんやりと浮かび上がる顔。目と口だけが、異様に大きかった。
俺は、悲鳴すら出せなかった。
女の唇がゆっくりと動く。
「……見たね……?」
その瞬間、女が一歩、俺の方へ近づいた。
俺は全身の毛が逆立つのを感じた。
「見たね……? 見たね……?」
声が耳の奥に直接響いてくる。
動けない。逃げられない。
――その時、
「見てない!!」
咄嗟に叫んだ。
すると、女の顔が歪んだ。
「……嘘だ……嘘だ……嘘だぁ……!」
怨嗟の声と共に、女の姿がふっと消えた。
翌朝、ばあちゃんに話すと、ひどく青ざめて言った。
「嘆キ女に見られたら、あの世に引きずられるんだよ……」
それ以来、俺は二度と親父の田舎に行っていない。
今でも夜中に、ふと泣き声が聞こえることがある。
でも俺は、決して外を覗かない。