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7:ユリウス視点:エリーシャの噂

 エリーシャと呼ばれる悪女の噂は王立魔法学園に在籍しているのなら、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。


 毒々しい真っ赤な髪、嫉妬深い緑色の瞳の公爵令嬢、エリーシャ・アーレント。

 完璧な淑女と呼ばれるエリアンナ・アーレントの双子の姉で、そっくりの容貌ながら、中身は真逆らしい。怠惰で不誠実で身持ちが悪く、おまけに癇癪持ちなのだという。


「──ですから、ユリウス様もエリーシャ・アーレントには関わらない方がいいですよ」

「ふぅん、そう」


 クラスメイトの忠告に、僕は曖昧に微笑む。

 自分の目で見たわけではない以上、肯定も否定もしない方がいいと思ったのだ。


 そんな彼女を図書館でよく見かけるようになった。

 エリアンナの方ではない。友人たちに囲まれて楽しそうに過ごしているのをついさっき目撃したばかりだった。だから消去法で、彼女がエリーシャなのだろう。


 エリーシャは隅の席で黙々と本のページを捲っている。

 その表情に視線が吸い寄せられた。

 緑色の瞳は新緑のようにキラキラと輝き、気の強そうな目尻がふにゃっと垂れて柔らかくなる。薔薇の花びらのような唇がわずかに綻んでいた。


──なんて楽しそうに本を読む人なんだろう。


 それがエリーシャへの、最初の印象だった。




 そんなことがあってからからしばらく経った頃、かつて王城で子守のばあやとして勤めていてくれた方から、久しぶりの連絡があった。


 ばあやは引退した後、持病が悪化して田舎で療養していたのだが、久しぶりに王都に戻ってくることになったそうだ。


 しかし、ばあやは約束の日に訪れず、次の日に病院から連絡があったのだった。


「ユリウス様、お約束したのに申し訳ありません。長距離移動をしたせいか、急に体調を崩してしまいまして」

「いや、いいんだよ。ばあやの顔を見られただけで満足だ。病院から連絡が来た時は驚いたけれど、思ったより顔色がいいね」

「ええ、それが……具合が悪くなって、道端で座り込んでしまったのを助けてくれた方がいたのです。その方がすぐに応急処置をして、病院に連れてきてくださったので、大事に至らず、本当に助かりました。ユリウス様と同じ、王立魔法学園の生徒さんでしたよ」

「そうだったのか。僕もお礼を言いたいな。名前はわかるかい?」

「アーレント公爵家のご令嬢だそうです。チェリージャムのような赤い髪をした、お綺麗な方でしたわ」

「もしかして、エリアンナという名前の……」

「いえ、エリーシャ・アーレントと名乗られました。そうそう、汗をハンカチで拭いてくれたのですが、返しそびれてしまって。ほら、こちらにお名前が刺繍してあります」


 ばあやに見せてもらったハンカチには『エリーシャ・アーレント』と刺繍されていた。


 またエリーシャ……何かが引っ掛かる。


 悪女と言われている割に、学園内で問題は起こしていない。彼女がやったらしい、という噂だけが一人歩きしているかのようだ。




 そんなエリーシャと初めて会話をしたのは、図書館前でのことだった。


 女生徒たちに囲まれ、エリーシャが転ばされるのを目撃した。


 怯えたような表情のエリーシャは儚げで、悪女という噂からは程遠い。

 しかも、やり返すことも言い返すこともなく、膝をついたままである。


 僕の姿に気づいた女生徒たちは、バツが悪そうに去っていく。彼女の悪い噂から、自分たちが正義だと思い込んでいた様子だが、よくない行為だという自覚はあったのだろう。


「立てる? 怪我はない?」


 手を差し出したが、彼女はわずかに微笑み、泣きつくことも、僕に縋ることもなく、自力で立ち上がった。儚げに見えて、芯は強いのかもしれない。


 せめて、と落ちていた本を渡す。

 彼女は受け取った本を嬉しそうに抱きしめる。

 その安堵と喜びの入り混じった可憐な表情に、胸の高鳴りを覚えた。


 しかも、今の本は外国語の原文で書かれており、ごく普通の学生が読むには難易度が高い。理解するには高い知性や教養が必要になる。


 噂によれば、成績はあまりよくなく、レポートで不正をしようとしたことがあるという話だった。だが、あの本が読めるのなら不正せずとも相応の成績を取れるはず。


 やはり何かが引っ掛かる。

 エリーシャのことが気になった僕は、アーレント公爵家について調べてもらうことにした。


 その結果、エリーシャとエリアンナの歪な姉妹関係について知った。

 噂もほとんどは嘘か、エリアンナの悪行をエリーシャのせいにしたようだ。それを、家族ぐるみで行っている。親の贔屓にしてもやり過ぎだ。




 エリーシャは家でも学園でもああして縮こまり、ひたすら耐えているのだろうか。

 そう考えただけで、胸がチクリと痛むのを感じる。


 エリーシャをあの境遇から救いたい。できれば、そばで笑っていてほしい。

 しかしあれほどまでに噂が流れてしまっては、擁護したところで反発が出るだけだろう。


 そう思っていた時、たくさんの婚約申し込みの中に、アーレント公爵家からの申し込みもあるのに気づいた。

 エリーシャと婚約すれば、少なくとも生徒はエリーシャに手出しはできなくなる。

 婚約者としてなら、親兄弟からも守れるかもしれない。


 国王である父も説得し、アーレント公爵家の令嬢なら家柄的にも構わないと承諾を得た。


 アーレント公爵家は、エリアンナとの婚約を望んでいるようだが、なにか理由をつけてエリーシャに替えてもらえばいい。


 エリーシャをもう少しで救い出せる。

 そう思うと心が浮き立ち、まぶたを閉じれば本を読む可憐なエリーシャの姿が浮かぶ。

 こんな気持ちは初めてだった。


 ──この気持ちが恋だと知るのは、そのもう少し後のことだった。


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