8:満たされていく心
なんだろう。最近、上手くいきすぎて怖いくらい。
私がユリウス様の婚約者だと広まると、周囲の様子も変わり始めていた。
噂は相変わらずなのか、遠巻きにヒソヒソされることはあったが、以前のように絡んでくる生徒はいなくなった。
それから、雪乃という友人ができたというのも大きい。
何気ない会話に心が弾む。
ユリウス様は忙しいので、いつもランチをご一緒するわけにはいかないが、そんな日でも雪乃と過ごせる。雪乃も異世界から来た聖女という扱いのせいで、同性の友人がいなかったらしい。
私は意を決して、前世の記憶があることを雪乃に告白した。
「やっぱり。口調は悪役令嬢エリーのままなのに、雰囲気が全然違うって思ってた。それなら余計に話しやすいかも。ねえ、エリーシャはお米食べたいって思わない? おにぎりとかさ。無性に食べたくなるんだよね」
「わ、わかりますわ……! 海苔を巻いたおにぎりと卵焼き、そして皮をパリパリに焼いたウインナーを求める心がありますの」
「私はそこに唐揚げも欲しいところ。お醤油……味噌……!」
「ああっ、やめてくださいまし! 胃がお米を求めてしまいましてよっ!」
「あははっ! エリーシャって面白い!」
「その言葉、そっくりお返ししてよ?」
驚かれるどころか、あっという間にあるある話で盛り上がるようになった。
この世界の建物や服装なんかは中世から近世ヨーロッパ風なのだが、乙女ゲームだからか、清潔だし魔法もあるし文化水準も高い。洋風の食べ物も美味しいのだが、やっぱりお米が食べたい時もあるのだ。
雪乃と仲良くなり、私は笑顔でいることが増えていった。
ユリウス様との仲も順調だ。
雪乃とのフラグが立っていないのもあり、断罪の心配もなくなったと思っていいだろう。
王城に呼ばれ、ユリウス様の私室に通される。
差し出されたのは、何度も読み直すくらいお気に入りの本だった。
「エリーシャ、この本が王立歌劇場で歌劇になるのは知ってる?」
「まあ、本当ですの!?」
「ああ。来週から公開が決まっているそうだよ」
「素敵ですわ。わたくしも一度、王立歌劇場に行ってみたいと思っていましたのよ。ですけれど、今からチケットが取れるでしょうか。大人気で、すぐに売り切れてしまうと聞いたことがありましてよ」
そう言う私に、ユリウス様はクスッと笑う。
「もちろんそう言うと思ってね、公開初日にロイヤルボックス席を押さえてある。君を誘っても構わないかな?」
「わ、わたくしを……?」
「うん、二人きりで。その……デート、ということになるんだれど、エスコートさせてもらえないだろうか」
ユリウス様の白皙の顔に、ほんのり血の気が増す。
「も、もちろん構いません! いえ、あの、よ、喜んで……!」
「よかった」
私があわあわしながらそう言えば、ユリウス様は頬を染めてはにかむように微笑んだ。
──破壊力が大き過ぎますユリウス様っ!
心臓がドッドッドッと激しく動く。
「で、ですが……歌劇場ってドレスコードがございますわよね。わたくし、このドレスしかありませんの。いっそ制服の方がよろしいかしら……」
真っ赤でド派手な悪役令嬢のドレスは正装として使えるが、ユリウス様と学外で会う際にもいつも同じドレスなのである。しかも流行から外れている。さすがに人目がつく場所に着ていくことは躊躇われた。
「そのドレスもよく似合っていると思うんだけど、よければ君にプレゼントしたいと思って、用意させてもらった」
「えっ!?」
「今日呼んだのも、そのドレスが出来上がったからなんだ。一度着てみてくれないかな。サイズを調整してもらうから」
私は目をぱちくりしながら、隣室に通される。
そこには美しいドレスがトルソーに着せられていた。
アイボリーを基調とした、ふんわりと繊細なシフォン生地のドレスで、裾は黄緑色がだんだん濃くなるグラデーションになっている。装飾には真珠が散りばめられていた。
袖や裾が軽やかで、裾の黄緑色も相まって涼しげだ。
「綺麗……」
ぽつりと言葉が零れる。
上品で、繊細なのに、華やかさもあって。
「気に入った?」
ユリウス様の言葉に、私は子供のようにうんうんと頷くことしか出来なかった。
「エリーシャによく似合うと思って。黄緑色は近年の流行色らしい。エリーシャみたいな赤い髪なら、裾なんかに少しだけ取り入れる方がいいそうだ。このふんわりしたドレス、君の雰囲気にもぴったりだ」
私は思わず口元を押さえる。そうしなければ、涙が溢れてしまいそうな気がした。
私のために用意されたドレス。
ずっと欲しかったものが、目の前にある。
なんて幸せなんだろう。
「着てみてくれるかな?」
私は涙を堪えて頷く。
ユリウス様は眩しいものを見るように目を細めていた。
ユリウス様が部屋を出ていってから、王城の侍女に着せてもらう。
「まあ、よくお似合いです。では鏡をご覧ください」
「ありがとう」
鏡で見ても、赤毛とドレスの裾の黄緑色は距離が離れているため反発せず、むしろ赤い髪が引き立つように見える。瞳の色ともバランスがいい。
「サイズも問題ありませんね」
「ええ。着心地もよくて、本当に素敵なドレス……わたくし、こんな素敵なドレスは初めてですの」
王城の侍女なら、貴族の出身であることは 間違いないだろう。当然、彼女も私の噂は知っていたのか、私の言葉に不思議そうな顔を見せる。
「ふふ、本当ですのよ。ずっとエリアンナのお下がりばかりで。信じなくても結構ですけれどね」
侍女は首を横に振る。
「いえ、信じます。噂通りの方なら、王城にいつも同じドレスで参られるということはないでしょう。わたくしもこの目で実際にエリーシャ様を拝見し、噂と違うと感じておりました」
侍女は微笑む。
「さて、この素敵なドレス姿を一刻も早くユリウス様にお見せしなければ。ユリウス様をお呼びして構いませんか?」
「ええ、お願いしますわ!」